奪われたもの
体中に血流が巡るように感覚が冴え始め、ゆっくりと目を開ける隼翔。
最初に瞳に映り込んだのはパチパチと音を立てる焚き火の炎。その燃え方から予測するにどうやらそこまで時間は経過していなかったらしい。そのまま座禅を解き、刀を腰帯に差し込んで肩をコキコキと鳴らす。
「用心に越したことはない、か」
念のため周囲を見渡し、異変がないか観察する。風に撫でられるように音を立てながら一定方向に動く木の葉、濃い森林の匂い。別におかしい部分はないな、と満足しかけたところで違和感を覚える。
(……なんだ、この妙な感覚)
いつもなら魔物や動物の気配をある程度察知するのだが、今はそれが不自然なほど無い。可能性として隼翔の感知範囲にそれらが存在しないという事もあるのだが、確率的にはかなり低い。もちろん視覚や聴覚、嗅覚に異変が生じているわけではないと言うことは先に実証済み。
おかしいのは長年の経験の中で身に付けた言わば第六感とでも言うべきもの。それこそ殺気や視線を敏感に感じ取れ、五感よりも正確に危険を教えてくれる。だからこそ、隼翔は狐人族の姉妹二人よりも危機察知や索敵能力が上だった。だが、その感覚器に今は靄のような、ノイズのようなものがある。
(どういうことだ?)
不測の事態に遭遇しながらも、冷静に自分へ語りかける。
そしてスーッと軽く息を吐きながら第六感を含め全ての感覚を極限にまで研ぎ澄ます。
鮮明になるにつれ、聴覚が気持ちよさそうに眠る少女たちに可愛い寝息を、目が木の葉一枚一枚の微妙な動きの違いを、そして――――第六感が森の中に蠢く複数の殺気を補足した。
(ちっ、なんの影響か分からんが正確な数が把握できないっ!)
毒づきながら、瞬間的に刀に手を掛けて小石の転がる河川敷を一気に蹴る。
ガラッと小石同士がぶつかる微かな音が立つが、少女たちは気づいた様子も無くスヤスヤと寝ている。
しかしこの選択が不運へと繋がり、同時に隼翔はこの時の判断が間違いだったという事を後でまざまざと知らされることになる。
もちろんそんなことは露知らず、隼翔は暗黒に染まる森を駆けだした。
――――同刻
「ふむ……」
一人の男が隼翔たちの滞在する森に脚を踏み入れていた。
灰銀の長髪に、灰色の鋭い三白眼。顔立ちはどこか隼翔のように日本人風であるが、やはり先の特徴があるためにとても隼翔と同じ人種とは思えない。なにより男が脚を進めるたびに森は異様な雰囲気に包まれ、発せられる禍々しい気配はおよそ人のモノとは到底思えない。
その男は顎に手を当てながら、まるで何かの気配を正確に捉えているかのように迷う素振りなく夜の森を闊歩する。
通常森には夜行性の魔物が多く、この男のように不用心に森の中を歩けば大抵は襲われ、彼らの餌食となる。だが、この男に襲いかかる魔物はいない。それどころか周囲からは生命の息吹すら感じられない。
しかし男はそんな事当たり前だと言わんばかりに気にする素振りも無く、悠々と歩きながらぼそりと呟く。
「魔帝の佩刀が目覚めたようだな。……俺を楽しませてくれ、導かれし者よ」
カッカッカッ、と獰猛に犬歯をむき出して笑いながら男は森を進む。男が脚を踏み入れるたびに、その禍々しい気配が森を侵食し、その歩む道には決して生命は顔を出さず静かに息を潜めていた。
「キ、キサマ!?いつの……っ」
山賊風の格好をした男が怒号を上げながら腰の短剣を抜きだそうとした瞬間、銀閃が男の首を跳ね飛ばした。
血を吹き出しながら膝から折れる様に倒れていく胴体。そのほかにも血を流しながら幾人もの男たちが足元に転がっている。それらを興味ないと言わんばかりに見向きもせずに、森の中に視線を向ける隼翔。
「……くそっ。相変わらず読みにくいな」
鬱憤が溜まっているかのように苛立たしげにつぶやく。
隼翔が今夜森の中で斬った相手はこれで二桁を優に超える。それだけ斬ったにもかかわらず未だに森の中には殺気が充満している。しかもそれらの出所がいつもと違い正確に読むことができない。
そのことが隼翔のストレスとなり、結果として冷静さをも奪っていく。だからと言って振るう刃が鈍ったり、不用意な攻めをしたりはしないのでけがなどを負うなどあり得ないのだが。
