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幸せな人生を異世界に求めるのは難しすぎる  作者: 二月 愁
第2章 冒険者の都と風変わりな鍛冶師
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長き夜 迫る夜明け

今さらですが、あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

誤字脱字ありましたらご連絡いただけると幸いです。

 地下迷宮ダンジョンの10階層――岩窟層スーテランにいくつもの銀閃が煌めく。それらは一瞬で下級の魔物たちの命を奪い、煙に変える。

 後に残るのは小さな茶色の小石のようなモノ――魔石片。キラキラと鈍い光を反射させるそれらは新人冒険者にとって一財産になる貴重なモノなのだが、生憎と暗赤色の外套を羽織った青年は拾いもせず、鬱陶しそうにかぶりを振る。


「……」


 あれだけの動きを見せたにもかかわらず、息一つ乱さぬどころか汗すらも流さず、静かに己の得物()に視線を落とす。

 魔物を屠った太刀筋はまさしく達人と称しても可笑しくない。だがそれはあくまでも一般人としての感覚であり、刀を振るった張本人――――隼翔からすれば雑念によって鈍った最低の剣閃と言っても過言ではない。

 

「くそっ……」


 下唇を噛み締めながら必死に脳裏に焼き付くどこまでも甘美で、しかし一方で認めたくない光景を否定する。


 

 隼翔が必死に否定しようとしているのは数刻前にあったとある出来事。

 戦いに貪欲な舞姫との激闘……ではないが、ちょっとした小競り合い末に取り付けられた甘い罠(ハニートラップ)ともいえる約束。

 別に約束自体が問題であるわけではない。確かに再戦するという隼翔にとっては多少面倒なモノであるが、それでも隼翔としても強くなるという確固たる目的があるため強敵との戦いは好ましい。だが――――。


(……っ!さっきから思い出してばっかりじゃねーかっ……ヴィオラとか言ったか。随分と厄介なことをしてくれたな……)


 決して濃密な、愛し合うような口づけではなく、挨拶とでも言っていいような触れ合うだけの優しいキス。だが、その手のことをほとんど経験したこと無かった隼翔にとっては重大な意味を持ち、その衝撃もまた大きい。


「――――っ!!」


 乱される心をどうにか鎮めようと乱雑に刀を振るい、魔物たちを煙に変える。

 しかしいくら刀を振っても、いくら魔物を斬っても、隼翔の心は平静を取り戻さず、強烈に踊り子――――ヴィオラという女性が意識に残る。


「このままじゃ……ダメだな。仕方ない帰る……ん?」


 今のまま、むやみやたらに刀を振っていても心も思考も冷静には戻らないだろうと判断し、仕方なしに今日の鍛錬を切り上げようとした隼翔だが、不意にその耳が何かを聞き取り、剣客としての勘が何かを感じ取る。そしてそれが何なのかを確かめるべく、スッと右の神眼――衛星眼――を発動する。


(方角として……南西、か)


 金色の瞳が見せる地図マップから、音と勘が感じ取った方角の詳細の情報だけを取捨選択し、そこで起きている事象を確認する。

 隼翔のいる位置から南西に500mほど行った場所にある部屋ルーム。本来ならば、そこは冒険者たちの小休止レストポイントとして使われる場所だが、現在はそこには多くの赤い光点が蠢き、その中心に緑の光点が映っている。

 赤は隼翔にとって害意のある存在を表し、青は有害でも無害でもない存在を示しているが、緑は意味が違う。


「……俺の知り合い、もしくは有益な存在がいる?」


 緑の光点は隼翔の知り合いもしくは有益な存在を表すのだが、この都市ひいてはこのファーブラという世界においても隼翔の知り合いなど極少数――それこそフィオナとフィオネ――程度しか思いつかない。

 だからこそ、緑の光点が映ることに首を傾げてしまう。


「とりあえず、行ってみるか……。それからどうするか考えようっ」


 どんな存在がいるかは自分の目で確かめることにして、ゴツゴツとした岩肌がむき出しの地面を駆ける。

 隼翔の口元は先ほどまで悩まされていたことが嘘のように微かに吊り上がっている。まるで良い獲物を見つけたと言わんばかりのその姿は、どこかの舞姫と通ずるものがあるのだが、それを指摘できる存在は生憎といなかった。





