追憶の修羅
『そやつは魔帝と呼ばれるようになる前、丁度我と出逢った頃の姿だ。我が記憶を基にしているから強さは本物だ』
もちろん全盛期には遙かに及ばんがな、と脚を組みながらそのように付け足す真祖。しかし、隼翔にはその言葉はほとんど届いていない。
隼翔の思考はすでに眼前にいる者に注がれている。
「…………」
無言のまま、相手を観察する。その瞳は一挙手一投足の逃さんとばかりに鋭く、鷹を彷彿させる慧眼だった。
真祖によって生み出された男は意外と小さく何よりも若い。それこそ隼翔の肩ほどのしか背丈が無く、歳も13、14歳ではないかと思うほど幼い風貌をしている。
その容貌は中性的と言うよりもむしろ女性よりで、少し長めの黒髪とクリクリとしたつぶらな瞳が余計にそれを際立たせている。
確かに幼いのだから仕方のないことだとは思うが、それでも普通ならそんな者が相手として出てきたら誰でも油断をしてしまうだろう。
しかし隼翔は油断するどころか、むしろ油断などあり得ないとばかりに気を引き締め直した。
隼翔は普段、素肌剣術の使い手ながら無形の位を好んで使っている。その理由は様々あるが、一番はやはり形が無い、つまりどんな状況に陥ろうとも臨機応変に対応できるという強みがあるからである。
そんな隼翔だが、今は無形の位ではなく正眼に刀を構えている。加えて右の瞳――――神眼――――の色も漆黒に戻している。この戦いに置いて神眼は不要で、同時に無駄を極限まで無くす、そのために通常の状態にした。それだけ眼前にいる少年を危険だと判断したのである。
「……ふっ」
そんな対応を見て、軽く笑みを浮かべる少年。そのまま彼は右手を背後の台座に向ける。すると、中空を浮いていたはずの剣が勢いよく動き、まるで意志があるかのようにバシッと少年の右手に見事に納まった。
そのまま少年は剣を剣帯に差し、力強く抜剣する。そこに表れたのは見惚れるように美しい濤乱刃を浮かばせる片刃の剣――――まさしく刀だった。
「おいおい、この世界に刀は無いんじゃないのか……」
そんな気の抜けた言葉を漏らしつつ、構えには微塵の隙も見せない。
そのまま両者の間の緊張感は次第に高まって行き……それが最大限に達した瞬間、両者が同時に床を蹴った。
――――キンッ!!!!
ぶつかり合う二振りの刀。それらは甲高い金属音と火花を散らす。そのままどちらの刀も動きを止め、同時に意志を示しあったかのように離れていく。
「……さすが、だな」
刀を握る腕にわずかながら痺れを感じさせた相手を賞賛するかのように隼翔は呟く。
対して少年はというと顔色一つ変えずに、ただ無遠慮な視線を隼翔に向けている。
そんな二人は互いに睨み合い、再び同時に地面を蹴った。
――――キンッ、キンッ、キンッ!!
先ほどと同様に金属音が聖堂内を響くが、今回はそれが木霊するように何度も、何度も続く。
無数の銀閃が激しい火花を散らしながら空中をぶつかり合い、二人の立ち位置は目が回るほどに入れ替わる。
そんな一見すれば互角に見える攻防を広げる中、隼翔はクッと下唇を噛み、胸の中で臍を噛んだ。
(くそっ、刀の性能が違いすぎるっ)
刀がぶつかるたびに、刃同士が接触し合うたびに、その刀としての性能の違いをまざまざと体感させらえる。
別に隼翔は業物が強いと思っているわけもないし、強い弱いが刀の性能で決まるとも思っていない。仮に世界に名をとどろかせる名剣を素人が持っていても、その素人が棒切れを持った達人に勝てないのは火を見るより明らかだろう。
しかし、何度も打ち合えば当然のように刃は摩耗し、刀身は弱る。そんな状態になってしまえば、業物が有利になってしまうのもまた事実だろう。
かといって隼翔の持つ白塗りの鞘の刀が業物じゃないかと言えばそうではない。現にここまで共にしてきた刀は女神が授けてくれただけあり、かなりの業物だというのは隼翔自身が一番分かっている。
だが、目の前で打ち合っている刀は次元が違う。ぶつかり合うたび、自分の相棒は悲鳴を上げるが、向こうの刀にその様子も兆候もない。
――――このままじゃ折られるっ!!
