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幸せな人生を異世界に求めるのは難しすぎる  作者: 二月 愁
第2章 冒険者の都と風変わりな鍛冶師
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長き夜 戦華の舞姫

「貴方も私が欲しいのかしら?」


 時刻はすでにリュヌの12を過ぎた。

 空には雲一つなく、煌々と赤い光を放つ三日月だけが異様に目立つ。まだまだエスターテは始まったばかりなのだが、吹き抜ける風はすでに生温い。

 その風を顔に感じ、人気のない空き地佇む青年は思わず顔を顰める。だが、別に青年は生ぬるさに不快感を感じたわけではない。むしろ、その風が運ぶ血生臭さに不快感を覚えた。

 彼の視線の先には、一人の女性が立つ。

 透き通るほど白い肌を少しだけ朱に染め、杜若カキツバタ色の長い髪をエスターテの風に乗せながら宙を舞わせる。その格好は上はその豊満な胸を隠すだけで、下はパレオを巻いおり、時折艶めかしい足が顔をのぞかせる。エスターテだから、と言えばその格好も納得できるかもしれないが、手足の指先から伸びる肉食獣を思わせる金色の爪は、夏だからという理由を全面的に否定している。

 その女性は、目の前に立つ青年――隼翔に娼婦のような甘く、耳障りの良い声で誘うように声をかける。しかし――――。


「……生憎と俺は戦う(・・)つもりはないんだがな」


 血が滴る黄金色の爪を突き立てるように向ける女性に対し、隼翔は気負った様子も、取り乱した様子もなく肩を竦める。

 そしてそのまま、どうしたもんか、と息を吐き出すのだった。



 なぜ隼翔が、一人でこんな空き地にいるのかと言えば、彼も答えることはできないだろう。

 なにせ、並べられていた数々の料理も、口に運んだ酒の味も、フィオナやフィオネを始めとした料理をともに食べた者たちとの会話すらも覚えていない、そんな状況なのだから。

 だからと言って、毒を盛られ連れてこられたわけでも、幻惑に惑わされて操られていたわけでもない。

 隼翔は食事のあと、昂る心を落ち着かせるために一人で地下迷宮ダンジョンに潜ることを予定していた。

 命を賭けた、とまではいかないまでも本気の殺意を持って向かってくる魔物を相手にすれば、勝手に思考が、心が落ち着きを取り戻してくれる。それを知っているからこそ、フィオナとフィオナだけを先に新居に戻し、一人で地下迷宮ダンジョンに潜るためにクノスの中心の聳えるマルドゥクを目指していた。

 

『……ん?』


 相変わらず騒がしく、電灯や建物の窓から漏れる光によって明るく照らされる通りを歩いていると、視界の端に異彩を放つ髪色が映った。

 日本人的な感覚からすれば、この世界ファーブラで生きる人々の髪は遺伝子に真っ向から喧嘩を売っているような色をしている。そもそも、獣人やエルフ、ドワーフなんて種族が存在する時点で遺伝子も糞もないような気もするが……。

 それはともかくとして、街のどこを見ても正直異彩を放つ髪色しかない、というのは事実であり、ある程度このファーブラに馴染んだ隼翔ならそんなものが視界の隅に移ったとしても、普段なら気にしなかっただろう。

 だが、今回は条件が悪かった。


(あの杜若カキツバタ色の髪は……)


 思わず目で追ってしまう、その髪色。それはまさしく隼翔の心臓をかつてないほど躍らせ、暴走させた踊り子(ヒト)のモノ。

 だからこそ、か。いつもなら人混みの多い場所では周囲に視線など向けず、ただ接触せずに抜ける道を探すのだが、今ばかりはその人にだけ目が奪われる。

 しかし、別に隼翔としては彼女に心が惹かれているから視線が釘付けになっているというわけではない。


『……尾行ストーカー、か?』


 杜若色の髪の踊り子を追う、複数の人影。数mの間隔を空けて追う冒険者風の装いの3人とかなり離れた場所から様子を窺う4つほどの視線。

 こんな人混みの中で、自分ではなく他人に向けられた無遠慮な視線に気が付けたのは隼翔という特異的な人間であり、同時につけられている人物に視線が向いているからであろう。


