激昂
「ここ、か」
隼翔はこの森には似合わない人工物の前に佇んでいた。
それは遠目に見れば見事な城なのだが、外壁は崩れ落ち、そこから苔や蔦、それに木すらも生えている。城の外装はほこりや汚れ、老朽化が目立ち、あちらこちらで外壁が剝がれ落ち窓は割れ、風の通りが良くなっている。内装に至ってはかつての面影が何も見えない。
そのような城なだけに夜の闇のなかに聳え立つその光景はとても禍々しく不気味な雰囲気を醸し出している。まさに魔王の居城、とそんな感想を隼翔に抱かせた。
「行くか……」
おそらく普通の感性を持ち合わせていたなら脚を踏み入れるのに多少の躊躇いを見せただろう。だが、隼翔は生憎そのような感性を持ち合わせておらず、一切の躊躇も見せずに踏み込んだ。だが、ゾクッと背筋に寒気が走り、思わず足を止めてしまう。
「なんだ……この嫌な感じ」
森の中で感じていたものとは別種の、身体に何かが絡みつくようなそんな感覚に襲われ周囲を見渡す。伸び放題になった草木や老朽化した外壁の一部が落ちているだけで怪しい点は無い。
(だとすると……盗賊以外に何かがいる?)
城に訝しげな視線を向ける。だが、ここでこれ以上考えていても始まらないとかぶりを振って再び脚を進めた。
城門を通過し、薄気味悪い十字架を象った墓標の林を抜け、光源など存在しない暗闇がつつむ玄関ホールにたどり着く。そにはかつて上階への半円形の階段があったのだろうが、今ではそれはもう崩れ落ちここからでは二階に行けそうにない。
そんな空間を眺めながらまっすぐに進む。すると謎の骨が散乱した雨ざらしの廊下にたどり着いた。そこで視線の先にピカッとと炎とは違う光が見えた。それを見つけた瞬間、隼翔は躊躇いも無くそれが何か分かっているかのように音も出さずに加速し死角に入る。
「うっ!?がっ……」
光の正体は警備のために巡回していた盗賊の男がもつ懐中電灯もどきの灯りだった。松明なんかと違って一方向を重点的に照らす構造のため盗賊の男からしたら闇の中から急に手が伸びてきて、軽いホラーだったに違いない。
現に男は恐怖で叫び声を上げ掛けた。だが、その声は喉から絞り出される前に隼翔の手によって塞き止められた。
「声を出すな」
男の喉元を右手で無造作に鷲掴みにして、そのままグイッと持ち上げる。突然のことに動揺し手からカランと軽い音を上げながら懐中電灯もどきを落とす。それは落ちた衝撃、あるいは別の理由で独りでに消え二人の周囲は完全に闇に包まれる。
相手の顔も見えず、闇の中からは底冷えするような声が聞こえてくる。そんな状況に男は中空で脚をバタつかせながら必死に逃れようとするが首を絞められたせいで呼吸ができずにその抵抗は弱々しいものでしかない。
「大人しくしていれば命までは取らん。お前らの頭がいるとこまで俺を案内しろ」
首を絞める手に力を加える。ググッと嫌な音を立てながら男の顔色はますます悪くなり、小さく頷くことしかできない。それを確認すると隼翔はパッと手を離した。
ゴホッゴホッ、と尻餅をつきながら頻りに咳き込む男。そんな男を急かすように首元にいつの間にか抜き放った刀の刃の先をスッとあてがう。
「に、二階まで登って、そのまま廊下をまっすぐに歩けば玉座の間が……」
「そこにいるんだな?」
何度も繰り返し頷く男。それを見て、隼翔は確信を持ったのかその男の横を音も無く通り過ぎていく。それで安心したのか、男は安心したように息を吐き出そうとして、意識を失った。煌めくは一筋の銀光。
「まあ、約束通り峰打ちで勘弁してやる」
峰打ちだからと言って決して致命傷にならないというわけではなく、刃物が鈍器に変わったようなモノなので当たり所によっては命を落とすこともあるのだが、そこは隼翔の絶妙な力加減により命だけは落とさなかった。
男が倒れたのを確認することなく、すぐさま刀を鞘にしまい、言われた通り二階への階段を駆け上がった。
