吸鬼の王と魔帝の佩刀
「意外と深く切れてるな……」
半円形の階段をコツコツと音を鳴らしながら降りる隼翔は、スライサーに切り裂かれた頬の傷を触りながらボソッと呟いた。触れた瞬間にチクッと痛みが走り、指先には血がわずかに付着してる。その傷は隼翔がこの世界に降り立ってから初めて闘いの中で負った傷、そのことをどこか感慨深く思いながら、指先で何度もなぞる。
「は、ハヤト様っ!?血が止まらないのですかっ!?」
「すぐに止血しないとハヤト様が死んでしまうっ!!」
一方でその様子を後ろから見ていた姉妹はを慌て始める。その動作は見事に一致しており、フィオナが右にワタワタと動けば、フィオネが左にワタワタと動く、とありえないほどの同調を見せる。
「こんな傷で死んでたら、この世に生物は存在しないぞ?」
呆れながらに二人を諭そうとする隼翔。だが、少女たちにとっては隼翔が傷を負うことは一大事のようで、あわわわ、と完全にパニックに陥っている。
そんな二人を見て、はぁ、とため息をつきながら諭すのは無理だと諦めてとりあえず放置することにして階段を下りきると、そのまま鍵のかかった扉に脇目も振らずに脚を進める。
「これで開いてくれるといいんだが……」
ポケットから空色の鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。そのまま鍵はスッと抵抗も無く回り、ガチャリと低い音を立てる。同時に鍵はまるで役目を終えたと言わんばかりに、鈴の音を鳴らしながら砕け散った。
(ある意味ファンタジーな展開だな……)
砕け散った鍵を見ながらそんな感想を抱く。もちろんその間も手が止まることは無く、取っ手に手を掛けてグッと押し込んでいる。今回は鍵が開いたおかげですんなりと開かれる扉。その奥に広がる光景に隼翔は若干の既視感を覚えた。
脳内に保管される映像では、暗黒の世界で床にはよく分からない骨が散乱し、敷かれていた絨毯もボロボロで単なるゴミのようにしか見えない。
しかし、今視界に展開されている光景はまるで真逆と言わざるを得ない。
相変わらず燭台にくべられた陽炎が薄暗い廊下を怪しく照らすが、床には真っ赤な絨毯が敷かれ塵一つ見当たらず、壷やら絵画やらの美術品が上品に互いを尊重し合うように並べられている。
「ほわぁー……すごいですね」
「そうか、お前たちは見てないんだな」
「へ?何をですか?」
感嘆したように声を漏らすフィオナとフィオネ。姉妹は隼翔と違い、廃れた光景を目にしていないだけに、驚きも一入なのだろう。
その点、隼翔は廃れた状況も知っているし、何よりこの場所ではないがあの声を聞いた場所にどうしても近づいてるため、眉を顰めている。
「いや、なんでもない。それよりも俺から離れるなよ」
隼翔は適当にかぶりを振って、絨毯の上を堂々と歩き出した。その背中を小首をかしげながら追いかける姉妹。
最初こそ感嘆の声を漏らしたが、それ以降は三者の間に全く会話がなかった。その理由と言うのはやはり重苦しい雰囲気。それはおそらくこの城の最奥にいるであろう何者かが発している重圧なのだが、それは歩みを進めるごとに加速度的に増していく。さらにはその廊下に飾られる美術品もその雰囲気づくりに一役買っているだろう。
奥に進むにつれて、その美術品は怪しくなり始めている。謎の偶像に、厳しい目つきでしきりにこちらを睨む肖像画、血塗られた短剣など、冥獄への誘いかと思わず錯覚しそうになる。
「「はぁ……はぁ……はぁ……」」
どこまでも続くのではないかと疑いたくなるほど、長く、長く、長く感じる廊下。そこには二つの浅い呼吸だけが寂しく響き渡る。
前を行く隼翔の顔からも余裕の色が薄くなり始めている。それでも隼翔は冷静さを保ち、ただひたすらに記憶を頼りに二階へと階段を探した。
それから隼翔たちの体感では1時間――――実際にはすぐだったのだが――――して、ようやく記憶にある階段を発見した。
「ふぅ……」
思わず漏れる溜め息。後ろを振り返れば疲労の色が濃く出ている獣人の少女たちが視界に入り、一旦休息を取ろうかと考えたが、かぶりを振った。
別に二人に試練を与えるとかそういう目的ではない。ただ単にこんな濃密な重圧が激しい場所で脚を止めたとしても休息にならない。むしろ今この緊張の糸が切れるとおそらくもう元には戻らない。そんな確信があるからこそ、早めにここを突破しようと考えた。
「……大丈夫か?」
