戦いの後に
ガシャン、と重い金属音を立てながら閉まっていた鉄格子が上がり扉が開かれる。
そのまま先頭で扉を潜るのは実体を持たない真祖・ヴァルシング。その彼に付き従うように白銀の髪をした二人の吸血姫が後を追う。
更にその後方には白塗りの鞘の代わりに、新たに漆のような光沢をもつ深紅の鞘の刀を腰に携え、瞳の色を髪と同色に戻した隼翔とフィオナとフィオネの狐人族の姉妹が続く。
「おい、いい加減俺たちを城から出してもらえるんだろうな?」
広間に設置された大テーブルの椅子をアイリスに引かせ、そこに座ろうとしている真祖を止めるように隼翔が言葉を飛ばす。
座る動作を止められた真祖は、やれやれと言った表情を浮かべながら肩を竦ませる。
『全く人族はせっかちだな。もう少し大様に構えることは出来んのかね?』
「生憎だな。こっちはお前と違って寿命があるもんでな」
さすが半永久の命があると言われる不死魔族の一つである吸血鬼だけあり、言う事のスケールがまるで違う。
そんな真祖の軽口に軽口で対抗する隼翔。だが、その声には当たり前のように棘があるのだが。
『そう睨むな。貴公は我が主だからな、ちゃんという事は聞いてやるさ。アイリス、アレを持ってくるがよい』
「了解いたしましたわ。伯爵様」
執事を思わせるような恭しい一礼をして、どこかに向かうアイリス。
『そんなとこに突っ立っていないで座ったらどうだ?』
いつの間にか席に座っている真祖に対してうんざりしたような表情を浮かべながら、隼翔は姉妹に座るように指示を出してから自分も浅く腰を掛ける。
隼翔としては簡単に指示に従ったようにも見えるが、実際軽い戦闘により消費した体力と魔力を回復させるには落ち着くのも必要だったため、おとなしく従ったという背景がある。
閑話休題、三人が席に着くなり、オデットがそれぞれの前にティーカップを並べ、隼翔から順に紅茶を注いでいく。そのどこか既視感を覚える光景に頭を痛めながらも、諦めたように紅茶を口に含む。
(本当に、こいつらは急ぐと言う言葉を知らないみたいだな)
時間の感覚の違う吸血鬼たちをカップ越しに睨みながら、紅茶と共にそんな言葉を流し込む。
呑気なティータイムを少しの間堪能していると、真祖にお使いを頼まれていたアイリスが小走り気味に戻ってきた。
「お待たせしました、伯爵様」
そう言ってアイリスは手の中に握りしめているモノを伯爵に見せる。
手の中は隼翔たちの位置からは見えず、気になるのかフィオナとフィオネは懸命にそれがなんなのか見ようと努力する一方で、横にいる隼翔は半ば諦めたように紅茶を楽しんでいる。
『ふむ……』
姉妹の視線を無視するように真祖は半透明の手をアイリスの持つ何かに被せるように出した。すると、紫紺色の光がアイリスの白い指の間から漏れ始める。
その光はすぐさま収まり、真祖は納得したようにフムと頷く。その満足そうな表情を見たアイリスが手の中の物を大事そうに持ちながら隼翔の元まで歩み寄ってきた。
「どうぞ、こちらをお受け取りください。あなた方が望まれていた品物です」
「これは……腕輪、か?」
差し出されたのは全くと言っていいほど飾り気のない赤地に黒で文字が刻まれた腕輪。
無論その文字を知らない隼翔にとっては単なる象形文字のようにしか見えていないのだが。
その腕輪を受け取りつつ、説明しろと言わんばかりに真祖に視線を向ける。
『それはインカの腕輪と呼ばれる代物だ。それでこの城の結界と外を自由に行き来が可能になる』
「コレさえあれば、城門のとこに張られていた結界を抜けられるんだな」
『ああ。さらに言えばそれに魔力を籠めればいつでも城門の前に移動して来れ、さらに任意の場所に移動もできる』
「任意の場所?何か魔法陣とか外に設置するってことか?」
『端的に言えばそうなるな。要するにどこか城の外で任意の場所を登録すれば、城とその登録した場所を繋ぐ門が出来るということだ』
