謎に包まれた剣士 2
月末にいつも風邪をひく……どうしてこうなったという気分です。
謎の剣闘士《烏天狗》。
2年前の闘武大祭に突如予選から現れたと思えば、そのまま並み居る異名持ち達を倒し、優勝。初の予選出場者からの頂点君臨者として世界に名を轟かせた。
昨年の大祭ではシード枠での2年連続本選出場となり、大いに盛り上げた。かの剣闘士を目当てに昨年以上に腕に覚えがある者たちが出場し、倒そうと試みたが……結果は最強の剣闘士の名をより世界へと知らしめるものとなった。
顔も本名も性別も……すべてが謎の剣闘士。
果たして何者なのか、どのようにして強さを手にしたのか。世界中が興味を向ける存在、それが烏天狗だった。
彼我との距離は5mほど。
地の利は相手方にあり、隼翔は見上げる形で警戒心をあらわにする少女を見上げている格好となっている。
通路の広さは意外にも広く人が三人横に歩いても余裕があるほどで、高さも8mはある。足元は闘技台ほどの丈夫さは無いが、それでも普通に踏み込みことは可能だ。
隼翔は腰に愛刀を携えているのに対して、少女は得物を持っていない。だがキッと眉を吊り上げ、紫水晶の瞳には強い敵意と昏い意志を宿している。
今にも距離を詰めて、飛びかからんとばかりのその態度。迸るほどの殺気は現在取り行われている試合とは比較できないほどのモノだ。
だが隼翔は殺気を受け流すようにして愛刀に手を掛けることも無く、自然体を貫く。
「そんな警戒心をあらわにしないでくれ。別に君に危害を加えたいわけでも、正体を喧伝して脅したいわけでもない。ただ話をしたいだけだ」
「……ソレを信じろと?そもそもどうしてボクの正体がわかったの?」
「君が分かり易すぎるというのものあるが、纏う剣気が少なくとも常人じゃない。それに今日ここにいるということは本選出場者もしくは関係者の可能性が高い。後はまあ……秘密だな」
剥き出しの殺気を浴びさせられてなお、敵意どころか自衛のために刀の柄にすら手を掛けない隼翔の態度に少女も戸惑いを見せる。
現に空間を満たすほどの殺気は霧散しはじめ、張り詰めていた空気は弛緩してしまっている。少女の表情も同様に緊張・警戒から困惑へと変わり、戦闘態勢から町娘のような立ち振る舞いに落ち着いていく。
耳を澄ませば遠くで銅鑼が重く響き渡っている。恐らく先ほどまで取り行われていた試合が終わったに違いない。果たしてどちらが勝利をつかんだのか……恐らくは傭兵の男に違いないと隼翔は脳内でシミュレーションを繰り広げていると、少女が警戒を言葉に孕ませながらも口を開いた。
「むむむっ……だけど確かにお兄さん、嘘は付いてないみたい。本当に何者なの?」
「そう簡単に信じていいモノか、むしろ警告したくはなるが……とりあえず俺には都合がいいか」
「別にお兄さんを信じだわけじゃない。ただ、お兄さんが嘘を付いていないのは瞳を見ればよく分かるよ。……だってすごくまっすぐで綺麗だもん」
じっ、と漆黒の瞳を覗き込む。決して淀みが無く、揺れも後ろめたさも無いまっすぐな意志。それは少女にとって羨ましいほどの、眩いほどのモノだ。
何せ自分は常に仮面を被り続けないといけない。誰にも正体をばれることは許されず、また自分を守る為に感情を押し殺した笑みを浮かべ続けないといけない。そんな生活を物心つく頃からしていたせいなのか。相手の感情が何となく分かるようになっていた。
だからこそ隼翔の漆黒の瞳を覗きこめれば嘘を付いていないと断定するには十分すぎる材料であると同時に、目を背けたくもなってしまった気持ちが言葉に現れ、尻すぼみに声が小さくなっていった。
(しっかりと断定できるくせに、どうしてこんなにも純情に反応するのか……どういう生き方をしてきたことやら……)
ため息交じりに前髪をクシャっと掴む。
隼翔が少女の考えを読み取ったわけではないが、それでも彼女の抱える大いなる矛盾を、あるいは過去を肌で感じてしまったのだろう。
