ロスト・オアシス――乾いた砂の世界――
「クロードは正面の集団を一気に蹴散らせてっ!!フィオナちゃんとフィオネちゃんは右方向の敵集団を!左は私が抑えるからっ」
「おうっ、任せとけ」
「「了解しました!アイリスちゃんも気を付けて」」
容赦なく照り付ける日差し。
しかし天を見上げればそこに広大さは無く、青天井に浮かぶのはたった一つの炎の球体。ソレは決して太陽などではない。偽陽球と呼ばれる、地下迷宮が造りだした偽りの存在。
その偽りの空の下に広がるのは、砂塵舞う海と岩棚の微かな浜辺。狭い空と違い、砂の海はどこまでも果てしなく続き、時には小波のように、時には津波のように砂丘を生み出し行く手を阻む。
遮蔽物や日陰などほとんどなく、砂の海と照り付ける偽陽球が容赦なく体力と気力を奪い去る。
時よりそよぐ風も決して恵みとはならず、生命から水を奪い、潤いを失った砂の亡者を顕現させる。
ここは地下迷宮の岩窟層にある修練の大門を超えた先に広がる二つの海の内の一つ――――名を砂海層。
冒険者たちはこの砂海層と次の層を総称して、失われた二つの海と呼んでいる。
「やはりこれくらいの緊張感がないと訓練にはならないよな」
地上は夏真っ盛り。
それを作り出す本物の太陽に負けず劣らず、熱波を送り込む偽陽球の日差しに目を細めつつ隼翔は砂の人形――サンドパペットの集団と合い見える仲間4人を後方から眺める。
隼翔が現在いる21階層に降り立ったのは初めて、と言うわけではない。もちろんそれは上級冒険者であるアイリスや長年この地に住まうクロードもそうなのだが、かと言ってフィオナやフィオネが訪れたことがあったかと言えば、今回が初めてである。
この砂海層で産まれる魔物の割合はEが45%、Dが50%、そして残り5%の確率でCとなっており、何よりも魔物の湧く頻度が非常に高く新人にはかなり厳しい。それ故に適正階級はDとされている。
だからこそクロード自身も今回を入れても片手で数えるぐらいしか訪れたことはないし、フィオナやフィオネに限って言えばランク的にはまだ早いと言える。それでも今回訪れたのは、岩窟層では姉妹とクロードの鍛錬にはならないと隼翔が判断したからである。
そして本日戦いの場を新天地に変えたわけだが、隼翔の言葉通り、視線の先では程よい緊張感に包まれた戦いが繰り広げられている。
前方に陣取る大よそ20を超える砂人形の集団にクロードは奇抜な魔導銃剣を片手に構え、悠然と立つ。両者の距離は10mも無く、砂人形の動きは遅いまでも時間がたつほどに距離は縮まり、かつその数は今も砂が形を帯びながら増え続ける。
それでもクロードは決して慌てず、慣れた手つきで首元のゴーグルをクイッと片手で上げると、柄部分に取り付けられた引き金を引く。
響く轟音、視界を覆い尽くすほどの閃光。朱色の熱線は乾いた空気を瞬く間に焦がし、黄土色の人形を砂粒へと変える。圧倒的な大火力兵器。それは魔法のように詠唱の時間遅滞は無く、魔法と同等の威力を発揮するクロードだけの武器。
「ちっ……まだ改良が必要か」
だがそれは数回、下手すれば一回しか使えない欠陥だらけの武器。
視線を落とせば、魔導銃剣は未だに煙と高温を発し、砲身および刀身が歪んでいる。まだ剣としては機能するだろうが、こと砲身に至っては完全に潰れ使い物にならない。これこそ魔導銃剣が過去の遺物として評価されない理由。
優れた利点もあるが、やはり簡単に壊れてしまうというのがネックとなり冒険者たちに好まれない。それ自体はクロードも大いに認めているところ。使い手を残して先に武器がダメになるなど鍛冶師としての矜持が許さない。
だがそこさえ改善されれば素晴らしい武具であるには誰もが認めるところであり、クロードがかたくなに魔導銃剣にこだわる理由でもある。
しかしその道のりは、隼翔に相応しい鍛冶師になるのと同じように前途多難。それでもクロードは決して諦めることはなく、今回の反省点を糧に試作を繰り返す。
「まあとりあえずそれは地上に帰還してからだな」
頭の中には色々と今後の改善点が浮かぶが、自分の担当が終わったとは言え集団戦の最中なのには変わりない。だからこそすぐさま銃剣を背負いなおすと、視線を左右に向けた。
