少しだけ静かな日常
なぜだか、ほんわかとした話になってしまいましたね。うむむ……。
次回からは一気に話が殺伐として、第三章も終わりへと入っていく予定です。8月中には終わらせたいな。
「……どうやら飲みすぎたみたいだな」
キングサイズのベッドからムクリと上半身を起こしながら、呟く。
いつもの起き抜け以上に目覚めが悪く、すっきりとしない。身体からはほのかにだが酒精が香り、昨晩どれだけ呑んだのかを暗に物語っている。
頭こそガンガンと痛みを訴えないが、喉がカラカラで水を欲しており、窓から差し込む日差しの強さが昼過ぎだということを教えてくれる。
規則正しい生活をしているとはお世辞でも言えない生活サイクルを送っている隼翔だが、それでも朝は基本的にしっかりと目を覚まして寝過ごすことはほとんどない。
だが今日はがっつりと寝過ごした。その理由は言わずもかな昨夜、突発的に開催した酒宴が原因であるのは明々白々だ。
「まあたまには羽目を外すのも悪くないな」
グッと身体を伸ばし、脱力すれば肩関節がポキポキと子気味良い音を奏でる。
今まで傍からは酒宴を眺めたことは何度かあったが、大いに騒ぎ飲み散らかしたのは今回が初めてであり、とても貴重で良い思い出となった。
その結果として大いに寝過ごし、ちょっとばかり起き抜けが悪くなったのだが、得たモノと比べれば気にならないほど些細な弊害だ。それに昨夜抱えていた胸の奥でつっかえていたモヤモヤが幾分が軽くなったようにも感じる。
「みんな寝てるようだし、静かに活動し始めますかね」
ベッドから抜け出し、乱れた衣服を整えながら少しばかり耳を澄ませる。
中々の広さを誇る屋敷だが、耳を澄ませば誰かが活動していた場合多少なりとも生活音と言うのが聞こえてくる。しかし今聞こえるのは屋敷の外で姦しく鳴く蝉に似た鳴き声だけ。それほどまでに室中には静けさがあり、隼翔の部屋もまた同様だ。
その理由は珍しく彼の横に姉妹の姿は無いこと。だが二人がすでに起きているという訳ではなく、単純に昨夜は二人と一緒のベッドで寝なかっただけだ。
恐らく姉妹としては一緒に寝たかっただろうが、二人は途中で酔いつぶれてしまい、隼翔が二人の個室へとわざわざ運んで寝かしつけたからこそ、今の状態となっている。
そんな少しばかり寂しさ覚える部屋を見渡しながら、いつも通りベッド横に立てかけてある愛刀二振りを腰に佩すると静かに扉を開けて、一階へと向かう。
階段を下り、いつも食事を採るリビングへと足を踏み入れるとムワッと鼻を刺激するほどの強烈な酒の臭いが襲い掛かる。
普段は綺麗に片付けられているテーブルの上には無数の酒瓶が乱雑に並び、床には巨大な酒樽がいくつか転がっている。果たして5人でよくもまあここまで飲めたものだと称賛を送りたくなるような光景。隼翔も思わずと言った感じで苦笑いを浮かべてしまう。
「俺も最後まで飲み続けていたとはいえ、良くもまあこれだけ飲んだもんだよな」
水を注いだコップを片手に、片付けながらそっと呟く。
落ちている酒瓶の種類はワインや果実酒と言った比較的オーソドックスで弱いものからウィスキーやスピリッツと言った激烈なモノまでさまざまで、特に強烈だったのが樽に入っていた炭鉱族が好むとされる火酒だ。一口飲めばあっという間に喉と胃が焼けるほどのアルコール度数を誇る火酒を持ち込んだのはご察しの通り、炭鉱族の少女である。
クロードやフィオナ・フィオネが一口どころかちょっと舐めただけで悶絶する中で、蟒蛇の如くジョッキでゴクゴクと飲み続ける光景は圧巻であり、流石炭鉱族だと戦慄を覚えたのは確か。
だがそれになぜだか対抗出来ていたのが、隼翔。前世ではもちろん未成年と言う身分で酒を飲むことなど出来どれほど強かったのかは分からないが、少なくともその前――――人斬りであった頃はあんなに飲むことなど不可能だった。
果たして元々が炭鉱族のように大酒飲みの体質なのか、あるいは胸に埋め込まれたアレが原因なのか定かではないが、不本意ながらも化け物並みに飲めるということが証明されてしまった。何せ喉が渇き寝過ごしたとはいえ、次の日に二日酔いにならずに普通に活動できてしまっているのだから。
「さて、大体は片付いたな」
さらりとて、微塵も可笑しさを感じずにいる男は、パンパンに膨れ上がったゴミ袋片手に満足げに頷き、渇いた喉をゆっくりと潤す。
すっかり酒瓶や酒樽は無くなり、放置されていた食器類も全て片付け元の様相を取り戻したリビング。
