第3章 プロローグ 差別 1
第三章です。
長くなったのでいつも通りプロローグ分割しました。
22時に後半投稿します
ズシンッ、と鈍重な音が広大な広間に響く。
野球場ほどの広さを誇る空間。
照らすのは地下迷宮でよく見かけるヒカリゴケの淡い光ではなく、天井から生える巨大な水晶群。剣山の如く尖るソレは、太陽のような煌々とした光ではなくどちらかと言えば蛍光灯のような白い光を放ち、空間を白日の下に曝け出す。
最初に目につくのは巨大な鋼鉄製の両開き扉。
扉の右側には灼熱の太陽の下を彷徨う旅人を貫く骨巨人が、左側には鬱蒼と茂る樹林に暮らす大怪鳥がそれぞれ描かれる。
それらはまるでこの先に挑む愚者あるいは挑戦者たちの未来の預言書のよう。
岩窟層の最終地点――――20階層。
この階層は迷路のような入り組んだ岩肌の通路など存在しない。言い換えるなら、ここにはそのような小細工など一切必要としない、ということである。
一切の起伏が存在しない灰色の地面に、逃亡者を監視するように建つ石柱。
天井の水晶群はこの場所だけにスポットライトを当てているかのように、地面には一切影が落ちることはない。
そこは挑戦者たちを選り分けるために造られた闘技場。先に進むことが許されるのは、試練に打ち勝った選ばれし者たちだけ。
そしてその試練を与えるのは、岩窟層を守護する階層門番。
闘技場の中央を陣取る巨大な影。
石と黒鉄が混じったような堅牢な体躯。しかし石人形のように角ばってはおらず、どちらかと言えば美しい流線形を描く彫像。
魔除けの仮面を模したであろう顔が二つ並び、胴からは筋骨隆々な腕が4本生える。
それぞれの腕には大楯や槌、剣に槍と異なる武具が握られ、冒険者たちを変幻自在の攻防で揺さぶり、付け入るスキを与えない。
二面四手の彫像――ヘカトケス。
階級はA相当であり、並みの冒険者は愚か、上級冒険者の末席に名を連ねるCランク冒険者やBランク冒険者すら多数の討伐集団を組むことでようやく倒すことが叶う、岩窟層最強・頂点にして、最後の関門。
だがそのヘカトケスは膝立ちのまま、天を仰ぐように動きを止めている。そして何がきっかけとなったかは不明だが急にぐらっとその巨躯を傾けると、左右真っ二つに身体を分けた。
ズシンッ、と地鳴りのように空気を揺らす。そのまま倒れた体躯は、黒煙の大瀑布となり広間を飲み込む。
視界はおろか、右も左も、前後、上下だけでなく自分が立っているのか座っているのか、平衡感覚さえも飲み込もうとする黒煙のきのこ雲。
その常闇の中でキラッとエメラルドのように反射する一筋の光。
それは導きの灯。出口の見えないトンネルを彷徨う者を救い出そうとする優しい光のように見える。
そしてその導きに引き寄せられるようにして、一つの影が現れる。
ヘカトケスの巨躯と比べれば途轍もなく矮小で、この世界の成人男性と比較しても少しばかり劣る影。
「……コレがAランクの魔物の魔石、か」
人影が光源であるモノをひょいっと地面から持ち上げる。
すると周囲を覆っていた黒煙がまるで嘘だったかのように、数瞬のうちに霧散あるいは集束した。
黒雲の中から現れたのはたった一つ人影。周囲を見渡してもこの人影以外に何も見当たらない。つまりたった一人で階層門番を撃破したという非常識な豪傑。
周囲を覆っていた煙よりも更に暗く艶のある、襟足まで伸びきった濡れ羽色の頭髪に暗赤色の外套。
腰に佩するは深紅の鞘と鍔のない漆黒の鞘の二振りの刀。
「そこそこの相手だったけど……やはりもっと深層域に潜らないとアレ以上の刹那は味わえないな。けど時間が問題だよな」
たった一人空間に佇む青年――――西園寺隼翔はエメラルドに似た緑色の魔石を片手につまらなそうに言葉を漏らす。
隼翔が20層に到達したのは今から15分ほど前の事。もう何度かこの層自体には赴いたことがあったので、闘技場のような造りや鋼鉄の大門――正式名称《修練の大壁》を見ても感慨深いものは無く、いつも通り通過し、岩窟層を後にしようとしていた。
だが、その足を引き留めるかのようにして階層門番であるヘカトケスは現れたのである。
