長き夜 夜明けの凱旋歌
隼翔がシエルの前に立ちはだかる魔物の群れを屠っている頃、11階層から10階層へと続く階段を二つの人影が疾駆していた。
先頭を行く影はとても小柄で子供と間違えても可笑しくない。現にその容貌も幼さを少しだけ残しており、身の丈の倍以上はある槍を担ぐ姿は愛くるしさがある。だが一方でその纏う雰囲気は超一流の冒険者の風格そのもの。
そのちぐはぐな小柄で愛くるしい影を追うのは、長身痩躯の野性味溢れる猛獣のような青年。金色と黒が混じる独特の頭髪に、斑の豹耳、つり上がる眼と鋭く光る犬歯。それらの特徴が彼を豹人族だと如実に表している。
「おい、フィアリスっ!!もう10階層目前だぞっ、本当に何か起こってんのか!?」
「うーん……起きてるとは思うんだけど、それがどこかは良く分からない」
声を少しばかり荒げながら豹人族の青年――――ソーマは前を走る団長と呼ばれていた小人族の青年――――フィリアスに少しばかり声を荒げながら問いただす。
「ったく……。お前の能力は本当に凄いが、微妙に不便だな」
「あははは……。まあだからこうして人海戦術に頼ってるんだけどね」
団員の称賛と呆れの混じった感想に対して、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべるフィリアス。
20階層では10名を超えるBランク冒険者がいたはずなのに、現在彼とソーマしかいない。その理由はフィリアスの持つ能力が起因している。その能力は言うなれば直感に近いものかもしれないが、彼にとって好ましくない事態が起きると漠然とだが知らせてくれる。
この能力により、フィリアスと彼の団員は幾度となく危機を乗り越えてきたのだが、いかんせん漠然としすぎているため対処が難しい。
それ故に何が起きているのかを調べ、かつ対処できるようにとフィリアスは精鋭であるBランク以上の冒険者を20階層以上の各地に先行させ、好ましくない事態を未然に防ごうとしているのである。
「まあとりあえず俺たちの担当範囲はもう終わりだ……どうするんだ?」
「うーん、そうだね……――――っ!?」
ソーマの問いに対して、細い頤に指を当てながら悩むフィリアス。そのまま10階層へと足を一歩踏み入れた瞬間、彼の背筋を嫌な感覚がゾクッと撫でた。
彼はこの短身痩躯でありながら、この地下迷宮都市・クノスで三人しかいないSランク以上の冒険者の一人である。彼は現在の地位に至るまで幾度となく死線を乗り越えて、数多の魔物を屠ってきた経験を持っている。その経験の中には当然のように目を合わせただけで、向かい合っただけで"死"や"絶望"を味わう瞬間が幾度となくあった。
だからこそ、今フィリアスの背筋を撫でる嫌な感覚自体には慣れている。それにも関わらず、彼は言葉を失うほど狼狽している。
(これほど濃密な"死"の気配……65階層の階層門番でも感じたことが無いっ)
ツーっと冷たい汗が額から流れ、身体が動きを拒むように重たい。それほどまでにフィリアスの身体はこの先に進むことを恐れている。
何度も言うが、彼はSランク以上の力を持つ数少ない冒険者の一人。故に今まで何度も未開だった階層を踏破し、その到達地点を更新してきた男。
(……今まで幾度となく未知の階層に踏み込んできたけど……まさか既知の、しかも10階層で二の足を踏むことになるとはね)
身体の奥底で本能が全力で進むことを拒む。しかし一方で冒険者として、そして何よりも彼の心がその恐怖の正体を知りたいと願っている。
そう思ってしまうのは、今まで多くの死線を乗り越えた実績故か、はたまた無茶を繰り返したことにより心が麻痺してしまったのか。どちらにしても、部下たちにはあれほど用心しろと言った手前、そんなことを考える自分に思わず嘆息を付く。
「……おい、急に立ち止まってどうし、ん?血の匂い、それにこれは……――――っ!?何が居やがんだっ!!」
「あっ、待つんだっ!!ソーマっ」
10階層に足を踏み入れた途端に足をぴたりと止めたフィリアスに懐疑的な視線を向けるソーマ。そのまま彼と並ぶように足を踏み入れると、ソーマの高い鼻がピクッと反応を示す。