――――同刻


 岩窟層スーテランの最終地点――――20階層。この階層は迷路のような入り組んだ岩肌の通路も無ければ、小休止できる部屋ルームもない。あるのは19階層(上層)へと繋がる整った階段と巨大な鋼鉄の扉、そしてそれらの間に位置する闘技場を思わせる円形のだだっ広い空間。

 本来であればこの岩窟層スーテランを守護する階層門番ゲートキーパーが闘技場の中心に居座っている。だが、現在いまはその影が見当たらない。

 その代わりにかつて階層門番ゲートキーパーであったであろう緑色の魔石が無造作に転がり、それを囲うようにして総勢50名は超えるであろう大規模な冒険者の集団がいる。人間ヒューマンやエルフ、ドワーフに獣人と様々な種族で構成される集団だが、一つだけ共通した特徴がある。それは上着のどこかに必ず"鐘楼と剣"を模した徽章きしょうを付けているということ。


「いやぁ、みんなお疲れ。やっと今回の遠征も終わりが見えてきた。あとは無事に地上に帰還するだけだ……だけど決して油断しないように!」


 その集団の中から、どこか少年を思わせる声が響き渡る。

 その声の主はこの空間の中心にいるのだが、目立つ特徴としては周囲の冒険者と比較してもかなり身の丈が小さいということ。しかし彼は子供ではなく列記とした成人であり、種族は小人族ホビット

 多岐にわたる亜人の中で、目立つ特徴が先の通り"小さい"ということが最初に連想されてしまうある意味では不遇の一族。

 しかしここにいる金髪金瞳の小人族ホビットはどことなくその特徴と印象が一致しない。確かに身長は小さいし、肩には身の丈の倍以上はあり、重装兵が持つような武骨な槍を担ぐ姿は必死に大人びて見せようとする子供のような愛らしさがある。だが、彼の醸し出す雰囲気は途轍もなく彼を巨大な戦士として映し出しているように感じる。

 そしてその雰囲気に惹かれるようにして、この場にいる冒険者たちは皆静かに彼の言葉に頷くのだが……。


「ケッ、こんな初心者階層で怪我するなんて雑魚のする事だろうーが……」


 その中で唯一、小人族ホビットの青年の言葉に反抗するように悪態を付く顔立ちの整った男がいる。

 小人族ホビットの青年と同じ金色の髪色に黒のメッシュが混じる頭髪。それは無造作にセットされ、その合間からは特徴的な斑の豹耳が見える。服装も小人族ホビットの青年は整った感じなのに対して、豹人族パンテルの青年は野性味を溢れさせながらもどこか品性がある、そんな不思議な格好をしている。


「まあ確かにここにいる皆なら魔物への対処はできると思うけど……ここ最近新人(ルーキー)を標的として地下迷宮ダンジョン内で襲撃が起きてるという噂があるからね。だから用心だけはしておいて」

「チッ!」


 窘めるように声をかける小人族ホビットの青年に対して、豹人族パンテルの青年は心底呆れたように、あるいは苛立っているように舌打ちを返す。その姿に小人族ホビットは肩を竦めて見せるのだが――――。


「あんた、何団長の言葉に噛みついてるのよっ」

「そうだ、そうだっ!!ソーマの癖に生意気だぞっ」

「ソーマのばーかっ」

「んだとっ、このアマゾネスどもがっ!!」


 反抗的な態度をする豹人族パンテルの青年に食って掛かったのは小人族ホビットの彼ではなく、褐色肌の女性三人組だった。

 暗い青の髪に褐色の肌、そして地下迷宮ダンジョンにはそぐわない薄着。それらの特徴は人族の中でも珍しい女性戦闘民族"アマゾネス"特有のモノである。

 アマゾネスは種族としては人間ヒューマンに属するのだが、どのような種族の男と交わっても人間ヒューマンの女性しか生まれないという稀有な性質を持つ。そのような一族のためか、アマゾネスはとても戦闘に長けており、アマゾネスの冒険者は意外と数が多い。だからこそこの集団にアマゾネスが三人いても可笑しくはないのだが、彼女たちがここまで息が合うのはやはり三姉妹だからという部分が大きいだろう。

