もう友達がいないとは言わせない
……おかしいですね。予定だともっと話が進むはずだったのですが。
書いているとどうしても登場人物たちが自由に動き出す気がする。その結果、予想以上に進まない。
「なるほど……この辺りで露店を開いていた鍛冶師の方たちを探してるという訳ですね」
「うーん……人探しかぁ~。フィオナ、裏道を歩きながら探す?」
空はすっかり夕闇に染まり、通りはいつの間にか冒険者の姿で溢れかえっている。
道行く冒険者たちは一様に、道の端で会話するひさめと獣人の双子姉妹――――フィオナとフィオネを視界に捉えては主にひさめだけに対して眉間に皺を寄せる。
先ほどまで一人だったひさめなら確実にその無思慮で無遠慮な視線に押し潰され、心が折られていただろうが――――今は違う。
(見ず知らずの自分に手を差し伸べてくれて、力を貸してくれる人たちがいます。それだけですごく心強いんですね……)
チラッと長い前髪の隙間から姉妹が悩みながら、今後のことを考えてくれている光景が見える。
その姿を見るだけで勇気づけられ、そんな存在がいてくれるだけで自分を肯定してもらえている――――ひさめはその姿を見て、悪いと思いつつも心が浮かれてしまっていた。
「それも一つの手だけど、時間もあるからまずは知ってそうな人に聞くのが一番でしょ」
「知ってそうな人……――――あっ!」
闇雲に探すよりもまずは聞き込みをしようと提案するフィオナ。それに対して、フィオネは不思議そうに首を傾げるが、すぐに姉の考えが理解できたのか、今一度今いる場所を確認しながらポンと手を叩いた。
「え、えっと……どういうことでしょうか?他の冒険者の方に尋ねるとか……そういうことで……?」
納得する姉妹をよそに、浮かれていたひさめは会話に置いて行かれてしまったために慌てたように尋ねる。
だが仮に彼女が浮かれておらず聞き逃さなかったとしても、恐らく二人の会話にはついていけなかっただろう。
何せいくらひさめが他人の機微を読むのが優れているとしても、思考を読むことは出来ない。対して姉妹はと言えば、言葉無くとも思考だけで意思の疎通ができてしまうため、どれだけ集中していても会話に置いて行かれることは必至。それこそ余程勘が良い人物でない限りは会話に参加することもできないだろう。
「あ、申し訳ありません。ついいつもの癖で会話をしてしまいました」
「本当にごめんなさい……えーっと、そういえばお名前とか聞いてませんでしたね。私はフィオネ。こちらにいるフィオナの妹です」
姉妹としてはひさめの容姿が、何となくどこぞの"もの凄く勘の良い人"に似ていたために知らぬ間に普段の調子で会話をしてしまっていたことを申し訳なさそうに謝罪する姉。
もちろん妹も謝罪はするが、姉がしっかりと誤ったのでフィオナは軽めの謝罪で済ませ、相手の名前を呼ぼうとしたが、そこで互いに自己紹介すらしていないことを思い出し、簡単に紹介を済ませる。
ひさめとしてはずっと聞きたい情報だったが、かなり内向的な性格のため聞くに聞けなかったために名乗って貰えてかなり嬉しいようで、口元をかなり緩めつつ、律儀にも堅い自己紹介を返す。
「こちらこそ、申し遅れました。自分は瑞穂出身の姓を菊理、名を"ひさめ"と言います」
挨拶の勢いそのままにガバッと直角にまで腰を曲げ頭を下げる姿に、さしもフィオナとフィオネも面を喰らったように目を丸くする。
「え、えっとそれじゃあよろしくお願いしますね……ひさめ様、でよろしいでしょうか?」
いち早く驚きから脱した姉が少しばかり曖昧な笑みを浮かべながら、彼女の名前を"様"付で呼んだ。
