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幸せな人生を異世界に求めるのは難しすぎる  作者: 二月 愁
第2章 冒険者の都と風変わりな鍛冶師
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空色の少女

 心地の良い怠さというモノを初めて感じながらベッドから身体を起こす。部屋の中には昨夜の色事の香りが未だに漂っている。その慣れない空気に頭を掻きつつ、己の体に目を向ける。

 細身ながら纏う筋肉は鋼のような硬さとゴムのようなしなやかさを兼ね備える。そしてそこには山のように傷が痛々しく刻まれているが、不自然なまでに胸元だけは綺麗。


「……生き返った証、だな」


 新たな生を受けた証拠であり、同時にそれは最後の忠告のようにも思える。次こそは幸せを、とその胸に改めて決意を刻みつつ視線を左右に向ける。

 そこには自分と同様に裸身の姉妹が気持ちよさそうな規則正しい寝息を立てている。その無防備な姿を見て寝る前のことを思い出す。

 

「……俺も大概男だった、ということか。意外と性欲強いのかもな」


 豊満とはいかないまでも、そこそこの母性の塊に心奪われ、姉妹の白く瑞々しい肌に理性を失ったことを他人事のように思い出す。

 あまり優しくはできなかったがそこに後悔の念は無く、むしろ二人と強固な繋がりを持てたことに喜びを感じ、同時肌と肌を重ねたときのあの温もりに幸せを覚えた。


フィオナとフィオネ(コイツら)も幸せ感じてくれたかな……」


 彼女たちの緩む頬を撫でながらゆっくりとベッドから抜け出し、散乱した服を着ていく。

 窓の外に視線を向けると地平線がようやく明るくなり始めていた。そんな時間から宿に面した大通りには多くの人影が見える。そのどれもが冒険者なのだろう、一様にマルドゥクを目指している。


「それじゃあ俺も少し散歩でもするかな」


 暗赤色の外套を羽織り、二振りの刀を腰帯に差す。そして腰に財布代わりの袋ともう一回り小さい袋を携え、机の上にメモを残して隼翔は静かに部屋を出た。






「……朝の空気って感じだな」


 少しばかりひんやりとした空気を肺いっぱいに吸い込む。季節は日本でいうところの夏真っ盛りという時期だが、あの原生林と比較すれば全然暑さを感じない。それでも外套なんて羽織っていれば目立ちそうな気もするが、いかんせん重装備の剣士やローブを頭まで被った魔法使い(メイジ)がいるために隼翔の格好も注目を集めることは無い。


「それじゃあ行きますか」


 もちろんそんなこと気にした様子もなく隼翔は軍隊の行進のようにゾロゾロと歩く冒険者たちの間を器用にすり抜けながら観光気分で散歩を始めた。

 観光気分と言っても目的がない、というわけではない。それを示すように隼翔の視線は一点には定められておらず、立ち並ぶ建物一つ一つを吟味するように動いている。


(うーん……不動産屋というモノはやはりないのか)


 視界に入るのは、武器・防具屋、道具屋アイテムショップ、宿、露店と言ったものが多く、隼翔の探す不動産業を営むような看板が目に入らない。

 うーん、と悩むような声を出しつつ、路地を曲がると突如何者かが飛び出してきた。


「おっ、と。すまない、周りを見てなかった」


 普段の隼翔ならその程度避けるかあるいは受け止めることもできただろうが、今はまだ目新しさを感じる異世界の風景を堪能し、かつ不動産業を営むであろう場所を探していたために対応が遅れてしまった。

 もちろん隼翔が不意にぶつかられたからと言って尻餅を着くことなどありえず、むしろ微動だにすらしていない。だが、ぶつかった方はそうもいかず、ペタンと地面にお尻から座り込んでしまっている。


(……身なりは冒険者と言った感じだが、まだ年端もいかない少女(こども)だな)


