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幸せな人生を異世界に求めるのは難しすぎる  作者: 二月 愁
第2章 冒険者の都と風変わりな鍛冶師
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アイリス・プランシュ 

後編です。

誤字・脱字ありましたら報告していただけるとありがたいです。

感想もお待ちしています。

「はぁ……はぁ……クロードは、無事かな……うぐっ」


 途切れ途切れに漏れる息。右腕はだらりとぶら下がり、正直木の棒を握る力もない。

 短く切り揃えた薄黄はちみつ色の髪の毛は土埃で汚れ、肌はすっかり煤けところどころ赤黒く変色してる。身体を石壁に預けるドワーフの女性――アイリス・プランシュはいつも以上に優し気な眦まなじりを下げ困ったように息を吐き出す。


「うっ!!……まいったな~。これじゃあクロードのこと探せないし、助けにも行けないよ……いつ以来かな、ここまで追い込まれたのは」


 動かぬ指に、立てぬ足。軽い語調とは裏腹に体はボロボロ。それでも大切な、幼馴染以上の感情を抱いていている男性のためにアイリスは必死に動けと体に命じる。

 それでもやっとこさ動かせるのは頭くらい。仕方なく視線を天井に向け、焦りを落ち着かせるように息をゆっくりと吐き出す。


 上級冒険者と呼ばれるCランクに昇格してからアイリスは1年ほどの時間を過ごした。その時間の中で、多くの魔物と戦い、時には階層門番討伐の集団レイドにも参加し経験を積んだ。

 どの闘いも命がけのモノばかりだったが、それでもここまで追い込まれた記憶はない。それどころか昇格を決定づけたCランクの魔物との戦いですらここまで消耗し、傷ついた記憶がない。


「あ、はははは……。護衛だなんだって息巻いていたくせに……情けないな」


 数時間前にクロードに宣言した言葉は何だったのか。思わず自虐的な笑みがこぼれてしまう。

 守ると声高らかに宣言したはずなのにその相手はおろか自分すら動けぬこの状況。何が上級冒険者だ、何が護衛だと自分の力の無さを責める言葉だけがとめどなく浮かぶ。


「一応あの魔物は私を追ってきたみたいだし……投げちゃったけど大丈夫だよね……」


 思い出すのは15層で鉱石の採掘をしていた時の光景。

 二人で仲良く、それこそ傍から見れば恋人同士に見られても可笑しくないほど和気藹々と会話を交えながら充実したと言えば可笑しいかもしれないが、満足のいく時間を過ごしていた。


「はぁ……あの時は楽しかったなぁ。久しぶりにクロードと二人きりで話せたし……あ~っ、こんなことになるなら言うこと言っておけば良かったよぉ」


 頬を一筋の雫が伝う。

 彼女はクロードに恋い焦がれていた。その恋慕を抱いたのがいつだったかは覚えていない。ただ、物心つく頃には当たり前のように彼の隣にいて、将来は彼の隣で職人として共に最高の武具(作品)を作り、妻として楽しい家庭を築き上げるを夢見ていた。

 もちろんそれはアイリスの勝手な妄想であり、一切約束を交わしていないし、そもそも恋人同士でもない。

 だからこそか。アイリスはせめて自分の淡い恋心だけでも伝えておけばよかったと今さらながらに後悔の念が心の中で渦を巻く。


「私はクロードのどこにそこまで惹かれてたのかな……?」


 顔かな、それとも性格かなと自問するように紡がれる言葉。それらは静かに木霊し、アイリスを優しく包み込む。


「ううん……それもだけど何よりもクロードの職人として、一人の男として家名マレウスを超えようとする信念だね」


 本当にカッコいいんだから、と惚気るように言葉を漏らす。

 いつの間にか体中を支配していた痛みはすっかり消え去っていた。ただ治ったという訳ではなく、愛する人のことを想っているが故に楽しくて嬉しくて、どこか気恥ずかしいから痛みが和らいだのか、あるいは目前まで死の気配が迫り感覚が麻痺してしまったが故に感じないだけか。

 せめて前者が良いな、クロードに抱きしてられているみたいだしと心の奥で声を弾ませるアイリス。

 間近まで迫る死の足音を忘れるかのように、彼女の頭の中を一人の男が占有する。


 共に育ち職人として、不器用ながら常に家名に立ち向かい超えようとする後姿。カッとなって大声で怒鳴る姿、一昼夜問わず鉄を打ち続け疲れ果て寝こける姿。その全てが愛おしく、カッコいい。


「……ここまでぞっこんだったんだよ。クロードは気が付いてた?……気づいてないよね、鍛冶一筋だからさ」


 アイリスの告白ともいえる独白が誰もいない通路に寂しく響く。

 耳に届くのは痛々しく漏れる自分の吐息と遠くで聞こえる魔物たちの狂喜乱舞の大合唱。己の欲望をそのまま声に乗せているだけの、本来であれば耳障りな歌声なのに、どうしてかそれらは見事な旋律を奏でる。いや正確に記すなら戦慄かもしれない。


