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幸せな人生を異世界に求めるのは難しすぎる  作者: 二月 愁
第1章 果てなくも遠く険しき道
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幸せな人生はどの世界でも難しい

 胸の前で両手を握りしめながら、青黒い炎が降り注ぐ様子をフィオナとフィオネは都市の外から心配そうに見守っている。


「「……ハヤト、さま」」


 フィオナとフィオネは隼翔のことをご主人様と呼ばずにハヤトさまと呼んでしまったことに気が付かないほど周りが見えていない。もちろん姉妹じぶんたちが心配してもどうにもならないことは理解してるのだが、それでもやはり心配せずにはいられない。


「そ……そんな」

「何が……起きてるんだよ……」

「うそだよ、な……嘘だと言ってくれ」

「うぇぇええーん」


 そんな姉妹の周囲でも大勢の人間がその光景を信じられないといった様子で呆然と燃える都市を眺めている。

 それも仕方ないというものだろう。つい数刻前まで普段通りの何気ない生活を送っていたのに、急に自分たちの家、住んでいた都市(場所)が地獄と化してしまったのだから。


「……天災だ。これはきっと天災・・の仕業だ……」


 誰もが呆然とする中、天災という言葉だけが嫌というほど周囲に響いた。





 速く、力強くぶつかり合う臙脂色の刃と白い異形の刃。それらが衝突し合うたびに周囲には衝撃波が生まれ、瓦礫が宙を舞い、砂と化す。


「クッハハハハハ、いいぞ!!サイオンジっ」

「くそっ!!」


 獰猛に口角を吊り上げるシンに対して、苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべる隼翔。

 両者の剣技は現状では全くの互角、そう互角・・なのである。

 隼翔の持つ瑞紅牙――――その力を開放することにより刀の性能が大幅に向上し、そして同時に使用者自身の身体能力も向上させる。その力は先の一見でも示した通り、シンを喜ばせるほどの驚愕を与えた。

 それでも喜びという感情が見えるあたり、シンにはまだまだ余裕・・が有り余っているというのがよく分かる。


(……コイツっ、全く底が見えない)


 眼前で敢えて自分の力に合わせて戦うシンを見ながらその力の底知れなさに下唇を噛む。


「ここまで俺と打ち合える者は久方ぶりだっ!!これなら更に力を開放しても問題あるまいっ!!」

「なっ!?この、野郎っ」


 今まで対等に打ち合っていたはずなのに、いつの間にか僅かに、だが確実に臙脂色の刃が押され始める。それだけなら経験から得た先読みと持ち前の剣術でどうにか対応できるが、シンは加えて聖句を唱えている。


 通常、魔法というのは集中力を高めた状態を維持しながら聖句を滞りなく唱えないと魔力が暴発してしまい発動しない。

 しかしシンはまるで呼吸するかのように高速戦闘下において苦も無く魔力を集め、聖句を滞りなく唱える。この世界の固定観念を簡単に破壊する様子は、まさに化け物と表現するのが適切であろう。


「"地を統べ獲物じゃくしゃを喰らえ、地這大蛇うわばみ"」


 唱え終えると同時にシンは右足でダンッと地面を踏みしめる。するとその足元に巨大な魔方陣が現れたのを隼翔の左目は捉えた。

 ズズズッ、と嫌な音を立てながら魔方陣に吸い込まれるように移動する地面。そして魔方陣をそれらが通過していくと形を変え、巨大な石の大蛇と姿を変貌させていく。


「そら、サイオンジ。もっと俺を楽しませてくれっ」


 全長20mは軽く超えるであろう、石の大蛇。それは顎を大きく開くとその巨体が石でできているとは思えないほどの速度で隼翔に襲い掛かる。


「くっ……」


 牙や尾を使った変幻自在、様々な体制かっこうから繰り出される乱撃を躱す。

 正直相手がこの石の大蛇だけならそこまで苦戦はしないだろう。だがこの場の敵は大蛇ではなくシンであり、隼翔が大蛇の攻撃を躱しながら斬撃を加えようとするたびに、シンが死角から狙いすましたようにギリギリ反応できる(・・・・・・・・・)速度で魂を消し去る刃(ソールリムーバー)で斬りかかってくる。

