二話 店内での暴力行為はご遠慮ください
ゴブリンから逃げ出した後、真っ先にアキが向かったのは近隣の街、『リスタルト』だった。
『リスタルト』は初期開始地点だけあって、人通りが多く、世界でも有数の都会だったはず。
情報収集には持って来いだし、もしかしたら同じような身の上に出会えるかもしれない。
だが――
「……道、間違えたか?」
門の前まで来て面食らってしまう。
それほどまでにアキの目の前に広がる光景は予想外のものだった。
畑と隣接した家に、時折「モ~」と鳴き声が聞こえてくる家畜小屋。
一応、いくつも家が立ち並んでいて、寂れているわけではないのだが……。
「……こりゃ、どう見ても街じゃなくて村だよな」
余りにもゲームと違いすぎる。
それこそ、月とスッポンといっても過言でないほどに。
もっとも、街道は殆ど一本道だった。
その上、門の看板には堂々と村名――無論、『リスタルト』である――が表記されていて、アキの記憶は正しいのだと肯定していた。
◆
予想外の事態に困惑するアキだが、このままでは日が暮れてしまう。
体力も限界に近い以上、引き返す道はないと考え、村へと入ってみることにした。
真っ先に向かったのは酒場だ。
迷う余地はない。
静かな村の中で、明らかに一軒だけ騒がしいところがある。
十数人入れるかどうかの小さな店だが、どうやら景気良くどんちゃん騒ぎをしているらしい。
……祭りかなにかだろうか。
そう認識した途端、アキの足取りは少しだけ軽くなった。
思い出してほしいのだが、先程、彼女はメニューを開くことが出来なかった。
そうなると、ログアウトだけの騒ぎではない。
アイテムボックス――所謂『インベントリ』にアクセスすることも不可能で、金を引き出すことすら出来やしない。
つまりは一文無し。
このままでは野宿しなければならないのだ。
だが、祭りなら向こうも上機嫌だろう。
情報収集は勿論のこと、上手くやれば泊めてもらえるかもしれない。
「え……」
そんな期待を胸に入店したアキだが、予想に反して店内は閑散として殆ど客がいなかった。
アキを除けばたったの四人。
そのうち三人が同じ席についていて、外まで聞こえる馬鹿騒ぎをしているのは彼らのようだった。
「いらっしゃい」
すると、白髪交じりの壮年の男性が出迎えてくる。
店主なのだろう。
恰幅がよく、柔和な雰囲気である。
「……あんた、見ない顔だね。旅人さんかい?」
「まあ、そんなところだな」
何処から、とは聞かれなかった。
適当に言葉を濁してカウンター席に着く。
「悪いね、騒がしくて」
「……あいつらも旅人なのか?」
「いや。こんな辺鄙な場所に他所からなんて中々来ないさ。まあ、昔は冒険者さんたちが常駐してたんだけど……。とにかく、ここにいる旅人は、お前さんとあの御人だけだよ」
つまり、アレも村人なのか。
にしては羽目をはずし過ぎだろうとアキは思うのだが、くいっと指先で示され、窓際へと視線を向ける。
そこでは黒い外套の男が、喧騒も我関せずといった態度で黙々と食事を摂っていた。
「へえ、あいつか……」
目立つ黒髪ではあるものの、残念ながら男に見覚えはない。
とはいえ、万が一ということもあるし、声をかけてみる価値はあるだろう。
そう思ったアキは窓際へと向かうのだが、途中で酔っ払いたちに道を阻まれてしまう。
「ようよう、嬢ちゃん。何しに酒場へ来たんだ? 背伸びしたいのはわかるが、まだ早い年頃じゃねえのかぁ?」
「嬢ちゃん……? ああ、俺のことか」
太っちょ、ガリガリ、中肉中背。
恰幅の違いはあれど、三人の酔っぱらいは全員がゴロツキといった風体。
かなり酒気を帯びているのか、近寄るだけでぷーんと臭う。
その上、店内は狭く、テーブルの隙間を陣取られると思うように動けない。
きっと普通の女性なら、程度の差はあれ見の危険を感じるのだろう。
だが、アキが気にしたのは自分への呼び方だった。
『嬢ちゃん』。
まさかそんな呼ばれ方をする日が来るとは夢にも思わなかった。
「……まあいいか。おっさん達には関係ないだろ? 引っ込んでてくれ」
複雑な想いを感じるものの、説明するのが面倒くさい。
というか、理解してもらえるとも思えない。
「おっさ……」
「俺ら、まだ二十代なのにぃ……!」
アキは、サラリと流して通り過ぎようとするのだが、最後の一人、中肉中背の男が立ちはだかってくる。
「悪いが、俺達はこの村を守る冒険者パーティでなぁ。少しでも怪しければ、根掘り葉掘り聞くことにしてるんだよ」
