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幸せな人生を異世界に求めるのは難しすぎる  作者: 二月 愁
第4章 囚われの紫紺烏
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何よりも雄弁に語る 1

夏休み……それがあったのは遠い昔な気がします。


『先ほどの試合も見ものでしたが、何と言っても今日一番注目を集める試合がこれから執り行われようとしております!!』

『ええ、確かに今日一番の注目の試合と言っても可笑しくありませんね!!何せ謎に包まれた前回覇者チャンピオン烏天狗ヴァローナの初戦なのですから!!』


 熱を帯びた実況の声が魔法道具によって拡散され、通路にまで届いてくる。

 観客たちの熱狂した歓声も反響して、耳に届く。果たして何を叫んでいるのかは認識出来ないが、少なくとも自分の名をを呼ぶ声は混ざっていない、それだけは聞き分けられる。


(何でしょうか……この心がざわめくような感じ。緊張ではありません……恐怖でもない……それなら……)


 少女は戸惑いを覚えていた。

 初めてに近い、この芽生えた感情を何て表現して良いのか分からないのだ。


 控え室で今かと今かと鼓動を逸らせていた、緊張とは違う。

 戦うことを嫌い、逃げたしたいと訴えかける恐怖とも違う。

 誰かが傷付き、自分の無力さに心を抉られるような哀しさとも異なる。


 近いと感じるのは、初めて見惚れた武器である刀を目にした時の胸の高鳴り。

 あるいは初めて異性をとして誰かを意識し、意中の相手から好意を向けられる時の、胸を締め付けられるようで心が満たされる情愛。


「つまり…この感情は、自分にとって良いモノ……なのでしょうか?」


 独白に答えてくれる人はどこにもいない。ただ無人の通用口に寂しく響いただけとなった。

 

 この感情を何と呼ぶのかは、答えはまだ出ない。

 ただ少なくともこの感情が芽生えるきっかけとなったのは、彼女の愛する人から授けられた《技》によるものだと、胸を張ることはできる。


 今はそれだけで十分。そう、少女は自分に語りかける。



 昔は苦手だった長い黒髪も今ではすっかり艶を出し、自分の自慢できる数少ないモノになった。

 顔はまだ前髪で隠していないと落ち着かないが、少なくとも後ろ髪は結いたいと思えるほど大切な部分となった。

 

 今左手で触れている目元の下に隠れる瞳も、これからきっと更に好きになれる。

 

 病弱な白い肌だって今では健康的で少しずつ剣士に近づけている、そんな気がしている。 

 視線を向けた先にある、ちょっびり女性らしさを失った剣タコが良い証明だ。


『さぁ、それでは選手入場です!!まずは西より登場するのは、熾烈な予選を勝ち抜き、本線へと出場を決めたDランクの冒険者!菊理ひさめ選手!!』


 ふと気づけば自分の名前が呼ばれ、少女は顔を上げた。

 

 光が漏れる通路の奥からは観客たちの声が聞こえる。

 少なくとも彼女を歓迎しているような声でないのは間違いないが、不思議と耳には入ってこない。何となく大きな声がいっぱい聴こえる、そんな感覚。


 むしろ好ましい(・・・・)煩わしさを鳴らしているのは自分の心臓だ。

 答えの見つからない感情が、鼓動に起伏を生んで、心を高鳴らせるのに頭を冴えさせてくれるような、不思議な音楽リズムを奏でている。


「……この感情はなんなのでしょうか?」


 再びの独白も、今度は耳には入ってこない歓声に飲み込まれて、消えていった。

 

 分からない――――けど、何となくこの試合の果てに答えが導き出せる、そんな予感がする。

 

 本当に不思議な気持ち。

 恐れはある、戦いは怖い。

 だが足は軽やかに舞台へと進んでいく。足が進むにつれて、どんどんと周囲の音が遠ざかって、逆に鼓動が大きくなっていく。


 かつて感じたことのない感覚と感情。

 戸惑いもあるし、孤独は嫌い。

 それでも左手を刀の鞘にかけるだけで、自分は独りではないと実感できる。

 たったそれだけで少女は少女の目指す、険しき道を切り拓ける。


「……」


 コツ、と石畳を靴底ソールが叩く音を聞いた。

 いつの間にか自分は闘技台に立ち、猛禽類を模した面を付ける剣闘士も目前に姿を見せていたらしい。


 どちらからともなく、視線がぶつかる。

 性別も体格も――――なぜだか認識出来ない。それでも視線だけは合わせることができる。



 剣の達人ともなれば、相手の視線から感情だけでなく思考も、そして未来も読めるらしい。

 しかし、残念ながら少女は其れほどの高みには指も届いていない。


「「……」」


 互いに無言のまま、柄に手をかける。


 ぶつかった視線の中で少女が何を感じたのかは、少女自身も分からない。

 

 もはや外野の声は遠くで響く、小鳥の囀ずりにすらも劣る音でしかない。

 

 腰だめに、少しだけ低く構える。

 意識しての行動ではないか、奇しくも少女の憧れが間合いを計るために用いる構えに酷似していた。

 対して相手は柄に手を添えているだけ。半身にも構えず、踏み込みやすく腰を低くもしない。


 だが――――侮られている訳ではないと言うことは理解できる。それは10m先から向けられる、あの強烈な視線が雄弁に語っているから間違うはずがない。


「「……」」


 言葉はない。

 ただ互いに火蓋が切り落とされる瞬間ときまで、視線で意志を向け合うだけ。


 どんどんと意識が深く沈んでいく。

 自分のこの感情を何と呼ぶのか分からない。相手が向けてくる狂おしいほどの感情を何と表現するのか知らない。

 

 それでも世界的に名を轟かせる強敵が、自分のような無名の弱者に有らん限りの闘志を向けてくれる。何よりも有り難いことだ。


「「……」」


 だからこそ、言葉はいらない。

 ひたすらに自分の全てをぶつける――――それが相手への礼儀であり、自身への挑戦となる。




『それでは試合開始ですっ!!』


 ゴーンっ、と腹の底から銅鑼の音が響く。

 そして侍の少女と謎の剣闘士は、感情をぶつけ合うようにして強く一歩を踏み出しあった。

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