ひさめにとって、彼女の名前を呼んでくれる人物と言うのはこれまで家族か幼馴染と片手で数えられる程度しかいなかった。それ以外の者たちは壁を作るかのように苗字を冷たく呼ぶか、大抵は侮蔑的あるいはアレやコレと言った物扱いが当たり前で、彼女自身それが心のどこかでは当たり前のように感じていた。
だからこそ、か。初対面にも関わらず親愛の情を込めて"名前"を呼ばれたことに大きな感動を覚えたとともに、そこに隔たりを作るかのように"様"と呼ばれたことに微かな寂しさを感じた。
(……本当に自分は我儘になってしまいました)
名前を呼んでもらったからには、もっと親しさを感じたい――――その想いがどんどんと肥大化し、心を占有していく。
しかし、果たして初対面にも関わらずそこまで踏み込んでも大丈夫なのか、相手に不快な思いをさせないか。今まで行動面において相手に不快な思いをなるべくさせないように生きてきた、あるいは誰かのために、また自分の居場所を確保するように生きてきた少女にとってその一歩を踏み込んで良いのか判断が出来ず、言葉にするのを憚られた。
頼むべきか、それとも我慢すべきか――――ひさめは一人悶々と葛藤する。
「え、えーっと……もしかして慣れ慣れし過ぎだでしょうか?ハヤト様曰く、悲しんでいる相手にはなるべく親愛の情を以て接する方が良いと伺っていたのですが……」
「ご不快でしたなら菊理様とお呼びしますが……」
「い、いえっ!?そんな、勿体ないっ!是非とも"ひさめ"と呼んでください。付け加えるなら……その、"様"付けも無しにして頂けると嬉しい……のですが……。え、っと……ほら、自分は……そんな尊敬されるような人間では……そのない……ので……」
俯き葛藤するひさめの姿を見て、フィオナとフィオネはどうやら馴れ馴れし過ぎたことを不快に感じていると勘違いしたらしく、申し訳なさそうに呼び方を訂正すると提案したのだが、ひさめにとってはむしろそんなことをして欲しくなく、付け加えるならもっと距離を縮めて欲しいというのが本音。
だから、か。反射的にブンブンブンッと首が千切れるのではと心配になるほどかぶりを振りながら口を開く。
しかし、ひさめは途中で彼女的にはもの凄く厚かましいお願いを勝手にしてしまっていることに気が付き、口を噤もうとする。だがあろうことか彼女の意志に反して口からは尻すぼみに、弱々しくも本音が漏れる。
止めたい、止めなければいけいないと思いつつも――――心のどこかでは止まるな、頑張れという声援も聞こえ、ソレに後押しされる形でひさめは何とか最後まで言葉を口にする。
「「…………」」
少しの沈黙。ソレは本当に数秒も無いほどの時間だったのだが、ひさめにとっては永遠とも思えるほど長く感じた。
辺りには冒険者たちの陽気な歌声がやかましいほどに響いているが、正直気にしている余裕もないし、そもそも耳まで入ってこない。
果たしてどんな反応をされてしまうのか。呆れられたり苦笑い程度ならまだ良い。今までの好意的な反応がなくなったり、嫌がられたりしてしまった暁には恐らく立ち直れないだろう。
(……最後まで言わなければよかったです)
未だに何も言葉を口にしてくれないことに恐怖しか抱けない。いっその事このまま走って逃げ出してしまおうか、そんなことすら脳裏を過るが、臆病ゆえにそれを実行に移すことすらできず、ただ茫然と立ち尽くしてしまう。
そしていつしか双子がどのような表情をしてるか見ることすら出来なくなり、ひさめは自然と俯くように地面に視線を落とした。
さあ好きなように乏しめてくれ、覚悟はできたと言わんばかりにワンピースの裾をギュッと握りしめ、その時を待つ。
「「――――プッ、あはははっ。そ、それじゃあ"ひさめちゃん"と呼ばせてもらうねっ」」
「…………へっ?」
しかし完全な肩透かしを食らう形となり、ひさめは思わずらしくない可愛らしい声を漏らす。
