23.謁見、そして
そうこうしている内に時は過ぎ、あっという間に建国祭の日がやってきた。
昼間に執り行われた、国王陛下との謁見は無事終了した。
とても緊張したが騎士でもあるオフィーリアが付き添ってくれて、この日の為に教本を再び開いて熱心に勉強しなおした甲斐があり、作法も完璧にこなせたのだ。
そして屋敷に戻るや否や、今度は夜会の支度である。
昼も夜もライラの支度には、仕立て屋とアガタ、そして紹介状を渡して今は別の屋敷で働いている、かつてヴィルリア伯爵家で働いていたメイド達が数名応援に駆けつけてくれた。
この日はどこの屋敷も大忙しの筈なのに、彼女達は変わらぬ笑顔でテキパキとライラを令嬢らしく仕立て上げていく。
「まぁ、ライラお嬢様、すっかり大人っぽくなられて」
「でも少しお痩せになりましたわ、リボンでボリュームを出しましょうね」
「手が荒れててお労しい……大丈夫ですよ、手袋で隠してしまえますわ」
かしましくアレコレ言いながら、仕立て屋同様に口以上に手が動く。
腕を上げてだとか、背筋を伸ばして、という指示に従いながら、ライラは久しぶりの支度風景にだんだんと高揚してきていた。
メイド達に宝物のように甲斐甲斐しく磨かれて、大切にされていると、自分にまるで価値があるかのように錯覚してしまう。
両親が存命の頃はこれが普通で、ライラも自分に対して自信と誇りがあった。愛されているという自覚が、あった。
しかしこの一年でそんなものは幻想だということを嫌というほど思い知らされて、自信などは粉々に打ち砕かれた。
今日だって、本当は人前に出るのが恐ろしい。どんな目で見られて、どんな言葉を投げつけられるのか、と考えただけで足が竦む。
よくこんな弱虫が、安全で優しい家を出て行こうなどと思いついたものだ、と自嘲したが、それは自分の甘えに他ならない。
「さぁ! お支度が整いましたわ!」
アガタの明るい声が聞こえて、ライラはハッと物思いから意識を戻した。メイドがドレスの裾を丁寧に直してくれる。
すぐ傍に置かれている、大きな姿見を見て素直に驚いた。
深い藍色の、光沢のある生地のドレスに、銀糸の細かな刺繍。襟元は大きく開いているが、こちらも繊細なレースが首元まで覆っていて、上品だ。
髪飾りや他の装飾品は真珠と銀で統一され、ドレスと同じ色のリボンが髪に一緒に編み込まれていて、ライラの銀の髪を艶やかに彩っていた。
布量の多いドレスが痩せた体形を上手に隠してくれるし、薄く刷いただけの化粧もとても綺麗に映る。
「すごいわ……とても美人さんに仕上げてくれたのね」
「お嬢様が元々お綺麗なのですわ」
メイド達が口々に褒めてくれて、ライラは本当に嬉しくて微笑んだ。
仕立て屋にもよくよくお礼を言ってから、アガタに手を引かれて部屋を出る。階下には、レオンが待っている筈だ。
ゆっくりと廊下を進んでいると、アガタが静かな声で話し出した。
「……本当に、旦那様達にお見せ出来ないのが残念です。お綺麗ですわ、お嬢様」
「ありがとう、アガタ」
ライラは微笑んだが、アガタの表情は固い。先程まで、メイド達と楽しそうに支度をしてくれていたのに。
「アガタ……?」
「私は、ライラ様のことも他のお嬢様方と同じ様に、幼い頃からお世話して参りました。必死に隠していても、何を考えているかおおよその見当はつきます」
「……」
そこでアガタが足を止めたので、ライラも自然と止まる。こちらを向いたアガタの目には、怒りのような悲しみのような、遣る瀬無い気持ちが浮かんでいた。
「……オフィーリア様か、レオン様にご相談なさった方がいいです」
ライラはゆっくりと首を振る。