 いがみ合う豹人族パンテルの青年とアマゾネスの三姉妹。その間に立つ小人族ホビットの"団長"と呼ばれた青年は疲れたように乾いた笑みを浮かべるが、不意にその雰囲気が変わる。

 

「皆、おしゃべりはその辺にして……」

「あん?」

「「「どうしましたか、団長?」」」 


 躍る様に逆立つ金色の一房の髪束を抑える小人族ホビットに言い争いをしていた4人だけでなく、呆れたように見守っていた他の幹部と思しき冒険者たちも視線を向ける。


「……どうやら、少しばかり地下迷宮ダンジョン内が騒がしいみたいだ。悪いけど、ランクB以上の者は僕と先に先行するよ」


 先ほどの少年のような声とは違い、落ち着いた成人の男を思わせる声。その声に従うようにして、その集団内にいた10人にも満たない冒険者たちが小人族ホビットの青年を追うようにして20階層を後にした。






 場所は再び岩窟層スーテランの10階層に戻る。

 その階層にある部屋ルームの一つ。幅は狭い場所でも30mはあり、部屋ルームの中では比較的広い部類に含まれるその場所で、一人の幼い少女が短剣を片手に魔物たちと対峙している。

 肩口に切り揃えられた空色の髪に眠たげな目元、顔の下半分を覆い隠してしまうほどのマフラーとあどけなさをしっかりと残す容貌。冒険者と言う職業は比較的年齢が低い者でもなれるのだが、この少女は流石に幼すぎる。

 これが1階層辺りで、なおかつそこそこ地下迷宮ダンジョンに慣れた同伴者がいるなら不自然ではない。だが、10階層と言えばある程度経験を積んだ冒険者の集団パーティーで潜るような場所。そこに幼い少女が一人でいるというのは不自然を通り越して、異常と言えるかもしれない。


「…………」


 しかし、少女はその異常さを払拭するように、逆手に構える短剣で次々と下級の魔物を屠っていく。短剣を振るうたびに黒い煙が上がり、キラキラと小さな欠片が宙を舞い、乾いた音を立てながら地面に落ちる。少女はそれを拾いたそうにチラチラと視線を向けるが、それができない。

 数の暴力と言うのは恐ろしいものであり、いくら少女が短剣で巨大な蛾を落とし、犬顔の魔物の首を刎ね、緑の子鬼を煙に変えても減ることはなく、むしろ気分を害するような音とともに次々と壁から魔物が産まれる。

 そのことに対し、少女――――シエルは言葉は発さずとも心底うんざりしたような表情を浮かべ、グッと臍を噛む。

 シエルはこの幼い容貌でありながら、正規の方法(・・・・・)でDランクにまで上り詰めている冒険者。そのため一応はこの階層は適正レベルなのだが、あくまでも魔物が小規模の群れ(・・・・・)ならという前提条件が付く。このような大規模な魔物の群れはDランクの冒険者が一人(ソロ)ひいては集団パーティーであってもで捌くのは到底不可能だろう。


 なぜこのような状況に陥ってしまったのか?

 彼女の名声のために述べるなら、シエルは普段このような愚鈍な真似は絶対にしない。ただ、今回ばかりは運が無かった。


 数分前、シエルがこの場所ルームで休憩している時だった。

 可愛らしく、年相応の様子でコクコクと喉を潤していると、不意にドタドタと騒々しい足音が通路から響いてきた。

 シエルは、コテンっと不思議そうに騒音のする方角に視線を向けると同時に、傷だらけの冒険者の一団が姿を見せた。どれもが瀕死の重傷で、今にも倒れそうな状態。しかし冒険者たちはこの部屋ルームにたどり着き、剰えシエルのいる場所まで駆け寄ってきた。


「…………」


 シエルは優しい性格故に、彼らを助けるかどうか迷ってしまった。そしてその迷いが今の悲劇を生んだ。

 

――――ズズズズッ


 傷だらけの冒険者たちが現れた通路から目をギラつかせた魔物の群れが現れただけでなく、部屋ルームの壁が嫌な音を上げながら割れた(・・・)のである。

 そこから平穏だった部屋ルームは一転して阿鼻叫喚の地獄と化した。



 現在、シエルに災難を運んできた冒険者たちの姿は部屋ルーム内にはない。別に逃げおおせたわけではない。それを示すように部屋ルーム内にはボロボロの剣や槍、そして血まみれになったぼろ布が落ちているのだから。