階層門番は倒されてから一定周期――約一月単位――で復活し、冒険者たちに試練を与える。そして前回倒されたのがちょうど隼翔たちが兎の化け物と会合し、激戦を繰り広げた前後。つまり小人族のフィリアス率いる軍勢夜明けの大鐘楼が討伐した時まで遡る。
それゆえに隼翔としても今回が階層門番との初対決となったわけだが……結果は見て分かる通り頭髪どころか着衣にすら乱れや汚れが見当たらないほどの完封劇を演じて見せた。
わかるとは思うが、通常どんな強者であっても普通は軍勢を率いるか、あるいは討伐集団を組んで挑むのが常識。
今回の隼翔のように偶然というか不運というかあるいは不注意により単独で遭遇してしまった場合は、言い方は悪いが諦めるか死ぬ気で逃げるしかない。それを余裕で覆して見せるのだから非常識と呼ばずして、なんと呼称すればよいのだろう。……もちろん隼翔がそれを認めるはずはないのだが。
「今は太陽の5時過ぎ、か。そろそろ帰還しないと飯の時間に遅れるな。それに右腕の調子も理解できたし、戦果は上々か」
腰から吊るした銀の懐中時計を握る右腕には未だに痛々しい傷がくっきりと残っている。コレはまさに一か月前に兎の化け物との戦いで負った唯一の怪我。
普通負傷の直後に手当を行えれば、この世界において傷がここまで残るなどあり得ない。
それこそ隼翔は階級こそ最底辺だが、実力財力ともに最高クラスを誇るので、上級回復薬など容易に手に入れることが出来るし、そもそも彼の持つ能力により回復薬を作るなど容易い。
それにも関わらず、右腕を含め隼翔の身体には無数の傷が深く刻まれている。それらは別に隼翔が名誉の傷として意図して残しているわけではない。ただ、彼にはどういうわけか回復薬や回復魔法による治療効果が極端に効きづらいという負の側面が存在している。
もちろん全く効かないということではなく、上級回復薬を使用すれば傷の塞がりが多少早くなる程度の効果は現れる。だが、全身の傷を瞬時に治してしまうほどの効果を持った薬でようやくこの程度。
この残酷なまでに厳しい世界ではあまりにも大きい痛手となりえるのだが、医療水準が極度に低い時代に人斬りとして刹那を味わい続けた男はそれだけあり難いと思っている節がある。
(回復効果が極度に低いことは残念だが、一月前に負ったあの傷がきっちりと塞がり、剰え元の水準まで戻るのにこんな短期間で済んだのだから幻想的様様だな)
時計を仕舞い、グッと右手で握り拳を作る。当然神経が発火・炎上し痛みを訴えることはない。完全に元通り。
そして戦闘面での挙動も、今回ヘカトケスというAランクの魔物と戦った中で確認し問題ないと判断できた。それこそが最高の戦果だとホクホク顔の隼翔。
だからこそ万々歳とばかりに帰路につくのだが、普通なら一財の価値があるAランクの魔石を得たことを最高の戦果に数えてほしいところである。もちろんそれを常識として教えてくれるものは生憎とこの空間にはいなかった。
「はぁ……はぁ……あぐっ!?しっかりしてください、お二人とも……地上までもう少しですから」
ズリ……ズリ……という擦過音とともに地面に残る赤い筋。それはまるで道に迷わない自分たちの足跡を残した童話の兄妹が通った後の道のように薄暗く色の少ない世界に映える。
だが童話と違うのはこの跡が血であるということ、帰路の途中であるということ、何よりも三人組で内二人はボロボロで意識を失っているということ。
必死に声をかけるのは、まるで幽霊のように真っ白な肌に、黒の前髪を伸ばし表情どころか、顔の輪郭すらもよくわからない少女。少女と呼称しているが、見た感じ15歳前後の少女から女性へと移り変わるちょうど中間くらいの印象がある。
その少女が着飾る菫色の短衣と帯にささるボロボロの直剣が相まって、和風の女幽霊という像がより濃く演出してる。
その幽霊少女に肩を抱えられ運ばれる、正確に言うなら引き摺られるのは大柄な男と小柄な少女。どちらも幽霊少女と同じように東国・瑞穂特有の衣装を纏っているあたり、三人が同郷の冒険者だというのがよく分かる。
「また……また、一緒に冒険しましょっ」
すでに肩からずり落ち、完全に引き摺る格好になった二人に幽霊少女は泣きすがるように声をかける。
正直に言ってしまえば最初からすべて無理であり無意味あった。