 おそらく10歳前後の空色の髪をした少女に手を差し出しながらも観察をする。

 少しばかり眠たそうな目元と口元まで覆う青いマフラー。しかし、目元の感じとは違い、まとう雰囲気は明るさを感じる。

 腰に短剣と針のように細い投擲用の武器、それとレッグホルスターには何やら薬のようなものが差し込まれている。

 そこまでを一瞬で観察し、目の前の年端もいかないような少女が冒険者であると悟る。

 こんな子供が、と思ったが講習会にも彼女より少し大きい程度の少年がいたことを思い出し、思考を止め、握った彼女の小さい腕を優しく引き上げた。


「悪いな、さっきも言ったがよそ見をしていてな」


 立ち上がった少女にもう一度日本人らしく謝罪をする隼翔。その謝罪に対して少女は何も言わず、代わりに小さく首を振った。


「そうか、許してくれるか」


 なんとなく言いたいことを理解した隼翔だが、言葉を発しないことに多少の違和感を覚えた。だが何かしらの理由があるのだろう、とすぐに自己解決し、少女の横をすり抜けそのまま進む。だが……。


「ん?まだ何かあるのか?」


 横を通り過ぎたところで、不意に外套を掴まれ思わず振り返る。

 すると先ほどの少女がコクコクと小さく頷いているのが目に入った。それが指し示すはつまり先ほどの質問に対する首肯――――用があるということである。


「なんだ?」


 一瞬金でも請求されるのか、と思ったが少女の空色の瞳と雰囲気からは害意を感じない。かと言ってジーッと見てくるだけで言葉を発しようとしない。

 少女の意図が掴めず、無言の時間が流れる。どうするか、と思考を巡らせているとまた外套が軽く引かれた。視線を向けると少女が指であちこちの建物を指し、最終的に隼翔を眺め、コテンと首を傾げる。


「……もしかして俺が行きたいとこを案内してくれるのか?」


 周りを見ていなかった、という言葉から隼翔が迷子かあるいはどこかを探していると推測したのか、隼翔のその言葉にコクコクと首を縦に振る。


(なかなか鋭い洞察力と推理力だな……。もしかして高名な冒険者なのか?)


 内心で少女の頭の良さに驚きつつも、害意の感じない相手のせっかくの好意だしということで、有難く案内してもらうことにした。


「助かる。それじゃあ、この都市で家を売ってくれる場所って知ってるか?」


 その質問に対して少女は悩むようなそぶりを見せた後、隼翔の外套の端を摘まみながら先導するように歩き出す。そのどこか年の離れた妹を思わせる動作に思わず頬が緩む。


(……兄弟姉妹って言うのがいなかったからな。いたらこんな気分だったのかもな)


 今まで抱いたことのない感情を胸に秘めながら、静かに少女の後を追った。





「そういえば、名乗ってなかったな。俺はハヤトだ」


 大通りの隅をマルドゥク方向に向かってゆっくりと歩く中、隼翔は名乗っていなかったことを思い出し、よろしくと軽い口調で名乗る。

 それに対し、少女は眠たげな目元から覗かせる空色の瞳でジーッと顔を覚えるように眺め、コクンと頷くと胸元から銀の板(プレート)を取り出し、隼翔に見せる。

 差し出されたのは冒険者の身分証明書である認識票ドッグタグ。律儀に名乗り返してくれた少女に感謝しつつ、簡単に認識票ドッグタグに視線を走らせる。


「シエルって言うのか。わざわざありがとな」


 認識票ドッグタグを返しつつ、少女の名を呼ぶと満足そうにうなずく。

 シエルという少女は言葉こそ発しないが、感情は豊かなようで他愛のない会話を隼翔がふると表情あるいは身振り手振りで答え、彼女の言葉を聞かなくても何となく言いたいことが伝わってくる。

 そんな不思議なやり取りをしていると、シエルが急に立ち止まり、とある建物に向けてビシッと指を指す。


「ここで家を売ってくれるのか?」


 なんとなくシエルの言いたいことが分かる隼翔だが、念のため確認の意を込めて尋ねると力強い首肯が返ってきたので、改めて視線をその建物に向ける。

 二人の前にある建物は大きくも小さくも無く、かと言って綺麗でも汚くもない平凡と称するに相応しいレンガ様の建物。木でできた看板には"バナーレ商会"と書かれている。


「そうか、助かった。これはほんの気持ちだ、取っといてくれ」


 巾着ようの財布から硬貨を一枚取り出し、ピーンッと親指で弾く。硬貨はクルクルと空中を舞い、シエルの両手にスポッと収まる。


「同業者だし、またいつか会ったらその時は助け合おう」


 手の中にある硬貨を見て目を見開きワタワタと慌てるシエルには見向きもせず、隼翔はバナーレ商会に入っていった。

 

