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一話 肉弾戦はご遠慮ください

 アキが目を覚ましたのは、草露のヒヤリとした感触に促されて。

 決して快適ではなく、酷い頭痛を伴ってのことだった。


「つぅう……」


 鉛のような倦怠感に活を入れ、頭を抑えながらムクリと起き上がる。

 どうやらメールを読んだ後気絶して、そのまま床に崩れ落ちたらしい。


「やっぱ悪戯だったのか?」


 周囲を伺えば、鬱蒼と木々が生い茂っていて、小川のせせらぎが聞こえてくる。

 疑いは確信に変わるものの、久しぶりに見た景色で警戒は緩んでいた。


 ――『始まりの森』。


 『Patchwork online』でプレイヤーが最初に訪れる街『リスタルト』の南部に存在する、所謂チュートリアルマップである。

 やはり、先程のメールは悪戯目的で、強制的にワープさせるトラップでも仕掛けてあったのだろう。


 気になるのは装備が変わっていることか。


 今、アキが身にまとっているのは『ファフニール』戦の上質なローブとは異なり、黒いボロ布で縫われた粗雑なもの。

 中はブラウンのキャミソールで、それ以外何も纏っていない。

 足元に転がる杖も無骨といえば聞こえはいいが、木をそのまま切り出した『樫の杖』で、つまりは初期装備というやつだった。


「まあいっか。それならそれで、また運営から連絡が来るだろ」


 ……初期装備に強制変更した上で初期エリアに送りつけるのだから、随分とウィットに富んだハッキングだと言えなくもないが。


 今のところそれ以外の実害はないようだし、個人で出来る対応があるとも思えなかった。


 それよりも、疲れのほうが深刻だ。

 頭痛はすぐに引いてくれたが、倦怠感は未だ抜けきらず、このままゲームを続けるのが健康上いいとも思えない。


 アキはそう結論付けるとログアウトの準備に入る。


 いつものように軽く手を二回振って、メニューウインドウを呼び出そうとして。


「……?」


 だが、何時まで経ってもメニューが表示される気配はなかった。


 ……予期せぬ挙動によるエラーだろうか。

 それとも、ここまで含めたハッキングなのか。


 どちらにせよ、その場合はヘッドセットを外して電源を落とせば問題ない。

 強制ログアウトでデータに不整合は出るかもしれないが、すでに改竄されているのだから今更な話だ。


 アキはマニュアル通りの対応をしようして――

 

 頭部にヘッドセットが装着されていないのだとようやく気が付いた。


 



 ……今にして思えば、目覚めた時点で何かがおかしかったのだ。


 『Patchwork online』は世界初のVRMMOとして注目を集めたタイトルであるが、それ故に発展途上(継ぎ接ぎ)

 振動や音響はリアルでも、触覚や嗅覚までは再現できていない。

 

 しかし、自分が目を覚ましたのはどうしてだ?


 ――そう、草露に身が冷えた(・・・・・・・・)からだ。


 寝ぼけからの錯覚、と言うのは有り得ない。

 何故ならば、今なおアキの鼻腔をくすぐるのは、森林特有の濃厚な木の香りなのだから。


 頬をつねる。


「…………」


 それほど強くしたつもりはないのに、痛みでエメラルドの瞳は潤んでいた。


 続けて胸元へと手を。

 返ってくるのは男らしいゴツゴツとした感触ではなく、慎まやかながらぷにょり(・・・・)と柔らかいそれ。


「う、うへぇ……! な、なんじゃこりゃ……!」


 触っているのか触られているのか。

 仮想現実で体験するはずのない不可思議な感触に、自然と甲高い変な声が出た。

 

「――そうだ。あのとき聞こえてきたのは」


 フラッシュバックするのは謎のシステムメッセージ。


『――ようこそ、「Patchwork online」の世界へ。どうか、あなたの旅に幸福と喜びがありますように』


 それ自体は何の変哲もない、アカウント作成時に表示される文言のはずである。

 だが、この場合に限って別の意味合いを含むのだとしたら……?


