16.期待を、噛み潰す
急に雰囲気の変わったレオンに、ライラは戸惑った。
先程までは穏やかに話せていた筈なのに、どこかで返事を間違えただろうか。
「……ライラ」
「レオン? どうしたの……」
「一方的に気持ちをぶつける身勝手を、どうか許して欲しい」
レオンの真剣な表情と震える声に、ライラは唇を噛む。何を言われるのかはちっとも想像が出来ないが、これまでの自分達ではいられなくなることだけは分かった。
いつも優しくて、誠実なレオン。彼の言葉を聞くのが怖い、と思ったのは今が初めてだ。
「き、聞きたくない……って言ったら?」
そう言うと、レオンは一瞬目を丸くしたがそっと肩から力を抜いて強張っていた表情を和らげてくれた。
「……本当にライラがそう願うなら、言わないよ」
レオンは寂しげに笑う。とても大切なことを告げようとしてるのに、ライラが嫌だと言ったら彼は本当に言わずにいれくれるのだろう。昔からそうだった。
レオンは本来、我慢が苦手な人だと思う。
どんなことも人並み以上に出来て、出来ないことがあっても負けず嫌いなのできちんと努力を重ねて、結果的に出来るようにしてきた人だ。我慢する代わりに、努力して可能にすることで我慢しなくていいようにしてきた人。
だというのに優しいから、いつもライラの為には我慢してくれた。
ライラは伯爵家の皆にはとても優しく愛されて育ったが、自分が養女であるということはきちんと自覚していたのでわがままは滅多に言わなかった。遠慮していた訳ではなく、そういうものだと分を弁えていたのだ。
だけど、何でも自分のことだけは許してくれるレオンにだけは、些細な子供のような我儘が言えた。
大好きな幼馴染。たった一度だけライラの我儘を聞いてくれなかったのは、留学しないで、という願いだけだ。
側にいて欲しかった。
レオンのことが、好きだから。
「……き、聞くわ。大丈夫」
「本当に?」
レオンの切実な瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめている。
灰がかった美しい瞳。その瞳が、ライラは昔から大好きだった。
長い指先に頭を撫でられるのも好きだし、ハンサムな顔に笑いかけられるのも好きだった。
レオンはとても優しかったので、ひょっとしたら自分は彼にとって特別な存在なのではないだろうか、と夢想したこともある。
伯爵令嬢としてオフィーリアには幼い頃からジャックという婚約者がいて、当時十歳になるウェンディにもそろそろ誰か相応しい人を探さなくては、と両親は相談していた。
ライラの知り合いにウェンディと釣り合う年頃の男の子はいないか、と義母に聞かれたこともある。だが、ライラは十五歳になっても婚約者を探そうとは言われなかった。
当時は、レオンが留学から戻ってきて自分が社交界デビューする年になったら、ひょっとしたらレオンに求婚されるのではないか、と思っていた。
誰にもそんなことは言われていなかったし、レオンも何も言っていなかったのに、それは幼い子供の夢物語のようなものだ。淡い期待。無駄な願望。
ライラは、両親が亡くなってから、自分が思いあがっていたことを嫌というほど思い知らされた。
いくら伯爵家の養女になっていてもライラは出自が不明で、どこの子ともしれない。そんな女と縁組を望む人などいないのだ。
優しい両親はそれを理解していて、ライラを傷つけないように婚約の話をしなかったのだ。
特に貴族にとって結婚は一大事。家にとってより有利な相手を選ぶことが重要だ。
ライラでは、相手にとって何もメリットもない。
だから、もうライラは期待しないのだ。
だって、誰の為にもならないし、これ以上悲しい思いを味わいたくない。
「……何ものからもライラを守れるようになる、君に相応しい男になる為に留学したのに、結局君が一番助けを必要としている時に側に居れなかった。本当に、ごめん」
気持ちをぶつける、というのは懺悔のことだろうか。ライラは、勝手に色恋に結び付けて考えた自分を恥じる。
俯くレオンに、気を取り直して励ます言葉を選んだ。
「それはレオンが謝ることじゃないわ。あなたは私に対して何も責任のない立場なんだから……それに、あの時私が不甲斐ない思いをしたのは、私自身が弱い所為よ。あなたは何も悪くない」
実際、ライラは他の誰かを恨む気になんてなれなかった。あの場にいたのが自分以外の誰かならばもっと上手く対処出来た筈だ。
せっかく伯爵家に養女として迎え入れてもらったのだから、家の危機にこそ役に立つべきだった。
のうのうと甘えて暮らしてきたツケを、家に払わせてしまったことが本当に申し訳ない。
「……だったら、俺はライラに対して責任のある立場になりたい。君が助けを求める時、助ける権利が欲しい」
「そんなこと、あなたに背負わせるわけには行かないわ」
ライラは、我儘を言う子供を宥めるような気持ちになる。
いつも優しくてスマートなレオンだが、彼は頑固でこうと決めたら引かないところがあるのだ。
幼馴染で人よりも能力がある為、妹を守るような気持ちでいてくれるのだろうが、伯爵家の補佐を務めてくれる人に、これ以上何かを強いるわけにはいかない。
それもこれも、再会してからこちらライラが情けない姿ばかり晒してしまっている所為だろう。ギードリアではもう成人扱いになる社交界デビューの年なのに、ライラが三年前の幼い子供のままに見えているのだろうか。
「違うよ、ライラ。背負ったり強いられたりするわけじゃない、俺がそうなりたいんだ。ずっと、ライラの一番側にいる権利が欲しかった」
「レオン……?」
ここにきてようやくライラの胸がドキドキと高鳴る。
随分前に捨てた筈の甘い期待。優しくて、一緒にいるといつも楽しい、大好きな幼馴染。
彼の側にいたかったのは、ライラの方だ。
レオンがその場に跪く。
「愛している。俺と……結婚してくれないだろうか、ライラ」