二階も同じような構造で、よく分からない骨や木の葉と言ったものが散乱し、廊下が長く続いている。隼翔は微かな物音と気配を頼りに廊下を進むと、今度は先までと違った淡い炎の灯りが目に留まる。しかも今度は二つ。
いつもなら嘆息の一つでも付くところだが、今のちょうどいい目印となるので何も言わずにただ双眸を細める。
(あの後ろが玉座の間、か)
盗賊たちが掲げるのは懐中電灯モドキではなく松明であり、その灯りによって巨大な扉の一部が暗闇の中に薄らとだが浮かび上がる。そしてその扉に寄りかかるように座り込む盗賊の姿も。
ゆっくりと刀に手を掛けて、息を吐き出す。そして鯉口を切ろうとしたところで、また何かが絡みつくような不思議な感覚に陥る。それは粘着質のものが纏わりつくと言うよりかは、鎖や蔓が巻きついているような感覚が近い。
『コ、コハ…………ロ、ダ』
「っ!?」
錆びたブリキ人形のように動きが鈍くなった身体を無理やり動かそうとすると不鮮明な言葉とも言えない何かが追い打ちをかける様に聞こえてきた。隼翔がお化けなどに怖がることは無いが、それでもそれには咄嗟に身体が反応してしまいビクッと全身を強張らせる。だが近くに誰かいる訳は無く、向こうにいる盗賊たちもまたソレを聞いた素振りを見せていない。
そのまま少しすると動きが鈍かった身体が急に軽くなる。その感覚を確かめるように隼翔は手を握って開くを繰り返す。
「一体なんなんだ?」
誰にも聞こえない声量で自問するように呟く。本来なら隼翔はここで無暗に動かず、この現象の原因を解明しようとしただろう。
仮にもフィオナとフィオネを助けている際にも同じようになったらリスクが高すぎるからである。だが、そうはさせないと言わんばかりにとある会話が聞こえてきた。
「さすが御頭だよな、あの獣人どもボロボロだぜっ!」
「これから処刑か。せめて楽しみたかったんだけどな……」
「お前は獣人が好きだな」
そんな会話とともに下品な笑いが廊下に響く。それは隼翔の耳に届いてはいけない内容。彼らは完全に龍の逆鱗に触れてしまったのである。
物陰からゆっくりとした歩調で出る。
男たちは完全に油断しているのもあり、暗闇の中に隼翔の姿を見つけることはできず未だに呑気に会話をしている。その会話は隼翔には既に聞こえていない、いや、耳には届いているのだが脳には届かない。彼を今支配してる感情は憤怒のみ。
その感情は隼翔の身体をゆっくりと動かす。普段なら男たちとの距離を数歩で詰めることができるのに、今は何かを踏みしめるようにあるいは抑え込むように一歩ずつ音も無く進む。
「ん……なあ」
「なんだよ、急に?」
「いや、何か背筋がゾッとするような、変な寒気を感じないか?」
「おいおい、酔ってんのかよ?」
片方の男が廊下に広がる空気の変化にようやく気が付いた。だが、もう一人の男はそれが冗談か何かのようにしか思っていないらしく馬鹿にしたように鼻で笑い始める。
「いや、けどよ……」
「ったく、そもそも侵入者がいたら下の見回りが気が付いてるだろ」
諭すような口調でその話を締めくくり、再び下世話な話を再開しようとしたのが、残念ながらそれは叶わなかった。男たちはまるで金縛りに遭ったかのように体が動かなくなり、全身から汗が噴き出す。
「な、なんだっ!?」
「何かいるのかっ!?」
手足は震え、乾燥した舌が口裏に張り付く。声が上手く出せず、掠れた声が廊下に響く。
二人はようやく気が付いた、廊下に何か得体のしれない危険なモノが存在すると。そしてそれは着実に自分たちに歩み寄ってきているという事を。
それを表すように時間が経過するごとに体の震えと心を支配する恐怖は加速度的に増加していく。
