見とり稽古
時間が取れないんです……なんで、こんなに忙しいんだ……
まあ、そんな愚痴は聞き流してください。(笑)
お待たせしました(待っていた人がいるかは不明ですが……)
これからも頑張って更新しますよー
明くる日。
隼翔の姿は道場にあった。
普段とは異なり、道場に合わせた上下濃紺色の剣道着。腰には二振りの愛刀を携えるが、手には使い込まれた竹刀が握られる。
だが、今日ここにいるのは決して自分の鍛練のためではない。
「あ、あの……ハヤト殿。本当に……大丈夫なのですか……?」
「ああ、問題ない。流石に猛者との闘いだと不味いが、今日はひさめの鍛練だからな。十分動ける」
目的は、彼の眼前で心配に表情を歪めるひさめに稽古を付けるためだ。
竹刀を正眼に構える立ち振舞いこそ普段とは変わりないが、やはり道着の胸元から覗く赤みかがった包帯が昨夜見た夥しいほどの傷を否応なしに思い出させる。
「それに何も打ち合いをしようって訳じゃない。刀術の伝授はまず見とり稽古からだからな」
「で、ですが……」
だが、辛い情景を思い出すひさめをよそに隼翔は再度問題ないとかぶりを振り、愁いに声を震わせる彼女の言葉を遮るように竹刀を大上段へと構え――――振り降ろした。
決して勢いがあったわけでも、突飛な速度で見えないわけでもない。
力みの無い動きから降ろされた竹刀の軌跡を見ていたひさめは、しかしその空を斬り裂く高音に思わず言葉を失わずにはいられなかった。
あまりにも美しすぎる剣先。決して忘れることが出来ぬほどに無駄の無い動作。
初めて地下迷宮で目撃して、そして見惚れてしまったあの時と同じ感動が胸を高鳴らせ、支配する。
な?とこちらに顔を向ける隼翔に言葉を返せないほどには、ひさめは顔を赤く染めていた。
「……あ、は、はいっ!!?と、とても、素晴らしかったですっ!!」
しかし、いつまでも惚けていると言うことはなく、はっと我に帰ったかと思うと、普段よりも興奮した声色で言葉を返した。
ただ、その返答が少しばかりズレたモノになってしまったのはご愛敬なのだろう。
「いや……別に俺は問題ないということを言いたかったんだが……まあ、いつもどおりって解釈もできるか?」
「はっ、す、すいませんっ……」
顔を赤らめながら恐縮そうにするひさめの反応を、きっといつも通りには素振りが出来ていたのだろうと解釈して、隼翔はその後少しだけ素振を繰り返した。
一振り、一振り身体の動きを確かめるような、ゆったりとした素振り。
かくも痛みに慣れている隼翔とは言え、痛みを感じないほど鈍感な訳ではなく、常に闘えるようにと最適化された弊害として痛みに強いだけなのだ。
特に戦いの中ではその弊害が顕著に現れるが、生憎と今は日常。立っているだけでも全身がじくじくと痛みを訴え、素振をすれば痛みは激痛へと変容する。
――――だからこそ、隼翔としても少しだけ自信が無かった。
ここが戦場の真ん中であれば痛みなど気にならず、また普段通りの相手を殺すためだけの刀術を当たり前のように振るえばいいだけなのだから。
(しかし、今は見とり稽古。ましてや人を活かす剣術を目指すひさめに見せるからな。俺の剣じゃダメだ)
日常の中でいつもの殺すため、ではない剣を振るう。
それは激痛を伴う身体で出来ているのかと問われれば、正直隼翔は頷けなかった。
しかし、どうやらそれは杞憂であったらしいとひさめの反応から悟り、そっと息を吐いた。
「さて。それじゃあ、これから始めるわけだが……これから見せる技は俺の刀術ではないとは言え、どれも根本は同じ《殺すため》の剣。つまり、ひさめが覚えるべきものではない」
言っている意味が分かるよな、と隼翔が静かな視線で問いかけると、ひさめもまた神妙な面持ちで、小さく頷いて見せた。
今回は見とり稽古と称しているが、実際のところ技の伝授という側面はほとんど無い。
言い換えるなら、本質としては既存の殺すための剣術から新たな活かすための剣術を生み出すための着想の一歩と言える。
「だからこそ着目すべきは型ではなく、技の本質――――何を目的としているかの部分だ」
そう言うと隼翔は短く呼気を吐き出し、竹刀を中段に構えた。