ボロボロの幽霊少女が意識を失った大柄な男と小柄な少女を抱え、地下迷宮を脱出することなど叶いはしない。ここが一階層ならまだ可能性があるが、三人がいるのは13階層。まずこの時点で無理である。
次に幽霊少女が手練れではないということ。ボロボロの状態でお荷物二人を抱えながら戦うなど無理。
そして何よりも抱える二人の状況――――これが無意味。確かに生きてはいるが、ほとんど虫の息。こと大柄の男に至っては肩口からぶら下がる右腕は皮一枚で繋がっているような状況で大量の血を流している。むしろ良く生きているな、というレベルで仮に生還しても冒険者などとてもではないが続けられない。
だからこそ幽霊少女のしていることは無理で無意味。彼女のとるべき最良の選択は二人を見捨て逃げることだった。それが彼女に許された選択であり、ほかに選択など許されていなかった。
――――シュロロロロッ
そして地下迷宮は咎人に容赦などしない。手心など加えない。無慈悲な制裁を加えるだけ――――それこそが地下迷宮。
悍ましい威嚇とともに、ビタンっと生々しい音を立てて振ってくる土色の蜥蜴――岩蜥蜴。堅牢な岩の鱗に覆われ、剣戟の効果が薄いことで知られ、倒すには魔法か鱗のない腹部を攻撃する必要がある、Eランクのくくりでは上位に位置する魔物。もちろん手負いの幽霊少女には手に余る存在――それが10匹以上の群れで落ちてくる。
それだけでも絶望するには十分なのだが、背後からさらに多数の気配が忍び寄る。それはまるで血の足跡に釣られてきたかのように、加速度的に増加し、無数の瞳が少女を暗闇から狙う。
「それでも……自分はお二人を必ず……地上へと連れて帰りますっ」
絶望を通り越し、地獄へと豹変した世界。
それでも少女は決してあきらめようとはせず、申し訳ありませんと呟きながら引き摺っていた二人をドサッと地面に落とす。生死を彷徨う二人にはかなり酷な仕打ちだが、幽霊少女にも気遣う余裕がない。
何しろボロボロに刻まれた菫色の単衣には赤い水玉模様がどんどん浮かび上がるし、手足は血で染まるほどの裂傷が多数。正直動けていたことの方が驚きだし、その体で二人運んでいたのは奇跡に近い。
「さあ……来いっ」
その死に体にして、なお幽霊少女は魔物に立ち向かう。
裂帛の気合とともに抜かれたのは刃こぼれが酷く、剣身の先端が折れた鈍器。ゴブリンすら斬り殺せるか怪しいソレを向けられ、魔物たちはあざ笑うように鳴き声の大合唱を奏でる。
ケタケタ、ケタケタと木霊する魔物の嘲笑。それは次第に高まり、やがて少女を飲み込もうと洪水となり、決壊した。だが――――。
「……どうにも俺はこういう場面に好かれているらしいな」
突如世界に静寂が訪れた。
その世界に響くのはたった一人の声。その声以外響くことは許されない、絶対的強者の領域。
幽霊少女は何が起きたか理解できなかった。殺戮の洪水はたった一つの静かな声によって堰き止められ、剰え飲み込んだ。
最初に飲まれたのは岩蜥蜴だった。二等分するように筋が入ったかと思えば、黒煙へ変わったのである。しかも、群れすべてが。そして波及するように、ほかの魔物たちも次々と飲まれ、黒煙が通路に充満し、キラキラと無数の魔石片を引き立てる。
その変化があったのはほんの数秒。幽霊少女はその数秒間がとても印象に残った。
(まるで夜天に輝く星々のようにきれい、です……)
はぅと艶のある息を漏らす少女。体の痛みも、仲間の傷も、つらい過去さえもその数秒の間は忘れ去って去っていた。それほどまでに美しい光景だった。
「……さて残りも3分の1を切ったが、どうする?俺が片付けても問題ないか?」
「え?あ、いえ、その……お願いします」
幽霊少女を現実に引き戻したのは先ほどと同じ静かな声。恐怖も、気負いも、誇張も、興奮もない声。
反射的に幽霊少女は声を出したが、申し訳なさそうに声はしりすぼみ小さくなる。それは自分の至らなさや助けてもらったのに謝辞を述べれていないことへの謝罪というよりは、自分のせいで巻き込んでしまったことあるいは関わらせてしまったことへの罪過の意識がそうさせたように感じる。
「……わかった。なら悪いがもらうぞ」
それに気が付きながらも隼翔は何も言わずに、右手に握る流麗な刀身を誇るようにして、魔物たちを消すのだった。