重たい脚を無理やり上げながらようやく二階にたどり着いた三人だが、フィオナとフィオネの顔は蒼白しており今にも倒れそうである。
そんな二人を気遣う隼翔だが何もしてやれることは無く、ただ声を掛けてやることしかできなかった。しかし他ならぬ隼翔の声だからこそ、二人は励まされ、歯を食いしばれた。
「は、はい……」
「まだ、大丈夫……ですっ」
ただの強がりでしかない、それは誰の目にも一目瞭然の事。それでも隼翔はその言葉を信じ、ポンッと彼女たちの頭を軽く触れ、脚を進めた。
そんな彼らをあざ笑うかのような、あるいは拒むかのような濃密な殺気が二階には充満する。そしてそれの発生源は間違いなく、玉座の間。
隼翔はその方向に力強い視線を向ける。それは抵抗の意志、あるいは屈服することはありえないという強靭な精神の顕れ。
力強い足取りで一歩、また一歩と進んで行く。その背中を一所懸命に追いかけるフィオナとフィオネ。彼女たちは何度も心が、精神が、あるいは魂が挫け折れそうになりながらも、隼翔の声を、手のぬくもりを思い出し、その脚を頻りに前へ、前へ運んでいる。
近づくにつれて、その姿がはっきりとする。大きさ的には城門よりもかなり小さいにも関わらず、今までにないほど重厚感漂う扉。
それを見て思わず隼翔は固唾を呑んだ。額はうっすらとだが汗ばんでいる。それでも不思議と恐怖心だけは無かった。
(安心感があるわけでも無い……コレは闘争心、か?)
自分の心の中で小さな種火から次第に業火のように燃え上がろうとしている感情が何なのか、頭を悩ませる。
それはこの殺気を放つ者への好奇であり、同時に勝ちたいと言う欲求でもある。ただ、それがどうして勝ちたいのか、あるいは気になるのかが隼翔には分からない。
そんなことを考えつつ、ようやく扉の前にたどり着いた。そして――――。
「……開けるぞ」
「「はいっ……」」
隼翔が二人に心の準備をさせるべく、開けることを宣言しながら扉を開くために手を伸ばし、触れようとした瞬間――――扉は独りでにその咢をゆっくりと開き始めた。
「っ!?」
急な出来事にも関わらず、隼翔は二人を庇うようにしながら距離を取り、柄に手を掛ける。そんな隼翔とは対照的に、庇われる格好になったフィオナとフィオネは対応などできるはずもなく、ペタンと地面にお尻を着いてしまう。
「……そこにいるのは誰だ?」
双眸を細め、開かれた空間を睨みながら剣呑な声を発する。未だに扉は半分も開かれておらず、三人の位置からでは中の様子が分からないはずなのだが、隼翔には誰かがいることを確信していた。
「落ち着いてくださいませ」
「我々はあなた方に一切危害を加えませんので」
7割ほど開かれた扉の向こうで恭しく白銀の髪を垂らしながら頭を下げる二つの影。
その声はとても甘い嬌声のようで、並みの男なら間違いなく警戒心を解いてしまうようなものだった。生憎隼翔がそんなことをするはずも無く、警戒心が余計に高まる。
「何者だ?人ではあるまい……」
「ふふっ……さすがここまでたどりつくだけはありますね」
「正解です。我々は吸血姫です」
剣呑な声に応えるようにゆっくりと上げられる顔。どちらも紅と黒のスリットドレスを着た妙齢の女性で、一見すれば単なる美女でしかない。だがよくよく観察すると血のように赤い瞳に、透き通るほど白い肌、艶かしい唇の隙間に光る牙、そのどれもが吸血姫だという事をありありと証明している。
さらには隼翔の右の瞳にも彼女たちの正体が吸血姫であることをしっかりと伝えているので、もう疑う余地も無い。
「お前たちの目的はなんだ?どうして俺たちを城に閉じ込めた?」
より一層高まる警戒心とともに、隼翔は低い声で眼前の美女に問いかける。
「先にも申しました通り、我々は危害を加えるつもりはございません。ですので、とりあえずはこちらにおいでになり、落ち着きませんか?」
「どうぞ、入って」
そんな警戒心を余所に、二人の吸血姫は踵を返し、玉座の間に招き入れる。
その一見隙だらけの格好――――実際隼翔の眼には隙があまり見えないのだが――――を見せられたのではこれ以上は押し問答にしかならないと諦め、警戒はしたまま二人に続いて玉座の間に脚を踏み入れた。
「は、ハヤト様……」
「その……大丈夫なのですか?」
無言で付いて行く隼翔に、弱々しい声で心配そうに声を掛けるフィオナとフィオネ。彼女たちからすれば吸血姫などおとぎ話の中の登場人物のようなものであり、とてもではないが近寄りたいものではないのだが……。
「とりあえず吸血姫は手を出す気はないらしい。だから付いて行く分には問題ないだろう」
