縁――えにし――2
ざわざわと酒場の空気が騒ぎ立てる。しかしそれは先ほどまでの酒宴で盛り上がっていた時の空気とは違い、興味や憶測、噂が飛び交うことにより喧騒が増している。
その渦中の人物たちは現在、調理場の前に設けられたカウンター席に腰を下ろしお品書きを興味深そうに眺めている……正確に言うなら豪胆にもお品書きを眺めているのは中央に座る隼翔だけであり、彼の左右に座るフィオナとフィオネは周囲からの奇異な視線に居心地を悪そうにしているのだが。
「それで……あの男が先ほど話していた者のなのか?」
「そうだよ。何となく勝てないって思う理由が分かるでしょ?」
「……確かに全く底が見えないな、空恐ろしい存在だ」
その奇異な視線の中にはフィリアス、ゾディス、アスタリスの三名の視線もしっかり含まれている。だからと言って他と違うのは彼らは決して凝視などはしていない。
現にゾディスはグイッと巨大なジョッキを傾け、フィリアスは小さなグラスを軽く揺すり、アスタリスは上品にサラダを口に運んでいる。その中でゾディスは既に10杯は軽く飲んでいるはずなのだが、その煤けた肌色は変化せず酔った様子も見えないのは流石炭鉱族の一言に尽きるだろう。
それでも三人の中に流れる雰囲気は酒宴の浮かれた空気ではない。だからと言って警戒し、寛げていないわけでもない。ただ、ただ純粋に自分たちより強者な風格を漂わせる男に惹かれる、まるで子供のような目をしている。
「ふむ……」
「ん?どうしたのさ、ゾディス?」
店内で騒ぐ他の者たちより静かに視線を向けていた三人だが、ゾディスだけが不意に空のジョッキの底を見つめたまま髭を撫で、黙り込む。
それを見たフィリアスはスキルが発動したわけではないが、何か嫌な予感を察知したのか金色の髪を触りつつ、訝し気な視線を送る。
「ふふっ、なに少し……な」
「はぁ……バカな真似はソーマだけで十分だからな」
空のジョッキを片手にニヤッといかにも悪だくみを思いついたような子供の笑みを浮かべ立ち上がる炭鉱族にアスタリスはため息と毒を吐く。だが豪快な炭鉱族は一切気にした様子なく、ドスドスと力強い足取りで二人のもとを立ち去る。
その一切の迷いが無くどこか危うげな巨大な背中。最初は何を目的としてるのか理解できていなかったフィリアスとアスタリスだが、陽気な足取りでとある・・・場所に向かう炭鉱族に軽い戦慄を覚える。
「ね、ねぇ……。アスタリス、すごく嫌な予感がするんだけど」
「奇遇だな、私もだ」
空のグラスに口を付けつつ、少し頬を引きつらせる小人族ホビットと嘆息を吐き出すハイエルフ。
しかしゾディスはそんなのに気が付いていないとばかりに、カウンター席で今まさにジョッキを重ね合おうとしてる三人組のうちの一人の青年――隼翔の肩をポンと軽く叩く。
「ん?」
「ひゃっ!?」
「うわぁっ!?」
カツンッ、と澄んだ音が鳴ることは無く隼翔の手はジョッキを手にしたまあ中空で静止する。
振り返れば視界を覆うほどの筋骨隆々の男。
浅黒く煤けた肌に、無数に刻まれた傷は歴戦の勇士の証。サンタクロースのように蓄えられた髭も優しさよりはその厳つい容貌をより凶悪に引き立てており、フィオナやフィオネが悲鳴を上げてしまうのも頷ける。
「あんたは誰だ?……ん、その徽章は」
それでも豪胆な性格と育まれた胆力を持つ隼翔は、特に驚いた様子もなく訝し気な視線を巨漢に送る。そのまま相手を観察していると、巨漢が着ている分厚い毛皮の上着の胸元に見覚えのある徽章があることに気が付く。
「ああ。徽章を見て分かる通り儂は夜明けの大鐘楼の一人じゃ。種族は炭鉱族、名はゾディス・ベルクヴェルク」
「ドワーフ……なのか?」
「なんじゃ、炭鉱族と会うのは初めてか?」
ズイッと差し出される巨大な手。握手を求めるその手だが、隼翔はそれを握り返すことはできず、思わず動きを止めてしまう。
そのまま珍しく眼を大きく開き、その外見で、か?という言葉を必死に飲み込む。
通常"ドワーフ"という種族は民話や神話、童話にファンタジーなどでは基本的に背丈は低いが力強く屈強で、特に男性はその多くで長い髭をたくわえているというのが一般的な想像。