『……』


 性格上はここで動き、誰にも気が付かれずに追跡者(ストーカー)たちを始末する、というのが隼翔らしい選択なのだが、彼は動こうとはしない。それどころか、静観する、あるいは肉食獣(・・・)()狩りの(・・・)邪魔(・・)をしないように気配を消して後を追う。

 最初こそ大通りを歩いていたが、次第に踊り子装束の女性は軽い足取りでどんどん人気のない小道を選ぶようにして歩いていく。それはまるで狩場へと誘う罠のように隼翔には思えた。


 そのまま追い続けること20数分。辺りからはすっかり民家や酒場は見えなくなり、代わりに廃墟と化した家屋や今にも崩れそうな教会のような建物が多くなる。それに伴って周囲からは光源が遠ざかり、辺りを照らすのは赤い月の光だけ。

 そんな中、軽やかに歩く女をコソコソと廃墟に隠れながら追う複数の人影。その状況を隼翔は建物の上から見下ろしていた。


『あの女……やっぱり……』


 明らかに不自然な行動をする踊り子の真意を確信したように呟く隼翔。そのまますーっと闇夜に紛れるようにして完全に気配を絶ち、更に追跡を続ける。



『私に何か御用かしら?』


 広場ともいえるような、何もない場所で踊り子は急に立ち止まり、耳朶を擽るような甘い声で暗闇に問いかける。

 すると、甘い蜜に釣られる害虫のように下卑げびた笑みを浮かべながら男たちが月下の淡い光の下に姿を現す。その数は隼翔が視線を感じた数と同じ7つ。全員が冒険者風の装いをしているが、どちらかと言えば盗賊を連想させる、そんな雰囲気を纏いながら各々が己が最も得意とする武器を構える。


『こんな夜更けの、こんな場所で男と女が会っているんだぞ?』

『何をしようとしてるかなんて言わなくても分かるんじゃないか?』


 周囲から見ていれば、まさしく吐き気を催すような笑みを浮かべ舌なめずりをする男たち。その男たち全員の視線は見事なまでに、目の前に立つ女神の如き美貌を持つ女性を視姦するように、胸や腰回り、足をジロジロと眺める。

 だが、眺められる当の本人はその視線に嫌悪感を表面上は示さず、むしろ艶のある表情を浮かべ、まるで早く襲え(・・)とばかりに挑発する。


『早く私を喜ばせて……ね』

『うおぉぉぉおおっ!!やっちまおうぜっ!!』

『『おうっ!!』』


 リーダー格の男の野太い声とともに闇の中に控えていた者たちが一斉に女性に襲い掛かる。

 四方八方から襲い来る男、それぞれの手には槍や剣、杖などを持ち、女を脅し言うことを聞かせようと欲望の赴くままに襲い掛かる。それに対して女は武器も持たず、ただ笑みを絶やさず、慄然と佇む。


(これは……手を出さない方が身のためだな)


 血のように赤い三日月を背負いながら隼翔は心の中で呟く。別に男たちに負けるから、などと言う理由なわけがない。なにせ隼翔なら男たちに気が付かれないままに、倒すことなど息をするかの如く当たり前のようにできるのだから。

 それなのに手を出そうとせずに、むしろ危機感を抱くように動こうとしない。ただ静観し、刀の柄に手を掛けようともしない。まるでこれから一方的な蹂躙(ワンサイドゲーム)が起こることを予測(・・)してるかのように。

 そしてその推測通りの筋書きを辿る様にして、踊り子と男たちの欲望のぶつかり合い(闘い)が幕を開けた。

 

『ふふふっ……』


 振り下ろされる剣に、突き出される槍、叩きのめそうとする杖。しかし、それらは決して踊り子に当たることは無く、華麗な足捌きと体捌きに翻弄され、空を切る。


『なっ!?』

『くそっ……手加減しねーからなっ!!』

『手加減なんて無用よ……もっと私を気持ちよく、昂らせて』


 挑発するようにギリギリで武器を躱しながら、男たちの耳元で優しく甘く声をかける。それに呼応するように、あるいは釣られるようにして振り抜き、繰り出される得物の勢いは加速するが、一方で動きは単純と化す。その様子を見て、踊り子は妖艶に笑みを漏らす。