力みは無く、悠然とした自然体。それでいて修練場の空気を張り積めたモノにしてしまうのは、隼翔の剣豪としての力量が成す技だろう。
(……ただ、構えただけでこれほどとは……。さすが、です……)
威圧されているわけではないのだが声を発するのが憚られ、ひさめは息を飲み、心の内で言葉を漏らす。
そんな彼女の状態を悟ったのか、隼翔は構えを解かずに口を開く。
「まず一つ目の技は――――水禅一刀流《流》」
向かい合った状態で告げられた流派と技名は稽古開始の合図。
ひさめは構えていた竹刀をより強く握りしめ、床を強く蹴った。
正眼から大上段へと振りかぶる。たが、隼翔に動きはない。
間合いは4歩を切る。それでもやはり隼翔は動かない。しかし、ひさめに油断はない。
(たとえ傷だらけでも、動かなくてもハヤト殿は自分よりも圧倒的に強いっ……だからこそ、全力で行かなければっ)
竹刀を握る力が少しだけ強くなる。
そのまま、3歩……2歩……1と、完全に刀の間合いに隼翔を捉える。
ひさめが狙うのは竹刀を握る隼翔の右手首。相手を活かしながら無力化するにはやはり武器を持てなくするのが早い――――と、考えたと言うよりは、どちらかと言えばひさめという少女の優しさの表れと判断すべきか。
そして、その優しさを隼翔は注意することも愚弄することもない。ただ、変わりに武をもって後押しと難しさを彼女に伝えた。
「これが《流》だ。どう感じた?」
いつの間にか隼翔の握る竹刀が自分の首筋にあてがわれている。
二人の力量を考えれば当然とも言える結果。だが、問題は過程にある。
(……ハヤト殿の竹刀が動いたのに気付けなかった?……いえ、そもそも動かしたのですか?)
隼翔の立ち位置は最初と変わっていない。
流石に竹刀は正眼から少しばかり動いているが、相対していたひさめからすれば動かしたことが知覚できないほどで、むしろ自ら竹刀に首筋を近付けてしまったと錯覚していることのが自然にすら思えてしまう。
「その様子だと何が起こったか分からない、って感じか?」
「……す、すいません」
「いや、別に責めている訳じゃない。むしろ、素直な反応で感心している」
申し訳なく項垂れるひさめの頭にぽんっ、手を乗せる。
それだけで少女の表情はがらりと変わり、熟れた果実のようになる。
そんな恋する乙女の反応を横目で見ながら、隼翔は言葉を続ける。
「そもそも水禅一刀流という流派は水面を禅を組んで眺めていた武芸者が編み出したと言われるのが源流なんだ」
突然の流派誕生の話。
確かに流派を知るにはその出自を学ぶと言うのは重要だと思い至るのは容易いことなのだが、かといってその話が先ほどの会話とどのように繋がるのか検討がつかない。
かといって、ひさめに話の最中に質問を挟めるほどの勇気があるはずもなく、顔を赤く染め、その表情を隠すように俯きながら話に耳を傾ける。
「曰く、この世の全てには流れが存在し、それを読み制することこそが空位へと至るところなり――――まあ、要するに水禅一刀流の教えだな」
「は、はぁ……?」
例えば空気。
その強弱も、吹く方角も常に変わり続け、決して同じになることはない。
例えば雲。
大きくも小さくもなり、雨を降らす時もあれば、ただ浮かぶ時もある。
例えば戦い。
常に移ろい続け、自分が押している時もあれば、些細な出来事によって相手が逆に押し始めることもある。
全てには流れがある。
その流れを完全に読み、そして思うがままに支配することが出来れば誰もが望む高み――――空位へと至ることができる。それが水禅一刀流という流派だ。
といっても、あまり戦いに馴染みがなく、今まで我武者羅に生きてきた少女にとっては実感が無いようで、とても不思議な様子で首を傾ける。
「そうだな……例えば目の前を川が流れているとする。そして川上から1枚の落ち葉が流れてきた。さて、落ち葉を川に入らず採るにはどうすればいいと思う?」
「へっ?川に入らずに、ですか?」
川幅にもよるが、今の話の流れから片手を伸ばせば向こう岸まで届いてしまうような小川ではないだろうと、ひさめは難しそうに想像に浸る。
(……道具を使う?いえ、きっとそういうことではないはずですね……そうすると……)
最初に浮かんだのが何か長い道具使って採るというモノ。
