何よりも雄弁に語る5
全然更新出ずに申し訳ありません。
これからは月1更新を目指したいです。
『おおーっと!!決着に思われましたが、なんと菊理選手、立ち上がりましたーっ!!』
え……?、とひさめは言葉を漏らした。
それはアナウンスでも客席から飛び込む怒号にでも、ない。自分が立ち上がっていると言われたことに対して、あまりにも驚いたためだ。
確かに視界には溢れんばかりの数の観客たちと、どんよりとした曇り空が映る。
耳には途絶えることのない客席からの怒号と手を強く鳴らす音が響き、体の芯を震わせる。
(……先ほどまでのは……ゆめ、だったのでしょうか?)
自分が敗北を悟ったように倒れこんだ後に訪れた暗い世界。そして響いていた可愛らしく、純粋な声。
その悪意なき純粋な声の挑発に応えてやる、そんな意思を抱いた記憶はあるが、本当に自分が立ち上がれるなどと夢にも思っていなかったため、ひさめは呆然と立ち尽くしていた。
「……」
「うぐっ!?」
そんな彼女の背後で、チャキっと音が鳴った。
咄嗟に身体は反応を見せたが、肉体はすでに限界を迎えていたのだろう。頭から足先に向かって、ビキビキっと痛みが走り抜け、口から苦悶に喘ぐ息が漏れた。
膝は勝手に折れ曲がり、目の端には雫が溢れ出す。それでも何とか堪えながら振り替えると、そこには一匹の烏が佇んでいた。
「…………」
「……あな、た……ですか?」
目が合った――――そんな錯覚に囚われ、ひさめは知らぬ間にそんなことを口にしていた。
どこで会ったとも、いつすれ違ったとも、何が言いたいのかも分からない問いかけ。周りで聞いていた者も、問い掛けられたであろう相手も何に対する質問なのか理解できない。
当然烏の剣闘士は首肯も否定も身ぶり手振りも何もせず、ただ剣を片手に佇み続けているだけ。
(……やはり……あなた、なのですね……)
しかし、ひさめは強烈な視線から何かを感じ取ったように、ぐっと折り曲がった膝に力を込めて立ち上がる。
ズキズキと体が悲鳴をあげるが、そんなものは歯を食い縛り無視して――――剣を構える。
威圧する上段の構えではなく、受けに徹する下段の構えでもない。彼女の憧憬が往々にして良く見せてくれた中段の構えだ。
攻め込むのは苦手、それでも逃げ出したくはない――――そんな心構えが垣間見える。
「ちっ、まだ終わんねーのかよ!!」
「さっさと諦めろ!!」
「ってか、負けちまえー!!」
心無い罵詈雑言が飛び交っているが、ひさめは不思議とそれらの声を無視できていた。
再び立ち上がったからなのか、心の炉に火が灯ったからなのか、剣を構えたからなのか、負けたくないと渇望したからなのか――――恐らくその全てが彼女に最高の《集中力》をもたらした。
「……行きます」
いつかの稽古の時も今と同じ言葉を口にして、ひさめは憧憬へと挑んでいた。
本来ならば掛声など不要であり、むしろ声など掛けずに踏み込むべきですらある。
それでも彼女の剣の師はその事は注意しなかった。それはきっとその方が彼女らしいと感じていたからだろうと、今の姿を見て納得できてしまう。それほどまでに、ひさめの立ち姿はさまになっていた。
「……」
そして、その雰囲気を全身で感じ取ったように――――スッ。と烏の剣闘士もまた剣を構えて見せる。
ひさめとは対極的な基本の型には当てはまらない構え。剣を右手に持ち、顔と同じ高さで穿つように切っ先をひさめに向ける。身体は半身に引き絞られ、今にも爆発的な速度で飛び込んできそう――――そんな印象を受ける構えだ。
しかし、その印象とは裏腹に両者の視線の交錯は意外にも長く続いた。まるで試合前の再現したように、あるいは開始の合図を告げる銅鑼の音を待つように、両者動かない。
チクタクチクタク、と時計の長針がリズムを刻み続け――――あと少しで一回転する、その瞬間に両者は時間を取り戻した。
『おおーっと!!やはり先に動いたのは烏天狗だっ!!』
アナウンスの通り、地面を飛ぶように駆けたのは烏だった。
構えの印象と相違ない、たった1歩の踏み込みで圧倒的速度に達すると勢いを活かした神速の一撃を放つ。
急所である心臓を正確無比に穿つであろう軌跡をなぞるその一撃は、それこそ隼翔の編み出した剣技|《双天開来流》の一つ、速さを源流とする閃華ノ型にも比肩するほどの速度を感じさせた。
対してひさめはその一撃を見る前に、ふっと瞼を閉じて見せる。