顔を上げれば、目元に涙を溜めながら肩をしきりに揺らす双子姉妹の姿が見える。
ひさめからすれば一世一代、勇気を振り絞ったお願いだったのだが、姉妹とっては意外だったらしく未だに全く同じ笑い声を漏らしている。
だが、全く嫌な気分ではなかった。それどころか不思議と晴れやかな気持ちになっていた。
「あれ?どうかしたの、ひさめちゃん?」
「え、いや、なんでもありません。申し訳ありませんっ」
「別に謝ることじゃないよ、ひさめちゃん。むしろこちらが急に笑っちゃっただけなんだし」
すっかり砕けた語調と親しみのこもった呼び方。ソレは決して夢や幻じゃなく、呼ばれるたびに心の奥がジーンと温まる。
果たして身構えていた自分は何だったのか、とっても簡単なことだったじゃないかと思わなくもないが、今の彼女にとってそんなこと些事に過ぎない。何せ舞い上がるほどに幸せを享受し、浮かれているのだから。
「ふぅ……本当にごめんね、ひさめちゃん」
「い、いえ、お気になさらないでください。どうやら自分が知らぬ間に変なことを言ってしまったみたいですし……」
冒険者たちの野太く、品のない笑い声と比較すると、かなり耳障りが良くいつまでも聞いていたいと思えるほど楽し気な笑い声だったが、姉妹もいつまでも笑っているのは失礼だと思い、何度か深呼吸を繰り返すことで落ち着きを取り戻し、目じりに溜まった涙をぬぐいながら軽く頭を下げる。
しかし気安いやり取りと言うモノを知らない少女にとってはなぜ笑われていたのか理解できずに、首を傾げながらもいつもの癖で自分のせいだと謝罪する。
「ふふっ、フィオナ。ひさめちゃんって本当に面白いねっ」
「もうっ、フィオネ。その言い方は失礼でしょっ。ごめんね、妹に悪気はないんだけど……」
明け透けなく笑う妹を嗜める姉。
だがあくまでも言い回しを注意するだけであり、ひさめが少しばかりズレていることを怒っているわけではない辺り、姉もまたそう感じているということなのだろう……現に微かに肩を揺らしているのが良い証拠である。
その反応に余計に混乱するひさめ。だが、いつの間にか姉妹に釣られる様にして、小さいながらも可愛らしい笑い声を漏らす。
周りから見れば中々に珍妙な光景ではあるが、笑いあっている三人はそんなこと気にならないとばかりに、笑みを浮かべ続ける。
「はぁ……本当にごめんね。ひさめちゃん。ただね……私たちはもう友達、なんだよ?」
「とも……だち……?」
まるで友達という単語を初めて聞いたとばかりに、フィオネの言葉を反芻するひさめ。
茫然と不思議そうにする彼女をしり目に、妹の言葉を引き継ぐようにフィオナが「そう」と続ける。
「私たちは友達。だからそんなに何度も謝らなくて良いし、なんでも謝ろうとしないで……ね?」
友達……今考えればひさめと言う少女に友達と言う存在はいなかったかもしれない。
歌竹と菜花という幼馴染は確かに存在するが、彼らは友達と言うよりも兄妹・姉妹と評する方が正しく、他に親しい人は家族以外に思いつかない。
(友達とは……こんなに簡単になれて、一緒にいて心地の良いモノなのですね……)
かつて少女は友達と言う存在に憧れていた。
だが、それは儚くもすぐさま幻想として散ってしまった。誰も忌子として嫌われる少女に近づきもしないし、手を握ろうともしない。それどころか近づこうとすれば石すらも投げられた記憶がある。
だからこそ、生涯自分に友達が出来ることはないと諦めていた。それなのに、こんなに簡単にできてしまったことに驚きが隠せない。
実を言えば、姉妹が笑っていた原因と言うモノここに起因している。
何せ"ひさめ"と名前呼んでくれと頼まれ、加えて様付けもいらないと申し出てきた。それはつまり友達という間柄以外に何があるのかと姉妹の感覚からすれば問いたいぐらいである。