「…………」


 呼び止めることができず呆然とするシエル。そんな彼女の肩が優しくポンッと叩かれた。


「こんなとこにいたの、シエル。どうしたの呆然としちゃって?」


 視線の先には透き通るほど白い肌に杜若カキツバタ色の長い髪を垂らした女性が立っている。

 その女性を見てシエルは、一瞬動きを止めて、そしてフルフルとかぶりを振る。


「そう?ならいいけど……」


 訝しげに目の前のレンガ様の建物を眺める女をシエルは急かすように引っ張る。まるで、これ以上視線(・・)()晒される(・・・・)のは御免だ、と言わんばかりに女の身体を押す。


「急に何よ?あなたが集合場所に来なかったのに……。あ、もうぉ、分かったわ。行きましょ」


 その必死さに女は諦めたようにクノスの中心に聳えるマルドゥクに足を進めた。しかし、冒険者――――特に男たちの視線が途切れることは無かった。

 なぜならシエルが押す女性の格好は上はその豊満な胸を隠すだけで、下はパレオを巻いてはいるがその隙間からは艶めかしい白い太ももが見え隠れしている。

 そんな踊り子のような恰好の女性が集める視線に眉を潜めがら、シエルは小さな手で大事そうに握る金貨(・・)をそっと自分の財布の中に収めた。




 店の外の状況など露知らず、隼翔は店内を物色するように歩く。

 そこは日本の不動産屋とは全く異なり、薬の入った小瓶や見慣れない道具が整然と棚に並べられている。一見すれば道具屋とも思えるが、違うとすればその並べられる数だろうか。

 普通なら同じ品物が山のように並んでいるのだが、ここでは品物は一ずつしか並んでいない。しかも書かれているのは値段ではなく、人の名前と商品の説明。


「……商会だから直接冒険者に売るんじゃなくて、どこかに商品アイテムを卸してるのか。つまりこれはサンプルみたいなもんだな」


 少しだけ頭を傾けかけていた隼翔だが、棚に並ぶ道具を手に取りつつ、納得したように呟く。

 そう、これらは推測通り売り物ではなくサンプルである。いわばこの店は作り手と売り手を結ぶ卸売業とも言い換えられる。

 ますます異世界感が損なわれるな、と内心で思っていると店の奥から初老の男性が現れた。


「これはこれは、本日はどのようなご用件で?」


 真っ白な髪に、小さめの眼鏡に優しさを感じさせる口調。そのどれもが商人特有の欲深さや嫌らしさを一切感じさせず、むしろ良い意味でこの商会の建物と同じ印象を与える。

 その雰囲気に思わず、商人に向いていないんじゃないか、とお節介な感想を抱きつつ、隼翔はそれをおくびも出さず本来の要件を伝える。


「ここで家を買えると聞いたんだが?」

「物件をお探しですか。それならここで立ち話をしても仕方ありませんのでこちらにどうぞ」


 まだ早い時間帯にも関わらずにこやか丁寧に案内するその姿には商人らしさを多少感じさせるが、やはり現代の日本にある欲望丸出しの必死さや押しつけがましさを感じさせない。


(この老人の性格なのか、商人として培った技なのか知らないが、こういう接客をあの世界にも期待したかったな)


 老人の曲がった後姿を眺めつつ、前世のことを思い出す隼翔。

 前世での生活に馴染めず孤独だったことを差し引いても、煩わしく粘着質な売り子のセールストークは隼翔に最悪な印象を与えていた。それに比べ今の老人の対応は真逆であり、それが隼翔に好印象を与える要因になっている。