「ふーん……」
『なかなかの優れものだろう?』
ニヤリと厭らしさを感じさせない笑みを浮かべながら、血のように赤い液体が注がれたワイングラスを手にして優雅に飲み始める真祖。
その姿を見た隼翔は彼から視線を外し、腕輪を右腕に嵌める。その腕輪の径は魔法か何かでコントロールされているのか、腕にぴったりと嵌まる。
「ふーん……。まあ、とりあえずこれで城ともおさらばできるか。行くぞ、フィオナ・フィオネ」
「「はいっ!」」
腕輪を一頻り眺めたあと、姉妹に声を掛けると足早に城から立ち去ろうと席を立った。
性急な三人に対し、真祖が呆れたように口を開く。
『全く……相変わらず他種族はせっかちよな。これでは先が思いやられる』
やれやれと言った感じで肩を竦めながら立ち上がる真祖。
そんな彼に対して隼翔は、お前何しているんだ?と言いたげな視線を送る。
『フム……存外抜けてる部分もあるのだな?』
訝しげな緯線を送り続ける隼翔に真祖は意外そうに呟いた。
「どういう意味だよ?」
『言葉のままさ。我は刀なのだ。故に貴公が動けば我も動く』
深紅の鞘に納まる刀を見やりながら、どこか不思議なとこがあるか?と聞き返す真祖。
隼翔はそこでようやく真祖の言わんとしていることを理解し、同時にものすごく嫌そうな表情を浮かべた。
「……まさか、お前が付いて来るのか?」
『無論だ。我は既に幽鬼の身、故にその憑代こそが我の身体よ』
その返答に、嘘だろと言わんばかりに天を仰ぐ。
『何、安心せよ。貴公とそこの小娘たちの情事を覗き見たりせぬからな』
「「ふぇっ!?」」
その言葉になぜか真っ先に反応したのはフィオナとフィオネだった。姉妹は目を見開き、顔を真っ赤にしながら、どこか嬉しそうにピコピコと耳を動かしている。さらには時折チラチラッと隼翔に視線まで送っている。
「はぁ……あのな、生憎だがこいつらとそんな関係じゃないんでな。邪推もいいとこだ」
隼翔はその視線に気が付いていないかのように、呆れたように後頭部を触りながらあり得ないとばかりに否定する。
『フム……その割にそちらの小娘たちは満更でもなさそうだが?』
真祖の視線に続き、隼翔ともそちらをチラッと見る。すると、そこにはリンゴのように頬を赤らめ両手で顔を覆いながらも、尻尾をブンブンと音が鳴りそうなほど振り回している姉妹がいた。
どういう反応を取るべきか隼翔は分からず、何とも言えない表情を浮かべたまま、真祖に視線を戻す。
『色男は辛いな、クククッ』
「……ちっ、どう思おうと勝手だが宣言した通りこいつらとはそういう関係じゃない。ただ、単にこの森を抜けるまでの主人兼用心棒だ」
その言動に横ではフィオナとフィオネが一転して、ガーンッ!!と音が聞こえてきそうなほどに落ち込んでいる。
その二人の表情に男として申し訳ないと思いつつ、一時の甘い誘惑に負けずその判断を下せた自分を心のどこかで褒めていた。
もちろん合意の上での、と言うよりはお互いが愛し合っていればそういう関係も喜ばしいと思っているのだが、今の関係は主人と仮奴隷。そんな状況いくら愛し合っていると言っても、どこか打算や命令、権力が含まれている気がしてしまうと言うのが隼翔の本音である。
(まったく……損な性格だな)
心の中でそんな言葉を漏らしつつ、隼翔はフィオナとフィオネの姉妹そこまで大切な存在になりつつあることに気が付いていない。
『まあこの際、貴公たちの関係は気にしないとするか。男と女の関係など秋空のように変わるモノだしな』
「……とりあえずお前たち吸血鬼がどれだけ娯楽に飢えているかが、よく分かった」
未だにニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべている真祖に完全に呆れかえる。その表情は完全に諦め疲れ切っている。
『長いこと封緘されていたのでな、娯楽に飢えているのだよ。だが、からかうのもこのくらいにしておこうか』