レオンの補佐のおかげで、伯爵家は持ち直すことだろう。ならばその時に、嫌われ者の養女はいない方がいい。
感情が昂ると、またピリッと魔力が乱れる。心の中で宥めるようなイメージを浮かべて、魔力と感情の揺らぎを収めた。
レオンに求婚された時も感情は大きく動いたが、そういえばあの時は魔力は暴れなかった。相手がレオンだったから、不安な気持ちはなかった所為だろうか。
家を出て、生活が落ち着いたら魔力の制御のことを真剣に考えた方がいい。
何かの役にたてる程の魔力はないが、暴走してあの裏路地の時のように人を傷つけることがあってはならない。
「……これからも、お姉様とウェンディのことをお願いね、アガタ」
「頑固なライラ様。絶対に、お嬢様方もレオン様もそんなこと望んでおられませんよ」
「うん、分かってる。……家の為、みたいなフリして、本当は私が、もう辛いの」
微笑むと、唇が引き攣った。
弱くて浅ましい自分。
オフィーリアやウェンディと比べられることも、レオンに相応しくないと思われることも、自分を否定され続けることにも、もう疲れてしまった。
それでも自分は自分だ、と胸を張って生きていくことが出来ないのだ。
「……逃げたいの」
「それが、ライラ様の望みなら……アガタには止められません」
悲しそうに言って、アガタは再びライラの腕を引いて歩き始めた。
「……困ったことがあったら、いつでも連絡をください。オフィーリア様達には秘密にしておきますから」
「うん、ありがとう」
恐らくアガタは、ライラの手伝いの内容や外出時間を鑑みて、家を出る準備をしていることに気付いたのだ。
オフィーリアやウェンディは、ライラが屋敷の外に出ていることもあまり把握出来ていない筈だ。
レオンも様子がおかしいことは気づいていても、企みの中身まではまだバレていない。
今夜が、社交シーズン最後の夜会。それが終わり、貴族達が領地に帰る慌ただしい行き来の中に紛れて、ライラは家を出るのだ。
荷物は纏めてあるし、元々ライラの持ちものだった宝石を換金してある。
オフィーリアとウェンディに宛てた手紙も書いて、机の引き出しに隠してあった。
レオンにも何か、と思ったが何を書いていいのか分からず、やめた。
玄関ホールへと続く階段の上に辿り着き、ライラはそっと手すりに触れる。
ホールにはレオンが立っていて、彼は気配を察したのか顔を上げてこちらを見た。その灰がかった紫の瞳が、見開かれる。
アガタが裾を流してくれて、ライラは優雅に階段を下りた。動きに一拍遅れて、ドレスの裾がするりと段差を滑るように降りた。
玄関ホールの灯りを受けて、アクセサリーが輝く。
あと数段で終わり、というところにレオンが迎えにきて手の平を差し出されたので、そこに自分の手を重ねた。
「お待たせしてごめんね」
「いや……ライラ」
「はい?」
呆けたようなレオンの珍しい声に、ライラは首を傾げる。
きゅっと手を握られて、一番下まで到着すると彼を見上げるいつもの高さになった。
「すごく綺麗だ」
真っ直ぐに目が合うと、レオンの穏やかな声が耳に優しく響く。
「ありがとう……レオンも、とても素敵だわ」
ライラがそう言うと、レオンは冗談めかして片目を瞑ってみせた。
再会した時の夜会でもレオンの夜会服姿は見ていたが、その時よりもさらに今夜はとびきり素敵だ。
明るいグレーの夜会服に、艶のある黒髪が映える。
「ライラのエスコートだからね。おめかししたんだ」
「まあ」
お世辞にライラが楽しくなって笑うと、それをレオンがじっと見つめてくる。
「行こうか」
「うん……よろしくお願いします」
重ねたままの手をすい、と引っ張られて、ライラはレオンのエスコートを受けて歩き出した。