それなのに、畏まった態度だったり何度も謝ったりとされた暁には笑ってしまうのも無理はないだろう。
「さて、それじゃあいつまでもここで笑っているわけにもいかないから行こうか」
「うん!大切な友達のためだもんっ」
そう言って姉妹は鏡合わせの動作で、スッとひさめに向かって手を伸ばす。
何度目か分からない幸せと言う感動を覚えながら、ひさめは差し出された手におっかなびっくりしながらも、嬉しそうに握り返す。
両手から伝わる優しい温もりと自分を引っ張って言ってくれる力強さ。多幸感に包まれながら、ひさめは双子の背中をただひたすらに眺めるのだった。
目元をすっかり緩めながら歩くひさめ。
その視線は周囲の風景には一切向かず、ただひたすらに友達と言ってくれた双子の背中を追う。
そのまま、ぼやーっと眺めていると、急にその背中が歩みを止めて振り返った。
「着きました!」
「ひさめちゃん、ちょっとだけ待っててね」
「へ?あ、はいっ!」
力強く宣言する姉妹に、果たしてどこに着いたのだろうとようやくながら疑問に思う。
友達云々の話ですっかり舞い上がってしまっていたひさめは、どこに向かっているのかを完全に聞きそびれていたのである。
しかし、今更ながらにどこに向かっていたの聞きづらいし、そもそも着いたという話だったので何かしらの説明はあるだろうと、ひさめは静かに辺りを監察し始めた。
どこか見覚えのある時計塔のような建物が夜闇にうっすらと浮かぶ。
すっかり夜の帳が降りた街並みを窓ガラスから漏れる灯りや街灯が照らす。
冒険者通りである北の通りにも関わらず、あまり酒場などの商業施設は見当たらないのは裏通りならではの風景なのか。
「……あれ?確かここって……」
ひさめはそこまで目にして、今更ながらにこの場所に覚えがあることに気がつく。
むしろ覚えどころではない。まさに今いる場所こそが、彼女の探していた場所なのだ。
暗くなり、夕方見たときとは雰囲気が違うが間違いがない。
その確信を得たひさめは、ではなぜ双子がこの場所を探してると分かったのか疑問に感じた。
「ひさめちゃーん、こっちに来てください!」
「あっ、はいっ!ただいま」
夕刻の景色と照らし合わせながら考え込むひさめを呼び戻すように、誰かと話し込んでいた双子姉妹のうち、姉であるフィオナに名前を呼ばれ、はっと返事をする。……その際口元が緩んでしまったのはご愛嬌というやつだろう。
「ひさめちゃん、紹介しますね。こちら私たちの主人でもあるハヤト様の専属職人のクロード様とアイリスちゃんです」
「それでこちらが先ほどこの辺りで職人の露店を探しているというひさめちゃんです」
フィオナがひさめに知り合いであるという鍛冶師たちを紹介すれば、フィオネがその職人たちにひさめのことを紹介する。
相変わらず打ち合わせなしに完璧に意思疏通を図る素晴らしい技能だが、ひさめとしては唐突に知らない人に紹介されたとあって完全にテンパってしまい、それどころではなく、少しでも印象を善くしようとガバッといつものように頭を下げたのだが……。
「あっ、えっと、その、菊理ひさ、ひさめですっ」
いかんせん内向的なだけに、声は上擦り途中途中つっかえるという恥ずかしい挨拶となってしまった。
頭を下げながら羞恥心に悶えそうになるひさめ。
どんな表情されるのか、何を言われてしまうのか。怖くて頭があげられない。
「うん?……あれ?お前、あのときの奴だよな?」
「確かにそうだね……」
「――――へっ?」
だが、聞こえてきたのは夕刻に話した男女とよく似た声。
ひさめはおもむろに顔をあげると、そこには心底不思議そうな表情を浮かべた、約束の相手が確かにいるのだった。