上手くいけば簡単に採れるが、恐らく求められているのはそういうアイデアではない。
もっと武術要素がある発想が必要――――そう、考えながらひさめを自信無く口を開く。
「……えっと、その、落ち葉の流れ着く先を予想して……先回りする……とかでしょうか?」
「そう。水禅一刀流において、重要な要素の一つが今ひさめが言った流れ着く場所に先回りする――――つまり《流れを読む》ということ」
漂着あるいは岸へと接近する場所へ先回りして待てば川に入らずに拾うことができる。
言葉にすればこれほど単純なことはないが、実際に実現するのは困難を極める。
川の大まかな流れは上流から下流へと一方向だが、流れの速さは場所によって様々であり、また岩や泳ぐ魚、その他の多くの要因によって細やかな視点の流れは複雑に入り乱れて、変化し続ける。
それら連綿と続く変化を常に把握しなければ先回りなど到底できない。
それにも関わらず、水禅一刀流という流派を学ぶ上でまだ技術が必要なのだから、目眩の一つもしてしまいそうになる。
「えっと……つまり、まだ技術が必要ということ……でしょうか?」
ひさめも同じ結論に至ったのだろう。驚愕よりも底知れなさと自分に出来るのかという不安から言葉を震わせている。
「その通りだ。水禅一刀流を語る上でもう一つ重要な考えがある。先ほどの問いに準えて言うなら、流れを自分き都合よく変える、だな」
川を流れる落ち葉を拾うために流れを予測するのではなく、流れを自分の都合のように変える。
かなり大胆かつ突飛な発想だが、確かに理に叶っている。
「要は流れの《誘導》。落ち葉を自分の決めた場所へと漂着させるってことだよ」
「……な、なるほど……」
「水禅一刀流――――《流》。これは相手の動きを予測し、さらに相手の動作を誘導する。だからこそ、ひさめが何が起きたのか理解できなくても不思議じゃないんだ。俺が動きを読んで、ひさめの竹刀を撫でるように俺の竹刀で流した。そうすることで自然とひさめの身体が流れて……首筋に竹刀が当たるんだ」
確かに注意して思い出すと隼翔の竹刀が動いた。
人は僅かな動きの変化を認識するのは不得意と言われるが、つまり隼翔は最初から竹刀を認識できないほどゆったりとした動かしていたと言うことなのか。
それを大したことをした訳じゃないと、誇る様子もなく淡々と解説しているが、これまで隼翔のもとで鍛練していたからこそ、ひさめにはその技術の凄さがよく理解できている。
何せ動きを読まれただけじゃない。動きをひさめ自身に違和感を与えないほど自然に誘導して見せたのだ。これを極みの技術と讃えず、何を讃えるべきだろう。
だが、そんなひさめの無言の称賛に隼翔自身も気が付いたのだろう。どこか釈然としない雰囲気ながら、一応嬉しそうに目尻を下げる。
「ひさめが称賛してくれる気持ちは嬉しいよ。ただ、水禅一刀流の開祖と呼ばれた者は数十人を相手取り、ただの一度も刀を振らずに全員殺して見せたと言われるからな……俺もまだまだ空へと至ってないな」
「……ただの一度も振らずに……ですか?」
しみじみと最果てを眺めるように語る隼翔の横でひさめは言葉を失う。
普通に考えてそんなことは絶対にあり得るはずがない。何せ刀を振らずに殺すなど、相手が殺し合うかもしくは自ら刀に刺さりに行くしか方法はないのだから。
だが、それを一度経験してしまった以上、ひさめに安易に否定の句を述べることができなかった。
そんな彼女の心の葛藤を知らず、隼翔は静かに言葉を続けた。
「ああ。水禅一刀両流は流れを《読み》、流れを《支配》する。だから、相手はもしかすれば仲間の刀に斬られるし、もしかすれば勝手に刀に刺さってくる。《流》は水禅一刀流の最も基礎の技であり、同時に極意にも当たると言われる由縁はここだな。……とまあ、長々と語ったわけだが、こういう剣術だ程度の理解があればいい。それよりも稽古を続けようか」
「は、はい!」
ふっ、語り口調を止め、いつもの仲間に向ける優しい口調へと戻すと、隼翔は再びひさめと向かい合うように竹刀を構える。
そして、ひさめもまたそんな隼翔の動作に釣られるようにして竹刀を構え、稽古は再開された。
注)話のなかに出てきた剣術は実在しませんからね。頭を空っぽにして、深く考えずにお願いします。