15.Stay with you
ヴィルリア伯爵家の応接室は、夫人の東国の趣味が反映されていて淡い壁紙の壁に無垢な色の木材が配された家具が並んでいて瀟洒な雰囲気に纏められている。
伯爵夫妻が亡くなってからも模様替えをされていないようで、幼い頃からよくこの部屋を訪れていたレオンにとって、とても落ち着く空間だ。
彼女自身も申請していたのでオフィーリアが補佐を受け入れることを、レオンは当然見越していた。善は急げと持参したケースから、必要な書類を取り出す。
内容は改めて確認してもらって構わないが、話が言質だけで中途半端に終わることは避けたかったのだ。
すると書類を渡されたオフィーリアは、それを執事のフーゴと共に確認し内容に問題がないと認めてすぐさまサインを書いた。
「……自分で持ってきた話だが、こんなに即決でいいのか?」
あまりの速さにレオンの方が心配になって聞くと、オフィーリアの返事はけろりとしたものだった。
「レオンは私を裏切ることはあっても、あの子を裏切ることはないだろう?」
「いや、リアのことだって裏切る予定はないが……」
ちらりとオフィーリアが視線で示した先には、ウェンディにお茶のおかわりを注いでいるライラの姿。レオンもその視線を辿り、ライラを熱っぽい視線で見つめる。
銀の髪に緑の瞳。ガルジェラでの便宜上の上司も同じ色彩を持っているが、レオンにとってライラのその色だけが美しく見える。
幼い頃から、彼女だけが特別だった。
「……さぞかし焦れた三年間だっただろうね」
「ああ。あの子に求婚する許しを得るまで、こんなに掛かってしまったよ」
レオンは自分でも自覚なく唇を震わせた。
その様子をオフィーリアが面白そうに見ているのを気配で感じるが、無視する。
ライラ。
レオンの初恋の相手であり、今なお気持ちが衰えることないただ一人の想い人。
彼女に相応しい男になる為に留学したのに、その所為で彼女が助けを必要としている時に側にいることが出来なかった。
「……伯爵が亡くなった時に駆けつけられなかったことを、俺はずっと悔やむと思うよ」
「私も同様だ。赴任先にいて、報せを受けて駆けつけた頃には屋敷は親戚共に食い荒らされた後だった」
悔しそうなオフィーリアの声に、レオンも頷く。
「親戚共に、お前は伯爵家の血筋ではないから、と随分罵られたようだ。あの子は何も言わないけれどね」
「愚かな……」
レオンは怒りに拳を握る。
その際にライラがジェラールによって襲われそうになった件は、オフィーリアはライラの名誉の為に伏せていた。レオンがそれを知っていたならば、先程玄関ホールで会った時に五体満足でジェラールは帰ることが出来なかっただろう。
「両親が生きていた頃は、血が繋がっていないことを知ってはいてもライラはそれを負い目に感じてはいなかった。養子など貴族では良くあること、責められる謂れはない筈なのに……」
扇をバサリと広げ、オフィーリアは不快げに歪んだ口元を隠す。
「それでこの前はあんなに激昂していたのか。いくら喧嘩早いリアでも、衆人環視の中で人を殴るなんて珍しいと思った」
今日のジェラールの暴挙に怒るのは当然としても、婚約破棄のついでにライラを貶めたジャックに苛烈に報復したのは、さすがのレオンも驚いたのだ。
「私は騎士だぞ、理由なく人は殴らない。……だが可愛いライラを守る為ならば、国王陛下であろうとも殴ることに躊躇しない」
危険な思想だが、レオンにも理解は出来る。実行するかどうかが別の話だが、オフィーリアならばやりかねない。
「……ところで、私は今現在ライラの保護者なんだが、あの子に求婚する許しは私からももらう必要があると思わないか?」
「意地悪を言わないでくれ」
レオンは弱りきって溜息をついた。
「冗談だ。友達の恋路を邪魔したりしないさ。でも、一番の強敵はあの子自身だと思うぞ」
オフィーリアの言葉に、レオンは頷く。
しかしライラの愛を得る為ならば、レオンにとって何一つ苦ではなかった。
数日後。
正式に書類が受理され、伯爵家の領地と財産の管理について国から派遣された補佐としてレオンが就くことになった。
レオンは社交シーズンはガルジェラ駐在外交官としての職は休暇中で、しばらくギードリアに滞在する。
「その間に管理態勢をきちんと組んでおきたい。しばらくは毎日こちらに通うよ」
受理された書類を持ってきたレオンは、玄関で迎えに出たライラにそう言って爽やかに笑った。
「休暇で戻って来ているのに、毎日来てもらっていいの……?」
「外交官としては休みだけど、補佐としては勤務中だよ。国からいくらか給料も出るし、気にしないで」
実際のところはボランティアもいいところの僅かな報酬なのだが、レオンにとってライラを守ることは最重要事項だ。金は関係ない。
ライラは申し訳なさそうにしているが、自分の能力で彼女の窮状を救えるのならばこんなに嬉しいことはない。
「私も出来る限りお手伝いするから、どうか無理はしないでね」
「それは俺のセリフだよ。朝から晩まで家事や家族の世話を焼いているとアガタに聞いたよ、ライラこそ休んだ方がいい」
そう言うと、ライラは微笑んで首を横に振る。
「私に出来ることがあるのが嬉しいの。お姉様は新しく婚約者をお探しになるかもしれないからそのお手伝いや、ウェンディが素敵な淑女になれるように出来る限りのことをしてあげたいわ」
「ライラは?」
違和感を覚えて、レオンはライラの緑の瞳を覗き込む。
オフィーリアとウェンディの未来の話しかしないライラ。その先に、まるでライラはいないかのようだ。
「私は……ほら、ね?」
言葉を濁す彼女に、レオンは不安になって思わずその白い手を握る。手の平は令嬢のそれとは違い、少し肌が荒れていて痛ましい気持ちになった。
「離して」
それに気づいたライラが、羞恥に顔を赤くして腕を引く。だがレオンはもう我慢出来なくて、感情を抑えておくことが出来ない。
本来ならば、もっと旧交を温めてから告げる予定だった。きちんと資産管財の補佐としての仕事もこなして、ライラの立場を盤石にしてから、彼女が自分の意思で返事が出来る状態にいてから自分の気持ちを伝えるつもりだった。
でも今のライラは、ちょっと目を離したらどこかへ行ってしまいそうな危うさがある。皆で笑っていても、ふとした時に表情が翳るのを何度も見た。
早く伝えておかないと、レオンはまた後悔をする気がしたのだ。