 そのため戦況は一気に傾き、必然的に防戦一方となり、隼翔はどんどんと追い込まれていく。


「いいぞっ、いいぞっ、サイオンジッ!!これすらも耐えたのは四聖やつら以来だ!!」

「ちっ……だったら俺じゃなく四聖の奴らと闘ってろっ」

 

 シンが魔法を発動してからおそよ10分が経過した。その間、隼翔は愚直なまでにシンの持つ魂を消し去る刃(ソールリムーバー)だけを防ぐことに専念してきた。そのため大蛇の尾や牙を避けるあるいは防ぐのが疎かとなり何度か身体に衝撃が走った。

 もちろん鴇夜叉の外套コートのおかげで表面の覆われている部分は怪我が無いように見える。だが、あくまでもそれは見た目だけであり、中はと言えば、身体のあちこちが赤黒く変色してしまっている。

 それでも平然と斬り合っていられるのは動乱を乗り越えた剣客だからであろう。


「確かに四聖きやつらと闘うのもいいだろう、過去にも何度か殺り合ったからな。だが、四聖やつらはつまらん」

「……どういうことだ?親愛の情でもあんのかよっ」

「そんなものないさ。アイツらはただ単に今の立場に酔いしれ、固執している節がある。人とは死線を乗り越えてこそ伸びるというもの。だが現状に満足し、あまつさえしがみつく者は醜くつまらん。まあ鎧鬼神がいきしんの奴は他とは毛色が違うからまだマシだがな」


 周囲では青黒い炎がすべてを焼き、熱が籠る空間。そんな苛烈な状況下でも相変わらず速度ペースを落とさず目まぐるしく動き回る両者。

 しかしやはりその様相は対照的であり、一方は息を荒げ、大粒の汗を額から流し口元には血が滲んでいるが、もう片方は頬に浅い傷があるだけで息すらも切らさず汗を僅かにかいている程度である。


(……魔法もだが、それ以上に厄介なのがあの剣だな。だが……もう少しだっ)


 石の大蛇を避け掻い潜りながらシンの持つ異形の剣を捌き続ける隼翔。一見すれば何も出来ずにただ守りに徹しているだけにしか見えない。だが、そのじつ隼翔はとあるモノをじっくりと測り、読んでいた(・・・・・)


(よしっ。かなり掴めてきた……これならっ)


 刃を打ち合うたびにそれらをじっくりと測り読む。隼翔が測り読もうとしてるモノは間合いと呼吸。

 これらはかつて名を挙げた剣客たちも口々に剣術には必須な要素と説き、それらを極めた者こそが兜割りを体現できるとまで言わしめた。そして隼翔の編み出した双天開来流そうてんかいらいりゅうは相手の間合いと呼吸を掴むことを前提条件とした剣術であり、これらを見極めたとき初めて最大限の力を発揮できる。

 そしてその時はようやく訪れた。


「む?」


 キンッキンッと先ほどまで響いていた金属音から次第にヒュンッ、ヒュンッ、と空を切る音が徐々に増え始める。

 その自らの振るう異形の刃が当たらなくなったことに首を捻るシン。さすがの彼もこの事態は想定外らしく、なぜ当たらなくなっているのか見当がつかないらしい。


「シッ」


 その理由を丁寧にご高説するはずもなく、隼翔は今まで守りを強いられていた鬱憤を晴らすかのように刀での防御を捨てて攻めに転じる。

 白い異形の刃がどのように攻めてくるのか知っている(・・・・・)かのように隼翔は最小限の動きだけで躱し、お返しとばかりに臙脂色の刃を煌めかせる。

 間合いを制し、呼吸を読んでいるにも関わらず臙脂色の刃はシンを捉えることはなく、底知れない身体能力と反応速度で防ぐ。


「今まで多くの魔王と名乗る者や二つ名を持つ猛者と死合ってきたが、このような事態ことは一度もなかったぞ!!魔法でも能力スキルでもないっ、一体何が起きているのか分からない……が、サイオンジっ!!貴様はどこまで俺を喜ばせれば気が済むんだっ!!」

「このっ」


 怪訝そうな表情はすぐに消え、今まで通りの獰猛な表情に戻るシン。自らの攻撃が全く当たらなくなったにも関わらず、焦るどころか喜べるその強靭(異常)な精神に嫌そうに顔を顰める隼翔。