「……からかい、どういうことだよ?」
眉を微かに上げながら抑揚のない声で問い詰める隼翔。
そんな隼翔を見て真祖は悪戯が成功した子供の様に満足そうな表情を浮かべ、口を開く。
『先ほどの情報に偽りはない。だが同時に全てでもない』
「てめぇ……」
『そう殺気立つな。先にも言った通り、我は幽鬼故に刀が憑代と言うのは事実なのだしな。ただ、正確に表現するなら憑代の一部とでも言えば良いか』
……一部?と隼翔は小さく聞き返す。その表情は曇り、怪訝そうなものである。
『そもそも不死魔族として知られる我がなぜ幽鬼なのか、不思議に思わんか?』
「……どうかな」
無表情のまま興味ないように呟く隼翔だが、内心ではいくつかのと気になる単語に興味を惹かれていた。
かなりこの世界に馴染んでいるように見えるが、隼翔はこの世界に転生したばかりであることには変わりなく、この世界の情報をほとんど知らない。そのために会話一つ一つが重要な情報源であり、また常識を得る現在の最たる手段と言える。
だからと言ってその態度を表面的に表し過ぎると怪しすぎるため、隼翔はこのようにぶっきら棒な態度を取っているのである。もちろんその天性の性格も起因していないとは決して言えないのだが。
『なるほどな。貴公は意外と本音は口にしないタイプか』
そんな心情を察したかのように、真祖は納得と言わんばかりに呟いた。真祖の呟きに隼翔は無表情を貫き、姉妹は小首をかしげている。
『まあ良いか。それで話が逸れてしまったが、我は別に死んだわけではない。我の肉体は今もこの城の最奥に祀られているからな』
とりあえず座ったらどうだ?と真祖に促され、隼翔は渋々と言った感じで座り直す。
座るのを確認すると真祖はそこから隼翔に聞かせるように語りだした。
『過去に色々とあってな。我は肉体と魂を分断されたのだ。故に我は本来であればこの城で守られている肉体から遠くに離れることは出来ぬ。この城の結界はいわば、我の活動範囲であり、我が肉体を守るためのものでもある。そして結界は我の肉体を触媒とし、そこから魔力を提供している』
そこで話を一度区切ってワイングラスを傾け、一息ついてから再び口を開いた。
『それから紆余曲折を経て、魔帝と出逢った。そしてあやつは我の牙を使って一振りの武器を打った。それがその瑞紅牙だ。だからこそそれは憑代にもなり得る』
「……なるほどな。つまりお前はついて来ないってことでいいんだよな?」
瑞紅牙の柄を軽く触りながら隼翔が確認するように問う。
『付いて行くことも可能だが、まあ貴公も求めていないようだし、我としても活動が制限されるから付いては行かぬ。もちろん仮に外に行ったとして基本我が姿を見せたいと思った相手にしか姿は見えぬし、大抵はその刀の中で寝ておるからな。何より貴公が呼ばぬ限り我はこのように顕現できぬ。まあ何か聞きたいことなどがあればインカの腕輪を使えばいつでも話すことは可能だしな』
「それを聞いて安心した」
心の底から安心したように言葉を漏らす。
もちろん情事を覗かれる心配がない、という意味で安心したわけではない。仮に真祖の話が本当だとしても、隼翔のように魔力眼や他の眼を持っている人間と出逢ってしまえば真祖のことがばれる危険性があるし、真祖自体も友好的な態度を示しているが、信用できるわけでも無いため近くにいられたくないと言うのが本音である。
『可愛げのない感想よな。まあ、良い。アイリスとオデット、この者たちを宝物庫に連れて行ってやれ』
「分かりましたわ、伯爵様」
「それでは私たちに付いて来て」
ワイングラスを傾け香りを楽しむ仕草を見せる真祖に恭しく頭を下げた後、隼翔たちに付いて来るように指示を出す吸血姫たち。その指示に従ってフィオナとフィオネは席を立つが、隼翔だけは真祖に視線を向けたまま立とうとしない。
『言いたいことがあるな口にしたらどうかね?』