地下迷宮特有の重く湿った匂いの中に微かに真新しい錆鉄の匂いが混じっている。それは常人はおろか、フィリアスでも感知できないほどの微かな匂い。しかし、獣人特有の五感の鋭さを兼ね備えるソーマはそれを敏感に察知した。そして何が起きているのかを正確に知るべく、五感と冒険者として培った直感をより研ぎ澄ます。
空気の流れに乗って聞こえてくる微かな声と剣戟、そして何より強大な殺気をソーマの知覚が捉えた。その瞬間、ガッと目を見開き駆けだす。慌ててフィリアスはソーマを止めようと声をかけるが、危険を嗅ぎ取った獣人は瞬間的に最高速度まで達し、小人族の青年の前を走る。
「くそっ、迷ってる暇はないか……。せめてソーマが死ぬ前に止めないとっ」
二の足を踏んでしまったことを後悔しつつ、フィリアスは姿が見えなくなった豹人族の青年の後を追うのだった。
どんどんと濃くなる血の匂い。もちろん常人では決して嗅ぎ取ることなど不可能なほど匂いなのだが、生憎と豹人族のソーマにとっては嫌と言うほど感知できる。
「チッ……。これはフィリアスの言ってた新人狩りの連中か?どんな奴か知らねーけど、いい度胸じゃねーか」
ギリッと鋭い牙を鳴らす。別に彼は正義感から岩窟層の通路を疾駆し、怒っているわけではない。
先の言葉通り、彼はどちらかと言えば弱い者には興味は無く、むしろ好ましく思っていない節さえある。それでも決して自分より弱い者を虐げで喜ぶ趣味もまた持ち合わせてはいない。だからこそ、そんなことを行っているであろう者に対して、怒りをあらわにしている。
「……ここかっ!?」
ズザザザッ、と土煙を巻き上げながら金属製の靴でブレーキを掛ける。
鈍色の瞳のすぐ先には大きめの部屋が映る。獣人族特有の敏感な嗅覚が無くともそこからはかなり濃い血臭が気流に乗って漂ってくる。そのことに思わずソーマは顔を顰めつつ、怒気の籠った声で呟く。
そのままスッと目を細め、部屋で起こっていることを確認する。一見すれば静かな普段通りの小休憩の場。だが――――。
「てめぇっ!?何者だっ!!」
その鋭い慧眼が不穏な分子を捉え、一気に部屋までの通路を踏破する。部屋に突っ込むと同時にむわっと強烈な血臭に鼻腔を刺激され思わず顔を顰めてしまうが、無視してそこを観察する。
視界の端には血に濡れた布切れと鎧片、壊れた剣と槍と盾、何よりもこの嫌な血の匂いを放っている原因であろう肉片の塊が映る。
グッと唇を噛み締め、ソーマはここに佇む一つの人影を睨めつける。あまり見かけない漆黒の頭髪に暗赤色の外套。こちらには気が付いていないのか、それとも逃げる途中なのか、部屋から通路に向かおうとしている。
その犯人と思われる人物を呼び止めるべく、ソーマは怒気を込めて叫ぶ。すると、その人物は気だるげにソーマの方に視線を向ける。
「……何者って、そんなに殺気をまき散らすお前こそ誰だよ?コレの仲間……って感じじゃないな」
猛獣のように唸り声をあげて今にも襲い掛かりそうなソーマとは対照的に、心底めんどくさそうな表情を向けて振り返る青年――――隼翔は泰然として佇む。
シエルの話から推測するとこの亡骸は中堅手前くらいの集団だと予想されるが、目の前にいる豹人族の男から感じる殺気はかなりの手練れだと隼翔は感じていた。
現にソーマから発生られる殺気は野獣のように獰猛でありながら名剣のように鋭い。それを一手に浴びているにも拘らず、隼翔はやはりその佇まいを決して崩さず、むしろ何も感じていないように振る舞えるあたり、さすが修羅道を歩んできただけはある。
「別に仲間じゃねないが……てめぇがコレの犯人なのか?」
「はぁ……。犯人じゃないって言っても信じて貰えそうにない雰囲気だな」
「ったりめーだ。てめぇからはかなりの死の臭いがする。それこそ10や20じゃ足りねー数の、な」
ギロッとその双眸を細め、より剣呑な殺気を放つ。
隼翔の推測通り、ソーマは目の前の男を犯人だと半ば決めつけている。別に隼翔自身から殺気が溢れているとか、ソーマに真実を見抜く目があるとかではない。ただ、隼翔という男が発する強烈な血の臭いを野生の本能が直感的に嗅ぎ取っているからこそ、ソーマは盲目的に犯人と決めつけている。