「ささ、おかけください」


 思い更けているうちに店の奥にまでたどり着いていた。

 案内された場所は店の奥のカウンターの横に併設された一角。

 店主に促されるまま隼翔は引かれた椅子に腰を掛ける。冒険者ギルドにあったピカピカの受付台と比べれば雲泥の差がある黒んずんだ木のテーブル。だが、それは汚らしいという印象ではなく、歴史を感じさせる味のある。


「本日は我がバナーレ商会にようこそおいでくださいました。私は店主のノマル・バレーナです」

「ハヤトだ。一応冒険者という肩書だけは持っている」


 重たそうな紙の束をゆっくりとテーブルの隅に卸しつつ、自己紹介をしてくる店主ノマルに隼翔は失礼がない程度の簡単な返事を返す。


「ハヤト様ですか、本日はよろしくお願いしますね。それでは早速本題に入らせていただきますが、確か家をご所望ということでしたが……何かご要望などございますか?」


 ノマルは柔らかい笑みを浮かべつつ、商談をしやすいように適度にしまった雰囲気を醸し出す。


「広い敷地と風呂が欲しいな。あと何よりも都市の中心ではなく郊外がいい」

「お風呂に郊外ですか。クノスの冒険者にしては随分と珍しい要望ですね……」


 隼翔が提示した条件に驚きつつも手で山積みにされた紙の束を綺麗に崩し、素早く目を走らせるという器用な芸当をやってのけるノマル。

 確かにこの都市の冒険者であるなら隼翔の出した条件は異質ともいえる。その最たるものが、郊外という選択をしたことである。

 ソロや小規模のパーティーの冒険者がホームを持つということは決して珍しいことではないのだが、大抵は都市の中心――マルドゥク――の近辺に家を買ったり、借りたがる。その理由はやはり地下迷宮ダンジョンが近いからという理由に帰結する。そのため都市の中心は価格が高く、郊外に進むにつれ価格が安くなるのだが、別に隼翔はケチって郊外を選択したわけではない。


「夜に外がうるさいのは嫌だからな……」

「なるほど……。お風呂をご所望することと言い、ハヤト様はかなり珍しい性格タイプなのですね」

「まあ変わり者だって言うのは否定できないな」


 もちろん夜が煩いから嫌だというのも理由の一つだが、それ以上にやはり人目を避けたいという思いがあるからこその郊外という選択だが、もちろんそんなことを口にするはずもなく肩を竦めて見せる隼翔。

 その態度を見てどう思ったのかは知らないが、ノマルはそれ以上何も言わずに視線を完全に手元の資料の山に移し、条件に合致する物件を吟味していく。


「さて、これが一応ハヤト様がご所望された条件に合致する物件になりますが」

「……随分と早いんだな」

「長年この仕事をやっていますから慣れですよ」


 モノの数分であの紙の山から条件に合う物件だけを選んだその仕事の速さに思わず隼翔は目を軽く見開いた。そんな隼翔をよそにノマルは不快感を与えない笑みとしゃべりで話を進める。


「それでですね、ここから絞るためにある程度のご予算を教えていただきたいのですが……」

「あ、ああ。そうだな……」


 内心で、商人はこんな高スペックな生き物なのか、と未だに驚きをあらわにしつつ、悟らせない無表情のまま、ふむ、と考え込む。

 隼翔は今まで異世界はもちろん二度の前世において家を買うなど経験をしたことがない。それ故にどれくらいの価格を提示すべきなのか全くわからない。


(……うーん、フィオナとフィオネを連れてくるべきだったかな)


 おそらく未だにベッドの中でぐっすり眠っているだろう姉妹の顔を思い出しつつ、考えても今更だとかぶりを振り、腰帯に括りつけられた財布……ではなくもう一つの小袋に手を伸ばし、それを無造作に木のテーブルに乗せる。