「はぁ……なんで宝物庫に案内してくれるんだよ?」
『フム……他者から善意は苦手か?安心せよ、別に深い意味など皆無だ。単に主である貴公に尽くしてやろうと思っただけだからな。……見た所、貴公は装備が整っておらぬようだし、何よりそちらの少女たちはとてもではないがみすぼらしすぎる』
確かに真祖の言うとおり、隼翔たちの格好は褒められたものではい。
隼翔は優秀な刀を携えているが、鎧や盾はおろか手甲や足甲と言った軽装備すらも付けずに、女神に賜った何の変哲もない服しか来ていない。
しかし隼翔の場合は他に追随を許さないほどの読みと回避技術があるのでそこまで問題にならないが、それと対照的なのがフィオナとフィオネである。
彼女たちは隼翔と出逢うまではごく普通の少女たちであり、何度も戦い方を教わってはいるが正直言って戦闘技術にしてもまだまだ未熟と言うのが妥当な評価だろう。そんな姉妹は手甲はしているものの、服は隼翔お手製のごく普通の簡素なモノで得物も無い。
(……確かにみすぼらしい、な)
真祖の言葉を反芻するように隼翔も姉妹を見ながら思ってしまう。そのまま姉妹を眺め、うーんと葛藤するように考え込む。
隼翔の熱い(?)視線にフィオナやフィオネは頬を朱に染めどこか身悶えるように動くのだが、生憎その眼には止まらなかった。
「……ありがたく、お前の善意を受け取らせてもらう」
無愛想に告げながら、サッと立ち上がり大扉の前で待つ吸血姫たちの元まで大股で歩いて行く隼翔。そんな隼翔の後姿を真祖は愉快そうに眺めていた。
「どうぞ、こちらです」
礼儀正しいアイリスが宝物庫の前で止まり、オデットが扉を開ける。
開かれた扉の先の部屋の中には、盗賊たちが悪事に手を染めて溜めこんでいた財宝が霞んで見えてしまうほど多くの宝が収められていた。
「すごい量、だな」
「こちらは全て伯爵様と魔帝殿、そしてその仲間や同志たちがそれなりの時間をかけて集めてきたものです」
思わず感嘆したように呟く。
魔帝と呼ばれた者がどれくらい生き、そもそもどれほど前に生きていた人物なのか知らないが、それでも時間の感覚が違う吸血姫が"それなり"と言うくらいだからかなりの時間を労したに違いないと隼翔は悟った。
「この中から好きな物を好きなだけ持って行っていいそうだよ」
「……いいのか?」
茫然と宝の山を見つめる三人にオデットがサラッとすごいことを言いだし、思わず聞き返してしまう。
「ああ。そもそも伯爵さまにも私たちにも財宝があっても使わないし、ガラクタ同然だからね。だったら有効活用してもらえたほうが、集めた方としても意味があるってもんさ」
「オデットの言うとおりです。伯爵さまからも同様の御託けを頂いています。加えるならここの財宝は全て貴公の物だから好きにするが良い、とのことです」
その言葉通りオデットもアイリスも財宝を見る目に執着心の欠片も無く、本当に不要だと言うのがアリアリと伝わってくる。
さすがに過分すぎるな、と辟易としつつも無一文の身としては有り難いと隼翔は吸血姫たちに簡潔に礼を告げ、さっそく神眼だけを開放し宝物庫内を散策し始める。
「……本当に色々あるんだな」
所狭しと置かれる財宝の数々を眺めながら、感嘆したように言葉を漏らす。そのサイドではフィオナとフィオネが同じように「ほえぇーー」と同じ声を出しながらその光景に圧倒されている。
置かれているのは芸術品のような絵画や壷、骨董品とも言えるような品に始まり、色々な種類の貨幣、不思議な力を感じる布や魔法金属、そして重厚な鎧や武具の数々。
それら一つ一つを吟味しながら、使えそうなものを次々とフィオネが持つ魔法の小袋に仕舞い込んでいく。
「とりあえずこんなものでいいか」
一通り見て回った隼翔は部屋を見渡しながら満足げに呟く。
宝物庫内には依然として財宝が所狭しと置かれており、ほとんど変化したようには見えない。
「やはり謙虚な方ですね」