そう悟った隼翔は刃と刃が接触しようとした瞬間、ゆっくりと手元から力を抜いてき、相手の刀を受け流した。
衝突せずにいなされた結果、少年は体勢を崩し、勢いのまま前のめりになった。
「……?」
予想外の出来事に目を見開き茫然とする少年。だが、隼翔はその隙を見逃してやるほどお人よしではないので、そのまま無防備の胴を一閃するべく、踏込み、横薙ぎにした。しかし――――。
「なっ!?」
今度は隼翔が目を見開く番だった。
耳劈くな金属音と硬質な手ごたえ――――そう、少年はいつの間にか手元に戻した刀で防いだのである。しかし、それでもさすがに隼翔の一撃の勢いに負け、ズザザザッ、吹き飛ばされる少年。
表情も曇り、片腕を離して上下に振っているあたり、手も痺れたのだろう。
それでも、だ。隼翔は目の前で起きた光景を未だに信じられないでいた。完全に隙をついた格好だったのに、防がれたなど初めての経験だったのである。
『ほう、さすがにやるな』
パチパチパチ、と呑気に拍手をしながら呟く真祖。その視線が隼翔に向いているあたり、どちらを賞賛しているかは歴然だろう。もちろん、隼翔はそれに気が付いていないのだが。
『だが、勝負が面白くなるのはこれから……だな』
そんな真祖の言葉通り、少年の雰囲気が激変した。両手の痺れも取れ、刀を握り直した少年。同時に圧力が増す。先ほどまでも殺気を放っていたのだが、今その比ではない。おそよあんな可愛らしい風貌をした少年が放つ雰囲気ではない、と思わず目を見開く。
「ちっ……」
ガッ、と地面を抉るほど蹴りながら肉迫する少年。その重い一撃を受けるのは下策と瞬時に判断し、右足に力を籠めてギリギリで躱そうとする隼翔。
だが、その姿を追うように直角に曲がりながら、一切勢いを落とさずに追従してくる少年。さすがの事態に隼翔も咄嗟に刀で受けてしまった。
「「きゃっ!?」」
魔物の金切り声を思わせるような、甲高い音に思わず耳を塞ぐフィオナとフィオネ。しかし、その瞳は目の前で起きた信じられない光景に見開かれていた。
少年の刀を真正面から受けた隼翔の身体が少しながら宙に浮いている。もちろんそのまま両の脚でしっかりと地面を捉え、引きずられるように地面を擦りながらも踏み留まったのだが、それでもそんな状況を姉妹は初めて見た。
あの筋肉の鎧を纏ったような体躯のオーガと切り結びあい、首狩りと称されるスライサーに押されることが無かった隼翔が、押し負けたという事実を容認できなかった。しかもその相手があどけなさが残る少年なら尚のことである。
「「ハヤトさまっ!!」」
咄嗟に叫ぶ姉妹。だが、隼翔は返事はせず、問題ないとばかりに腕で制す。
(ちっ、大丈夫だ、と強がっては見たものの……)
刀を握る腕を見やる。見た目上は変化はないが、予想以上に痺れており感覚がかなり鈍い。おまけに、とばかりに視線を刃に向ける。
刃の中ほどが一部欠けており、流麗な線が失われている。そこの部分はまさしく先ほど一撃を防いだ部分。
「この程度の破損で済んだのは運が良かったの……か」
小さく自嘲気味に呟きながら、眼前で佇む少年を見やる。
速度も重さも急激に増した。それこそギアが一段上がったとかいうレベルではなく、何段もすっ飛ばしたかのような急激な上昇である。
さすがに何か仕掛けがあるのでは、と少年を観察しようとするのだが生憎そこまで親切ではなく、視線を向けようと瞬間、少年の姿がこつ然と消えた。
爆砕音を響かせる床板、それを視認すると同時に隼翔は身を屈めた。
「出鱈目な速度、だなっ」
ヒュンッ、と空気を切り裂く音が頭上で鳴り響いく。いつの間にか背後に移動していた少年が首を撥ね飛ばすが如く一撃を繰り出していたのである。