(落ち着け……。確かにコイツの剣速はまだ上がるだろうが、現状優位なのは俺だ。ならこの優位な内にまずはこの大蛇でかぶつを倒すっ)


 シンが石の大蛇を操っているのか、何とかその動きがシンの呼吸から読める。だが、やはり無生物でかつその生物の体構造を無視した変則的な動きのせいで間合いだけは完全に制することができず躱すたびに姿勢を崩されたりと邪魔になっている。なのでシンが間合いと呼吸のことに気が付く前に石の大蛇を始末することにした。

 異形の白い刃を躱すと同時に入れ替わるようにして到来する石の大蛇(まほう)。それに対し、隼翔は柄を両手で握り肩に担ぐ。そして――――。


「双天開来流 不知火シラヌイノ型・灰火楽はいかぐら


 振り下ろされた瑞紅牙の臙脂色の刃に石の大蛇が衝突した瞬間、遠雷のような爆砕音とともに周囲を砂煙が覆う。


「カッカッカッ、まさか剣術にて地這大蛇うわばみが破られてるとはな……」


 いまだに砂煙舞う中、ニヤリと口角を上げるその姿はとても不気味である。


 濛々(もうもう)と立ち込め視界を遮る砂煙、それが時間とともに薄れていくとその中心で起きた現象の全容が明らかとなる。

 石の大蛇の頭部は粉々に砕け散り、その堅牢そうな体もあちらこちらひび割れ半分ほどの短さになっている。さらに驚くべきはその振り下ろされた刃の先で、大きく陥没し深く斬撃痕が刻み込まれている。まさに叩き斬った(・・・・・)と表現するに相応しい光景。


「比類なき"剛剣"と呼ぶに相応しい一撃だな」


 目の前に刻まれた風景に称賛するように呟くシン。


「余裕ぶっていられるのも今の内、だっ!!」


 落ち着いた口調のシンとは真逆の力強い言葉を発しながらダンッと地面を蹴り、間合いを詰め斬りかかる。


「ふむ……確かにそうだな。現状俺の攻撃はなぜか当たらんしな。どうしたものか……」


 困ったように呟きながらも隼翔の斬撃を的確に防いで見せるシン。確実に間合いも呼吸も制しているはずなのに、危なげなく防ぐその動きに隼翔は苦虫を噛んだかのような表情を浮かべつつ、次の一手を投じるべく片手で柄を握ったまま力を抜き、突きの構えを取る。


「双天開来流 閃華センカノ型・残影ざんえい


 ゆったりとした身体の動きに合わせたように突き出される臙脂色の刃。その今までとは違い明らかに遅い刺突に思わず、おやっ?と首を捻りかけるが、すぐさまこの技の特性を察し、気を引き締めなおす。


「残影……なるほど。確かにその名にふさわしい突きだな」


 感心したように呟きながら、なぜかシンは瑞紅牙の切っ先が己の心臓を貫く軌道で迫っているにも関わらず、それを無視して別の軌道で異形の剣を振るう。


――――キンッ、キンッ、キンッ!!


 見かけ上では両者の刃を衝突していないはずなのに、なぜか金属同士が衝突し合う特有の高音と火花が二人を包み込むように無数に光り、響く。


「……全く、この世界に来て日も浅いのだろう?なのにこれだけの剣術に、戦闘術、加えてその胆力。一体どんな環境で生き抜いてきたのか……。できるならこの世界に召喚される前に出会いたかったものだ」

「……俺もこんな幻想的ファンタジーみたいな世界で、あんたみたいのと出会いたくなかったよ」


 両者とも残念そうに言葉を紡ぐが、その感情を出所は真逆と言えるだろう。

 シンは隼翔ほどの強者と対等と言える条件――つまり女神の寵愛(チート)なしの状態――で戦いたかったという感情だが、隼翔は逆でそもそも出会いたくもないという感情である。

 そんな相対する感情を乗せた刃同士のぶつかる音は唐突に止み、二人は静かににらみ合う。


「初見で残影を防ぎきるとは……やっぱり化け物だな」


 先ほどからまるで動いていないかのように突きの構えを取ったまま動かずに呟く。今まで防がれたことのない己の剣技をいとも容易く防ぎきったことに対して落胆するどころか、もはや称賛のような成分さえ声色から感じさせる。


