1.夜会で突然婚約破棄
新連載です、よろしくお願いします。
「オフィーリア・クライン! お前との婚約を破棄する!!」
ゴドル子爵令息ジャック・コールがそう叫び、名指しされたオフィーリアは扇で口元を隠す。
「ほう?」
ジャックは傍らにダール男爵令嬢のファニーを連れており、彼女は勝ち誇ったようにオフィーリアに笑みを向けていた。
そしてオフィーリアの隣に付き添っていた妹のライラは、事の重大さに真っ青になる。
「お姉様……!」
華の綻ぶ、春のギードリア国。
社交シーズンを迎えた王都の喧騒は、陽が落ちてもその華やかさを萎ませるどころか大きく咲き誇らせている。街灯には魔術の灯りが夜通し消えることなく燈り、夜が深くなっても石畳の路地を行き交う馬車も多い。
洒落者で有名なショーン男爵の今夜の夜会には、王都中の若い貴族達がこぞって招待されていた。きらびやかなシャンデリアに、高価なアルコール。
魔術が発達した隣国・ガルジェラから招いた一座が、驚くような魔術の芸で招待客の目を楽しませていた。
その夜会に姉・オフィーリアの付き添いとして出席していたのは、ヴィルリア伯爵令嬢ライラ・クライン。
ライラは待ち合わせよりも随分遅れてやって来たジャックに、内心でひどく腹が立っていた。
と、いうのもジャックとオフィーリアは幼い頃から婚約関係だというのに、ここ最近の彼の態度はけっして誠実とは言えないものばかりだったからだ。
本来ならば夜会の前に屋敷までオフィーリアを迎えに来るべきなのに、それもない。しかも近頃は直前になって仕事が、などと短い報せが来て付き添いをキャンセルされることも多い。招待状を受け取り、出席することが決まっている会を直前になってパートナーがいないので、という理由で欠席など出来る筈もない。
そういう時はライラが、まだ陛下に拝謁していない身ながら仕方なく付き添いとして姉に同行していて、今夜も似たような状況だったのだ。
この国では保護者同伴ならば社交界にデビューする年になれば、まだ拝謁しておらずとも夜会に出席することはタブーではない。
両親のいないライラにとって、保護者は成人済みの姉のオフィーリアだ。しかし、そのオフィーリアを令嬢一人で夜会に向かわせることは憚られるから、付き添いでライラが同行する、という捻じれた状況になっている。
順を追って説明すればタブーを犯しているわけではないが、眉を顰められてもおかしくない。
オフィーリアとジャックが合流すればライラは帰宅するつもりで出来れば目立ちたくなかったというのに、当のパートナーであるジャックが遅れてやってきた上に別の女性を同伴、そしてこの騒ぎである。
「ジャック、これはどういうことだ?」
伯爵令嬢でありながら王国騎士団に籍を置く女騎士でもある、オフィーリアの口調は凛々しい。
彼女が落ち着いた様子で訊ねると、ジャックはそれが気に入らなかったらしく語気を強めた。
「その態度だ! 女だてらに騎士になどなり、いつもいつも俺を馬鹿にしたような物言いをして……女なんてものは、夫に従順であるべきなのに、いつもお前はえらそうに!!」
「私は正式な手順を踏んで騎士になった。それを貶めることは、この国の騎士団を貶めることと同じだよ? それに、あなたと私の婚約は、亡き我が父ヴィルリア伯爵とあなたのお父様であるゴドル子爵がお決めになったこと。私達自身ではどうしようもないことでは?」
「うるさい!! ファニーを見て分からんのか! 俺は彼女と付き合っている、彼女の腹には俺の子がいるんだ!!」
ジャックがそう叫ぶと、ファニーは一瞬嫌そうな顔をした。
婚約者のいる男を関係を持ち、子を孕んだとなると外聞が悪いどころの話ではない。この場で、そこまで暴露して欲しくなかったのだろう。
ライラはハラハラとしながら姉とジャックの様子を見つめる。
自分が止めに入って何とかなるタイミングはなく、だからといって悠長に構えてなどいられない。
冷静で時に苛烈なオフィーリアのことだ、ジャックにおめおめと泣き寝入りさせられることはないだろう、と思うがそれよりも今後が心配だった。
嵐の海に投げ出されたような気持ちで、ライラは口元を手で覆う。自分が出来ることは少なく、だが出来る限りのことをしようを気持ちを引き締めた。
その間にも、興奮したジャックの怒鳴り声は続く。
「第一、ヴィルリア伯爵が死んでからの伯爵家は没落の一途を辿っている! 今更お前と結婚して婿になって伯爵位を継いだところで何の得があるって言うんだ?」
「……」
オフィーリアは無言で扇を閉じ、ぱしん、と自分の手の平を打った。ライラには分かる、これは姉が「受けてたつ」と戦意を固めた音だ。
誇り高いオフィーリアは家族を貶められることを何より嫌う、素晴らしい家長なのだ。
「今や娘が三人だけの先細りの一族! しかも次女はどこぞの子とも知れない庶子ときた! 顔だけは美しいのだから、娼館にでも売り飛ばした方がいくらか家の為になるだろうよ!!」
それは地雷だ。
ライラがそう思った瞬間、オフィーリアは扇で思い切りジャックを殴りつけた。
バシンッ!! という大きな音が静かなホールに響き渡り、周囲にいた夜会の参加者達は息を呑む。
ジャックはふらつき、その隙を逃さずオフィーリアは更に扇の切っ先で彼の腹を突いた。
熟練の騎士の動きに男性達は驚き、女性達はそんな状況ではないと分かりつつもつい黄色い声を上げる。
「お姉様!」
正しく悲鳴を上げられたのは、ライラだけ。
「黙って聞いていれば……恥を知れ、ジャック・コール!! 何の罪もない我が愛しい妹を辱めた罪、お前の名誉などでは贖い切れぬ!!」
常に鷹揚で冷静な姉なのだが、家族を侮辱された時は普段は隠している苛烈な面を露わにすることに戸惑いがない。それが、ライラの敬愛する姉、オフィーリア・クラインだった。
「お姉様、やりすぎです!」
「ごめんよ、可愛いライラ。こんな下衆にお前の耳を汚させてしまったね、姉様が排除してあげるから何も心配いらないよ」
にっこりと微笑んだオフィーリアはびっくりする程美しくて、凛々しい。
実際ライラの後ろに立っていたご婦人はそれを見て失神してしまった。あなた宛じゃありませんよ! とライラは教えてあげたい。