だが、その出鱈目とも言える速度に身体能力だけで対抗している隼翔も十分に出鱈目である。現に、今も軸足を半回転させ、曲げた膝をばね仕掛けの如く跳ねあげながら刀を切り上げて反撃を試みているのだから。
しかし、その一撃は少年の長めの髪の先端を斬るにとどまり、大上段からの斬り降ろしが返ってくる。
「ちっ!!」
その一撃を舌打ちしながらバックステップで危なげなく回避し、そのまま距離を取る……ではなく着地と同時に一転して力強く踏み込んだ。
「……!?」
それを唖然としたようにぼんやりと見つめる少年。少年からすれば、バックステップのまま距離を空けてくると思っていたのだろう。だが、その予想を完全に裏切られて思わず動きを止めてしまった。
隼翔は別に相手の虚を突くために踏み込んだわけではない。狙いはむしろ別にある。
肉迫する隼翔、その手に握られる刀は少年を斬りさかんとばかりに振り抜かれる。
もちろん少年とて、いくら動きを止めてしまったと言え、ギリギリ防ぐことぐらいはできるので何とか迫り来る刃を弾こうと必死に伸びた腕を戻す。そして――――。
――――キンッ!!
何度目とも分からない金属音が響き渡る。しかし、この音は今までと意味が違っていた。
これまでは刀の性能云々を除いた、互角の攻防の中で再三金属音が響き渡っていた。だが、今回のは、隼翔が一方的に攻めるきっかけとなる、いわば反撃の狼煙とも言える音。
歪むあどけない顔と、対照的に獰猛な笑みを浮かべる大人っぽい顔。
「逃がすかよっ!!」
隼翔が吠えながら銀閃を煌めかせる。その一撃、一撃は重く的確に少年の余裕を奪う。
体勢は崩され、反撃に出ることも許されずひたすらに受ける少年。時には脚に力を溜め、隼翔をも驚愕させた速力で距離を取ろうとするのだが、隼翔がその進路を阻害する。
どうやら全盛期の魔帝では無いため経験値と言う面では隼翔に分があるのか、少年の一歩先を正確に読み、間合いから逃がさない。
あるいはコレが全盛期の魔帝だったらおそらく経験と言う面で互角だっただろうが、そのあたりまでは真祖が忠実に再現していたために隼翔が優位に立った。
なぜあの時踏み込んだのか、それはこの状況を作り出すためである。いくら信じられない速力を有していると言っても、速度に乗せなければいいだけの話。そして、ソレをさせない為に隼翔はあえて接近した。読みという点ではこの少年を凌駕しているという確信を打ち合いの中で得ていたからである。
もちろんそんな展開になっても少年の薄皮を斬り裂くのみで隼翔の一撃が少年を完全に捉えることができない辺り、少年の技量の高さが窺えるというもの。
そんな状況でも隼翔は落ち着き、さらには心にも余裕が生まれ始めた。そうなったがために、あることに気が付く。
「コレは魔力の反応、か?…………なるほどな、そう言う事か」
生まれた余裕を有効活用しようと、左の朱色の瞳が捉える世界を括目する。すると、真祖が発する強大な魔力のほかに、少年を囲うあるいは纏うように別の色の魔力が薄らと見えた。
その魔力は少年の身体を鎧のように薄く覆い、時には少年の動きを補助するように腕や脚先に多く集まったりしている。
その魔力の流れを見ておぼろげにその現象の意味を理解し、静かに呟いた。
「魔力を纏うってやつだな。そんな技能がこの世界にもあったの、かっ」
そんな言葉とともにあえて横薙ぎを強振し、少年を弾き飛ばす隼翔。
その一撃によって少年は鈍い音とともに壁に叩き付けられる。だが、同時に隼翔からようやく距離を取れたことに安堵したように表情を微かに緩ませる。