 見た目通りのポスッという軽い音を立てる小袋を不思議そうに眺めるノマルだが、それを気にした様子もなく衝撃的なことを口にする。


「正確な数は知らんが、この中に金貨600枚以上は入っているはずだ。だからその程度を予算と考えてくれて構わない」

「……へ?」

「ん?だから金貨600枚前後が予算だ」


 すっとんきょんな声をあげ、テーブルの上の小袋と隼翔の顔を何度も往復するノマルに聞こえなかったのか?と言いたげに言葉を繰り返す。

 それでもなお動きを止めるノマルに隼翔は心底不思議そうに首を傾げる。


「なんだ?もしかして予算が足りないか?」


 まさか家を買うのにはそこまで金貨が必要なのか、と困ったように悩みながらも最悪あの宝物庫から持ってくればいいかとかなり楽観的に考える隼翔。

 そんな隼翔をよそにノマルはハッとしたかと思うと、首をブンブンと音を鳴らしながら激しく横に振る。


「そんな滅相もないっ!!それだけあれば十二分にハヤト様のご要望をかなえることができますよ……むしろそれだけ資金が潤沢なのに我が商会を選ぶなんて……」

「まあちょっとした知り合いにここを勧められたからな。それはともかくとして、物件の方は紹介してもらえるんだろう?」


 自分の無知さや世間知らずさを隠すためにお茶を濁すように肩を竦めつつ、話を進める。すると隼翔の思惑通りノマルは、すいませんっ、と平伏しながらピックアップした資料に最速で目を通していく。

 そして先ほどよりも早く一枚の紙を取り出し隼翔の前にサッと出す。その紙には中世のロンドンを思わせるレンガ造りの洋館の写真と少しばかりの説明書きがある。

 それに目を通していく隼翔だが、いまいち書いてあることが大雑把すぎるのか概要が掴めず、顔を顰める。


「すいません。ほかの物件ならまだ情報があるのですが、その物件はあまりにも人気がないので情報が少なくて……」

「人気がない?何か込み入った理由(いわく)でもあるのか?」

「い、いえっ!滅相もありません。ただ、郊外にある割に値段が高く、正直買い手が一切付かなかったんですよ……」

「へぇー、買い手が、ねぇ……」


 隼翔から向けられた訝し気な視線から逃れるように首を懸命に振り、謝罪するように言葉を述べるノマルをしり目に手元の紙に大々的に張られた洋館の外観を眺める。

 確かに冒険者たちからすれば郊外にあってはいろいろと不都合が大きく、また価格が高くては売れないだろう。それでもどこかの道楽貴族的な人間からすればいい別荘にでもなるんじゃないか、と思わせるほど写真からは思わせる。もちろん多少の改修などは必要そうではあるが。

 そんなことを考えていた隼翔は控えめな声に釣られて視線を洋館の写真から目の前に座る商人に戻す。


「それでこちらの物件ですが……これから実際に見てから購入するかどうかをお決めになるということでよろしいでしょうか?」

「うーん……」


 唸りながら壁に掛けられた円盤状の魔法道具に視線を向ける。それは日本風に言えばまさしく時計と呼ばれるもので、この世界――ファーブラ――でも日本同様に一年を12か月として、1日は24時間となっている。

 ただ数え方が独特で、月は1,2,3と呼ぶのではなく、四季で区切りそれらを上中下で分けて呼ぶ。例えば、リューリング上月かみつきは日本でいう三月、エスターテ中月なかつきは7月、オーセニ下月しもつきは11月、イーヴェル上月かみつきは12月と言った感じである。

 閑話休題それはともかくとして、隼翔の視線の先にある時計も文字盤が12に区切られており、ここまでは日本の時計と変わらないのだが、読み方が多少異なる。


「今は太陽ソーレの7前か……。そろそろフィオナとフィオネ(あいつら)も目を覚ます頃だな」


 何気なく隼翔がつぶやいた太陽ソーレとは日本で言う午前を意味し、逆にリュヌは午後を表す。それらはすでに隼翔の中で当たり前の、それこそ生まれたときからさも使っていたかのようにしっかりと文化として根付いている。

