縁――えにし――
長くなったので2話に分けて投稿します。残りは明日でも
空からは朱色の光が降り注ぐが、地上は決して怪しい雰囲気を漂わせてはいない。
朗らかな淡い光がその酒場の窓や両開きのドアから漏れ、店の軒下に吊るされた提灯のような魔法道具は冒険者たちの赤い顔を楽しそうに照らす。
美声とは程遠い合唱にステップなど無視した自由な踊り。それは決して拍手を送れるような完成されたモノではないが、本人たちの雰囲気はとても明るく、同様に周囲の空気も踊るように軽やか。
「異世界……だな」
日本では決してお目にかかることはできないであろう光景と雰囲気を感じ、隼翔は思わずそんな言葉を漏らす。
日本でも酔った若者たちがバカ騒ぎして暴れるという報道などは良く目にする。だが、今視線の先で繰り広げられる騒ぎは純粋に全力で今日を生き抜き、喜び称え、明日への糧にするための必要な儀式であり、日本の飲み会とはわけが違う。
それをおぼろげにでも悟ったからこそ隼翔はあまり嫌悪の表情を浮かべず、むしろすこしばかり羨ましそうにすら眺める。
だがそれもすぐさま、自分には似合わないとかぶりを振り、少し後ろに控える二人に言葉をかける。
「ここでいいのか?」
「はいっ!」
「こちらは凄くいい匂いがします」
ブンッブンッ、と筆の穂先のような尻尾を左右に揺らすフィオナとフィオネを見て隼翔は何も言わず視線を戻す。
そして隼翔は暖かい明りの漏れる木製のテラスに足を踏み入れようとして、不意に足を止める。
「すいませんが止まって頂いても良いでしょうか?」
その瞬間、隼翔の視界で薄黄色のカーテンが舞い上がった。
目の前に現れたのは女性のエルフ。肩口ほどに切り揃えられた薄黄色の髪に翡翠色の瞳。見惚れてしまうほどの整った容姿はまさにエルフという種族を示す。しかしその表情に迎えるという温かい優しさは無く、どこか冷淡な拒絶が見え隠れしている。
それを体現するかのように隼翔の眉間には威嚇するように銀のお盆が向けられ、言葉の節々には針のような鋭さが隠れている。それらはまるで死の警告をするかのような雰囲気を放ち、領地内に足を踏み入れることを禁じている。
並みの冒険者なら萎縮してしまうような殺気、とは言わないまでも威圧感。現にフィオナとフィオネは驚き、動きを完全に停止させてしまってる。
しかしながら隼翔にとってはその威圧感などに何も動じる必要のない、空気に等しいモノ。だからこそ一切動じることは無いのだが、それでも無用な争いを好む性格でもないので、一応その威圧感通りに動きを止めて、眼前に立つエルフに従う。
「……ここは酒場だと思ったんだが、俺の勘違いだったか?」
視界の端には"実り女神の集い場"と書かれた木製の看板が映るが、一応は確認の意を込めて聞き返す。
「確かにここは酒場に違いありません。ですが不用意に立ち入れる、というわけでもありません」
隼翔の言葉に首肯すると同時にエルフの女性は言葉では一部を否定をするというどこか器用な真似をしながら、ジーッと観察する。
一切威圧に怯えないその風体もだが、どこか纏う雰囲気が人ならざるモノな気がしてエルフの女性――リファ・スーレイ――は警戒心を顕わにする。それは店に侵入してくる危険人物に対する用心ではなく、もっと根源的な警戒。言うなれば生命の危機と言うのが正しいかもしれない。
だが警戒されているというのは雰囲気から理解していても、命の危機まで感じられているとまでは思い至っていない隼翔は普段通りの振る舞いを貫く。
「つまり会員制とか、そういう感じなのか?」
「いえ、違います。本日はユニオン・夜明けの大鐘楼様ご一行を含め席は予約で満席です。それなので申し訳ありませんがお引き取り願います」