そんな少年に対して、隼翔は挑発するように自身の刀の切先をスッと突き付ける。
「お前の速力の仕掛けが分かれば、もう十分だ。次で幕引きにさせてもらうぞ」
その言葉とともにサッと納刀する。一見すれば背水の陣とも言える行為だが、先の言葉からすればむしろ、自身の勝利は揺るがないという絶対の顕れになる。
ここまで基本的に喜怒哀楽の感情をあまり見せなかった少年だが、さすがにこの言動には怒りを感じたようで眦をキッと吊り上げ、歯を強く食いしばった。
「ふんっ……」
そんな様子を見た隼翔はあざ笑うかのように軽く鼻を鳴らし、そっと刀に手を掛ける。更にはスッと瞼を閉じる。
少年はそれを目にした瞬間、ガッと今まで一番強く床を蹴った。その強さを証明するかのように床板は砕け、捲れ上がっている。
「「ハヤトさまっ!!??」」
「……」
『ほぅ……』
怒れる獅子の如く、犬歯をむき出しにして隼翔に斬りかろうとする少年。
その光景を見て悲鳴を上げるフィオナとフィオネ、対照的に無言でジッと眺める吸血姫たち、そして感心したように息を吐き出す真祖。
だが、隼翔の耳にはそれらの声は一切聞こえていない。聞いているのは、ただ一つ。床を砕きながら駆ける少年の足音のみ。
その足音はどんどん肉迫し、その距離は一気に縮まる。その距離が5mを切った瞬間、隼翔が動いた。閉じていた瞳ゆっくりと上げ、鷹の如く鋭く見開く。そして――――。
「双天開来流 抜刀術・邦土」
一切気負いのない声とともに隼翔の周囲で銀光が流星の如く閃いた。
隼翔が口にした双天開来流――――これは隼翔が多くの剣術を学び、自分を拾ってくれたあの人のために、己の両腕であの人の為に未来を切り開く。そんな、どこまでも純粋な願いを糧に造り上げ昇華させた、隼翔だけの剣術。
「…………」
怒れる獅子の如く肉迫していた少年が不自然に動きを止める。まるでそこの空間だけ時間が止まってしまったかのように、少年はピクリとも動かない。
そんな相手を隼翔は一瞥する。そして 石像のように動きを止めた少年の身体が崩れ落ちる。腰から上が前方に、そして下半分が後ろにゆっくりと倒れていく。
隼翔の放った邦土は彼を中心とする周囲の空間を侵すもの全てを斬り裂いた。
しかしここで幸いだったのは真祖が創り出した存在なだけに血が吹き上がるようなことにはならず、そのまま光の粒子のようになりながらスーッとその姿を消し、あとには剣が地面を突き刺さる音だけが悲しく残った。
――――すまない。
そんな光景を背にしながら誰にも聞こえないような声でそっと呟いた。
一見すれば、それは斬り裂いた少年への手向けの言葉にも聞こえる。だが、実際は少年への言葉ではない。
隼翔は手に握る刀をそっと見やる。普通に見るなら刃の一部が欠けてしまったに過ぎない。だが、隼翔には刀の命が尽きる予兆を感じていた。
微かな振動が手を揺らし高周波のような甲高い音が耳に届いている。そしてそのまま――――パキッ、と音を立てて刀に罅が入る。それはどんどん加速度的に広がっていき……最後には粉々に砕け散った。
「さて……次は貴様とやればいいのか?」
一切感情を悟らせない静かな声でそう問いながら、刀身をすっかり失しなった刀を悠然と座る真祖に向ける。
言外に、お前にも勝って強さを証明してやろうか?と自信ありげに告げている。
そんな隼翔に対し、真祖はと言うと――――。
『くっ、ハハハハッ!!その状態で無謀にも我に挑み、かつ勝って見せるというのか?実に面白い』
鋭く真っ白な牙を獰猛にむき出し、快活に笑って見せる。しかし、次の瞬間恐ろしいほどの殺気をまき散らし始める。