 シエルはそれを視界に一瞬だけ映し、沈痛な表情を浮かべ、グッと短剣を握る手に力を籠めて魔物を狩る。

 しかし今のようにいくら魔物を倒しても、壁から次々と生まれ這い出てくる状況は彼女の処理能力の範疇を超えている。

 現にその小さい身体には時間の経過とともに次々と小さな傷が刻まれていく。


「……っ!」


 今までの経験からこれ以上の戦闘は命の危険に直結すると判断したのか、短剣を右手に握ったまま、シエルは空いている左手を腰に伸ばし次々と細長い針のようなモノを取り出しては、魔物の目を狙って投げる。それらは正確に魔物の目を貫き、視界を奪われた魔物たちは汚い体液をまき散らしながら、聞くに堪えないうめき声をあげる。

 シエルはその声を聴きながら、魔物に止めを刺さずにその横をスルスルっとすり抜けている。目指すは近くの通路。通路にさえ逃げ込めれば、囲まれる心配は無く撤退も容易にこなせる。

 そのためにシエルは必死に相手の機動力や視界を奪うことだけに専念して、短剣を振り、針を投げる。だが――――。


「っ!?」


 通路までもうすぐと思った瞬間に、視界の端から何かが襲来しシエルの小さな身体を吹き飛ばす。その威力に思わず息が詰まりそうにあるが、何とか堪え両足で着地してブレそうな焦点を合わせる。

 分厚いでっぷりとした腹部に短い足、醜悪な豚顔。ランクD相当の魔物――――オーク。


「――――っ!!」


 思わず下唇を噛み締める。先ほどまでこの部屋ルームにいたのはEランクの魔物ばかり。どうしてDランクの魔物がいるのかっ、と悪態を付きそうになるが、慌ててかぶりを振り短剣を握りなおす。

 本来ならば10層という浅い場所にランクDの魔物は出現しない。だが、何事にも例外はつきもので、特に地下迷宮ダンジョンではあり得ないことなどあり得ない(・・・・・)

 それでも目の前にオークが10匹も現れれば、普通なら叫びたくもなるだろうし、心が折れても仕方ないだろう。しかし、シエルは生きることを諦めようとはせずにどうにか退避出来ないかと思考を巡らせる。

 だが、魔物たちが待ってくれるはずもなく彼女に襲い掛かる。


――――ブンッ


 野太い空を切る音がシエルを襲う。

 オークの持つ、棍棒のようなものはかなり粗雑な出来だが、当たれば致命的になるのは明白。だからこそ、シエルは懸命に躱し続けるのだが、疲労と数の暴力の前についにほころびが生じる。


「――――っ!?」


 疲労によりシエルの足がもつれる。そしてその一瞬を狙っていたかのようにして、オークが棍棒を横なぎにする。シエルは咄嗟に手に握る短剣で受けたので直撃は免れたものの、やはりその小さい身体は簡単に宙を舞ってしまった。

 ポキッ、と儚い音とともに折れる短剣。そして次には硬い岩に身体が叩きつけられる。

 背部には激痛が走り、叩きつけられた衝撃で呼吸が苦しく、視界が霞む。

 それでもシエルは無残に半ばから折れた短剣を拾い上げ、息を荒げながら立ち上がる。その空色の瞳には"生き延びる"という確かな炎が宿っている。

 しかし現実は無残であり、持っていた主装備の短剣は折れ、腰にストックされていた針は底を尽きた。 


「…………」


 野獣に囲まれた羊のように震えることしかできない状況に陥ってしまったという現実を突き付けられ、シエルは思わず動きを止めてしまう。その動きを止めた一瞬がついに致命的となり、オークの棍棒が抵抗のできない彼女に差し迫る。