振り返ったクロードから見て右――つまり左の戦場ではアイリスが流石上級冒険者と言う大立ち回りを演じている。
手に握る長大な三日月斧を天性の膂力もって振り回す。
巻き起こる風圧は砂塵を舞わせ、砂人形を容易に消し飛ばし、近寄らせることはない。クロードのように必殺の一撃は無くともDランクの魔物を一掃できるのはやはり冒険者としての地力が違うからだろう。
「はいはーい!これでおーわりっ、と」
独特の間延びした声とともに振り下ろされる三日月斧。その一撃は砂人形だけでなく、砂の海すらも砕き、乾いた飛沫を巻き上げる。
「お疲れ、相変わらずの馬鹿力だよな……」
「あ、クロード!お疲れさま……って、だからソレ女の子に掛ける言葉じゃないからねっ!?」
ふぅーと額の汗をぬぐうアイリスに近づくクロード。
アイリスもクロードに気が付き、朗らかに笑みを浮かべるが、労いの後に看過できない言葉が続いたため、プンプンと頬を膨らませながら窘める。
「フィオナ、後ろは任せたよっ」
「フィオネこそ、へましないでよねっ」
完全に甘々な雰囲気を漂わせる二人をしり目に、戦っている中では一番階級の低い姉妹もまた二人とは違った完封劇を砂人形に対して繰り広げる。
普段は前衛と後衛に分かれるスタイルだが、今はそれぞれの小太刀を片手にして背中合わせに戦う。フィオナが右に動き敵を斬れば、フィオネもまた右に動き敵を斬る。
アイリスやクロードのように豪快な一撃ではなく、小太刀による小さくも正確な一撃のため見た目の派手さはなく、傍から見れば苦戦しているようにも見える。
だが互いが互いの背中を守り、敵を切り伏せるその動きは前者たちには無い緻密さと連携をうかがわせる。
一糸乱れぬ、完全に呼吸の合った動き。それはどちらかがどちらかの動きをフォローするような連携ではなく、互いが互いを支え・守る、より高度な連携。
「……俺より階級が下とは思えない動きだよな」
「そうだね~、流石若様に鍛えられてるだけあるよ」
多少甘々な雰囲気を和らげさせながら、その見事な動きに感嘆したように声を漏らすクロードとアイリス。
地面は動きの阻害されやすい砂粒だというのに鈍ることのない動きと息が切れる様子もない。とてもEランクが出来る所業ではないというのが正直な感想なのだが、二人を鍛えているのが隼翔だというと不思議と納得できてしまう。
だからこそクロードとアイリスは互いに見合って、思わず苦笑いを漏らす。そんなことをしているうちに砂人形たちは完全に姿を消すのだった。
「フィオナちゃん、フィオネちゃん。お疲れさま、怪我とかは大丈夫かな?」
「あっ、アイリスちゃん。クロード様もお疲れ様です」
「怪我はありませんよ。そちらもお怪我とかは無いようですね」
「おう。問題ないぜ」
取り囲むように生まれたサンドパペットを一掃した4人は、魔石片を集め始める前にまずはとお互い怪我がないかを確かめ合う。
もちろん先に戦闘を終えていたクロードとアイリス姉妹が怪我を負った様子がなかったのを知ってはいたが、それでもやはり今は同じパーティの、運命を共同する仲間として、本人たちの自己申告を聞いた上でようやく安堵したように息を吐き出す。
「それにしてもこの層は魔物の出現頻度が今まではけた違いですね」
「確かにそうだね。特に私たちはこの層も、ここでの戦闘も初めてだからびっくりしたよ」
周囲に散らばる無数の灰色の魔石片。その量が暗にどれだけの規模のDランク魔物集団が襲い掛かってきたかを物語っているのだが、Eランクの姉妹はそれに怯えることも無ければ臆することも誇ることさえなく、ただその出現頻度に驚いているだけ。
「あはは~、まあ砂海層だからね。それでも苦戦していない二人に十分驚きだけど……」
「「それはハヤト様の薫陶の賜物ですよっ」」
先輩冒険者としてアイリスは姉妹の戦闘技術やその態度に驚きを隠せず、思わずと言った感じで空笑いを浮かべてしまう。横ではクロードも奥の手がなければヤバかったとばかりに微かに冷や汗を流す。
そんな二人の態度に気が付いていないかのように、姉妹はエッヘンとばかりに胸を張り隼翔のことを持ち上げる。……その際、姉妹の胸を見てアイリスがため息を漏らしたのは秘密だ。