当然ながらひさめに視認することが出来る速度ではないことは明々白々だ。それほどまでに力量は解離してしまっている。だからと言って、数瞬の間に見せた奇異な行動は決して諦めを意味したモノではない。
(……自分には相手の剣技を見切るだけの眼はない。自分には相手の動きを予見するだけの経験がない。自分には相手の攻撃を防げるほどの技量はない)
良い眼も、濃密な経験も、果ては剣技もない。ない、ないと眼前の強敵と比べて無い物ねだりに言葉を募らせれば、決して尽きることはない。
こんなにも劣っているひさめだが、もう決して諦める心の弱さを見せたりはしない。
(……ないモノはないんです。ですが、こんなちっぽけな自分にも2つだけは負けないモノがありますっ)
思い浮かべる一つ目は憧憬の後ろ姿。
本人は否定するだろうが、気高く、逞しく、強く大きな背中だ。決して届かない高みにいるはずだが、不思議と諦めることなく、追い続け、たどり着きたいと思えてしまう。
そんな人と共に過ごし、教わった日々の経験は決して負けていないと強く断言できる。
(……流れを読む)
薄闇の世界で、ひさめは何かを感じ取ったように正眼に構えた刀を僅かだけ左に傾けた。
依然として瞼によって閉ざされた薄闇の世界。しかし、刀を傾けたことによって、世界に何かが生れた。
ソレは柳の葉を揺らす気流。
ソレは波を産み出す水流。
ソレは導線を辿る電流。
つまりは《流れ》。
ハッキリと認知することはできないが、確かに薄闇の世界に何かが《流れ》ている。例えるならば微風が何となく吹いている、そんな感覚だ。
故にどの方角から吹いているのか、どの程度の強さなのか、どう《流れ》ているのかも分からない。ただ《流れ》がある――――それくらい漠然とした感覚。
だからこそ、ひさめは意識ではなく、体が感じる《流れ》に全てを任せ、鋒は固定したまま左足を半歩引く。ついで腰を左向きに回し、体は自然と半身に構える。
(見えなくても分かります……相手が自分を《視ている》ことは、しっかりと)
相手の動きを終えるほど卓越した眼はない。
相手の剣を見切れるほど突出した経験もない。
それでも、周りからの《視線》を感じる力だけは負けない。
眼で追えなくとも、勘で避けることができなくとも、相手が自分のどこを《視ている》かは嫌でも感じ取れる。
かつて忌み子として悪意に晒し続けられていたからこそ体得し得た鋭敏な感覚器。これこそが2つ目の負けていない要素。
「……ここですっ」
「っ!?」
漫然とした流れに身を乗せ、刀身位置を固定したまま手首を返す。使い込まれた鋭い刃は天を向き、光を反射する。
そして、細く息を吐き止める。瞼を上げて、間髪入れず中段の位置から切り上げ。
――――キンッ
金属音が鳴った。
手先に硬質な感覚が響いた。
耳元を何かが鋭く通りすぎたのを感じた。
肩口に熱を帯びる痛みを覚えた。
それでも《流れ》に身を任せ続ける。
『おおーっと!!まさか菊理選手、烏天狗の神速の一撃を逸らして見せましたっ!!!?』
逸らした、と言っても心臓を穿つ一撃をギリギリで軌道をずらしたに過ぎないことはひさめ自身良くわかっていた。
何せ腕は痺れているし、肩の傷は鋭さを増している。本当に間一髪で、すでに敗北していても可笑しくはなかった。
だからこそアナウンスを聞いても驚きもなく、また怯えもなかった。
(まだ……です)
刀を振り抜いた勢いで見上げた空は相変わらずの曇天。灰色の分厚い雲がゆったりと流れて行くが、太陽は顔を覗かせない。
緩やかに風が吹き、その風に背を押されながら刃を天に刺すように構える。
腕に力は込めず、柄を握る手は刀を固定する程度。無駄のない、力みが抜けた構え。
対する烏の剣闘士は崩れた突きの姿勢で、ひさめの1足分前にいる。
相変わらず表情は分からず、感情らしい感情も態度には出ていないが、握りしめる刃は驚きを隠せないように震えている――そんな風にも見てとれる。
まさに優位に立つ者と追い詰められた者の構図。
多勢はこのままひさめが振り下ろせば勝負は決まる可能性を感じ取り、今か今かとその時を待ちわびるように息を止め、言葉を詰まらせている。
しかし――――。
「「……っ」」
二つの息が重なって聞こえた。
一方は鋭い切り上げを寸前のところで地面を蹴り、体勢を崩して刃を避けたひさめのモノ。
もう一方は型破りな姿勢から斬撃を見舞って見せた烏のモノ。そして、烏の剣闘士は類い稀なる才能と培った膨大な対人戦闘の経験を遺憾なく発揮し、姿勢を崩す獲物に刃を以て襲いかかる。