「そうね。てっきりこの部屋の半分は片付くと思っていたのだけど……」
満足そうにする隼翔の後ろでは吸血姫たちがどこか呆れたように呟いている。
これだけの財宝を前にして、さらに魔法の袋を持っている者たちが対して財宝を持って行こうとしないことに驚きあきれているらしい。
「そんな過分に持ち歩いても仕方ないからな。それに十分なほど装備は整った」
そう言いながら隼翔は横で待機している姉妹に視線を向ける。
インナーは隼翔お手製の黒のシャツままでその上にお揃いの鈍色の胸当てと隼翔お手製の籠手、そして腰ほどまで覆うケープ。下は膝ほどまであるスカートにブーツと冒険者らしくなっているが、なぜか恰好がほぼ同じである。唯一違う点として首に巻くストールの色くらいで、フィオナが黄色なのに対してフィオネは青。
「どうでしょうか、ハヤト様?」
「似合っていますかね……?」
隼翔に視線を向けられて、姉妹は自分たちの服装を褒めてと言わんばかりに隼翔に尋ねる。そんな姉妹に対して隼翔は瞳の色を金色に変化させながジーッと吟味するかのように眺める。そして――――。
「ああ、いいんじゃないか。その装備なら多少魔物に攻撃されても平気そうだ。良い選択だと思うぞ」
と見た目では無く、中身を評価され、姉妹は思わずキョトンとしてしまう。後ろではアイリスが「あらあらぁ~」と口元を覆い、オデットが「そういう性格か」と目元を覆っている。
そんな前後での反応を気にした様子も無く、神眼で得た情報に対してウンウンと頷いている。
(やはり魔帝の宝物庫と言うだけあって良い品が多いな)
フィオナとフィオネが装備している物は隼翔が創った物以外は全て高性能なものばかりである。
たとえば姉妹共通のケープは”幻影のケープ”という代物で、魔力を込めることにより装備者を周囲から視認しにくくなるという効果が得られる。
納得顔で頷く隼翔だが、彼もまた姉妹のように装備が少しだけ変わっている。彼が宝物庫から持ち出したのは暗赤色の羽織りに似た外套のみ。一見すれば大した代物ではなさそうなのだが、実はその効果は驚くべきものだった。
鴇夜叉の外套。周囲から常に魔力を吸収し続けることができると同時に任意に所有者の魔力を溜められ、それらを契約者に好きなタイミングで還元することができる。また、内包された魔力量により物理・魔法に対する防御力が上昇する。傷ついても魔力によって自動で修復され、装備していないときは生物の姿にすることも可能。
隼翔はこの鴇夜叉の外套を見かけたとき、それを食い入るように眺めた。魔力を自動で吸収し、契約者に還元してくれると言うのは隼翔の抱える魔力量の少なさを解決してくれる。現在魔法を使えないにしても将来的な展望を考えれば物凄いほしい逸品と言えた。もちろん現状では自分にコレは宝の持ち腐れになるのではとも考えたが、隼翔は最終的に手を伸ばした。
理由は至極簡単。まず、いつか魔法が使えるようになった時のための奥の手として。そして何より、魔力量を気にしなくてもいいし、魔力を防御面に使用また保存できるということである。
「とりあえず契約だけ済ませるか……」
神眼で身に纏っている外套を眺めながら契約だけ済ませようと刀の鯉口を少しだけ切り、そこに軽く親指を押し付ける。指先からわずかに流れ出る血液をそのまま外套に押し付ける。
すると、暗赤色の外套の上を血液を付けた場所から紅緋色の波紋が端まで広がっていく。
「それでその外套は貴方様のモノですよ」
「ふーん……意外と簡単なんだな」
契約の瞬間を見ていたアイリスがにっこりと隼翔に微笑む。その微笑みはとても魅力的で聖母をも彷彿させるようなものだったが、隼翔は関心がないとばかりに簡素に呟くだけだった。
「さて、と。とりあえず必要なモノはもらったしそろそろ城ともおさらばするか」
「わかりました。それでは城門までご案内しますね」
どうぞこちらへ、と身振りで促し先頭を行くアイリス。その彼女の横には当然のようにオデットがいる。