 その様子はまるで、百年戦争においてフランス軍を勝利に導いたとされる戦乙女ジャンヌ・ダルクのようにも見える。


『……介入しないで正解だった、な』


 息切れを起こし、動きが鈍くなった男たちを眺めながら安堵したように呟く。

 時間としては数分しか経過していないはずなのに、数的優位のある男たちはすでに足を止め始めている。それに対して、踊り子は息どころか、髪すらも乱さず、悠然と佇む。変わったとすれば艶のある笑みを浮かべていた表情が、今は心底つまらなそうになったというくらいか。

 もちろん男たちが情けないと言うことも否定はできないが、腐っても冒険者なのだから並みの人々よりは体力はある。それでもこれほどまでに歴然とした差が付いたということは、踊り子と男たちでは器の"格"がまるで違うということを如実に表現している。


『残念……貴方たちも私には相応しくないということね。……やっぱり先ほどのに近づくべきだったかしら』


 踊り子と隼翔との距離はかなり離れているために、今までの会話はほとんど隼翔には聞こえていない。そのために今、踊り子の女性が小さく呟いた言葉も当然のように聞こえているはずはないのだが、隼翔は背筋に嫌なモノを感じた。


(まさか……な)


 動揺して気配を漏らすなど愚鈍な真似はしないまでも、やはり心臓までは制御することはできず、ドクッドクッ、と強く焦ったように脈打つ。

 わずかな不安を抱える隼翔をしり目に、眼下では闘いが佳境を迎えていた。

 ゼェゼェと息を荒げ、膝に手を付く男たちだが、目の前に立つ女の纏う雰囲気が変わったことを冒険者としての勘が察知して、瞬間的に呼吸も忘れるほど動きを止めた。

 別に踊り子が何かをしたわけではない。ただ、その纏う雰囲気を変えただけ。それだけなのに、男たちは死を意識せざるを得なかった。


『それじゃあ、幕引きね。襲った来たのはそちらなのだから恨まないでね?』


 踊り子の両手首を飾る腕輪バングルに嵌められた金色の宝石が発光し始める。魔力という概念に慣れていない隼翔としては、その魔力の活性化を感じることはできなかったが、おそらく左目を開放していればどれほどの魔力を込めているか、あるいは持っている(・・・・・)か判断できただろう。

 それとは対照的に、魔力というモノを生まれた時から知っている男たちは踊り子から発せられる魔力量に声を失い、顔から血の気が失せる。自分たちはどれだけ危険なモノに手を出そうとしていたのか、触れてはいけないモノに触れようとしていたのかと言うことを。


『わ、悪かった……。だから……』

『う、うわぁぁああ……』

『ひ、ひぃぃぃいいいっ』

『こ、こいつ……』

『まさかっ、戦華の舞姫(ホレフティス)かっ!!』


 一人の男がその戦い方と動きを見てとある二つ名を叫ぶように口にする。それを聞いた他の男たちは一様に今まで以上に恐怖に顔を歪め、情けない声を口々から漏らし、助けを乞う。その姿はどこまでも滑稽で、浅ましいモノであり、隼翔は思わず、おいおい、と小さく声を漏らしてしまう。


『あらあら、大の男が情けないわね?さっきまでの威勢はどこに行ったのよ?私のカラダを好きにできるチャンスなのに……』


 誘うような言葉とは裏腹に黄金の三爪さんそうを両手から伸ばし、怪しく舌なめずりして見せる。その姿を見て男たちは情けない言葉を発するのを忘れ、言葉を失い、剰えボケっと動きまでも止める。

