序 帰路
ハクスイから一つ西の街へと向かう街道を、一人の青年が歩いていた。片手に持った槍を杖のようにして、もはや色も分からないほど擦り切れた麻の上衣をまとっている。ただ一つ、槍の穂先の根元に巻かれた絹の布地だけが場違いだと自覚しているのか居心地悪そうに時折吹く風に揺られていた。
荒い息を吐きながら足を引きずり歩いていた青年はついに力尽き、道端にどさりと倒れた。後ろから来た二頭立ての幌馬車に気づき、彼はその身を街道沿いの草地まで転がした。
「お〜い、あんちゃんよぅ」
夏の終わりの、茂った草の間に仰向けになった青年に御者席にいた男が声をかけた。
「あんちゃん、イファーラの街までもうちょっとだ。乗っけてやろうか?墓くらいはあそこの連中が作ってくれるだろうさ」
小太りな中年男は馬車を降り、青年に近づいた。
「俺は、いい。こ、の方を……連れて、……帰、らな、ければ……」
青年の虚ろな瞳はしかし、何も無い宙を見つめていた。
中年男はまるで青年の見つめる先に誰かがいるかのように頷き、草地に分け入って行く。青年が差し出す、先ほどまで槍についていた翡翠色の絹を男は恭しく受け取った。
「あいよ。お嬢ちゃん、荷台は揺れるが我慢してくれや」
男は馬車に乗り込み、再び青年に向かって声を張り上げた。
「あんちゃんも、早く乗らねえと日暮れまでに街に着けねえよ!!」
やがて男は満足そうに何も乗っていない幌馬車の後ろを眺めると、鞭をぴしりと鳴らして馬を走らせ始めた。
青年の蜂蜜色の瞳は虚空を見つめたまま動かない。一日の終わりを告げる陽光が火葬場の火のように青年の頬を優しく舐めていき、一筋の赤を残して西に消えた。明かりの灯り始めたイファーラの街に、一台の幌馬車がごとごとと音を立てて走っていく。何でもない日が、終わる。
初投稿になります。ぼちぼち更新していきます。話がわかるように本日は1話まで連続投稿するつもりです。