彼女たちから少し遅れて、隼翔は鴇夜叉の外套を翻し宝物庫に背を向け、泰然とした歩みで二人の後方を行く。そして彼の後を着慣れない装備に違和感を覚えながらも追いかけるフィオナとフィオネ。
「……なんで襲ってこないんだ?」
十字架の森の中央に敷かれた石畳の一本道を歩きながら隼翔は疑問を口にする。
ここは城にたどり着く前に魔物たちの手洗い歓迎を受けた、まさにその場所であり、今も十字架の影ではオーガやスケルトンと言った魔物たちが徘徊し、整然と並べられた悪魔の石像が彼らの動向を静かに見つめている。
「それは貴方が付けている腕輪のおかげよ」
「インカの腕輪には魔物除けの効果でもあるのか?」
刀の柄に掌を添え臨戦態勢を維持しつつ、腕輪を眺める隼翔。そんな彼に見守るような視線を向けながらアイリスがかぶりを振った。
「残念ながらその腕輪にそのような効果はありません。その腕輪はあくまでもこの管理迷宮の許可証の代わりです。だから魔物たちは貴方たちを一切襲うことはありません」
「……ラビリンス?」
ラビリンスという単語に反応し、フィオナとフィオネに訝しげな視線を向ける。隼翔にどこか頼るような視線を向けられたとあって姉妹は目を輝かせながら張り切って説明を始める。
「ハヤトさまはかなり田舎の出身という事なので知らないのかもしれませんが、基本情報として迷宮は主に管理迷宮と地下迷宮の2つに分けられます。管理迷宮は人工物であり、そこには必ず管理者が存在しています。現在確認されている管理迷宮はこの城を含め3か所です」
「次に地下迷宮ですが、通称世界の始まりと言われており、この世界の誕生と同時に創られたと言われてます。管理迷宮との大きな違いですが、こちらには管理者はいないという事でしょうか。また地下迷宮は地下迷宮都市・クノスにしかありません」
姉から妹へと見事な連携を見せながら説明をし終えた二人。その二人の視線は、少しは御役に立てたでしょうか?と必死に訴えかけてくる。
そんな視線を一手に浴び、隼翔はわずかに引き攣った笑みを浮かべつつ、感謝の意を込めて二人の頭を優しく撫でた。
「説明助かった。つまりここは管理迷宮だから許可証さえあれば襲われない、と」
「その通りです。しかし、迷宮のことを知らないとはかなりの田舎出身なのですね。身なりから推測するに……瑞穂出身なのでしょうか?」
隼翔に頭を撫でられ、気持ちよさように目を細めている姉妹を余所にアイリスは隼翔という人族が気になったのか見極めるような視線を送る。その推測に対し、隼翔は何も明言せずただ肩を竦めることを以って回答とした。
「フフッ、やはりあなたは飽きない方です。しかし残念ながらここでお別れみたいですね」
口元を隠しながら上品に笑うアイリス。楽しそうな彼女とは対照的にどこか不機嫌そうな表情を浮かべる隼翔。
一見すれば和気藹々とした雰囲気を漂わせる一行は知らぬ間に異様な雰囲気を漂わせる城門を潜っていた。
「これからあなた方がどのような目的で旅をするのかは存じ上げませんが、その旅路に幸運があることを祈っています」
「私たちはもちろん、伯爵様もあなた達の来訪をいつでも歓迎するよ」
そう言いながら隼翔たちを見送るために恭しく頭を下げる二人。
それに対してフィオナとフィオネも釣られるように礼儀正しく頭を下げているが、その横では隼翔が、ふんっと外套を翻しさっさと立ち去って行く。オロオロとする姉妹だが、隼翔もそこまで礼知らずではないので不器用ながら軽く手を振った。
そんな彼の不器用さを姉妹はフフッと笑みを漏らしながら必死に追っていく。そして三人の後姿が霧に飲まれるかのようにスーッと消えたところで吸血姫たちを頭を上げた。
「最後まで不器用な方ですねっ」
「ああ、全くね。だが、とても興味深い人族だった」
どちらも楽しそうに笑みを浮かべながら、黒塗りの城門を潜り城へと戻っていた。