その言葉は無精髭を撫で付けながら。
言われてみれば、男たちは軽装の鎧を身に纏っていた。
確か、巷で見かけた軽戦士だかの装備がそんな感じだった気がする。
それでもゴロツキにしか見えなくて、ついアキは聞き返してしまう。
「……あんたたちも、冒険者なのか?」
「『も』ってことは、嬢ちゃんもか。じゃあ、職業は何なんだ? 見た感じ、駆け出しの魔術師か?」
「高位……いや、ただの召喚士だ」
多分、質問に応えるまで通すつもりはないのだろう。
かといって、正式な職業を口にするのは避けておく。
世界観設定では、よほど恵まれた才を持つか、十年以上の鍛錬を積まねば昇級出来なかったはず。
故に、幼い少女の見た目では説得力に欠ける。
酔っぱらい相手なのだから、尚更信じてもらえるとは思えなかった。
「召喚士? おいおいおい、冗談言っちゃいけないぜ」
そんなアキの考えとは裏腹に、男たちはゲラゲラと笑い出す。
項垂れていたはずの太っちょとガリガリの男もだ。
「……何がおかしいんだ?」
「ちょっと待て、本気で言ってんのか? 召喚士なんて、平民がなれる職業じゃねえ。それとも何か。嬢ちゃんはお貴族様なのか?」
当人は煽っているつもりなのだろうが、これには戸惑いのほうが先に来た。
『Patchwork online』において、召喚士とは特別な職業ではない。
一応、ゲーム開始時に選択するには条件が必要ではあるが、転職に必要なアイテムはすぐ手に入るし、捨て値で取引されていたから誰でも購入出来た。
兼任含めユーザー数は少なかったが、あくまでそれは、大器晩成型でスキルの汎用性が低いからだったはずだ。
「……マスター、そーなのか?」
「あ、ああ。オーワンの言ってることは正しいよ。召喚魔法は、高貴な血を引いてなきゃ使えないもんだ。下手に口にするもんじゃない。貴族の耳に入ったら、不敬を咎められておかしくないよ」
酔っ払いがからかっているのではないかと考え、店主にも問いかけるアキ。
しかし、店主は至って真面目であり、同じく困惑を覚えている様子だった。
「まあ、嬢ちゃんが今すぐ召喚魔法を見せてくれりゃ、信じてやってもいいけどなぁ。どうだ? 見せられるのか?」
良い酒の肴を手に入れたと考えたのだろう。
オーワンと呼ばれた男は、腕組みをした後、ククッと鼻を鳴らし、勝ち誇った顔で執拗に聞いてくる。
が、肝心のアキといえば、
「『リスタルト』の違いといい、どういうことだ……? ここは『Patchwork online』の世界じゃないのか……?」
と口元に手を当てて上の空である。
「何をブツブツ呟いて……。おい、糞ガキ、無視するんじゃねえよ!」
それがカチンと来たらしく、オーワンは怒号とともに大きく手を振りかぶる。
「お、おい、オーワン!」
「可愛い娘だから声をかけるだけじゃなかったのかよぉ!」
ハッとなったときには遅かった。
それでもアキは、経験からとっさに受け身を取ろうとする。
……鈍い音がした。
しかし、いくら待っても衝撃は襲ってこなかった。
「な、なんだてめぇは……」
何故ならば、オーワンの拳は途中で何者かに受け止められている。
「……いい加減にしたまえ。大の大人が寄ってたかって一人の少女を、恥ずかしいとは思わないのか?」
割って入ったのは、先程から静観を決め込んでいた外套の男だった。
二十歳かそこらか。
まだ若さの残る優男ではあるが、視線は鋭く、有無を言わせぬ凄みがある。
長身も関係しているのだろう。
遠目でも大柄ではあったのだが、立ち上がってみると、ゆうに百八十センチは越えているように見えた。
「うるせぇ、てめぇには関係ねえだろう!」
オーワンは振り払おうと暴れるのだが、外套の男の腕はピクリとも動かない。
それでも、怒りのままにもう一方の拳で殴りかかろうとして――。
「うげぇ……!」
次の瞬間には宙へ浮き、テーブルの上へと叩きつけられていた。
「お、覚えていやがれ!」
たった片手で投げ飛ばされた。
膂力の差は歴然で、仲間二人に肩を借りて、すごすごと引き下がっていくオーワン。
……助かったのは確かだが、昼間の自分を思い出す醜態に、アキは何とも言えない気分になる。
しかし、それよりも気になるのは割って入ってきた謎の男だった。
――今の動き、片手で変形ではあったが、柔道の一本背負いじゃなかったか……?
混乱するアキに対し、彼はこう告げるのだ。
「……申し訳ないが盗み聞きさせてもらった。君が召喚士だというのは本当か?」
と。