その殺気は隼翔が激昂した時のソレに匹敵するレベルである。
「「うっ……」」
それにすぐさま反応し、委縮するフィオナとフィオネ。その近くでは吸血姫たちはが表面上は悠々と佇んでいる。しかし、目を閉じているアイリスはその艶かしい脚を微かに震えさせ、腕を組んでいるオデットはその白い二の腕がうっすらと変色し、痣が浮かび上がっている。
そして、その殺気を向けられている隼翔はと言うと――――。
「……」
掲げる腕は少しもブレず、ただ無言のまま真祖を睨み続けている。
二者の視線が激しく、だがとても静かにぶつかり合う。
そのまま時間がただ過ぎていく。それは一瞬だったかもしれないし、何時間も経過していたかもしれない。
突如として真祖が放っていた殺気が嘘のようにフッと消えた。
へたりと座り込む姉妹、吸血姫たちも軽く肩で息をしている。
――――パチ、パチ、パチ
誰もが言の葉を発さない空間に、そんな呑気で乾いた音が響いた。
その音を出しているのは真祖の両の掌。
『見事だ、小僧。まさか我の殺気に怯えもせんとは……。しかも、クックッ、本気で勝つつもりでいたとはな』
ニヤリとその甘い美顔に笑みを浮かべる真祖。それに対して隼翔はフンッと盛大に鼻を鳴らして挑発してみせる。
その尊大な態度もまた真祖を楽しませたようで、ククッと腹を抱えて笑みを零す。
『そんな状態でそこまでするとは、何か策でもあるのか?』
「そんなに気になるなら俺と刃を交えてみればいい。無策かどうか、簡単に分かるぞ?」
ニヤリとシニカルな笑みを浮かべてみせる。だが、真祖はそんな隼翔の心の内を読んだかのように肩を竦めて見せる。
『なるほどな。だが、どうせその腰の得物を抜けんのだろう?そんな状態では我には勝てんさ』
その言葉に思わず隼翔は肩を軽く揺らした。確かに腰に携える黒塗りの鍔の無いの刀はなぜか抜くことができない。
だが、その事実を知るのは隼翔だけである。これは女神ペルセポネにすらも相談していない内容、にもかからわずそのことを正確に見抜かれたことに隼翔は動揺を隠せなかった。
『随分と不思議そうな表情だな。なぜ、知っていると言った感じかね?』
真祖は腰を掛けていた台座からフワリと霊体らしく重さを一切感じさせない動作で降りて、床に不自然に刺さる剣の元までやってきた。
そんな真祖に対して、隼翔は警戒心を露わにした瞳をキッと向ける。
『安心せよ。先の試練で貴公は見事に強さを証明した。故に我の持ち手に相応しく、その貴公と事を構えるつもりは無いからな』
その言葉通り、真祖からは一切の害意を感じず、むしろ所作は友好的とすらも思える。
その雰囲気から一応は問題ないと判断をして隼翔は構えを解き、剣帯から白塗りの鞘を取り出し刃を失った刀を納め、鞘の部分を右手で力強く握りしめた。
『さて……まずは受け取れよ』
そう真祖が口にすると、床に刺さっていたはずの剣が突如浮き始め、そのまま床に落ちていた漆塗りのような光沢のある深紅の鞘にスッと納まりゆっくりと隼翔のもとに飛んで行く。
眼前でワイヤーか何かで宙吊りにされているかのように、不自然に空中で静止する刀。隼翔はそれを見た後、刀の先で笑みを浮かべる真祖に訝しげな視線を送る。
受け取ろうとしない隼翔に対して、真祖は笑みを浮かべたまま、受け取れと言わんばかりに顎をクイッと動かす。
「……はぁ」
一瞬、右目の神眼を発動しようかと迷ったが、そうはせずに素直に受け取り事にした。
開いている左手を伸ばし、軽くその鞘の握る。
その瞬間、ドクンッと身体中を力強い何かが電気のように駆け巡った。
(何だっ、これ!?)
