食わせ者と化物の側面
――――夜。
往来はすっかり顔を赤らめた冒険者で溢れ返り、ギルド本部もすっかり落ち着きを取り戻していた。
とは言ったものの、それは冒険者相手の換金作業という意味合いであり、夜明けとともに幕を開ける闘武大祭・本選の準備で大忙しなのはこの時期特有の光景だ。
「……それでこの度はどのようなご用件なのですか?勇猛なる心槍?」
「随分とご機嫌斜め……いや、警戒しているようですね、本部長?」
ギルド本部の二階。
ドーナツ状の建造物の内壁側に位置する会議室の一つ。窓の外には都市内の喧騒を見ることは叶わず、ただ聳える巨大な石剣の一部が見てとれるだけ。
それなのにどうしてか静謐な雰囲気と厳かな空気感になってしまうのは、この会議室特有のモノと言うよりは、やはり色々な逸話が真しやかに語られる巨大な石剣の存在によるものだろう。
「……はぁ、確かに貴方は冒険者の中では稀有なほどの良心の持ち主であり、私も信頼を寄せています。ですが、あくまでも冒険者としては、の良心であってそこに信用はありませんからね」
「なかなかの言い種ですね……ですが、間違ってはいない。僕が優先するのは僕の軍勢と野望のみですから」
広い会議室の中央に設けられた縦長の机。
十数名以上で執り行われる重要な会議に使われるであろうこの室内に、腰掛けるのは二つの小柄な姿。
かたや、みた目通りの愛らしい声色に必死に威厳を持たせようと荘厳な口調を取り繕うのはギルド本部長のサーシャ。
相も変わらない少女然の身なりは小人族だから……と言うわけではなく、人間ながらただ成長が残念なだけだ。その事は御年30歳を越えると噂される彼女自身も大いに気にするところであり、結果として常にこのような場では必死に年相応の風格を取り繕おうとしている。
一方、対局に座する正真正銘の小人族の勇士は声色こそ声変わり前の少年を連想させる高音だが、その所作、居ずまい、何よりも纏う風格が見た目とそぐわない。
流石は都市最強の一角に数えられるだけの存在感と落ち着きようである。
そんな似たようで全く似つかない両者が早々に静かな舌戦を繰り広げているのには訳がある。
「それで……もう一度尋ねますが、そんな油断ならない貴方が此度はどのようなご用件で?私も明日に迫る闘武大祭の準備で忙しいのですが……」
「それは僕も承知の上です……しかし、だからこそ今は僕の話に耳を傾けるのが宜しいと思いますよ」
「……それはまた面倒ごと、ということですか?」
不満を露にした口調を貫いていたサーシャだが、フィリアスの感情を圧殺した声色を聞き、すっと目を細め柳眉に深々とシワを寄せる。
一転して愛くるしさが残っていたサーシャの表情が上に立つ者の顔つきとなり、口調からは不満の色が消えた。それでも声に幼さが残ってしまうのは彼女らしい点ではあるが。
「面倒ごとには間違いありませんが……《また》という表現は正しくありません。正確には《まだ》終わっていなかった、ですからね」
「っ、まさか……邪神教の一派が?」
「ええ。そのまさか、です。こちらがその計画書の写しになりますよ」
差し出されたのは1通の封書。
押された印は世界中でも知らぬ者はいないであろう"鐘楼と剣"を模した徽章。正しくフィリアス率いる夜明けの大鐘楼のものだ。
一見すれば仰々し過ぎるようにも思える。何せ封蝋があるだけでも正式文書扱いとなるのに、ましてや押された印が世界的な大貴族あるいは王公貴族にも匹敵するモノだから尚更。
だが、事態は既にそれほどまでに悪化しているのだ。
その事を机を滑るようにして目の前に届いた封書から瞬時に悟ってしまい、サーシャは声を必死に押し殺した。
僅かな静寂が会議室内を余計に重い空気にさせる。
部屋の外にはギルド職員たちも気を使ってか、あるいは発せられる雰囲気を嫌ってか誰も近寄る気配もなく、音も聞こえない。
せめて軽く喉を潤す程度に紅茶でも出せば良かったと、サーシャは乾いた口腔内に不快さを抱きながら、意を決して封蝋の隙間に小さな人差指を潜り込ませた。
そのまま右にすーっと動かせば、重苦しい気分とは対照的に封は簡単に外れる。
中には丁寧に四つ折りされた洋紙が1枚。視線で読んでも構わないか、とフィリアスに問えば、彼はもちろんと鷹揚に頷く。
書かれる文字は世界的な共通言語。恐らくこの原本の書き手は相当神経質で独特な感性を持ち合わせているのだろう。1文字1文字が定規を使ったように角張り、インクの滲みが見受けられない。
そんな一見すれば読みやすそうな文書をしかめっ面で読み進めていたサーシャは、やがて視線を上げると疲れたように目元を解し、一息ついて口を開いた。
「いつくか質問をしたいですが……確かに貴方の仰る通り最悪に近い出来事が水面下で動いているようですね」
「ええ。ですが、まだ防ぐことは出来ます……いえ、僕としては防がなくてはならないっ」
動じる様子もなく、普段と変わらない淡々とした表情をしていたフィリアスだが、突如として奥歯をギリッと鳴らした。
憎悪が篭った語気。世間的に知られている穏やかな雰囲気が虚構だと感じてしまうほど、彼が発している空気は殺気立っている。
(やはり彼も冒険者、と言うことを実感します……)
ギシッ、と精巧で頑丈な縦長のテーブルが嫌な音を上げる。
上級冒険者ともなれば往々にして威圧感と言うモノを発せられるが、物理的に影響を与える程の威圧感を放てるのは目の前の一人を含めて都市内で数人程度だろう。
だが、そんな上級冒険者たちをも竦み上がらせるほどの威圧感の影響下にありながら、サーシャは表情一つ変えない。
だからこそ、彼女はその有能さも加味され、若くしてギルド本部長の座に着いているのだろう。
しかし、瞳を休ませるように閉じていた瞼を上げると同時に、彼女は背筋が凍る思いをした。
先ほどまでは確かに目の前に座る小人族は理性と知性を宿した金瞳をしていた。だが、今その瞳は深紅に染まっていたように見えたのだ。
ギルド本部長という役職柄、魔眼持ちや神眼持ちの冒険者を多く見てきた。その経験故に瞳にどちらかを宿しているかもしくは先天的な色なのか判別できる彼女から見て、フィリアスという冒険者は特別な瞳を持っていないと断言できた。
それなのに、瞳が変化している。ましてや魔眼や神眼という眼よりも危険だと本能が告げるほどの何かを予感させる色。
(……復讐というよりは憤怒の劫火、でしょうか)
詰まりそうになる息を必死に整えた時には既にフィリアスの瞳と雰囲気はもとの穏やかなモノへと戻っていた。
「……さて、勇猛なる心槍。防ぐための、協議および協力は確約していただけますよね?」
「ええ、それはもちろんです。僕たちが全面的に協力しますよ」
やはり目の前の小人は化物だ、そんな言葉を今一度脳内に刻み込みながら、努めて冷静さを見せつけるように会議の主導を握ろうと言の葉を絞り出すサーシャ。
そんな彼女に対して、フィリアスは年長の余裕を見せ付ける。
これからの対策会議はきっと夜半を越えても終わらない――――そんな予感にサーシャは何度目か分からない疲労感を覚えながら、責任者として職務を全うするのだった。