「それにしても全員起きてこないところを見るに……二日酔いが相当きついんだろうな」
チラッと飾られた大時計を見れば月の2過ぎを指している。流石にこれだけ起きてこないならば寝過ごしたというよりは、部屋で悶絶していると考える方が自然だ。……どことなくゾンビの呻き声のようなモノが聞こえるのも幻聴ではあるまい。
さて、今にも死にそうな彼らの部屋を一つ一つ回って水くらいはあげようかと考える隼翔だが、何故か急に底意地の悪そうな笑み浮かべる。
「……酒は飲んでも飲まれるな、と有り難い言葉もあるし、夜まで教訓として苦しんでもらうかな」
これは隼翔なりの優しさ……かどうかはとても疑わしいが、結局持っていた水をがぶ飲みすると、ゴミ袋を持ってそのまま外に出ていくのだった。
そんな彼の背中を必死に亡者にも似た声が呼び止めようとしていたのは、誰も知らない真夏の怪談話の一つとして数えられる。
「地下迷宮も日差しが強いが、やはり本物は段違いに暑いな」
ミンミンミンミンと聞こえてくる蝉に似た鳴き声。照り付ける日差しは最も強い時間とあり、その暑さは朝や夕方とは段違いに眩しい。
最近は砂海層を探索の主としているため、暑さには慣れてた気になっていたが、地下迷宮と地上とでは暑さの種類が違い、鬱陶しさとどことなく懐かしさを感じる。
砂海層の暑さを乾燥した"干からびる暑さ"とするなら、地上の暑さは日本のジメジメっとした肌に纏わり付くような厭らしい暑さ。
「納涼のためにも水を撒きたいが、魔力がないとダメなんだよな」
青々と茂る芝生に水をかければ、見た目的にも涼しさがましそうな気がするが、生憎と広大な敷地面積を誇る屋敷だ。隼翔の雀の涙程しかない魔力では到底不可能。
せめても、と隼翔はごみ捨て帰りに噴水の近くに腰をかける。
パシャパシャと跳ねる水飛沫が髪の毛や肌を程よく濡らし、風が吹く度に涼しさを味わえる。
「なんというか、都会なんだけど田舎にいるって感じがするよな~」
瑞紅牙を鞘から抜かずに構えながら、気の抜けた呟きを漏らす。
風景としては大小様々な建物がところ狭しと並び、道はしっかりと区画整理され、夜には街灯が程よく照らすあたり現代を思い出させる。
だが基本的に動力源が魔力のためか、汚染源が無く、空気は塵一つ感じさせないほどまでに澄み渡っており、とても美味しく感じる。
「木陰で昼寝でもしようか……ん?」
そよぐ青草の薫りと頬を濡らす水の冷たさ。
程よく眠気が襲うこの身体を芝生の上に投げ出せば最高に気持ち良さそうだな、と考えながら程よい木陰が無いか視線をさ迷わせていると、不意に門の外で何かが動いているのを見つけた。
ウロウロ、ウロウロと左右に動く何か。最初は泥棒の類かと勘ぐったが、ソレにしては大きさが小さい。何せ隼翔の腰ほどの大きさしかなく、前には山積みの何かを抱えているようにも見えるだ。古今東西背中に風呂敷を背負う泥棒もいないというのに、前にモノを抱える泥棒などどう考えても可笑しいだろう。
「なんだ、アレ?」
疑問を口にしながらおもむろに近づく隼翔。
ここが地下迷宮ならもっと慎重に動いたかもしれないが生憎とここは地上であり、相手からも悪意のようなモノは感じられない。だからこそ、刀を腰に携えているものの柄には一切手を掛けず、ほとんど散歩気分で門まで近づく。
「何してんだ、お前?」
「ひゃうっ!?」
ほとんど足音を立てずに近づき、声をかける隼翔。その声に驚いたのか、ぴょんと小鹿のように跳ね上がる。
そこにいたのはかなりやせ細った少女。恐らく金色だったであろう髪はすっかり艶を失い、身なりはかなり小汚い部類に入り、籠一杯に盛り付けられた果物の山を抱え込んでいる。
いや、正確には果物籠を抱え込んでいた、だ。
何せ驚いた拍子に少女は果物籠を手放してしまったのだ。クルクルと宙を舞う赤く美味しそうに熟れた果実は今にも地面に落ちそうである。
「おっ、と。危ないな、落ちるぞ」
「……へ?」
だが、それが地面に落ちて潰れることは無かった。
いつの間にか門の外へと出ていた隼翔が全てをキャッチして、しかも籠に元の状態で積まれているのだ。少女としては驚かないはずがない。
「お前のだろ?この果物の山は」
「え、あ、はい……ありがとうございます」
「気にするな、俺が驚かせてしまったみたいだし。ところで、お前は人の家の前をウロウロとしていたみたいだが何をしているんだ?」
「あっそうでしたっ!?……今さらなのですが、そ、その果物を買って頂けないでしょうか?」