「仕方ない……手当たり次第にやるか」
溜まり始めているストレスを出すようにフーッと大きく息を吐いて心を鎮めようとする隼翔。深呼吸を何度も繰り返し、ようやく苛立ちを鎮め、さらにこれ以上頭に血が昇らないように自分に言い聞かせる。
「よし……行くか」
刀に手を掛けながら、ある程度の殺気だけを頼りに夜の闇に紛れ再び森を駆け始める。
少しすると暗闇の中に炎の光が人魂のようにゆらゆらと揺れているのが見えた。隼翔は刀の鯉口を軽く切って右手を軽く柄に添えた。そしてそのまま地面を強く蹴り、一気に加速する。
(それにしても……文明水準が思っていたのと違うな。どことなく日本に近いな)
森の中でユラユラと揺れる光。
それは松明やカンテラといった炎ではなく、電灯の光――――つまり日本風に言えば懐中電灯――――によるものだった。もちろん日本にある懐中電灯と違い、電池で光を付けているわけではないのだが、それでもそんなものを普通に持って森の中を闊歩してる盗賊を最初に見かけたときはさすがに隼翔は目を疑った。
想像とは違う異世界の文明。それに対してどこか戸惑ったような感想を抱いてしまう。
だからと言って森の中でそんなものを不用意に使っていては、自分の居場所を知らせているようなものだ、と胸の中で顔の見えない盗賊たちを咎めつつ、手始めに最後尾を歩く男の首を刎ね、一撃で仕留める。
男は声も無く、ゆったりと膝を折りながら地面に沈んでいくがそれを待つわけも無く、次も同様に仕留める。
「こんな夜中まで働かされるとは、つくづく犯人が恨めしいぜ。そう思うだろ?」
前を行く男たちは未だに隼翔の手によって後ろの二人が絶命していることに気が付いておらず、無駄話を続けている。
「お前らも黙りこくってないで……って、何!?敵襲……」
問いかけに返事がないことに苛立ちを覚えた一人が後ろを振り向く。
しかし視線の先にあったのは首の無い二つの死体。そこでようやく異変に気が付いた男は臨戦態勢を取ろうと声を張り上げ、陣形を組むべく左右にいる部下に声を掛けようとする。だが――――。
「生憎お前以外はもういない。ついでにお前には聞きたいことがある」
暗闇から伸びてくる細くも力強い腕によって首を絞められ、そのまま瞬間的に意識を消失し、ダラリと手足を伸ばす。その男の肩口には骨の蜥蜴の入れ墨がうっすらと確認できる。
もちろん隼翔はそんなとこには目もくれず、男を無造作に近くの木に縛り付け、更に口にはその辺に生えていたツル科の植物で猿轡を嵌める。
そこまで準備をして……右手に持つ刀で男の掌を貫いた。
「ーーーーっ!!」
掌から伝わる激痛で覚醒する男。口からは声にならない悲鳴が漏れる。だが――――。
「喚くな、煩わしいぞ」
ぴしゃりと言い放つ隼翔。気にする様子も無ければ、あまつさえ男の口元に蹴りを入れる。その姿は完全に悪役のソレである。
その態度を見て男は確信した、目の前にいる者は危険だと、逆らうべきではないと。
恐怖に顔を歪ませ、ただコクコクと頷く男。その恐怖に囚われた態度を見て隼翔は掌に貫く刀を問答無用で引き抜き、猿轡をその刀で斬る。刀が抜かれた際、男は顔を痛みでひ引き攣らせたが、隼翔の雰囲気に押されるように声は上げなかった。
「さて、それじゃあ質問させてもらおうか。まず初めにお前たちの目的はなんだ?」
血の滴る刀を担ぐように肩口に乗せ隼翔は問う。もちろん隼翔自身はこの盗賊たちの目的を先の会話から大体推測はしているので、それの確認という意味で聞いている。
「お、俺たちは……数日前に幹部を殺した犯人を捜しているんだ……」
震える喉から懸命に声を絞り出す男。隼翔はそれで?と興味なさげに促す。
「逃げ出した……獣人がいるから、そいつらをお……ひぃっ!!」
男が言葉を紡ごうとした瞬間、首元に血の滴る刃を突き付けられ声を上ずらせる。
「追っているのか?」
首筋に刃を押し当てたまま、抑揚のない無機質の声で問いかける。その無言の圧力に男は声を出せず口をパクパクとして頷くしかできなかった。
「ちっ……」
追っている、そのことが確定した瞬間に隼翔は感覚を研ぎ澄まし、周囲の殺気を探る。そしてすぐさま納刀して拠点まで一直線に戻った。
