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幸せな人生を異世界に求めるのは難しすぎる  作者: 二月 愁
第4章 囚われの紫紺烏
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たった一人の冒険 4

 階段を下っているだけなのに、分かる。


 肌をチクチクと撫でるような独特の空気感。


 独特の臭い。

 それは決して不快さを与える悪臭や誘惑へと誘う甘い匂いでも、ない。

 純粋に剣客として養われた嗅覚がこの先にいるであろう存在を、感じているのだ。


「これは久々に歯ごたえがありそうな相手、だな」


 時刻はリュヌの11時前。

 乾燥した空気が喉をカラカラに乾かし、階下から吹き抜けてくる熱風が体力をジワリと奪い去る。


 だが、隼翔に限ってはその範疇に収まらないのかもしれない。

 先程まで掻いていた汗はすっかり引いており、顔にも疲労の色は伺えない。それどころか、彼の表情にはどこか喜色に近い獰猛性を感じさせる何かがある。


「……ふぅ。思考だけは冷静に、な」


 30層へと降り立つ階段をゆっくりと降りながら、隼翔は自嘲するように言葉を漏らす。

 

 戦いの中で熱くなる、あるいは無用な思考に囚われるようになったのはいつだろうか――――そんなことを他よりも長い階段を下りながら考える。


「最近はそれで何度も心配をさせているからな……気を引き締めないと」 


 今回の一人遠征。 

 その目的と言うのは、普段以上の危険に身を投じ、器を鍛えるため。

 だが、それは本当に身体を鍛えるだけという意味だけでなく、それ以上に変わってしまった精神を引き締めなおすため。


「まあ変わった(・・・・)こと自体には後悔はないし、むしろ好ましく思える。だが、それと雑念の問題は話が別だな」


 人らしく生きられるようになったこと。それは隼翔にとって誇らしいことであり、決して後悔はない。

 しかしながら、その弊害とでもいうべきか、戦いを楽しんでしまうようになり、また戦いの最中で思考が揺れ動いてしまうようになったことが問題なのだ。


「少なくとも今の状態だと無用な怪我が多いし、何よりも先を見据えると弱点にしかならないからな」


 知らぬ間に胸元へと伸びる右手。

 今でこそ、気をとられても命を落とすような怪我をせずにすんでいるが、遠くない未来に訪れるであろう《四聖》と名乗る者たちとの闘い、そして何よりも一度隼翔を殺した《あの男》との死闘を見据えるならば克服しなければならない弱点。


「さて、と。考え事や悩みは一旦辞めて……思考をしっかりと切り替えるか」


 長く感じていた階段が終わり、目の前には開けた空間が広がる。

 今までの砂海層と違い、見た渡す限りの砂漠ではなく、果てがしっかりと目視で確認できる。その果てと言うのが、砂色の壁。円形にその壁が空間を囲い、階段の反対側――――ちょうど隼翔のいる場所の向かいにはどこかで見たような巨大な鋼鉄扉。

 そしてこの空間の中心には砂で埋め尽くされた窪地。


「……蟻地獄って感じか?」


 そう、隼翔との言葉通りこの空間に広がる光景は巨大な蟻地獄のような場所だ。

 今いる場所こそ砂色の石畳だが、半歩でも踏み出してしまえば一気に砂地に足を取られ、抜け出すことも困難になるだろう。

 それは砂地に足を着けるようにして確かめている隼翔も恐らくは同じなのだろう。それほどまでにこの場所の砂というのは微粒子で、冒険者たちを死へと誘おうとしてる。


「と言うか、ここの階層門番ゲートキーパーはどこだ?」


 戦い辛そうだと言わんばかりに眉間に皺を寄せ、脚を外縁部のちょっとした隙間に戻す隼翔だが、ふとここにいるはずの存在が見えない(・・・・・・・)ことを不思議に思い、わずかな視線の動きでソレを探す。


 右、左――――見渡しても蟻地獄か砂色の壁。

 上に足元――――剣山の如き光る水晶群と地獄との境界線。


(……いるのは、間違いない(・・・・・)。だが、どこだ?)


 確かにいるという気配を、肌でも、剣客としての嗅覚も、しかと感じ取っている。

 それなのにどうしてもその強大な気配の場所が分からない。いや、正確に表すならば補足しきれない(・・・・・・・)