その言葉を聞いた隼翔は思わず酷薄な笑みを零す。それはソーマをばかにしたモノではなく、転生した未だに死の香りを纏っている自身に対しての、自嘲めいたモノ。
「くくっ……随分と良い嗅覚、いや感覚を持っているみたいだな。だがそこまで分かっているなら、目の前にいる人物が危ないってことも理解できるだろ?無駄な正義感は身を亡ぼすぞ?」
「ケッ!別に正義感なんか持ち合わせちゃいねーよ。ただ、雑魚を弄って楽しむ屑になりたくねーし、そういう奴は消すことにしてるだけだよっ!!」
「……なるほど、自分の信念に従った行動か。なら、ケチはつけないが……ただ手を出したからには死んでも文句は言えないぞ?」
称賛するように呟く隼翔に対して、ソーマは語気を荒げながら一気に両の脚に力を籠め爆発させる。ズドンッとジェットエンジン音にも似た爆音とともに、ソーマが立っていた地面は放射状にひび割れる。
二人の距離はおおよそ20mほど。それが豹人族の剛脚とソーマという冒険者の器の大きさにより一蹴りで半分以上が縮まる。
(一撃で仕留めてやるっ)
ソーマは弱者を見下すような部分があるが、決してそこで慢心し油断するような男ではない。ましてや、激烈な"死"の臭いを放つ男を相手としているならなおさらである。
彼我との距離が縮まるにつれて、ソーマの集中力は自然と高まっていく。それこそ隼翔の一挙手一投足を決して見逃さないとばかりに全神経を注ぎ、研ぎ澄ます。そして完全に研ぎ澄まされた感覚はソーマに世界が遅くなったと錯覚させるまでに至る。
その最大限の集中力を維持したまま、更に加速するべくソーマは岩窟層の硬い地面を数回ほど蹴る。4歩、5歩と蹴り、その距離が3mを切ったところで彼の武器でもある鋼鉄の靴に魔力を込める。魔力の量に呼応するように、鋼鉄色が次第に赤みを帯びぶわっと強烈な熱を放つ。
外気を浴びるほどに激しく火花を散らし、加速する姿はまさに電光石火を体現している。
「らぁっ!!」
野獣のような咆哮とともに、ソーマは火花を激烈に散らす靴を眼前に立つ男の顔面に目掛け打ち込むべく、最後の一歩を踏み切る。
「……!!」
だが不意にソーマは首筋に嫌なモノを感じ、空中で器用に急制動をかけ、今までの加速をすべて殺す。そして地面に靴が触れると同時に筋肉が悲鳴を上げるほど強く蹴り、距離をとる。
「へぇ、やっぱり躱せるのか。予想通り実力者なんだな」
なぜソーマは逃げたのか、それを考えるべく着地と同時に視線を隼翔に向ける。
いつの間にか抜いたのか、手には見慣れない片刃の剣を握っている。何度も言うが、ソーマは決して視線を隼翔から外していない。むしろ全神経を注いで観察していた。それにも関わらず、初動を見切ることが出来なかった上に、いつ剣を抜いたのかさえ分からない。
そのことに戦慄を覚えつつ、疼痛を感じる腹部に手を伸ばす。左右対称にきれいに割れた腹筋。その隆起を乱す一条の筋と熱いぬるっとした液体。
決して深くはない斬撃痕だが、それは咄嗟に身を引いたからこそこの程度で済んでいるだけであり、あのまま前方に突っ込んでいたら今頃は上半身と下半身が分かれていたに違いない。
その事実を悟って、ソーマはなお戦意を高め、殺意をむき出しにする。
「はぁ……ここで引いてくれた方が俺としては楽なんだが?」
「てめぇは危険すぎる……だからここで相打ちにしててでも仕留める。何よりやられっぱなしは趣味じゃねぇっ!!」
「そういう心意気は嫌いじゃないが……蛮勇だけで勝てるほど俺は甘くないぞ」
忠告するように呟く隼翔は、刀を鞘に納めないまま剣線を下げ、半身の姿勢で構える。先ほどまでも十二分に威圧的な雰囲気ではあったが、今の雰囲気はそれ以上に重たい。
ソーマはその雰囲気の変化を察知しながらも、己を鼓舞するかのように咆哮を上げる。そのまま地を駆けようとして――――。
「悪いけどそこまでだ」
「ぐぇっ……」
隼翔と青年は再びぶつかり合うことは無く、第三者の介入により剣呑な雰囲気は霧散した。