「いや、なかなかギリギリだった。目にも止まらぬ速剣を使かえると豪語する羽虫ざこには出会ったことがあるが、まさかその逆で敢えて目にも止まる(・・・・・・)速度を混ぜて、残像を作り出すとは……言うなれば目にも映らぬ(・・・・・・)速剣か」


 そう残影の特性とは速度の違いである。

 隼翔は意図してものすごく遅い――と言っても一般的な感覚では十分な速度――突きと超高速の突きを混ぜることで相手の知覚を騙し、本命の突きを相手に見えない速度まで押し上げたのである。

 それに加えて、隼翔の一見すればゆったりとした動きも加わることにより残影という技に昇華される。


「……そこまで見抜くとは、な」


 今度は呆れたように言葉を漏らす。だがその気持ちも分からなくないだろう。

 今まで双天開来流は呼吸・間合いを制さなくても相手を圧倒出来た。もちろん概念コンセプトとしてはそれらを制することを前提とした剣術ではあるが、それでもその圧倒的な技量と願いの重さ(想い)によって不敗の剣術になっていた。

 その不敗をことごとく破られては落ち込むを通り越して呆れても仕方ないといえるだろう。

 だからと言って簡単に負けを認めるほど隼翔も潔くはない。


「シッ」


 短い気勢とともに地面を蹴る。それを待っていた、と言わんばかりにシンも同様に地面を蹴り、二つの影は再び高音を鳴らしながらぶつかり合う。


「ん?今度は先ほどまでの妖術のように避けないのか?……まあ、相も変わらず俺の剣を防いでいるから状況としては変わらんのだがな」


 そう、さきほどまでと違って隼翔はシンの振るう異形の刃を避けずに防いでいる。その状況に違和感を感じながらも魂を消し去る刃(ソールリムーバー)の振るう腕を止めないシンはやはり強靭(異常)な精神の持ち主と言わざるを得ないだろう。


「さすが戦闘狂だな……。だが、その判断を後悔するなよ(・・・・・・)


 うんざりしたように呟きながらも口角は微かに上がっている。そしてその言葉を体現するかのように瞬間的に金属同士の衝突音が無くなる。


「双天開来流 風柳フウリュウノ型・烙紅葉らくもみじ


 音を失った静かな世界でシンは愉悦のあまり瞠目した。

 己の振るった刃は確かに隼翔の持つ瑞紅牙かたなと接触した。しかしぶつかり合う音どころか手に接触した衝撃すら伝わらず、いつの間にか臙脂色の刃が己の首筋に触れそうになっている。

 そのことを知覚してから咄嗟に首を傾けるシン。その反応速度にも驚きだが、シンはそれを誇ろうとせずにむしろ首筋を抑えながら称賛の視線を自分を傷つけた男に送る。


「……いやはや二度にわたり俺に傷を負わせるとは。しかも今の太刀筋は全く気が付かなかった。見事な返し技(カウンター)だ」


 赤く染まる掌をぺろりと舐めながらシンは不敵に笑う。首筋からは今も鮮血が流れ落ち、彼の服を深紅に染めているのだが、余裕の様相を崩さない。


「……ソイツはどうも。だが、その余裕もここまでだ」


 今までように感情を表すことなく、静かに平坦に告げる隼翔。そのまま瑞紅牙をスッと納刀して半身に構える。そして、ズドンッと地鳴りがするのではないかと思わせるほど力強く踏み込んだ。

 今までで一番の踏み込みにシンは表情を崩すことはなかったが、咄嗟に異形の剣で防御姿勢を取る。だが――――。


「無駄だ……」


 静かに否定の言葉が響かせながら、臙脂色の刃を鞘で奔らせ、中空に一条の赤い剣閃ラインえがく。


 業炎と瓦解音が鳴り響くだけで一切の変化が無く、シンは思わず首を捻る。

 確かに臙脂色の刃は降り抜かれている。だが、何も変化はない。


(何も起きていない……どういうことだ?いや、待て……。なぜ振り抜けたんだ(・・・・・・・)?)