 最後の確認とばかりに、アキは慌てて近場の清流を覗き込む。

 当惑を水面に映し出しているのは、やはり空色のポニーテールをした十五歳ほどの少女の姿だった。


 ゲームそのままの容貌に、仮想空間の範疇を越え現実としか思えないこの感覚。

 安直かもしれないが、導き出される答えは一つしかない。


「アバターに乗り移ってゲームの世界に来ちまった……ってことなのか……?」


 肯定するように、呆けた呟きに合わせて少女の唇が動く。

 とはいえ、それに答えるものは誰も――。


「ギギッ?」


 いや、いた。





 振り向けば、小学生ぐらいの体格の赤い子鬼が二匹。


 ――ゴブリンソルジャー。


 『始まりの森』に生息する、最下級の魔物である。


 混乱していたとはいえ、アキは随分と物音を立ててしまった。

 それで興味を持ってやってきたのだろう。


「ギギギッ!」


 捕食者の笑みを浮かべ、子鬼たちがにじり寄ってくる。


 ……最下級ではあるものの、ゴブリンは人間をゆうに超えた身体能力を有している。


 そのため、普通の少女ならば、距離があるうちに直ちに逃げるのが正着に違いない。


 だが、アキの判断は違った。


「……ちょうどよかったぜ。意味わかんねえことばっかで、ムシャクシャしてたところなんだよ!」


 少女の怒号は威勢よく。


 足元にあった樫の杖を握った途端、意識せずとも呪文を紡いでいた。

 続けて、足元には銀光が迸り、魔方陣が展開されていく。


「てめえら、後悔すんなよ! やっちまえ、白銀の機械兵(ミスリルゴーレム)!」

「ギギギィ!?」


 白銀の機械兵(ミスリルゴーレム)とは、おおよそ五メートルにもなる巨兵で、高い魔力耐性を持つミスリルで作られた最高位のゴーレムである。

 どう考えても、ゴブリン程度にはオーバーキル。

 豪腕の一振りで肉塊になるだろう。


 ……だが、何時まで経っても巨兵が呼び出されることはない。


 バチバチバチ……プシュ。


 それどころか、次第に魔方陣の光は弱まり、ついには消え去ってしまう。


「あ、ちょ……おい!」

「「…………」」


 狼狽の声が響き渡り、何やら気まずい間。


 しかし、ゴブリンたちはすぐにハッとなり、再び距離を詰めてくる。


「ええっと、じゃあただのゴーレム……いや、竜牙兵ならどうだ!」


 そういえば、『ファフニール』との戦いでMPをかなり消費していた。

 計算はしていないが、回復せずにこの肉体になったと考えれば、もう白銀の巨兵(ミスリルゴーレム)を呼べるほど残っていないのかもしれない。


 そう思い、かなりランクを下げたものの結果は同じ。

 ビックリするほど誰も応じてこなかった。


「クソッ、こうなったら……!」


 魔法に拘泥していられる状況ではない。

 手にしていた樫の杖で殴り掛かるアキ。


 しかし、実に緩慢な一撃である。


 ゲームでいう、1ダメージかそこら受けた程度なのだろう。

 真正面から喰らったというのに、ゴブリンは小さく顔をしかめるだけで蹌踉めきすらしなかった。


「ゲゲゲっ……」


 ……これは、分が悪い。


 アキの背中を冷たい汗が伝う。


 『Patchwork online』は独特のシステムがウリのゲームで、『力』や『素早さ』といったステータスは自分で割り振らなければ上昇しない。

 アキはカンストまで取得したポイントを全て魔力に振ったキャラクターで、それ故一度に高ランクの召喚獣を呼び出せるのだが、裏を返せば他はレベル1のまま――つまりは一般人並だ。


 その上習得スキルは全て召喚術に関連するものばかり。

 護身用の攻撃魔法なんて一つも覚えていない。


 ――こんな羽目になるのなら、「ややこしくて面倒くさい」と片っ端から極振りなんてするんじゃなかった。


 そんな嘆きも今更な話。

 兎にも角にも、今のアキは非力な少女でしかないのだ。


「やるしかねえか……!」


 今から逃げようにも、ゴブリンと近づきすぎている。

 背を向けた瞬間、背後からやられる。


 絶望的な状況ではあるが、それ故にアキの決断は早かった。


「――――!」


 今度は一種類だけではない。

 ありったけの魔力で、マスターしていた召喚術全てを起動し、地面に幾重にも魔法陣を作り出す。


 ――バリバリバリッ!


「ギ、ギィ!?」


 耳をつんざく爆音と共に、辺りが真っ白に包まれ、怯えの声が再びゴブリンから漏れる。


 もっとも、再三示した通り、何が現れるわけでもない。

 ただのハッタリだ。

 幾重にも重なったのは魔法陣だけではなく、同時に発生する炸裂音と閃光もなのだ。


「つぅ……」


 莫大な魔力の消費に、少女の身体が軋む。

 聴覚は麻痺し、瞼を閉じていても目には白い痛みが襲いかかっていた。


 それでも、隙をつくなら今しかない。


「バーカ! 覚えとけよ!」


 悪態とともに反転し、一気に走り出す。


 最下級の魔物、ゴブリン相手に遁走。

 それが、東野 秋彦――


 いや、ゲーム内最強の召喚士(サマナー)と呼ばれていた『アキ』の、この世界での最初の戦績だった。


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