 アイリスはそれらを聞き入るようにそっと瞼を下す。歌喚き声が空気を鼓膜を震わせ、それらが伝搬するかのように心臓を揺らし、身体を揺すり、命の灯をグラつかせる。


「……来ちゃったみたい、だね」


 少しの間静かに目を閉じていたアイリスがふと何かに誘われるようにして目を開く。無機質で冷たい空気と堅牢な岩肌が視界に広がる。相変わらず遠くでは魔物の大合唱が木霊し、恐怖が心を支配する。

 身体に感覚は戻っておらず、まるで寝起きのように重たい。武器は無いし、防具はおろか衣類すらボロボロ。

 まさに絶体絶命と言う言葉が今のアイリスにはお似合い。


 だが今、彼女を絶望の淵まで落ち詰めているのはそれらではない。


――――ズンッ


 大合唱に混じる一つの不協和音。それはとても微かな音だが、確かな存在感を示している。


――――ズンッズンッ


 波紋のように広がる重低な調しらべ。その破砕音は身体を芯から揺らすだけでなく大気を、ひいては地下迷宮ダンジョンさえも揺らしているのではないかと錯覚させるほどの存在感。

 音が近づくたびにパラパラと小石が降り注ぎ、アイリスの身体を染めるように降り積もる。

 どうにもならない死の権化が近づくのを知らしめる確かな足音。

 それは死刑宣告に近いかもしれない。アイリスは抵抗を示すこともできず、ただその宣告を受け入れるしかない。


「そろそろ……お別れ、かな。せめて痛くないようにしてほしいかな……」


 そんなこと祈っても無意味だけどね、と彼女らしい辞世の句を残しその時を待つ。

 パラパラと小雨のように降り注いでいた石は次第にその大きさを変容させ、巨大で鋭利なモノへと移る変わる。

 それに伴うようにして地鳴りにも似た破砕音はアイリスの元へとゆっくりと歩み寄ってくる。


 地面を穿つ氷柱石と轟音――――そしてソレは姿を現した。


「――――」


 思わず息を呑み、言葉を失うアイリス。まるで心臓が鷲掴みにされたかのような感覚。

 視線の先では堅牢な岩壁が急に爆散し、破片が彼女の身体を容赦なく撫でる。斬り裂かれる肌に、飛び散る血痕。だが、アイリスは動けないのもあったが、身体を護ることも忘れ茫然とソレを凝視してしまった。

 砂塵舞う視界の中心で、ソレは蠢く。


 見上げるほど巨大な体躯。砂塵の中で狂暴に光る鮮血に似た二つの眼光。

 揺らめく影は以前見た時よりも太く凶悪な双角が物語の悪魔のように伸び、身体は二回り近く巨大で醜悪に進化を遂げている。


 アイリスは呼吸を忘れ、顔を青ざめさせる。血色の抜けた唇は小刻みに震え、身体が、本能が、魂が死を覚悟する。


「――――」


 ふと赤い光と視線がぶつかり合えば、心臓を貫かれる錯覚に陥る。

 今まで何度か見た岩窟層最下層――20層に鎮座する階層門番。それに近いあるいは少しばかり劣る潜在能力ポテンシャルだと冒険者としての経験で理解できるが、ソレから感じる圧力も、眼光も階層門番と根本的に何かが違うとアイリスは察する。


 生物の根源に存在する本能を直接的に刺激する化物。魂がひたすらに"死ぬ"と耳の奥で叫んでいる。

 抵抗する気になどなれない、いや決してしてはいけない(・・・・・・・)と思い込んでしまう。


――――ォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォッッ!!


 ソレは吠えた。開かれた咢からはとても前の生物には似つかない長大な牙が光る。


「――――っ」


 慟哭が大気を震わせ、すべてを服従させる。

 身体を締め付ける咆哮の音圧。それに包まれて、ようやくアイリスは息をしていなかったことを思い出した。

 肺が、脳が、血が空気を酸素を寄越せと叫ぶ。呼吸をしていないことを思い出したのに、しかしアイリスは息を吸えない。吸うことが許されない。

 酸欠になる脳。朦朧とする世界。だが意識が途絶えることは許されない。その眼光に睨まれている限り、無様に生きていないといけないと本能が叫んでいるかのように感じる。


「――――」


 何が起きているのかアイリスはどんどんと分からなくなり始めている。

 どうしてここにいるのか、そもそもなぜこんな状態なのか、訳が分からない。ただ分かることは自分が喰われるその瞬間まで"生きていなくてはいけない"と言うことだけ。


 ソレが一歩踏み出すと、アイリスの瞳から光が一段と消える。

 ソレから目をそらすことは許されない。ソレから逃げることは許されない、ソレに抗うことは許されない。


――――アイリスッ


 どこかで名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。

 ソレが本当に聞こえたのか、はたまた意識と無意識の狭間で聞こえたのか分からない。

 それが誰の名前なのかも分からない。誰を呼んでいるのか、どんな人物なのか分からない。


 ただその名を愛おしそうに呼ぶ声に心地よさを覚えた。

 冷え切っていた魂に温もりが戻り、失われていた身体にわずかな感覚が戻る。


(クロード……現実が夢か分からないけどさ――――)


