24.運命の変わる夜
トゥーラン侯爵家の馬車で、昼間も訪れた王城へと向かう。
謁見の間は奥の方にあり、警備も厳重だったし辿り着くまでにヘトヘトになってしまったのだが、夜会が催されている大ホールは建物のかなり手前に位置していた。
天井から吊るされたいくつもの大きなシャンデリア、金をあしらった壁紙。床は石材で出来ているのに、鏡のようにつるりと研磨されている。
絢爛豪華な会場には着飾った大勢の人がひしめき合い、その熱量だけで眩暈がしそうだ。
「足元、気をつけて」
小声で囁かれて、ライラはどきりとする。
今までもレオンがちょっとした時に手を取ってくれて並んだことは何度もあったし、ライラはそれをエスコートだと思い込んでいたが、実際の夜会でのそれとは全く別物だったのだ。
腰を抱き寄せられて、ライラの背中にはレオンの逞しい胸が当たっている、彼が少し顔を傾ければ唇はライラの耳に触れてしまいそうで、その位置から囁かれると直接声が頭の中に入ってくるかのようだった。
これを、この行為を一時でも別の男性に頼もうと思っていた過去が恐ろしい。
ライラの姿を見て、信じられない、という表情を浮かべる令嬢。
扇で口元を隠してひそひそと話しながら、こちらを睨む年嵩の貴族夫人。
ジロジロと値踏みするような男性の視線。
不躾で、無遠慮で、心無い言葉と視線。もう慣れてしまったそれらだったが、レオンが側に立ってくれるだけでそれらはまるでライラに届かなくなった。
守られている安心感と、ここから出ていかなくてはならない不安感がぐちゃぐちゃに混ざる。
もしもここにオフィーリアも傍にいてくれたら心強かったが、今夜は騎士としての警備任務に就いていて一緒にはいられない。
素晴らしい夜会、素晴らしいドレス、素晴らしいパートナー。
夢のような世界に自分が立っていることに現実感がなく、信じられない。
少女らしいときめきを抱いて、ライラは瞳を輝かせた。しかし、満ち足りた状態である筈なのに高揚した端から不思議と、心はどんどん落ち着いていく。
憧れの場所に立ってみると、見えたもの、気付いたことがあった。
ヴィルリア伯爵夫妻が存命の頃、伯爵の仕事が休みの日に皆で庭で行った家族だけのティーパーティは楽しかった。
まだ淑女教育の始まっていないウェンディが姉を真似て挨拶のフリをしてみたり、ライラはオフィーリアとダンスを踊ったりした。姉は何故かリードの方が上手く、実際に夜会でジャックとダンスをするとよく彼の足を踏んでしまっていたのを思い出す。
伯爵夫人と一緒に楽器を奏でたり、この時だけはクッキーをたくさん食べてもはしたないと叱られることもなかった。
両親が亡くなった後も、寂しかったけれどアガタ達と食卓を囲むことでテーブルは賑やかだった。温かく、幸せな日々だった。
一時夢みた、素晴らしい王城での夜会よりも、屋敷のテーブルで皆で温かい食事を食べる方がずっと嬉しい。
出自不明で伯爵令嬢として自信のない自分が嫌だとずっと思っていたが、ライラは令嬢らしい姿と生活よりも、家族と笑い合っている時はずっと満ち足りていた。
「……ライラ? 大丈夫?」
固まってしまったライラに、レオンの心配そうな声が届く。
「平気。とても豪華だから、見惚れてしまって」
ライラが微笑むとレオンは上品に視線を流して、ごく自然にエスコートしてホールへと導いてくれる。
レオン。レオンはどこにいてもとても素敵だが、貴公子の彼よりも幼馴染で屈託なく笑う彼の方が、ライラにとってはレオンらしく感じる。
伯爵令嬢になることに憧れていたし、そうなれば自信のない自分から脱却出来るのではと考えてもいたが、ライラが望んでいたことは、元々この手にあったものばかりだった。
自分はとても愛されていたし、大切にされていた。
出掛ける前にアガタが、オフィーリアかレオンに相談してみたら、と言っていたことを思いだす。
家を出ていく以外の選択肢はライラには思い付かないが、レオンならば別の選択肢や、もしくは家を出た後の身の振り方についてアドバイスをもらえるかもしれない。
でも求婚を断った身で、厚かましいだろうか?
しっかりしなくちゃいけないのに、上手く考えが纏まらない。ライラは今まで自分が考えてきたことが、間違っていたのではないか? と不安になった。
しかし、現状は何も変わっていないのだ。
「お嬢さん、出来たら俺に集中して」
くすりと笑ってレオンに促されて、ライラは慌てて頷いた。
王城主催だが毎年の慣例による開催の為、主催者という立場である国王陛下は参加しない。つまり挨拶するべき相手はいないのだ。
途中で開催を取り仕切っている大臣のスピーチはあるが、会場が大きく貴族であればほとんどの者が参加しているだけあって厳かな雰囲気はない。
会の最後には、隣国ガルジェラから招いた魔術師が花火魔術でフィナーレを締めくくることもあり、お祭りめいた賑やかさである。
「どうする? 何か食べる? それとも誰かに挨拶する?」
「ううん……あの、もしよかったら……」
ライラがおずおずと言おうとすると、レオンがそれを察して悪戯っぽく笑う。
「踊っていただけますか? お嬢さん」
「! 喜んで!」
ライラが弾けるように笑うと、レオンも楽しそうに笑って手を引いてくれた。
ダンスホールに出ると、ちょうどテンポのゆっくりとしたワルツが流れ出す。
ダンスのレッスンは受けていたし、お遊びで踊ったこともある。そして姉の付き添いとして夜会に出たこともある。
けれど今夜がライラにとって初めての舞踏会で、これが初めてのダンスだ。
少し不安だったが、レオンの丁寧なリードで苦もなく踊ることが出来る。滑るように脚は動き、ターンの時ですら周囲を見て余裕をもって回れた。
鼓動はずっとどきどきと高鳴っていたが、見た目は優雅に踊り切る。
「上手」
子供を褒めるみたいにレオンが言い、ライラは誉められた子供のように笑った。
一曲踊りきるとライラは緊張でもうヘトヘトだったので、二人は踊りの輪を抜けて飲み物をもらいにテーブルへと向かう。
「あの……レオンは挨拶とかしなくていいの……?」
ずっと自分に付きっきりでいてくれる彼に、ライラは申し訳なくなる。
「そういうのは親か兄がするよ。それに、夜会デビューの令嬢を一人にする方が紳士として間違ってる」
レオンはサラリと言い、壁際に二人で並んでレモネードのグラスを傾けた。
壁の花に徹していても、レオンの容貌は目立つ。三年間外国にいたからか、彼の素性を知らない令嬢もいるようだったが例外なくレオンの美貌に見惚れているのが分かった。
「……こんな素敵な人にエスコートしてもらえるなんて、私は幸せ者ね」
ふふ、と笑ってから、失言だったと焦る。しかし顔を上げると、レオンはいつものように優しく微笑んでいた。
「レオン……」
「ライラが望んでくれるなら、いつだってパートナー役を務めるよ」
「……無神経なことを言ったわ、私。ごめんなさい」
「そんなことない、嬉しいよ。ライラ、俺は……」
レオンが何事かを言い募ろうとした時、不思議な声が聞こえた。
「やあ、ライラ」