ちなみに隼翔が立ち去ったあと、男は圧力から解放され、そのまま意識を失った。ただ、夜の森の中で縛られ出血した男がどのような末路を辿るかは、火を見るよりも明らかである。
隼翔は今までにない速度で森を駆けた。行く手を阻む蔦や葉を半ば強引に押し通り、最短距離で拠点へと向かう。そんなことをしたせいか、頬は軽く擦れ血の雫が垂れている。だが、それにも気が付かないほど必死の形相で夜の森を駆ける。
どのくらい駆けたか分からないが、隼翔の耳がようやく川のせせらぎを捉える。同時に腰の刀に手を伸ばす。相変わらず殺気が読みにくく、拠点近くに盗賊たちがいるのかも分からない、よって用心のためにいつでも刀を抜ける必要がある。
(殺気を読めればこんなことにはならないのに……完全に冷静さを欠いたな)
自分の行動が早計過ぎたと自戒して下唇を噛みしめる。唇からは薄らと血が滲み出ている。
それから程なくして拠点に到着したのだが、そこは無残にも荒らされていた。焚き火は蹴り飛ばされたのか散乱して風前の灯火となり、寝床として作った天幕のようなものは跡形もなく崩されてた。もちろんその中で寝ていた二人の姿も無い。
ギリッと歯を食いしばる音が隼翔の口から漏れた。右手に作られた握り拳は小刻みに震え、激しい殺意が隼翔からまき散らされる。
隼翔は自問する。
(なぜ俺は怒っている?)
――――拠点を壊されたから
(違う)
――――無様にも冷静さを欠いたから
(それでは足りない)
――――ならば、なぜ?
その問いに答えることなく、全身から力をフッと抜き空を眺め、目を瞑る。まき散らされていた殺意は嘘のように霧散した、いや凝集した。
頭は一瞬にして明瞭になり、今まで聴こえなかった微かな足音を拾い、靄によって正確に捉えることの出来なかった殺気を鮮明に知覚し、何より目を瞑っているはずなのに森全体が今までよりも良く視えるような気がした。
瞼を開け、森に視線を向ける。
「向こう、か」
隼翔は何を思ったのか、確固たる自信を持って地面を力強く蹴った。
「頭、こいつらが例の逃げ出した獣人です!!」
「良くやった……」
ヴァルシング城の廃れた玉座の間でフィオナとフィオネは縄を巻かれて怯えた表情で目の前で青筋を浮かべる巨漢を見上げていた。低く殺気の籠ったその声に姉妹は余計に身を竦めてしまう。
「おい、獣人ども……」
ギロッと吊り上った眼で二人を睨むズルドフ。
無骨な大剣を軽々と肩に担ぐその姿は捕食者の目ではなく、確実に殺意と激高の炎に飲まれた者の目であった。
コレを見てフィオナとフィオネはなぜこのような状況に陥っているのか、おぼろげに悟った。目の前にいる人族は自分たちを奴隷にするために攫った者たちで、逃げた自分たちに怒り、再び売るために追ってきたのだ、と。
しかし、その予想は半分ほどは当たっていたが半分は外れていた。それを指摘するかのようにズルドフは言葉を続ける。
「てめぇらが俺の家族や部下を殺したのか?」
「えっ?」
予想外のことを指摘され思わず聞き返してしまうフィオナ。その隣ではフィオネも頭に疑問符を浮かべている。
「え?じゃねーんだよ、俺の大切な仲間をやったのかどうかを聞いてんだ!!」
しかしズルドフにはその態度が気に食わなかったのか、語気が荒くなり担ぐ大剣を振りかぶろうとする。その場にいた幹部の一人が何とかそれだけは抑えるが、言葉の棘は尚鋭くなる。
「てめぇらがやったんだろ!?下賤な獣人のくせに人間に手を出してんじゃねーよっ!!」
「きゃっ!!」
「フィオナ!!」
怒りに我を忘れたズルドフがフィオナを蹴り上げる。そのままフィオネを見やり、同様に暴力を加える。もちろんそれを止める者などおらず、むしろ恨めしそうな視線さえを向けられる。
苛烈さを極める暴力と言葉の嵐。フィオナとフィオネが着ていた黒い服は破け、その隙間から青黒く変色した肌が露わとなり、口からは血が流れ落ちる。
「「うぅ……」」
姉妹はか細い声を口から漏らす。その様子を苛立たしげに見るズルドフと幹部たち。
「ちっ……んで、誰がやったんだ?てめぇらごときにうちの部下が殺せるわけねぇ」