二人の委縮しきった男たちを闇の中から侮蔑するような視線を送り、隼翔は素早く左手を左側にいる男の喉に伸ばした。そのまま無遠慮に力を籠め、喉を潰す。折ったのではなく、絶妙な力加減により声が出せないように潰したのである。男の口からは悲鳴も何も漏らせず、闇の中に連れ去れる。その姿をもう片方の男も少しは見ていたはずなのに、声を出すことができない。
「ぁ……ぁ……」
口をパクパクと金魚のようにしながら今にも失神しそうな男。なぜここまで追い込まれているかと言えば、それは隼翔という存在から発せられる狂気じみた殺気のせいだろう。
先ほどからずっと感じていたモノ、それはまさしく隼翔から発せられる憤怒のごとき殺気である。それを間近で浴びせられてしまったことに加えて闇という空間が男の根源的な恐怖を増長させ、結果として声を出すこともままならないほど竦み上がらせたのである。
そんな恐怖に飲まれた男が見つめる闇の中で仲間の男は声を出すこともできず、絶望と言う言葉が生ぬるく感じるほどの恐怖を体験していた。
「―――――――――――!!」
痛みに声を上げることも、助けを乞うこともできずにゆっくりと身体に鋭利な傷が刻まれる。しかもしれは先端からじわじわと削られ、失神すると四肢のどこかを切り落とされ強制的に起こされる。
腕と足が一本ずつ切り落とされたところで男はついに動きを止めた。暗闇で見えないが、その男の瞳は恐怖が嫌と言うほど刻まれ、色を失っていた。
隼翔は男が絶息したことを感覚的に悟り、興味なさそうに首を掴む手を離した。びちゃ、と嫌な音が廊下に響き渡るが、扉の前では存命の男が生まれたての小鹿のように無様に震えている。
そんな男に対してもちろん慈悲など与えるはずも無く、先ほど同じように喉元を無造作に掴む。ウグッ、と息が詰まる音を口から漏らしながら抵抗すらままならず宙吊りにされる。男はその時初めて見た、暗闇から自分を睨みつける獣の瞳を。いや、怒れる龍の眼を。
「単刀直入に問おう、この奥にいるんだな?」
ギロリッと双眸で睨めつけながら問う。言外に俺の大切な奴らが、というのがその眼から嫌と言うほど伝わり、男は白目をむきそうになりながら弱々しく頷く。
そうか、と誰にも聞き取れない声で呟きながら腕をゆっくりと下げる。男の瞳に一瞬だけ一筋の光がさしたかに見えたが、それは幻想でしかなかった。
「っ―――――――!!」
男の顔面に拳がめり込む。そのまま隼翔は今度は大扉に向かってその男を力いっぱい叩き付け、止めと言わんばかりにすぐさま腹部に中断蹴りをねじ込む。
――ドカーンッ!!
大扉は途轍もない破砕音を響かせながら、玉座の間への道を拓いた。隼翔はそこをゆったりと歩きながら底冷えするような無機質な声を発する。
「お前ら……ふざけているのか?」
玉座の間では誰もが呆気らかんとしている。だが、隼翔の眼は確実に捉えていた。フィオナとフィオネ、自分が助けに来た姉妹があられもない姿にされているのを。
静まり返る玉座の間、隼翔はそれが気に食わないとばかりに同じような声色で再び問いかけた。
「もう一度言われないと分からないのか?ふざけてんのか?」
玉座の間を埋め尽くさんばかりの殺気が隼翔から発せられる。それは想像を絶するほど重く濃い。
コツコツとどこまでもゆったりと泰然とした歩調で姉妹の元まで歩みを進める。その歩みを阻害しようとする者は誰もおらず、盗賊たちはそれを怯えたように見守っている――――ただ一人を除いて。
「悪いな、遅くなった」
邪魔されずに姉妹の元まで歩み寄った隼翔は、一転していつもの声色で声を掛ける。その声は決して優しく聞こえるものではないのだが、隼翔と少しの時間を共有したフィオナとフィオネだからこそそこに含まれる親愛に近い感情を読み取ることができた。自分たち心配してくれたんだ、と。
「い、いえ……大丈夫、ですっ」
「ご心配……おかけ、しましたっ」
嗚咽交じりに答えるフィオナとフィオネ。