 己の抱いた疑問に対してさらに疑問を呈するシン。

 先ほどまで魂を消し去る刃(ソールリムーバー)は確かに瑞紅牙と打ち合っていた、それは紛れもない真実である。

 にも関わらず現状瑞紅牙は振り抜かれ、その美しい刃紋を煌めかせている。


「双天開来流 抜刀術・絶無ゼツム


 未だに訝しげな表情をするシンに種明かしをするかのように技の名を告げる。

 抜刀術――――それは日本刀特有の技と言っても過言ではない。元々の剣速に加え、峰を鞘により奔らせることで加速させ、そこに腰の回転によって速度低下の無駄を削いだ、いわば三位一体さんみいったいの神速・最強の一撃。もちろん外せば無防備にもなる諸刃の剣にも成りうるという欠点もあるが、それは呼吸と間合いを掴んだ今では関係ない。

 現に臙脂色の刃はすでに対象を斬り裂いたの後なのだから。


「……なっ、に」


 臙脂色の刃を見たまま変化が起こるのを待っていたシンだが、視線を隼翔に戻すと思わず目を見開く。それは今までのようなどこか面白がったような驚き方ではなく、純然たる驚愕。

 彼の灰色の瞳には白い異形の刀身を失った魂を消し去る刃(ソールリムーバー)が映る。この現象は二度目だが、今持つ剣は先ほど斬られたモノとはまるで質が違う。


 魂を消し去る刃(ソールリムーバー)――――魔剣の一つに数えられる武器であり、その刃は生物の体を傷つけることなく魂だけを切り裂き、死をもたらす剣。ゆえに無生物には衝突するが傷を付けることなく、また刃が毀れることもない。

 そのような特殊な剣が斬られたのだから常人なら驚くだろうが、シンを相手とするならこの程度では喜ばせる(・・・・)ほどの驚愕にしかならないだろう。だが、もう一つの現象がその喜びに純然な驚きを上塗りした。


「……」


 瞠目したまま、ゆっくりとシンは空いている手を胸に伸ばす。その先には熱く、鋭い痛みが真一文字に走る。しかし、指先がそこに触れても何も感じない。感じないのだが、シンは何度もそこを往復するように撫でる。何度目かの往復が終わったところでその現象は起きた。

 ピシッと胸元に浅い傷が刻み込まれ、ぬるりと熱い赤い液体が指先に付着する。それを不思議そうに眺める。


「……魂を消し去る刃(こいつ)まで斬られて(ダメにされ)あまつさえこのような傷をつけられるとはな」


 愉悦に浸っていた声とは違い、どこまでも平坦で小さい声。そこからは怒りや嘆き、憎しみや激情といった感情は読み取れない。あるのは異質な感情、本能が自然と危険を感じる声色。

 

 それを嫌というほど感じ取った隼翔は咄嗟に距離を取ろうと地面を蹴りかけたのだが、ズンッとまるで重力が増したかのように重い何かが彼の脚を地面に縫い付けた。


「……っ!?」


 背中に圧し掛かるかつてない殺気(・・)に思わず冷たい汗を流し、顔面を蒼白させる隼翔。


「くっくっく……クッハハハハハッ!!」


 浅い呼吸を繰り返す隼翔を度外視するかのように高笑いが響く。その笑い声は炎の猛々しい音も建物が無残に崩れる音も飲み込み、鳴り響く。


「……いつぶりだ、こんな感情は。いつ以来だ、こんな死合いは。いつ以来だ……コイツを使えるのは!!開け、厄災の武器庫(パンドラ)


 その叫び声と同時に、グワッと空間が裂けそこから金色の剣身ブレイドをした直剣を抜き放つ。

 その直剣は剣身ブレイドのわりにガードの幅が異様に広く、およそ不格好である。そのグリップの長さと言い、まるで本来の姿は大剣(・・)なのでは、と思わせるほどの威圧感がある。


「ぐはっ……」


 殺気と直剣の威圧感に身動きを取れずにいた隼翔は突如としてその身体を錐揉みさせながら宙を舞った。その身体は燃えながらもなんとか健在だった建物を何棟も全壊させ、ようやく動きを止めた。

 何が起きたのか全く理解できないまま、口から大量の血を吐き出しその燃えるような激痛に意識を混濁させかける。


(な……にが、起きた……んだ。俺は……どうな……った)


 痛みで漏れそうになる声を必死に押し殺し、身体を起こそうとするが動かず仕方なしに霞む視界で空を見上げる。

 見えるのはすっかり様変わりした闇色の空。周囲で燃える炎の熱で発生した上昇気流のせいか、どんよりとした厚い雲がいくつも覆っている。


(フィオナ……とフィオネは無事に……逃げだせたか?)