憐憫という言葉では意味が違う。同情という言葉では似合わない。この感情を何と表現するのが正しいのかわからないが、ただ言えるのは隼翔の心は揺らいでいるということだ。
もちろんその感情は言葉にだけはしないようにと、隼翔は努めて冷静に口を開く。
「綺麗では決してないが……とりあえず俺の言い分は信じて貰えたと解釈して構わないか?」
「……うん、信じるよ。何となくお兄さんの前だとボクも素になっちゃうみたいだし……なんでだろ?」
どんなに辛くとも、どんなに痛くても、どんなに苦しくても――――笑みを絶やしたことは無かった。
それこそ弱音を吐いて、互いに助け合い、将来を見据え合えるのは同じ境遇に落とされてしまった仲間たちだけ。血のつながりなど無く、種族すらも全く異なるが確かに心を許し、家族よりも強固な絆が、あの昏い世界にはあったのだ。
だからこそ全てを曝け出すことに躊躇いを無かったわけだが……どうしてか目の前の光のある世界に住むであろう青年に少女は素に近い状態になってしまっている。
不思議であり、どこか心地よくもある今の空気感。落ち着いているわけではないが、昂っていた心は静かになっている。
今まで感じたことの無い心情に、頭が混乱するが、生憎と少女は難しいことを考えるのが苦手な性分なのだろう。うにゃー、っと子猫のような愛らしい奇声を漏らす。
見た目こそ人族との装いだが、快活で天真爛漫、自由を求めるような言動は猫獣人のような印象だ。
「いや、なんでと言われてもな……もしかしたら似た境遇を生きてきたのかもな」
「えっ!?それはどういうことなの!?」
「いや、失言だったな。恐らく俺と同じような人生はあり得ない」
少女の人好きする気質に惹かれたのか。思わずといった様子で隼翔は口を滑らしてしまう。
思えば自分が選んだ闘いなど、選択した殺し合いなど一、二度しかなかった。
それ以外は全て定められた戦場で刀を振るい、決められた対象の首を刎ねる。感情を出すことはなく、そもそも感情など雀の涙ほどしか持ち合わせていなかった。
そういう意味では目の前の少女とは違うかもしれない。あんなにも天真爛漫には振る舞ったことなど無く、感情を剥き出しの猫のような言動を漏らしたことなどない。何よりも少女の過去も立場も知らないのだから。
だから先にも述べた同情あるいは憐れみを抱いくのは無礼にもほどがあるには違いない。それでも、どうしてか、隼翔は自分の前世を少女の現在に重ねて見てしまうのだ。
そんな小声の独白に少女は驚いたように反応を示した。今までにもないほどに隼翔との間合いを詰めて、興味があるとばかりに瞳を覗き込む。
少女としてもこの親近感にも似た、謎の感情に答えを求めているようだ。そしてその正体に区切りを付けたいと、矢継ぎ早に言葉をぶつける。
「おっ、お兄さんももしかして、どれ――――」
「言っただろ?俺の失言だって。君の境遇は分からないが、少なくとも俺よりもずっと人間らしさを持っている。だからこそ俺に答えを求めるな、俺と違う道を歩んでいるのだからな。君自身でその感情を知れ」
「……っ」
なぜ少女の言葉を遮ってまで、隼翔は答えを求めるなと口にしたのか。
きっと彼自身もまた、少女と同じように探究し続けていたのかもしれない。かつて人斬りとして生き、感情というモノを知らずにいたから。
「さて、それじゃあ俺は観客席に戻るよ。君と……何よりも俺の大切な仲間の試合が差し迫っているから。……それと最後にお願いだ。どうか次の闘いはその悩みを忘れて、ただひたすらに闘ってくれ。それがきっと俺の仲間にも、何よりも君自身のためになる……と思う」
そう言葉を締めくくると隼翔は熱狂と歓声に包まれる階段上へと足を戻した。
その後姿を見送る少女はどこか寂し気で、何かを縋る、そんな雰囲気を纏っていたのだった。