 だからこそ今の独り言にノマルも違和感を感じず、静かに見守っている。


「……うん。悪いが、見に行くとはできない」

「そうですか……」


 見に行けない、それすなわちノマルからすれば購入を断る常套句のようなものだったので、あからさまにがっかりはしないまでも、少しだけ肩を落とす。

 しかし、隼翔はそれには気が付かずに言葉をつづける。


「だが、この家を買わせてもらう。いくらだ?」

「……へ?」

「だからこの洋館を買い取る。いくらなんだ?」

「え、えーっと……金貨500枚=5000万シリになりますが……」


 ポカンと口を開くノマルのその姿に既視感デジャブを覚えながらも無駄口は叩かずに再度尋ねる。再起動までに時間がかかり、さらに未だに信じられないといった表情を浮かべながらも、商人柄口が勝手に価格を告げる。

 内心で確かに高いな、と隼翔は思いつつ指の腹で顎を撫で悩むそぶりを見せる。

 そんな隼翔を見てノマルは困惑したように口を開く。

 

「えーっと、こんなことを聞くのもアレなのですが……本当に購入するのですか?正直見ないで購入を決断してしまうと後悔すると思いますが……」

「まあ常識はずれであることは重々理解してるさ。ただ俺だっていつもこんなことをしているわけじゃない」


 苦笑いを浮かべつつ、肩を竦めて見せる。そんな姿にノマルは、呆れたもしくは感嘆したように声を漏らす。


ノマル(あんた)が少なくとももっと金の亡者みたいな人間だったら確実に買わなかっただろうな。ただ、どちらかと言えば商人向きな性格をしてないあんただけからこそ、こんな常識外れな決断を下せたんだ」

「そ、それは商人としては喜んでいいか微妙ですね……。もうこの際聞いてしまいますが、私がハヤト様を騙そうとしているとは考えなかったのですか?」

「もしそこで騙されていたら俺の人を見る目が無かっただけだ。それに勉強させてもらったと思えばどうにでもなるさ」


 ノマルは空笑いを漏らしながら諦めたように尋ねる。それに対して隼翔は腕を組み片目を瞑りながら「まあ負け犬の遠吠えだが、ね」とお道化たように茶化して見せる。

 その纏う大胆不敵さにノマルは初めて商人ではなく人としての笑みを零す。


「なるほど……これはかないませんね。分かりました、そこまで信用をいただけるなら商人としてこれ以上の誉れはありません。微力ながら誠心誠意ご満足のいただけるように努力をさせていただきます」

「それはありがたいな。なら早速で悪いんだが……」


 そういいながら視線をテーブルの上に乗る小袋に向ける。


「この中の全額を使って構わないから最低限の家具などを揃えて、今日の夜までに使えるようにしてもらえないだろうか?もちろん余った分は代金として渡すから返さなくて結構だ」

「よ、夜までにですか?」

「もちろん無理なら構わないが……」


 かなり無理を言っているのは隼翔としても重々自覚しているので断っても構わないと付け足す。

 そんな隼翔をよそに、ノマルは悩みながらうーむと唸り声を出す。洋館いえの代金は金貨500枚、袋の中には申告上600前後の金貨が入っている。そこから家具など最低限のモノを揃えても金貨50枚以上は手元に余るだろう。

 だがこれらの金銭勘定以上に隼翔という男からは何か並々ならぬモノを感じ、ノマルは協力をしたいと心の底から感じている。


(……ハヤト様は普通の人とは何かが違う。それこそ何かを大きなことを成し遂げる、そう商人としての勘が告げている)


 視線を小袋から腕を組む青年に向ける。

 思えば出会った数分前から不思議な青年だったな、とノマルは考える。風格もその落ち着きようもまるで見た目の年齢とは乖離している。だがそれに比べてどこか常識外れな部分も多く、よく言えば底が見えない、悪く言えば不気味な人物というのがノマルの正直な意見だった。

 それでも何か人として、商人として隼翔という男はノマルを強く引き付けた。だからこそ、ふぅーと息を吐き決意したように口を開く。


「いえ、先ほどの言葉もありますし、我が商会のすべてをかけて今夜までに屋敷の方を使えるようにいたします。ですので、リュヌの8の時にもう一度ここに訪れてくださいませ」

「……っそうか、助かる」


 驚いたように軽く目を見開きながらも、心配するような言葉を口にするのは侮辱になると思い、隼翔はお礼の言葉を述べ手を差し出す。ノマルもそれににこやかに応じ、二人の間で確かに契約が交わされたのだった。

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