「まあ確かに若様の薫陶もあるけど、サンドパペットも含めて、この層の魔物って斬撃効果が結構低いんだよ?それこそ私やクロードみたいに大きな一撃で急所ごと破壊する冒険者が多いのに、二人は正確に急所を見つけ、攻撃出来てるんだから大したものだよ」
漏れたため息を隠すようにアイリスは姉妹の凄い点をお姉さんのように褒める。
サンドパペットもそうなのだが、この砂海層の魔物は基本的に砂の体躯をしたモノが多い。その特性上、剣戟や拳打、刺突などは効果が薄く、対処法として水や油で固めるか、もしくは急所である魔石片ごと大きな一撃で吹き飛ばすことを推奨されている。
しかし姉妹の得意魔法は炎だし、得物も小さな一撃を得意とする小太刀。その観点からするなら非常に相性の悪い層であることには違いないのだが、二人は一切苦戦することなく、自分たちの長所をこの上なく理解し、この層に適応している。
それは隼翔の薫陶だけでなく、姉妹の潜在能力が起因している部分も多く、アイリスとしてはそこを非常に高く評価している。
「そうですか?なんだか、アイリスちゃんに褒められると照れますね」
「確かになんだかむず痒い感じがする。だけど嬉しいね」
えへへっ、と年相応の恥ずかしそうな笑みを溢しながら喜ぶ二人にアイリスは頬を緩ませる。
「っ!?おい、お前ら!何か来るぞ、気を引き締めろっ」
そのせいなのか、上級冒険者であるアイリスや危機察知能力の高い姉妹がクロードの切迫した声を聞くまで、砂の海を泳ぎながら近づく魔物に気が付くのが致命的に遅れた。
身体を強張らせながらも反射的にそれぞれが己の武器を構えたのは流石だが、振り返った瞬間には大量の砂を巻き上げながらソレを咢を開いていた。
「「っ、アレは!?」」
「デザードオルカっ!?まさかこんな大物に出くわしちゃうなんてっ!!」
刃のように鋭い背びれ、滑らかさなど皆無で鑢のように刺々しい砂色の体表。何よりも特徴的なのは鉱物で形成された無数に並ぶ歯。一見すれば鮫のようにも見えるが、その巨大さでどこか愛嬌のある体躯は鯱そのもの。
だからと言って一安心できる相手ではない。むしろこの層では最も出会いたくない相手の一つ。それが全長5mはある砂の体躯をした鯱――砂漠鯱である。ランクはCで、その残忍性と静かに忍び寄る独特の泳ぎから冒険者殺しの異名を持つ。
長大な三日月斧を構えながらも、今にも襲い掛かりそうなソレを見てアイリスは懸命に考える。
自分はこの中で唯一の上級冒険者、ならばどうにか三人だけでも助けないと。しかし相手は自分と同格のCランクの魔物であり、その距離も5mを切っている。
思考がまとまらないまま、アイリスは咄嗟に三人の前に躍り出て三日月斧を突き出す。この一撃で倒せるはずはないが、それでも三人が距離をとるだけの時間を稼げるはず。
「っ、おい!アイリスっ」
「「アイリスちゃんっ!?」」
背後からは切迫した三人の声が聞こえる。だが今のアイリスにそれに応えている余裕はない。せめて心の中で三人に下がってと切に願っていると――――。
「少しばかり油断しすぎたな。だが、今はパーティ組んでるんだから一人で気負うなよ」
緩慢に動く世界の中で、突如空から声が聞こえた。
おそらく一か月ほど前ならその声は恐ろしいモノに聞こえたに違いない。だが今は不思議と安どしてしまった。
「若様……申し訳ありません」
砂漠鯱はまだ目の前にいる。それこそ、彼我との距離も1mもないほどまでに近づいている。
だがアイリスには確信があった。この魔物はすぐに消え去るという、絶対的な確信が。
それはもちろんクロードに対するような恋愛感情からなる信頼ではない。決して裏切らない真面目な上司、或いは先輩冒険者に対する尊敬からなる安心感。
現にアイリスの視界からは、瞬きの間に砂漠鯱は消えていた。何が起こったのかはよくわからない。ただ、中空で身を翻す隼翔が両手に怪しい光を放つ禍々しい短剣を握っているのだけはしっかりと見えた。
だからこそアイリスは、
――――流石若様は非常識です。そしてクロードにも守ってもらえたよ
と心の中で嬉しそうに漏らすのだった。