 抵抗できない状況、理不尽な現実。空色の瞳にはついに"死"という絶望が瞬間的に過る。

 シエルはそれでも諦めずに回避しようと、言葉には出さずとも心の内で必死に、動け動けっ、と念じるが、死を予感してしまった身体は硬直し反応を示さない。

 どうにもならず、それでも諦めたくない一心で目だけは開いていると――――。


「……なるほどな。確かに知り合い、だ」


 今まさに棍棒を振り下ろそうとしていたオークの頭部を刃物が貫いた。ピクピクッ、とオークは痙攣したかと思うと、すぐにその姿を煙に変え、ころんっと魔石片を落とす。

 シエルは何が起きたのか理解できず、またも動きを止める。しかしそんな彼女をよそに一つの影が自分シエルを魔物たちから庇うように姿を現す。

 漆黒の頭髪に暗赤色の外套、そして先ほどオークを一撃で仕留めた片刃の剣。その剣だけは見たことが無かったが、先の二つの特徴に加え、剣を握る手には覚えがあった。


「…………」

「シエル。こんなとこで、こんな時間に会うとは奇遇だな」


 目の前の青年との出会いを思い出しながら言葉を失うシエルに対して、隼翔は顔を少しだけ振り返らせながら街中で出会ったかのような軽い挨拶をする。

 一瞬シエルも街中にいるのではないかと錯覚を覚え、軽く挨拶を返そうとしたが、軽く振り返る隼翔目掛け耳障りな唸り声をあげて襲い掛かろうとする魔物の群れを見て、ハッと我に返る。

 

「っ!!」


 未だに魔物の接近に気が付いていないかのように、軽く振り返っている隼翔にシエルはジタバタと身振り手振りでそれを伝えようとする。だがいくら頑張っても伝わっていないのか、目の前の青年は動かない。

 このままではまずいっ、とシエルは折れた短剣を握り直し隼翔の前に躍り出ようとしたのだが――――。


「この程度の奴らなら問題ない。座って休んでろ……」


 緊張も焦りもない、落ち着いた声が聞こえたかと思うとフッとその姿が視界から消えた。同時に魔物たちが体液をまき散らしながら煙へと姿を変えていく。 

 その嘘みたいな光景に思わず、ぺたんっと座り込む。


「…………」


 瞬く間に部屋ルーム内から魔物が姿を消し、カランカランッと魔石片が硬い岩窟層スーテランの地面をたたく音だけが木霊するように響く。

 シエルの知り合いには二つ名を持つ冒険者が一人だけいる。その彼女もシエルと比べると人外な動きをするが、目の前で起きたようなことをできるかと問われるとシエルはかぶりを振るだろう。

 だからこそ未だにこの光景が信じられず、眠たげな目元を限界まで開いているのだが――――。


「呆然としてるが……どうしたんだ?」


 静寂を取り戻した部屋ルーム内で隼翔はさも当たり前のように、疲れた素振りすらも見せず座り込むシエルの前に立つ。しかしシエルはそれに対して以前のような感情豊かな表情も身振り手振りも返せず、一切反応を示せない。

 その原因が分からない隼翔は、どうするかと悩みつつその姿を観察して、思いついたかのように腰の小さな巾着に手を伸ばす。


「……?」


 差し出されたのは赤い液体で満たされた試験管のようなモノ。容器を見る限りは何らかの回復薬ポーションの類だというのは分かるが、通常の回復薬ポーションは青色の液体であり、赤色の薬など未だかつて見たことが無い。だからこそ、首をちょこんと年相応に傾けてしまう。


「ん?ああ、一応薬だから飲んでも問題ないから安心しろ」

「……っ」


 隼翔の言葉に少しだけ逡巡したが、意を決したように思い切ってグイッと飲み干すシエル。別に彼女は薬が本物かどうかを迷ったわけではない。

 回復薬ポーションは薬であるために当然のように苦い。しかも"良薬は口に苦し"とはよく言ったもので、回復薬も効果が高ければ高いほど苦くなるということが知られている。

 シエルは冒険者としては中堅クラスの実力を持つが、年齢は見た目通りの子供であるが故に苦い物を嫌うのは当然だろう。今回も差し出されたのが薬あったがために躊躇ったのだが、隼翔に渡されたソレを口に含んだ瞬間、目を見開いた。