その例に例えて言うなら隼翔の眼前にいる男はとてもドワーフとは思えない。しかし先の例はやはり空想のモノであり、この世界では巨大で筋骨隆々というのが炭鉱族という種族の特徴。それを示すようにゾディスは、何か不思議なことでも?と言いたげに首を傾げている。
「あ、ああ。初めてだから少しばかり驚いた」
驚きから醒めた隼翔は精悍な手を握り返す。
ゴツゴツとした硬い岩のような手。何度も上下に振られるたびにその力強さに普通なら顔を顰めたくもなるが、隼翔は決してそのようなことをすることは無く平然と挨拶を返す。
「俺の名は隼翔だ」
「ああ、聞き及んでいる。なんでもうちのバカが迷惑をかけたようじゃな。団長からも謝罪があったと思うが、儂も幹部として謝罪させてもらう。すまんかった」
ゾディスが頭を下げた瞬間、ザワッと喧騒がより高まった。
「う、嘘だろ……」
「あのフィリアス様に便宜を図られただけでなく、"悠久なる大楯"のゾディスさんに頭を下げさせたっ!?」
「何者だよっ、あいつ!!」
周囲の反応から分かる通り、別に炭鉱族という種族が傲慢というわけでも礼儀知らずというわけでもない。純粋に目の前で繰り広げられる光景が信じられないからこそ、誰もが目を見開き声を上ずらせる。
それもそうだろう。貴族も王族も関係ないこの地下迷宮都市において、三大ユニオンの一角に上げられる夜明けの大鐘楼の団長と幹部と言えば、ほとんどクノスにおいては頂点に近い存在。だからと言って傍若無人な態度が許されるというわけではないが、それでも彼らが謝罪したり便宜を図るというのは大業なことには違いない。その相手が一介の名も知られていない冒険者なら尚のこと。そのような事情があるからこそ、周囲は隼翔に奇異な視線を送るのだが当の本人がそれを知る由もなく、ただその視線が鬱陶しいとばかりにゾディスに頭を上げさせる。
「あんたのとこの団長にも言ったが、別に気にしなくていい」
「下手すれば死んでいたかもしれないのに……なんとも豪胆な男じゃな」
「別に普通だろ?地下迷宮に潜るってことは死ぬことそれも覚悟してるわけだからな……まあ何よりも俺は今回死んでないからな」
何より怪我したのはそっちの団員だろ?と肩を竦めて見せる隼翔。その態度と言葉にゾディスは目を丸くするが、それも一瞬のことですぐに破顔し豪快に笑い声をあげる。
「ぐはははっ、なるほどなるほど!!これはフィリアスに聞いていた以上の大物のようじゃな」
「さてね?それで用はもう済んだのか?」
「ああ、すまんな。酒宴の邪魔をしてしまって。とりあえず軍団としての要件は終いじゃ。だが、儂個人としてお主に何か手を貸してやりたい。無論他意はない、純粋にお主という男を気に入ったのでな……どうじゃ、何か困っていないか?」
「困っていること、ね……」
ゾディスの提案にフムと考え込む。
これがユニオンとしての謝罪の意味を込めての提案なら隼翔はすぐさま断っただろう。なにせ謝罪など本来は求めてなどいないし、先の言葉通り地下迷宮で怪我をするのも死ぬのも覚悟の上。何よりもこのクノスで知れ渡っている軍団と関わりを持ち、自身の存在が広く知られるのだけは避けたい。
だが今回はゾディスという炭鉱族個人の、しかも純粋な親切心からの提案。これが一時期の心が荒んだ隼翔なら推考の余地もなく断っただろうが、フィオナとフィオネと心を交わした今ならそんなことはしない。
(困っていること……ね)
この世界の住人ではない普通の日本人にとって暮らしは不便な部分が多い。それは近代の日本だけで無く江戸という時代を生きた隼翔にも多少は当てはまる。
(それでも今の生活は結構気に入っているんだよな……。だから頼むとするなら生活面以外のこと、だな)
不便ながらも、現代の便利すぎる生活というのが性に合わなかった隼翔としては今の多少なりとも不便な、それこそ江戸の時代に近い生活が気に入っている節がある。だからこそ、生活面以外での己が不便だと感じている部分を探す。
そしてふと自分の片手が触れている刀の柄に視線を落とす。
「ああ、そう言えばこの都市で良い鍛冶師を紹介してくれないか?こいつらを振り回せない場所で戦うことも想定したいし」