 確かに向けられた黄金の爪に命の危機を感じたというのもあるかもしれない。だがそれ以上に、その姿に見とれてしまっていた。

 その行動は先ほどの男たちと同じ行為のはずなのに、嫌らしさや下卑た感じは一切せず、むしろいつまでも見ていたい、そう思わせるほど魅力的なモノであった。


『あら、捕食者の前で抵抗を止めるなんて……ダメよ?』


 妖艶な笑みを浮かべていた踊り子の姿が消えたと思った瞬間、男たちは身体から鮮血をまき散らしながら宙を舞い、意識を失った。もちろん男たちにとっては何が起きたかなど分かるよしも無かったが、見下ろしていた隼翔には、はっきりと何が起きたのか見えていた。


疾走はやさだけじゃなく、あの独特の足捌き(ステップ)は厄介だな……。さて、と』


 へぇ……、と感心、あるいは驚いたように言葉を漏らす。

 踊り子の純粋な動きの疾走さも十分に隼翔に驚きを与えていたが、それ以上にその舞のようなステップは今までいろいろな武術に精通してきた隼翔をもってしても、見たことのない独特なモノだった。

 感心したまま、隼翔は何を思ったのか突如として20mはある高さから軽い足取りで飛び降りた。暗赤色の外套が風圧で靡き、長い漆黒の髪が無造作に風に撫でられる。

 普通のなら、こんな高さから降りては周囲からは自殺志願者にしか見えないし、本人としても焦るのが当然であるが、その瞳も表情にも焦りも不安も宿っていない。見えるのは微かに上がった口角だけ。


『……』


 風を猛烈な勢いで切り裂きながらも、隼翔は無言のまま、柔らかく着地を決める。

 着地音はほとんどしなかったために踊り子は未だに隼翔が降りてきたことには気が付かず、地面に積み重なっている男たちを残念そうに眺めている。

 残酷な光景なはずなのだが、紅の三日月と相まって、なぜか絵になっているなと感じつつ、暗闇の中から声をかける。


『踊りと言い、戦闘と言い、随分と見事な手前てまえだった。……有名な冒険者なのか?』

『……誰?』


 急に背後の闇の中に現れた気配に驚きつつも、踊り子はその素振りはほとんど見せずゆったりとした動作で振り返る。しかし、その声は少しばかり硬い、緊張したような音程トーンである。


『……そんなに身構えないでくれ。別に俺としては危害を加えるつもりも、争うつもりもない。本当は姿を見せずに去る予定だったが、少しばかり興味が湧いてな』


 あえて、コツコツ、とゆったりとした足音を鳴らしながら暗闇から赤い月光の下に姿を見せる。

 赤い光を浴びてもなお漆黒の光沢を見せる長めの髪と瞳。身を包むのは踊り子とは対照的と言っていい、暗赤色の外套、そして腰には二振りの()


『あら、貴方はさっき店にいた……』

『へぇ……良く分かったな?』


 隼翔の姿を確認した踊り子は、目を見開きつつ、すぐに最上の笑みを浮かべなおす。

 対する隼翔も、いくら目が合っていた(・・・・・・・)とは言え自分が覚えられているなんて思っていなかったのか、いつもの平坦な声で驚いたように見せつつ、顔を少しばかり歪める。


『覚えているに決まっているわ。アレだけ情熱的に見つめ合っていた仲でしょ?……何よりも、貴方ほど底が見えなくて、強そうな人は初めてよ』

『……それだけ戦って(食って)まだ満足しないのかよ……』


 漂う血臭に顔を歪めつつ、踊り子の足元に伏す男たちの山にチラッと視線を向ける。

 一見すれば重症のようにも思えるが、よくよく観察してみると切り裂かれているのはあくまでも皮と少しの肉程度であり、普通の斬撃痕よりも圧倒的に浅い。

 完全に手加減して倒したとはいえ、一応男7人と闘っても満足しないのかよ、と呆れたように隼翔は呟く。


『当り前よ、こんなのじゃ全然熱くなれないわ。……それよりも』


 確かに息を乱すどころか、汗一つかいてないことを改めて間近で見て、どことなく彼女の言葉に納得する。同時に不自然に言葉を区切り、杜若カキツバタ色の瞳を怪しく光らせる姿に思わず、早まったな、と内心で後悔すらしてしまう。


『興味が湧いたってことは……貴方も私が欲しいのかしら?』

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