 雲の僅かな切れ間に見えたような気がした金色に輝く星を見て、ここにいない姉妹を思い出し二人の身を案じる。

 全身が血に濡れ動かないほどまでの傷を負っているにも拘らず、姉妹のことを心配するあたり二人を相当大切にしていることが分かる。


(俺……が、ここ……で、奴を逃がすとどうなる?)


 せっかく都市の壁の外に逃げた姉妹がシンによって血祭りに挙げられる姿を想像した瞬間、隼翔はガッと目を見開く。

 全身に走る激痛と疲労、それを無視してゆっくりと膝を付き、手に握る瑞紅牙を杖代わりにして身体を起こす。

 浅い呼吸、燃えように熱い腹部、吐き出される血の塊。揺らぎそうになる視界を必死に固定し、自分が飛んできた方向を睨む。


「……まだ動けるとは、本当にお前は俺を裏切らない。比類なき剛剣の使い手かと思えば、目にも映らぬ速剣を披露し、かと思えば相手に知覚さえさせない返し技……何よりその抜刀術……俺と死合うに相応しい男だ!!しかし、効いただろう?なんせ、この偽剣・カリバーンで身体能力を上げたのだからな。先ほどまでと力の出し方は変えてないが、重さも速さも違うだろう?」


 炎の合間を黄金の剣身ブレイドをした剣を担ぎながら現れるシン。

 シンは三度あの獰猛な笑みを浮かべて歩いているのだが、その様相は変わっていた。太く黒い血脈のような何かが顔に浮かび上がっており、その身体から発せられる殺気が空間を歪ませ、世界を軋ませる。


「……っ。このっ!!」


 痛む身体を無理やり動かし、カリバーンという名の剣を担ぐシンに斬りかかる。だが、その動きはもはや限界を通り過ぎたのが分かるほど遅く、切れがない。

 そんな状態でなお立ち向かってくる隼翔に称賛のまなざしを送りながら、シンはカリバーンを軽く振る。


「うっ……ぐはっ」


 軽く振るったはずなのにその剣圧とでもいうべき衝撃波に隼翔は身体を瓦礫の山に叩きつけられる。


「ふむ、なかなか楽しめたぞ」

「はぁ……はぁ…………うぐっ」


 のんきな感想を漏らすシン。

 ただ言葉を発しただけなのに心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥り、思わず息を呑む。その存在感が近づくたびに身体が震えそうになり立ち上がりたくないと心が叫ぶ。だが、そのたびに脳裏にフィオナとフィオネの姿を思い浮かべ、己を律する。


(……まさか、俺がこんな必死になるとはな)


 自分を律する姿を思い浮かべ、思わず荒く浅い息を無視して苦笑いを浮かべる。


――――この世界は以前までの世界よりも過酷だ、と。


 そんなことを思いながらフラフラの足腰にグッと力を籠め、立ち上がり無形の位を取る。

 その様子を満足そうに眼を細め眺めるシン。


「今日はここまでだ。精々ここを生き永らえ、次遭った時にはより強くなっていることを願っているぞ」


 次の瞬間、視界からその悪魔のような姿は消えた。


「……ぐ、はっ」


 何が起きたのか分からないまま多量の血を吐き出しながらゆっくりと炎と灰の海に身体を沈めていく。

 先ほどまで身体を焦がすような熱さを感じていたのに今は体中が氷漬けにされたかのように冷たく、感覚も薄れる。

 擦れ行く視界の中で隼翔は灰銀色の長髪を靡かせながらべっとりと血が付着した手を怪しげに舐めながら、フワリと宙を舞うシンを見た。


(……ぶ、じで、い……く…………れ)


 心の中で呟いたのを最後に隼翔の視界は真っ黒に塗り潰された。

 その身体は静かに横たわったまま、都市と一緒に爆炎の海に飲まれていった。

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