薄黄色の髪を垂らしながら、店員らしく頭を下げるリファ。
しかし、その態度と言葉とは翡翠色の瞳は隼翔の動きを決して見逃さないと言わんばかりに鋭く光を放つ。
(……この手の読めない冒険者は勧告に耳を貸す方が少ない。だからこそ、最悪実力行使のためにも警戒しなくては……)
長めのワンピースの丈下に隠してあるナイフの柄にいつでも手を掛けられるようにスッと伸ばす。
生憎と頭を下げているため隼翔の動きをすべて見切ることはできないが、少なくとも自分の動きは悟られていない。このままなら下手に相手が動いたところで先制はできるはず、そう確信を持ち出方を窺う。
「……」
だが警戒される隼翔に動く気配は無い。
(……この店員、かなりできるな。流石異世界ってとこか……酒場の店員のが下手な冒険者より実力が上かもな)
決して動くことは無いのだが、店員の気配や雰囲気、そして常人では決して気が付かないであろう些細な手の動きをしっかりと剣客として磨いた勘で把握し、素直に称賛する。
(まあそんなことはともかくとして……夜明けの大鐘楼って確かあの小人族、フィリアスだったか?あの男が団長を務めているんだよな……)
記憶の端に現れるのは小柄な青年の姿。その可愛らしい容姿も小柄な身長もとてもではないが大人には思えないが、纏う雰囲気は有象無象の大人とはわけが違う。多くの死地を乗り越え、数多の強者と対峙してきた隼翔にすら"強い"と思わせるほどの実力の持ち主。
比較的他人に興味を示さない隼翔だが、強い印象が残っているせいか無意識のうちに視界の端で小柄な青年の姿を探す。
「あっ!?」
広めの店内の中心、正にばか騒ぎを繰り広げる冒険者たちのちょうどど真ん中にその姿はあった。
貴族のような身なりと風格を漂わすのだが、驚愕に声をあげ、目を見開き顎を落とすその姿は残念ながら高貴さの欠片もない。
(……あの時の落ち着いた雰囲気とは随分と違うな、何というか見た目通りって感じだ)
一人の可愛らしい叫び声に静まり返る店内。誰もが団長の声に何が起きているのか理解できずに困惑した表情を浮かべ、固まる中で隼翔はそんなことを思う。
(それにしても一気に静まり返ったな……。俺のせいってわけじゃないだろ?)
店の外でもその異様な雰囲気は伝わっているのか、テラス席の者たちも踊りと歌をやめ口を閉じ、不自然に動きを止めている。
「……どうかされましたか?」
いつまで経っても返事をしないことを訝し気に思ったのか、リファは頭を軽く上げて漆黒の瞳をのぞき込む。その瞳は真夜中のように深く感情が読めないが、彼女から見て決して濁っているとは感じず、少しばかり警戒の色が薄まる。
「いや……ちょっとな。それよりも今日は入れないってことでいいんだよな?」
「ええ、そういうことになります」
視線をエルフの女性に戻した隼翔は少しばかり悩むそぶりを見せ、はぁと息を吐き出した。
突然のため息に、ついに力づくで来るか、とリファの緩んだ警戒心は瞬間的に最高潮に達する。
(一瞬でも気を緩めてしまうとは……。しかしもう油断など無いっ)
なぜ気を緩めたのか、などとは一切考えず、ただ相手の動きを注視する。
優雅にトレーを持つ佇まいは酒場の店員そのモノだが、放つ雰囲気は歴戦の冒険者と遜色がない。一触即発というわけでもないが、隼翔が少しでも下手な動きをすればリファは短剣を抜き放つということだけがその翡翠色の瞳からは伝わってくる。
「そうなのか、なら仕方ないな。他を当たらせてもらうことにする」
「えっ……」
潔く身を引く隼翔に驚くリファ。