先ほどまで冷静さ欠いていたズルドフだが、姉妹の服装や見慣れない武具を見てようやく理解していた。仲間や部下殺したのは目の前にいる二人ではなく、二人の背後にいる誰かだ、と。
それをひたむきに隠そうとする態度に腹が立ち、ズルドフはフィオナの長い髪を強引に掴み持ち上げる。既に痛みを感じないのか、フィオナは悲鳴すらも上げない。だが、その瞳には確固たる意志が宿っているようにも見える。それはフィオネもまた同様であった。
「胸糞わりーな……このっ!!」
「ぐふぅ……」
その瞳を見てズルドフはフィオナの腹部に強烈な蹴りを入れる。フィオナの口からは血とともに胃液が吐き出される。
「汚ねーな。……んで、早く言えよ。いくらてめぇらがそいつを必死に隠しても俺が血祭りに上げるという事実は変わらねーからよ」
獰猛な笑みを浮かべながら、大剣を地面に突き刺す。そしておもむろに二人が持っていた小太刀を取り出し、吟味するように眺める。
「にしても見たことねぇ武器だな。曲刀に似ちゃーいるが、その割にしっかりしてる」
そう言いながら小太刀を折るように曲げて見せる。それをみた瞬間、姉妹の表情に頑なさ以外のものが現れた。それは焦り、あるいはやめてくれという懇願の表情。
ズルドフは初めて心の底から嬉しそうな顔を姉妹に見せた。それは姉妹にとって犯してはいけないミスでもあった。
「ほう?これがそんなに大切、か。お前らの後ろにいる人物がどこにいて、誰なのか言えば見逃してやらんことも無いが……」
「……っ」
唇を噛み締める姉妹。隼翔のことを言ってしまえば、小太刀は無事かもしれないが隼翔に迷惑が掛かる。かと言ってあの小太刀はどこか不器用な恩人が姉妹のためにと創ってくれ、初めて頂いた大切な思い出の品でもある。もちろん二人は隼翔のことは決して漏らさないが、それでも小太刀をみすみすダメにされたくもない。
しばしの沈黙が流れたがズルドフは小さく舌打ちした後、小太刀を曲げる手に更に力を籠めた。
「時間切れだ……面倒だが、しらみつぶしに森を探せば何とでもなるだろう」
キンッと儚い音を立てながら半ばから折れる小太刀。姉妹は目を見開きながら心の中で謝罪した。その痛切な表情を見て少し愉快そうな表情を見せ、そのまま大剣の柄に手を掛ける。
「獣の血で俺の大剣を汚すのは癪だが、コレで少しでも家族たちの無念を晴らそう。もちろん最後の血の贖罪はこいつらの飼い主だがな……」
見た目通りの膂力によって持ち上げられた大剣はそのまま大上段に据えられる。フィオナとフィオネは目を瞑り、己の人生がここまでだと悟りながら、心の奥底で最後に助けてくれた恩人に謝罪と謝辞を述べる。
姉妹のことを決して差別などせずに、人として対等に扱い不承不承ながら大切に守ってくれた。数日の付き合いしかないながら二人にとって隼翔と言う人間に惹かれ、大切な人と言う認識になっていた。
「「ありがとうございました……」」
奇しくも二人は決して想い人には届かないと分かりながらも、同じタイミングで同じ言葉を同じ相手に向けてそっと呟いた。だが――――。
「っ!!な、なんだ!?」
突如、玉座の間にけたたましい破砕音が鳴り響いた。
「お前ら……ふざけているのか?」
その喧騒の中から抑揚のない無機質な声が聞こえ、同時に何かがズルドフの横を通り過ぎて行き、ドスッという低い音を立てながら退廃した玉座の壁にぶつかった。
姉妹を含めその場にいた全員が何が起きたのか理解できずに身体の動きを止める。そんな静寂の中、ズルドフの背後から蚊の鳴くような声が聞こえてきた。
「か……かし、ら……」
その声の方にズルドフは視線を向ける。そこにいたのは血まみれになった無残な盗賊の男。まるでこの男はお前たちの仲間だ、と強調するかのように右肩の骨の蜥蜴の入れ墨だけは綺麗に見える。
まるで時間が止まってしまったのか、と疑いたくなるように誰もが動きもしなければ口も開かない。そんな中、ゆったりとした歩調から生まれる足音とともにあの無機質な声が再び玉座の間に響く。
「もう一度言われないと分からないのか?ふざけてんのか?」
フィオナとフィオネの頬を雫が伝った。決して悲しいからでも痛いからでも怖いからでもない。もう一度隼翔に会えたと言う喜びで胸の奥が熱く苦しく、愛おしくて涙が溢れた。