右に左に、上に下。変幻自在の連撃が絶え間なくひさめを襲う。
瞬きする前は少なくとも両雄の立場は逆であったはずだが、今となっては見る影もなく、試合の序盤の再現を観ているように思えてしまう。
「ぐっ」
だが、唯一異なるのはひさめも苦悶の声とともに時には躱し、時には金属音を奏でながら刀で受け流している点だ。
もちろんこの闘いの間に成長しているからのも理由として挙げることはできるが、だからと言って完全に見切れるほど眼が良くなったわけではない。
(何となく《視られて》いる箇所が分かります。何となく《流れ》が読めます……でもっ)
烏が自分の何処を《視ている》かを感じ取り、漠然とでも《流れ》が読めているからこそ成り立っている均衡。
たった一呼吸でも乱し、僅かに集中を鈍らせてしまうだけで猛攻という激流に飲まれてしまうことを全身で感じ取っている為か、普段以上にひさめの肉体と精神が擦りきれていく。
現に汗は尋常ではないほど流れ落ち、顔に髪が張り付いている。呼吸は喘ぐような浅く不規則にしかできていない。
四肢も悲鳴を上げるようにプルプルと小刻みに震え、まるで鋼に締め付けられていると錯覚するほどに重い。
「うぐっ……、やぁっ!!」
「……」
それでも、ひさめは決して諦める素振りは見せない。
少しでも反撃の機会を見出だせば、苦悶の声を押し退け、気勢を吼え、柔らかな動きで刃を振るう。
その一撃は飛ぶ烏には届くことはなく、躱され、防がれる。しかし、その一撃は確かに彼女が成長した証だ。
もう弱虫な少女はいない。
もう逃げてばかりの少女はいない。
もう悪意を一方的に受け入れる少女はいない。
――――紛れもなく、侍と呼ぶに相応しい姿
大勢の観客はきっと何も感じていないが、少なくともひさめの仲間たち――――特に彼女の特訓に付き添っていた隼翔は感慨無量と言った様子で、瞬きもせずに見守り続けている。
「……」
剣戟が鳴り響く度に、彼の握り拳はより固く握られていく。それは試合に魅せられ、心が熱くなっている証拠にも見えたが、横顔は何かを堪えているようにも見える。
例えるなら親が子の成長を喜び、心のどこかでは寂しさを覚えるように。
立派な姿を観ていたいと思う反面、これ以上傷つく姿は見たくないと思うように。
あるいはこの闘いの行く末を悟り、それでいて自らが想い描いた結末を否定するように――――。
『おおーっと!!凄まじい剣劇の数々!!しかしながら菊理選手も懸命に耐えています!!一体誰が試合前にここまでの熱戦を予想したでしょう!?』
死に体、という言葉が相応しい姿となりながらも、ひさめは何とか刀を振り回して烏の剣闘士の間合いから抜け出すことに成功した。
刀を持つ腕は既に上がらないほど疲弊し、過呼吸を起こしそうなほど肩は上下運動を繰り返す。
「ま、まだ……です」
それでも瞳に宿る感情は衰えることはなかった。
どんなに無様でも、どんなに笑われようとも必死に勝利を掴み取るために諦めない。
「……」
ひさめの強い感情を感じ取った烏の剣闘士も、だからこそ追撃は行わなかった。ひたすらに相手が構えるのを待っていた。
実力差は明白なれど、まるでこの時間を続けていたいとそう感じる立ち姿だ。
故に両雄は再び構える。
烏の剣闘士は型に当てはまらない、力みの抜けた構え。
対してひさめは、極限まで力の抜けた下段の構え。
互いの距離は8メートルほど。意思を確認し合うように片方は静かに、他方は不規則に呼吸を繰り返す。決して同調することはなかった呼吸音が、何度目かにして惹かれ合い、やがて重なる――――その刹那。
全く同じタイミングで地面を蹴った。
お互いに3歩駆ければ相手を間合いに捉えることができる絶好の距離感。
一歩目は互いに同じ歩幅と速度。二歩目で、烏がやや速度を増し、ひさめは遅れを取る。
そして両者が交錯するであろう、三歩目を踏み込む――――寸前。
――――ドサッ
烏が剣を構えたタイミングで、ひさめが前のめりに倒れこんだ。
『こ、これはどうしたのでしょう!?菊理選手、倒れこんでしまいました!!』
見ようによってはあまりにも突然かも知れないが、客席で眺めていた隼翔は少なくとも何かを感じていたかのように、声を出さず小さく口を動かしていた。
果たしてそれがひさめの成長を讃えるモノだったのか、あるいは健闘を讃えるような慰めの言葉だったのか。
どれとも分からぬうちに、いまだに細い剣を構える勝者を銅鑼の音が盛大に讃え、力尽きるように倒れこんだ敗者には誰も目を向けていなかった。