その顔は涙と鼻水でグシャグシャだった隼翔は嫌そうな顔一つせず二人に、後は任せろ、と簡単に告げながら自分の羽織っている黒い外套を二人の身体を隠すようにかけた。未だに止まらない二人の泣き声を背に、隼翔は静観する巨漢の前に躍り出た。二人は対峙するような恰好で睨み合うと、ズルドフが口を開いた。
「お前がこの獣人たちの飼い主だな?」
唯一隼翔の殺気に気圧されることなく、自慢の膂力を見せつけるかのように巨剣を肩に担ぎ直す。そのままギリッと強く歯ぎしりしながら、怒りに任せ声を荒げる。
「てめぇが俺の家族や部下を殺しやがったんだなっ!?ふざけてんのはお前の方だ!!この場で後ろの小汚い獣ものとも血祭りにあげてやるから覚悟しやがれっ!野郎どもっ、やりやがれ!」
巨剣を片手で隼翔に突出し、その部屋にいる仲間たちに支持を出すズルドフ。その声は流石盗賊の頭というだけあり、殺気に気圧されていた者たちの呪縛を解き放つとともに檄を入れるものだった。
「「「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」」」
玉座の間を満たしていた殺気を追い出すかのような盗賊たちの怒声。それは瞬く間に玉座の間に響き渡り、盗賊たちに勢いを与える。それに飲み込まれるようにフィオナとフィオネは耳をペタンと倒し、頭を低くしながら怯えている。
「死にやがれっ!」
「仲間たちの仇だ!!」
三人を取り囲うように殺到する盗賊たち。その数は10人以上で、手には剣や槍、短剣・斧を構え各々が自らの手で血の雨を降らそうと目を光らせる。
しかし、そんな中で隼翔だけは相変わらず毅然とした態度を貫く。それは決してあきらめたからではなく、余裕があるからこそ態度であり、隼翔にとってこの程度窮地でも無ければ死地でもない。
双眸をスッと細め、殺到するもの達の気配を掴む。そして鯉口を軽く切り、かつて輝いていたであろう廃れた床を蹴る。
前方からは各々の武器を多様の構えを取りながら接近する三人。それに対し隼翔は一歩で間合いを詰め、愛刀で横一閃した。
「がはっ……」
「うぐっ……」
「がっ!?」
盗賊たちの怒声は一転してと呻き声と驚愕へと変貌した。
握っていた武器は鈍い音を立てながら床に転がり落ち、その近くには5本の腕と雨のように滴る赤い雫。痛みや驚きで動きを止め、中には蹲る者もいるが、そんなの関係ないとばかりにサイドの二人の喉を斬り裂き、中央で蹲る男の側頭部を回し蹴りで打ち抜いた。蹴られた男は玉座の間の中央から壁際まで吹き飛び、盛大な音とともに壁に打ち付けられた。
「なっ!?」
「うそ……だろ?」
「一体何者だよ……?」
その一瞬の出来事に動きを止め、目を疑う盗賊たち。振える腕に、動かない脚、そして怯える瞳。ズルドフによって一度奮い立ったはずの心は、隼翔によって瞬く間に折られた。
恐怖に慄く面々。だがいくらそのような態度を取ろうとも隼翔は決して止まることはない。盗賊たちは彼らの身体を撫でる様に吹いた一陣の風により、刹那の間に切り裂かれ全員が全員、壁に打ち付けられた。
隼翔は決して魔法などを使ったわけじゃない。純粋な剣術と体術を駆使して盗賊たちを蹴散らした。だが壁に打ち付けられた盗賊たちにしてみれば何が起きたか疑いたくもなるだろう。彼らの心が恐怖に支配されていなければ、あるいはその動きを少しなら捉えることが出来たかもしれない。だが、彼らは恐怖に支配されてしまったがために、その眼で隼翔の姿を捉えることは叶わなかった。
しばしの静寂に包まれる玉座の間。そんな中で隼翔は刀から赤い雫を滴らせながら、ゆったりと歩きズルドフの前に立つ。たじろぐように、あるいは気圧されたかのように後ずさるズルドフ。そんな相手に対し、隼翔は美しくどこか霊妙な刃紋を浮かび上がらせる刀をスッと突き付けた。そして――――。
「この落とし前、しっかりつけてもらうからな」
濃く重い殺気とともに、そう言い放った。