「……するなれば、やはり踏み出すしかないらしい」


 視線を落とし、向ける先は蟻地獄の中心部。

 そこには当然何もいないのだから砂粒が動くことも無く、風が吹いていないからこそ舞い上がることもない。

 それでも隼翔は鋭く瞳を光らせると、静かに一歩踏み出した。


 しっかりと踏み込んだからこそわかる、その感触。

 末恐ろしいほどサラサラとし、ここまで通過してきた砂漠とは比較にならないほどに踏ん張りが効かない。

 そして踏ん張りが効かないことに驚き、動きを止めてしまうと、そのままじわり、じわりと足が沈み込んでしまう。まるで流砂のような地帯。


 当然隼翔の左足も埋もれるようにして沈み込んでいくが、彼は気にする仕草も躊躇う様子もなく、右足も踏み出し蟻地獄へと降り立つ。

 蟻地獄のような構造上、彼の立っている場所は急斜面。両足で降り立てば中心に向かって引き寄せられるように滑落し、その途中でも気を抜けば砂に呑まれていくだろう。


「流石に脚を取られるな……」


 隼翔も例外ではないようで、ズザザザッと擦過音を立てながら中心地に引き寄せられていく。

 それでも、ただで落ちないのが隼翔という男。背負う巨大な大剣の片方を刹那に抜き放つと、上半身の力だけでその超重量物体を投げ飛ばした。


「ふぅ、これで一応は平気か?」


 ザンッ、と大音量を上げながら罅一つ無かった砂色の外壁に大剣が突き刺さる。

 突き刺さった大剣の柄からは張り詰めるように鎖が伸び、対となる大剣を背負う隼翔はその鎖を右手に巻き付け、滑り落ちるのを耐えている。


 右手で身体を支えたまま、隼翔は感覚を研ぎ澄ます。


 眼は――――何も捉えない。

 鼻は――――違和感を嗅ぎ取らない。

 肌は――――痺れるような殺気がどんどんと増している。


 そして――――。


 サラッ、とどこかで砂粒が動く微かな音を隼翔の耳は捉えた。


 サラッ、サラサラッ……と蠢くような音はどこか1ヶ所ではなく、蟻地獄全体から聞こえてくる。

 まるでそれは彼の足元全体が動いていると錯覚しそうになるほど。


「ふーん……獲物が来ないと出てこない腹積もりか」


 サラサラ、と微かだった砂粒の動きはやがて足場全体が揺れるような振動へと代わり始める。

 だが、その揺れも立っていられないほどの地震になったかと思えば突如として微かな物音すらも無くなる。


「…………」


 不気味な静寂があたりを支配する。

 いくら耳を澄ませても音は聞こえず、何かが蠢ている気配も感じない。

 普通、あるいはこの場所を始めて訪れた冒険者ならまず気を動転させて慌てふためくだろう。

 しかしながら隼翔は鎖を掴み、バランスを取りながら静かにしたまま。


「……来た、かっ」


 チラッ、と視線を落としたかと思えば、隼翔の纏う雰囲気が一瞬のうちに変貌した。

 今日初めて見せるハヤブサのような慧眼。漆黒の瞳が足元を映すと、次の瞬間何かを感じ取ったかのように隼翔はその場から飛び上がった。


――――ズバーーンッ


 まるで間欠泉が吹き上がったように砂柱が爆音とともに舞う。そしてその中心には白亜色をした何か。

 大木の幹よりも太いソレ。先端からは自在に動く五本の棒が伸び、相手をつかみ取ろうと動いている。正しくそれは白骨化した巨人の腕と手。

 その腕は空中で身を翻す隼翔を握りつぶそうと伸びてくるが、隼翔はヒラリと躱して見せ、外壁に刺さる大剣の上に着地する。



「なるほどな……アレ(・・)はこいつが元になっていたんだな」


 二度目の砂柱が上がるのと一緒に出てくるもう片方の巨大な腕。

 それら最初こそ隼翔を探すように動き回っていたが、少しすると探すのをやめ、砂地に手を着いた。

 

 ズンッ、と地響きと共に砂煙を舞わせ這うように流砂の中から現れる巨体。

 砂上に出ているのは上半身だけだが、それでも見上げるほど高い白亜色の体躯。

 側頭部からは鋭利で堅牢な偏角がニョキっと伸び、窪んだ眼窩の奥では怨嗟のように赤く無いはずの瞳が輝く。

 果たして元がどのような魔物だったのかは、残念ながら分からない。ただ、隼翔には目の前のソレに見覚えがあった。


 凡そ、ひと月ほど前。

 ひさめを悪意と言うには生ぬるいほどの計画から助け出した時に現れた怪物と酷似している。

 もちろんあの時ほどの悍ましさあるいは醜怪さは無いが、代わりに純然たる堅牢さと威風が伺える。


「お、っと」


 少しばかり懐かしさに浸っていた隼翔だが、危機感が命ずるままに足場にしていた大剣の柄から飛び退き、勢いのままに砂地に着地する。

 耳つんざくな破砕音。それは先程まで隼翔が壁に大剣を突き刺し、佇んでいた場所だ。

 だが、今は砂色の壁は大きく抉り崩され、落ちた瓦礫で積み上がり見る影もない。


 それを成し遂げたのはたった一発の、降り下ろされた拳。


「それじゃあ始めますか!」


 普通ならその一撃に身を竦ませて、動きを止めてしまうだろう。

 加えて隼翔がいるのは流砂のような足場。動きを止めると同時に脚を捕られ、その隙に今度こそ雷のような一撃に沈むに違いない。現にここで全滅してしまう冒険者たちの一段は大抵が同じ末路を辿る。


 しかし、その程度で脚を止めるほど隼翔の精神は柔でない。


「まずは一撃荒れさせてもらう、ぞっ!!」


 砂煙を巻き上げながら、隼翔は上半身だけを砂上に現す化け物に向かって駆けていった。

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