突如現れた第三者はシエルよりは多少大きいが子供と称しても差し支えの無い小柄な金髪金瞳の青年。彼はその体格に似合わぬ膂力でソーマの襟首を掴むと、グイッと地面に引き倒す。急な事態にソーマはイケメンが出してはいけないような呻き声をあげるが、隼翔は驚きもせずに刀を鞘に納め静観する。
「ゲホッ、ゲホッ……。フィリアス、てめぇどういうつもりだっ!!」
「どういうつもりはこっちの台詞だよ、ソーマ。なんだいこの状況は……」
咽返す自分を覗く一つの影。その小さな人影は苦しそうに咳をするソーマに対して呆れたように肩を竦め、チラッと視線を部屋に向ける。
「なんだも、クソもねーよっ!!あの野郎はお前が言っていた新人殺しの犯人だよっ」
「襲撃犯……ね。ちなみにその根拠はあるのかな?」
「そこに散らばってる残骸が見えねーのかよっ!何よりあの野郎の雰囲気!それが一番証拠だっ!!」
「残骸に臭い……ね」
グルルルッ、とまるで獣のように唸りながら隼翔を睨むソーマに釣られるようにして、フィリアスも視線を向ける。
鋭い視線に加え、真偽を見定めるような視線の両方を一手に浴びる隼翔は、しかし普段通りの泰然とした姿勢を貫き続ける。それはまさに"無実"を身体で示していると言っても過言ではない。
それを見たフィリアスは何を思ったのか、はぁと大きく嘆息を吐き、チラッと横で臨戦態勢をとる豹人族の青年を見る。
「ソーマ。確かに彼からは凄い殺気と雰囲気を感じるけど……おそらく犯人ではないよ」
「んだとっ!?」
「だって考えて見なよ?君のその腹部に刻まれた傷は彼に付けられたモノでしょ?だけど、あそこの冒険者たちだったモノはどう見てもその剣筋を刻んだ人間のやり方とは思えないよ」
「だが、俺はあんな野郎見たことねーぞっ!!それにアレはわざとかも知れねーだろがっ!!」
「ンー……確かにそれはあるかもね。だけどさ、それならわざわざ連れなんて必要ないでしょ?」
「連れ、だとっ!?どこにそんなのが……」
この部屋には犯人と思しき危険な男と遺骸、そしてフィアリスとソーマしかいるはずがないと小人族の団長を睨むが、フィリアスは無言のまま肩を竦めるだけ。
それにいら立ちを覚えながらもソーマは今一度、頭を冷やしながら部屋内を観察する。
無残に散らばった剣や槍に、悪臭を放つ血と肉の塊。憎らしいまでに一切の力みを感じさせない犯人と思しき男。やはり自分が見たものと何も変わらないではないか、と隣に立つ小人族の団長に食い掛かろうとして、ふと危険な存在が羽織る暗赤色の外套が不自然に揺れたのが視界の端に映った。
ソーマは訝し気に目を細める。一見すれば男しか見えないが、よくよく目を凝らすと外套の端から空色の瞳が怯えるように二人を見つめている。それに気が付き、ソーマはハッと思わず目を見開く。
「……ソーマが見逃すなんてかなり動揺していたみたいだね」
「うぐっ……」
言葉を詰まらせる豹人族の青年の姿に苦笑いを浮かべつつ、フィリアスは肩に担ぐ重量感溢れる槍を身軽な動作で地面に突き刺すと、居住まいを正し戦意が無いことを示す。
「この通り、こちらに戦う意思はない。だからこそ、虫が良い話だとは思うが少しばかり話を聞かせて貰ってもいいだろうか?」
スッと軽く頭を下げるその姿を見て、隼翔は刀の柄から手を放す。
その潔さにフィリアスは少しばかり目を見開くが、すぐに愛嬌のある笑みを浮かべる。
「ありがとう、助かるよ。こちらとしては君とは事を構えたくなかったから」
「こちらも無益な争いはしたくないからな。何もせずに済むならそれが一番だ」
互いに得物から手を放し、殺気の類は一切放っていないのだが、両雄の距離は少しばかり遠い。それはまさに両者の現在の心の距離と警戒心を如実に表している。
「それで……話を聞きたいみたいだが、俺は何を話せばいい?そろそろ帰宅したいから手短に頼みたいが……」
「それなら簡潔に済ませてもらうね……君が犯人だとは思っていないけど、ここで何があった教えてくれるかな?」
問いに対して、隼翔は知っていることを端的に話した。要するに知り合いを助けに来ただけ、と。そしてその時にはすでに遺骸はあった、と。