先日地下迷宮に潜った時、隼翔は相棒である瑞紅牙で敵を屠った。
しかし、それは刃渡り2尺5寸の刀を振る空間スペースがあったからこそであり、それだけの場所が地下迷宮ダンジョンで常に確保されているとは限らない。だからこそ多様な武術に精通している身としては他の限られた空間でも震える得物が欲しい所。
(生憎と俺には知り合いもいないし……この都市の有名な冒険者なら良い鍛冶師も紹介してくれるだろう)
もちろん得物は自分の眼に叶ったものを持つというのが隼翔の流儀。
だからこそ、今回の願い出もどちらかと言えば選択肢の一つを増やしたいというモノ。それ故にあまり期待などはしていない。
「鍛冶師……か」
そんな隼翔の心の内を知らないゾディスは立派な髭を撫で、思索に更ける。
「わしらのユニオンには生憎と鍛冶の能力を持つ者はいないからのぉ……。かと言って専属の鍛冶師を紹介することもできんし……」
一口にユニオンと言ってもその集まりの系統はいくつかに分かれている。
一つはフィリアスやゾディスが所属する冒険者たちのユニオン。その目的は端的に言ってしまえば地下迷宮の攻略と魔物の討伐。この地下迷宮都市・クノスにあるユニオンのほとんどはこの系統に属する。
二つ目は傭兵としてのユニオン。主な任務としては護衛や盗賊の討伐があげられ、地下迷宮にはほとんど潜らない集団。
そして三つめが冒険を片手間に、その過程で手に入った鉱物や魔物の素材を用いて武具や用具を作製するユニオン。
もちろん細かく分ければ更に他の目的を持つユニオンも上げることはできるが、主なモノは以上の三つである。
それ故に鍛冶師の当てを悩むゾディスなのだが、徐にジャケットの内ポケットに手を突っ込むと一枚の洋紙とペンを取り出す。
サラサラと羽ペンを走らせたかと思うと、次には親指の腹を歯で少しだけ傷つけグイッと洋紙に押しつけ手渡してくる。
「ほれ、これを持ってマルドゥクに行くと良い。あそこに併設された武具屋なら良い鍛冶師とも出会えるじゃろ」
「これは……紹介状みたいなモノ、か?」
手渡された洋紙には達筆な文字と署名、そして朱い血印。
「ああ、そうじゃ。本来ならマルドゥクに併設された店はCランク以上の冒険者じゃないと入ることが出来んのじゃが、お主は我らの団長フィリアスも認めていることじゃからな、問題ないじゃろ」
本当にいいのか、という隼翔の懐疑的な視線を豪快に笑い飛ばすゾディス。
一抹の不安を抱えながらも隼翔は最悪ダメでもいいかと外套の下にその紹介状をしまい込む。
「さて、これで儂個人としての要件は終いじゃ。あとは楽しく飲んでくれ!!」
「いや、少しだけ待ってくれ」
陽気に笑いながら立ち去ろうとする炭鉱族を隼翔はなぜか呼び止める。急に呼び止められ、不思議そうにしているゾディスだが、隼翔は何も説明はせずにカウンターの向こうにいる店員に何やら注文をする。
そのまま待つこと数十秒、カウンターの向こうから渡されたのはジョッキに並々と注がれたエール。だが、隼翔の片手には同じようにキンキンに冷えたエールが注がれたジョッキがある。
両手にジョッキを持つ姿は酒好きの炭鉱族に匹敵するが、別に隼翔は両方とも飲みたくて頼んだわけではない。
「ほら、せっかくなんだから受け取って飲んでくれ。……と言っても俺の奢りじゃないんだがな」
「く、くははっ!!まさか儂の分だとはな!!」
腹を抱えて笑いながら隼翔からジョッキを受け取るゾディス。ただ、それは普通サイズのジョッキのために炭鉱族ドワーフが持つとお猪口のようにしか見えず、とても不釣り合い。
それでもゾディスは器用にジョッキの持ち手を持つと、隼翔の持つジョッキと軽くぶつける。カンっと互いを称える音が響くと同時にゾディスは嬉しそうにエールを煽る。
「ぷはっ、やはり酒はいいな。特にお主のような男と交わす酒は、な。それではお主の栄光を願っておるよ」
ぐはははっ、と豪快に笑いながら去っていく炭鉱族。
「なんなんだか、ね。……まあ、いいか」
その後姿を眺めつつ、首を傾げる隼翔。
そしてすぐさま向き直ると、驚いて硬直するフィオナとフィオネに少しばかり声をかけ、改めて乾杯をするのだった。