安堵したように果物籠を受け取ると、ソレを大事そうに抱え込む少女。隼翔はその様子を見ながら、ふと少女がいったい何をしたかったのかを尋ねる。
すると、はっと思い出したように声をあげ、どこか気まずそうに一つの果物を掴みながら売り込みを始める少女。
「コレは何だ?」
「え、っとププラって言います。お、美味しいのでぜひ買ってくださいっ」
興味を持ったのをこれ幸いにと少女はガバッと勢いよく頭を下げて買ってくれと頼み込む。かなり必死に頼み込むのだが、隼翔の興味はその果物に注がれている。
赤い薄めの果皮。瑞々しく甘酸っぱい香りが漂うソレはモモとプラムを足したような見た目をしている。
思わずごくりと喉が鳴ってしまう。喉が渇いているというのもあるが、意外と隼翔は果物の自然な甘みが好きなのだ。目の前の異世界的果物はぜひ食べてみたいというのが本音。
「だ、ダメでしょうか……?」
じっと黙り込んでしまった隼翔に上目遣いでお願いする少女。そのうるうると潤んだ瞳は一世を風靡した某CMの犬を彷彿させる。だが生憎と目の前にいるのは感情には全くもって流されないような男。その瞳を向けられても一切表情を崩さない。
「一個いくらだ?」
「ど、銅貨一枚ですっ」
「そうか、じゃあ全部もらうよ」
だからと言って買うか買わないかは別の問題。少しの葛藤の末に、隼翔はすぐさま買うことを決意して、無造作にポケットに手を突っ込む。そのままガサゴソと漁ると何かが手に触れ、ソレを掴みだす。
いかんせん寝起きそのままの姿なのだ。隼翔自身金銭を持っているかすら怪しい状態。それでも豪胆に全部買うと言ってのけるのは流石と言うべきか、世間知らずと言うべきか悩ましいところである。
「コレで足りるか?」
「え、いや、多すぎますっ。おつりも渡せませんし……」
それはさておき、隼翔がポケットから取り出したのは金貨。庶民でもなかなかお目にかかれないのだから、年端もいかないみすぼらしい少女が見たことあるはずも無く、目をまん丸に見開き、首がもげる勢いでかぶりを振る。それでもジーッと金貨から視線を離さないのは余程お金に困っているという裏返しでもあるのだろう。
「別に気にしなくても良い」
「え、あっ……」
遠慮するなと言わんばかりに金貨を少女の小さい手に握らせると、そのまま山積みの果実を受け取り、一つにガブリとかぶりつく。
じゅわっと流れ落ちる果汁。口の中にはほのかな甘みと強めの酸味が広がり、喉を優しく潤してくれる。
かなり隼翔の好みだったのか、茫然と立ち尽くす少女など眼中に無い勢いで拳ほどあった果実を食べつくすと、更にもう一つ口に咥える。
「……うん、中々美味しいな。お前も食べるか?」
「……へ?ふみゅっ」
二個目もぺろりと平らげたところで、少女が金貨を握りながら未だに茫然と立ち尽くしていることにようやく気が付いた隼翔。
このまま屋敷に戻ってもいいのだが、せっかく果物を運んで来てくれた縁だ。何となくもったいないと思う。だからこそ、とりあえずとばかりに隼翔は半開きで少々間抜け面を晒す少女の口に有無を言わさず、果実の一つをねじ込んだ。
突然のことで驚いた声を上げる少女だが、見た目通りかなり空腹に苛まれていたのだろう。隼翔にも負けぬ勢いで果実を食べきり、あろうことか隼翔の指すらも口に含もうとする。
「はもはも……」
「流石に俺の指は食えないと思うし、美味しくないぞ?」
「はみょっ!?も、申し訳ありませんっ」
ひな鳥が餌を啄むような表情を浮かべる少女。
だが葉から見てしまえば、いたいけな少女に指を咥えさせるという、中々に危ない光景なのだ。さしも隼翔は困ったように窘めつつ、そっと指を抜く。
指を勿体なそうに見つめる少女。だが、ようやく自分が何をしていたのか思い出したのか、平伏するような勢いで頭を何度も下げる。
「よほど腹ぺこみたいだな。その金で美味しいモノでも食べてくれ」
「あっ、ほ、本当にありがとうございますっ。それと、申し訳ありませんっ」
「だから気にするなと言っただろ?それとまた何か美味しそうな果実が手に入ったら持って来てくれ。買い取ってやるよ」
「ほ、本当ですかっ!?」
「ああ。朝と日中はいないが、夜なら確実にいるだろうからな。よろしく頼むよ」
「ありがとうございますっ!あっ、私ヒナノと申しますっ」
「そうか、俺はハヤトだ」
もう何度目かも分からないほど嬉しそうに頭を下げる少女。隼翔はその姿に何かを重ねながら、果実を頬張り屋敷へと戻っていった。