その話を聞いたフィリアスは、フムと細い頤に手を当てて考え込む素振りを少しばかり見せる。
「なるほどね。じゃあ、彼らの認識票は君が持っているってことでいいのかな?」
「ああ、これならギルドに持って行こうとは思っていたが……お前が持っていくか?」
ゴソゴソと外套の下から認識票を数枚取り出すとそれを目の前の小人族の青年に見えるように掲げる。
「いや、それは君に任せるよ。それよりも後でギルドで君のことを確認したいから、名前だけでも教えてくれるかな?あ、僕の名前はフィリアス。一応ユニオン・夜明けの大鐘楼の団長をしているものだ」
そう言いながら一歩ずつ歩み寄り、隼翔との距離を詰めるフィリアス。そしてその距離が1mを切ったところで止まると、スッと手を差し伸べる。
その行為、あるいは名前に対してなのか外套に隠れるようにしているシエルの身体が驚いたようにビクッと反応するが、隼翔はそれにあえて触れずに、差し出された小さくも強大な威圧感のあるその手を逡巡することなく握り返す。
「わかった、なら俺が届けよう。それと俺はハヤトだ。一応最近登録したばかりの冒険者だ」
「ハヤト、ね。名前的には東の方の出身かな?」
「さあどうだろうな。その辺は想像に任せるさ」
肩を竦めて見せる隼翔。それを見てもフィリアスは嫌な顔一つせず、そうかと簡単に頷く。そして一転してものすごく申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「先ほども言ったけど、うちの団員が本当に迷惑をかけてしまった。申し訳ない。この謝罪は後日正式にさせてもらいたいのだけど……」
「そんなに気にしなくてもいい。俺たちはどちらも怪我を負ったわけではないからな。むしろそちらの団員を怪我させてしまったからな」
隼翔は別に申し訳ないとは微塵も思ってはいないが、とりあえず対外的な謝罪文句を口にしつつ、チラッと目の前の小人族の後方で腹部を抑える豹人族の青年を見やる。
「気にしないでくれ。今回は彼の早とちりだし、いい薬になったよ」
「そうか。ならお互いにこれで言うことは無いな……悪いが俺はもう行かせてもらうぞ」
そう告げすぐさま身を翻すと、シエルを連れて淀みない足取りで立ち去っていく。
その暗赤色の後姿はどんどん遠ざかり、この部屋からその姿が完全に見えなくなってから数分して、ようやくフィリアスは大きく息を吐き出せた。
「……全く、今回ばかりは肝を冷やしたよ。ソーマ」
突き刺していた身の丈以上ある重装な槍をひょいっと肩に担ぎなおすと、腹部を抑える団員の横に足を並べる。その表情はまさに疲労困憊と言った様相で、ソーマは悪いことをしたと反省しつつ、少しばかり疑問を呈する。
「……迷惑かけたことは謝る。ただ、お前ほどの男がそこまで警戒するほどの男なのか?」
ソーマが知る限りではフィリアスという男と比肩し、警戒させる者はこの都市には二人しかいない。さらに言えば、その二人と相対した時でさえフィリアスという男がここまで疲労を全面的に表した姿を見た記憶が無い。
「ソーマが彼をどれほどの評価をしているのかは分からないけど……少なくとも僕は生涯で初めて敵わないと感じたよ。彼が温厚な性格で助かったよ……」
「うそっ……だろ?」
あからさまにほっとするフィリアスをしり目にソーマは目をひん剝いて言葉を詰まらせる。
ソーマからすればフィリアスという男は強者であり、頼りになる上司であり、乗り越えたい壁でもある存在。その存在が敵わないと口にしたことが彼からすれば信じられないのだろう。
しかし、それを口にした当人はあっけらかんとした様子でとんでもないことを口にする。
「真実だよ。現に先ほどまでここら一帯は彼の間合いの中だったからね、生きた心地がしなかったよ」
「はぁっ!?」
「僕もあんな存在が冗談だと思いたいよ……」
今日何度目か分からない驚愕の声を上げる豹人族の青年を横目に、フィリアスは隼翔が立ち去って行った通路を眺めながら信じられないとばかりに小さく呟くのだった。