 名を呼んでくれた人の名前は分かる。その名だけは忘れることはない。とても熱く、強い人だから忘れるはずがない。だって――――。


「――――最後に声が聴けて、名前を呼んでくれて良かった。ありがと、大好きだよ」


 瞬間的に唇に血色が戻り、わずかに、だが力強く動く。

 紡がれたのは感謝の言葉。それが何に対する感謝だったのか、本人には分からない。それでも本人はその言葉を口にし終わると、満面の笑みを浮かべていた。死がまさにすぐ目前に迫っているにも関わらず、ヒマワリのような笑みを浮かべたのである。


 かくも狂乱に溺れるソレも満面の笑みには驚いたのか、一瞬動きを止め怪訝さを瞳に宿す。だが、ソレは本当に一瞬のこと。次の瞬間には、鮮血の双眸に獣としての、生物としての根源的な感情を宿し、咢を開け襲い掛かる。


 容赦なく降りかかる生臭い吐息が肌を撫でる。その牙で、その爪で、その双角で何人もの冒険者たちの命を奪ってきたというのが嫌と言うほど理解させられる。

 それでもアイリスは笑みを崩さない。例え死が間近に迫っていても恐れることはない。なぜなら大切な人の声が今も頭の中で何度も聞こえているから。


 身体は動かないながらも、恐怖から脱したアイリスはソレをしっかりと見据える。

 緩慢にも感じる時間の中でゆっくりと迫りくる牙。

 1m……50㎝……そして鼻先に迫ったところで、アイリスの視界がブレた。同時に身体の横から何か衝撃が走った。


「――――え?」


 目の前のソレが殴ったのではないことは理解できる。ソレに殴られていたならこのような生半可な衝撃では済まされない。それこそ一瞬でトマトのように潰れ、意識など闇に呑まれていたに違いないのだから。

 だが、ゴロゴロと硬い地面を転がる中でアイリスは感じた。その衝撃はとても重かったということを。まるで心に直接ぶつかれたのではと錯覚してしまうくらい、重い。


「――――な、なんで……というか夢、じゃなかった、の?」


 上を向いているのか、下を見ているのか分からなくなるほど盛大に地面を転げまわるアイリス。上下だけでなく左右も、現在地も分からない。

 ただ見開かれた視界いっぱいに広がる横顔を見て、先ほどとは別の意味――――喜びと混乱に言葉を失った。


 炎のようなオレンジの髪に、力強い目元。

 冒険者にも劣らぬ分厚い胸板と暖かい腕の温もり。

 とめどなく涙が溢れる。

 もう二度と会えないと思っていた。もう二度と言葉を交わすことは出来ないと思っていた。もう二度と気持ちを伝えられないと思っていた。


「――――クロード、なの?」


 岩壁にぶつかりようやく動きが止まる。

 移り変わっていた背景が固定される中で、その中心にいる人物に信じられないとばかりにアイリスは呼びかけた。呼びかけられた人物は、安どの息を漏らしながら力強く質問に対して首肯して見せた。


「ああ。何とか間に合ってよかった……助けに来たぞ」

「クロードっ!!」


 助けに来てくれてうれしいという気持ちと、どうして来てしまったんだという気持ちがせめぎ合い、なんと言葉をかけていいか迷ってしまう。

 だが、感謝を述べるか、罵るかを考える時間は刹那ほどしかなかった。


 クロードの腕に抱かれる中で、アイリスの視界にはこちらを睨み、今にも襲い掛かろうとする化物の姿が確かに映った。

 思わず声を掛けようとするアイリスだが、そのような時間もなくソレは双角を振りかざし突撃姿勢を取り――――地を駆けた。


 堅牢な地面を踏み砕きながら迫る化物。今から声をかけたのでは回避は間に合わない。かといって今のアイリスに身体を動かす力も残されていない。

 抵抗する暇もなく貫かれるしかないと悟りかけるアイリスだが、そんな二人と化物の間に一つの影が割り込んだ。


「全く、クロード。勝手に先行されても困る。……だが、大切な人が生きていてよかったな」


 濡れ羽色の頭髪に、暗赤色の外套を身に纏う青年。

 その人物は振り返ることなく、そう告げるとソレの突進を難なく止めてみせた。


「お前っ……なんで?」

「救援に来たと最初に告げただろう?それにうちの二人がお前に文句を言いたいそうでな」


 その人物がクイッと視線を傾ける。アイリスもクロードに倣い視線を追うとそこには金色の髪の狐人族の少女たちが憤慨したように柳眉を釣り上げていた。



「すまなかった。この礼も叱責も、地上に戻った時に必ず受けるしする」

「期待してるぞ。さて、フィオナ、フィオネ。怒るのは後にしてその女性を介抱しろ。俺はこれを片付ける」


 茫然とアイリスが眺める中で、事態は知らぬ間に好転していた。

ルビのふり忘れが非常に多いですね。

申し訳ありません。一応修正したんですが、まだあるかもしれません。

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