 予想の数段上を行く苦さがあった……というわけではない。むしろ口の中に甘酸っぱさが広がったことに対して驚いたのである。


「な?普通の薬だろ?」


 あまりの美味しさに思わずゴクゴクと飲んでしまっていたシエルに対して、隼翔はさも当然のように振る舞う。しかしシエルとしては、普通じゃないという意味でかぶりを振ろうとしたのだが、そこでふと自分の身体から痛みが既に消えていた(・・・・・)ことに先ほど以上に驚き、動きを止める。

 飲んだ瞬間に傷を消すなど、上級回復薬ハイ・ポーション並みの効力で、しかも苦みが無く甘い。これだけ規格外のモノは未だかつて見たことが無く、どれほどの値段がするか想像が付かない。加えてそれを知り合いレベルの相手に平然と使うなどシエルとしては信じられなかった。


「さて、とりあえずは怪我も治ったし何があったのか詳しく聞かせてくれ」


 おもわず懐疑的な目を向けてしまったが、隼翔はそれに気が付いていないように振る舞いながら平然と話しかけてくる。

 彼の言葉の中には対価を求める単語ワードなど一切存在せず、むしろ自分シエルのことを心配しているかのようなニュアンスさえ混じっているように思える。

 確かにシエルは隼翔に道案内をした。だがその対価は金貨一枚と言う法外な量を貰っており、恩返しという可能性は低い。かと言って他に何か目の前の冒険者と関わった記憶もシエルにはない。だからこそ、なぜここまでしてくれるのか、いくら考えてもその理由が思いつかない。


「…………」


 シエルは無言で首を左右に動かし、声の無いため息を漏らす。いくら悩んでも、いくら漆黒の瞳を覗いてもその思考も心の読めない。ただ、漠然と信じられる、そう感じたからこそシエルは考えるのを止めて普段通り身振り手振りでここで起きたことを伝えるのだった。




「ふーん……おおよそのことは理解できた。随分と災難だった、な」


 地面に落ちる血に染まった布や折れた剣、槍。そのそばにはかつてそれらの持ち主であったであろう肉片や骸が無残にも散らばっている。その遺品の中から、隼翔は血に染まりながらも鈍く光る鉄色のプレートをいくつか拾いあげる。

 認識票ドックタグに刻まれているのは、かつて持ち主だった者たちの名前。その顔も、どんな性格だったのかも知らない者たちの名前を見ても隼翔と言う人間に悼むという感情は残念ながら浮かない。


「まあせめてもの手向たむけだ。感謝してくれよ」


 だからこそ、認識票それらを外套の下にすぐさま無造作にしまい込み静かに呟く。もちろん黙祷をしなければ、亡骸や遺品を供養するといった行為も、片付けるといったこともせず、散らばったまま放置する。


「さて、それじゃあ地上まで送っていくぞ。シエル、大丈夫か?」


 クルッと踵を返し、振り返る。視線の先ではせっせと隼翔が倒した魔物たちの魔石片を拾い集めているシエルがいる。

 普通なら魔石片は魔物を退治した者の所有物となる。その観点から考えるならここの魔石片はほとんど隼翔のモノ。だが別にシエルは火事場泥棒のような真似をしてるわけではない。当初はシエルは自分が狩った分だけの魔石片を集めていたのだが、隼翔に"やるよ"と軽く告げられたので悩みつつも、最終的にはその言葉に甘えて回収しているのである。

 その総数200はゆうに超えている。その中にはDランクの魔石片もかなり含まれており、D以下の冒険者にとっては1週間の稼ぎと同等と言っても過言ではない。


「……」


 それを軽く"やるよ"と言ったFランク冒険者に呼ばれ、シエルはその姿を視界に収める。

 ()の柄に肘を置き、自然体で佇むその姿に奢りも誇張もない。ただ異常それ普通・・だと全身が雄弁に語っている。

 自分はとんでもない冒険者と知遇を得られたな、と心の中で嬉しそうに呟きながらシエルは最後の魔石片を回収し、隼翔のもとに駆け寄り力強く頷く。


「そうか……それじゃあさっさと帰って寝るか」


 隼翔のその一切の気負いのない言葉にシエルが頷こうとしたとき――――。


「てめぇっ!?何者だっ!!」


 背面にある通路から、敵意をむき出しにした力強い声が聞こえてきたのだった。

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