一瞬夜明けの大鐘楼という名前に怖気づいたのかと推測するが、それにしては先ほどその名に驚いた様子は見せていない。むしろその名前の偉大さを知らないようにすら感じる態度だったと言える。
「ん?だって入れなんだろ?だから他の店に行こうと思ったんだが……」
思わず振り返り訝し気な視線を送る隼翔。
その声にもだが、それ以上にあまり歓迎されていない雰囲気だけはしっかりと感じていたのでその引き留めるような態度には流石に疑問を感じてしまったらしく翡翠色の瞳をのぞき込むようにじっと視線を固定する。
重なり合う漆黒と翡翠の視線。しかしそこに決してロマンチックな雰囲気は無い。もちろん戦の前の苛烈なぶつかり合いでもないが、それでも少しばかり剣呑な空気が漂っているのは確か。
「あ、いえ、何でもございません」
そんな中で先に折れたのはリファ。ぺこりと頭を下げ、視線を逸らす。
お盆を持つ手が微かに汗ばんでいるが、決して暑いというわけではない。確かに夏にしては長いワンピースを着てはいるが、リファにしてみればこの程度劣悪な環境とは言えない。
(本能的に……この冒険者を恐れている)
お盆を握る手が氷のように冷たい。
目の前に立つ男は地下迷宮の魔物のように殺気をまき散らしているわけでも、下賤な冒険者のように威圧感を放っているわけでもない。ただ自然体で佇んでいるだけ。それなのに少しの間視線が合っただけで本能が恐怖を感じてしまっている。
その事実を忘れ去ろうと擦れる声で再び謝罪の言葉を口にする。
「申し訳、ありません」
「いや、そっちが悪いわけじゃないからそんなに謝らないでくれ。むしろ俺たちが急に来たわけだからな……というわけでお前ら、我慢してくれ」
隼翔が育った家庭はものすごく厳格で堅苦しい環境であった。その弊害なのか隼翔はあまり堅苦しい態度や不要な謝罪などは好まない。故に今も必要以上に頭を下げるリファに対してあまりいい顔はせず、その表情を悟られないようにするために背後に控えるフィオナとフィオネに視線を向けた。
「「はい……」」
しょんぼりと力なく垂れる尻尾。隼翔としても姉妹の笑顔を見ていると嬉しくなるし、逆に今のように悲しそうな顔を見るとどうにかしてやりたいとも思う。
(こればっかりは力技じゃどうにもならないからな……)
チラッと酒場へと振り返る。
未だに不自然な静寂に包まれ、誰もが動きを止めている。かなり違和感のある光景であるが、それでもそこにいる者たちは紛れもなく列記とした客であり、ここで暴れれば間違いなく横暴のなのは自分たち。
これが理不尽なら問答無用に切り捨てるが、自分たち自身が理不尽にはなりたくないというのが隼翔の考え。だからこそこの状況ではどうすることもできず、慰めるようにフィオナとフィオネの頭にポンッと手をのせる。
「他にもいい店があるだろうし、そこで我慢してくれ」
そのまま二人の細い腰に手を回し、店を後にしようとする三人だったが……。
「す、少し待ってくれないだろうか!?」
慌てて呼び止める声。
振り返るとそこには先ほどまで驚きに表情を変えていた小人族の青年が立っていた。その焦った様子に隼翔と姉妹、そして店員のリファは首を傾げ、動きを止めていた団員達は何事がと固唾をのんで見守る。
「以前のお詫び……ってわけでもないけど、店の一角を空けるから食事でもどうだろうか?もちろんお代は僕が持つよ」
「え……っと、いいのか?」
再起動したはずの団員たちが顎を落とし動きを止める中、隼翔も少しばかりその提案に戸惑いを見せる。しかしその戸惑いを払拭するように、小人族のフィリアスは屈託のない笑みを浮かべ首を縦に振るのだった。