思わず瞠目する隼翔。その何かは一瞬のうちに消え去ったが、それでも確実に刀の内包する何かを正確に表していた。
また、握っただけでその刀自体のすごさを実感してしまった。業物と称するのはあまりに陳腐すぎる、それほどの刀。これまでの人生の中でこれほどの刀を持ったことがなかった。
『ほう、手にしただけで我のすごさを理解したとは……。さすが、と褒めておこうか』
瞠目する隼翔を褒め称えるように呟く真祖。
しかしその賛辞を贈られた本人は未だに刀を見つめたまま、完全に聴こえてはいない。それほどまでに隼翔はその刀に魅了され、心酔しきっている。
『我としても見る眼のある者に気に入られるのは悪い気はせんが、そろそろ話をしても構わんかね?』
ン?、と細い頤を触れニヤリと笑みを浮かべながら尋ねる真祖。
その声にさすがに隼翔は、はっ!と気が付き、バツの悪そうな表情を浮かべる。
『さて……まずはその得物の銘だが、瑞紅牙。性能などは……後ほど説明するとしようか』
「瑞紅牙、か。それで、なんでお前はコレのこと知っていたんだ?」
剣帯に貰い受けた瑞紅牙を差し、そのまま左の掌を黒塗りの鞘の刀の柄頭に当てながら問う。
真祖はその漆黒の鞘を見た後、果てしなく高い聖堂の天井を見上げながら話始めた。その視線はまるで、遠い過去を見ているようなそんな雰囲気を醸し出していた。
『あやつも貴公の腰にある得物を持っていたからな。女神から賜ったモノなのだろう?』
「あやつ……なるほど、魔帝も持っていたのか。それなら分からなくもないが……だが、どうして抜けないと断言できる?」
魔帝と呼ばれた者が持っていたならばこの刀を知っているのは納得できる、と内心で思いながらも、それが現状でこの刀を抜くことができないという事への答えとはならず、訝しげな視線を真祖に向ける。
それに対して真祖はどこか人の悪い表情を浮かべる。
『くっくっ、そんなに睨まれても怖くないさ。だがまあ答えるとするなら、一つだな。貴公はまだまだ女神に賜ったソレを抜くには早いと言ったとこだな。心身の未熟さと共にその時ではないのさ』
どういうことだ、と問いかける隼翔に対し、真祖はこれ以上は話す事は無いとばかりに踵を返し彼の配下である吸血姫たちのもとに歩み寄っていく。
そんな姿に隼翔は、ったく、と小さく悪態をつきながら、真祖同様にフィオナとフィオネの場所まで歩みを進めた。
「ハヤトさま、お怪我は大丈夫でしょうか?」
「ああ、俺は……な。ただ、こいつはもうダメだな」
右手に持つ白鞘の刀を見ながら呟く。
なんだかんだ言って名刀であり、かつ異世界でこれまで共に生き抜いてきた相棒でもある刀。それだけにその思いも一入ということか、愁うように瞳が揺れる。
「その……そちらの方は残念でしたね」
「……刀としての本懐を遂げさせやれてたらいいんだけどな」
まるで自分の力の未熟さのせいで破壊されてしまったと、悔しさを滲ませながら呟く。
フィオナとフィオネからすれば、隼翔の技量は間違いなく超一流とも言えるものを持っているようにしか思えず、一瞬そんなことは無いと発しようとしたが、ギュッと口を噤んだ。
確かに間違いなく隼翔の腕は見紛うことなく一流であると断言できる。
だが、同時にそんな腕があるからこそ自分が許すことができず、またその心情を共有できるのは同じ技量を持つ者にしか許されない。
そんな世界に自分たちは踏み込むことは許されないし、慰めにもならない。そう察した姉妹はただ、黙って隼翔を見守った。
そして見守られる隼翔はと言うと、落としていた視線を上げ、急に踵を返し先ほどまで剣戟が飛び交っていた場所へと戻って行く。
その様子を姉妹、そして真祖・吸血姫たちもただ何も言わずに見守る。
何も言わず、ギュッと右手に刀を握りしめ荒れた床板の上を危なげなく歩いていく。そのまま祭壇を登り、台座を眺める。
そして――――。
「短い間だったが、色々と助かった……」
跪き、台座の上に横たわらせるように刀を置く。そのまま黙とうをささげた。
祭壇を降り、隼翔は振り返らずに姉妹たちと黙って部屋を後にした。