そこまで言われてしまってはどうすることもできず、諦めたように、あるいは疲れ切ったように重い足取りで隼翔を追う二人。
前を行く隼翔はとりあえず問題ないと判断したのか両の目の色をすっかり漆黒に戻し、ゆったりとした歩調で前を行く吸血姫の後を追う。
「ん?」
招かれた場所は玉座の間だったはずなのだが、明らかにおかしい。部屋の中央には巨大なテーブル、奥には暖炉、そして暖炉の上にはとある人物が描かれた肖像画。まるでここは――――。
「食堂、か?」
「そうですね。まあ正確には広間になりますが、平たく言えば同じようなものですね」
隼翔の口にした疑問に回答しつつ、三人を拱きしながら座れと言わんばかりに椅子を引く吸血姫。そんな吸血姫たちだが、名前は分からないがフィオナとフィオネのような姉妹でないことは確かで、今隼翔たちを案内している方は髪を肩口で切りそろえ、優しげな目元をしている。
それに対し、三人の前にティーカップを置いている吸血姫は長い髪をサイドアップにし、どこか勝気な印象を与える。
(さて……何が出ることやら)
目の前に置かれたカップを手に取り、口を付ける。すると芳醇な茶葉の香りが口いっぱいに広がり、その懐かしさに感慨深い表情を心の中で浮かべる。
そんな隼翔をどこか意外そうに見つめる吸血姫たち。そんな二人に対して隼翔は肩を竦めて見せる。
「そんなに俺が不用意に紅茶を飲んだのが意外か?だが、お前たちは俺たちに手を出さないのだろ?」
違うか?と言いながら、さらに一口含んでみせる。そんな様子に吸血姫たちはクスッと小さく笑みを漏らした。
「貴方は本当に予想外の人間ですね、見ていて飽きませんわ」
吸血姫たちが意外感を全く隠そうともしない態度に、隼翔はふん、と鼻を鳴らす。彼女たちの意外感の理由はまさしく隼翔の言い当てた通りの事だった。
二人は隼翔は警戒心が強いから確実に不確かなモノを口にはしない、そう信じて疑わず、そのような評価を下していた。だが、隼翔はそれを完全に覆した。三人の内真っ先にソレに口を付け、それに何も怪しい部分は無い事を確信しているとばかりな態度を取った。
そんな態度を取られては吸血姫たちも笑うしかない。加えてほぼ無限の命を持つとまで言われる彼女たちからしてみれば、それはまさに娯楽の類になるのかもしれない。
「別にこっちはお前たちの娯楽のために見せてるわけじゃないんだがな」
そんな楽しそうにする吸血姫たちを牽制するように隼翔は口調に棘を持たせる。
隼翔としても二人を信じている、というわけではない。むしろ隙がほとんどないことに強い警戒心を抱いている。だがその反面、手を出さないという言葉だけは信じている。いや信じられると言ったほうが正しいか。
(あの扉の先に何が待っているんだ……)
紅茶を飲む仕草で視線を悟られないようにしながら、上座とも言える場所の先に見える扉を睨みつける。そこには吸血姫たちの主人ともいうべき人間がいるに違いないという確信がある。
あくまでも吸血姫たちが手を出さない、だけであり、この濃密な殺気を発している張本人はその限りではない。むしろ今か今かとその機会を待っている、そこまで理解しているからこそ、逆に優雅に紅茶を飲めるのである。もちろん寛いでるように見えるが、隙など全くなくいつでも刀を抜けるようにしているのだが。
「さて、まずは自己紹介でもさせていただきましょうか。私は先にも申した通り吸血姫で、名をアイリスと申します」
眼元に優しい眼差しを浮かべながら自己紹介したのは肩口に髪を切りそろえた吸血姫。そんな彼女から引き継ぐように、勝気な印象を与えるもう一人の吸血姫も紹介を始めた。
「私もアイリスと同じ吸血姫。名はオデットよ」
よろしく、と言って笑みを浮かべるオデット。その笑みはとても友好的なもので、思わずフィオナとフィオネもぺこりと頭を下げてしまっている。
そんな姉妹に少し釘をさすように、わざとカチャッと音を立てながらカップをテーブルに置く隼翔。その行動は効果覿面だったらしく、音にピクッと反応し、姉妹はすぐさま背筋をピンッと伸ばした。
そんな少女たちの動きの同調具合が面白かったのか、吸血姫たちは口元を隠しながら、愉快そうに笑う。
「それで、そろそろ話してくれてもいいんじゃないか?お前たちの目的ってやつを、な」
あからさまなまでに不機嫌オーラを出しながら問いただす。心なしか殺気まで発しているので、広間内の空気が一瞬にして凍りついたように緊張感が走る。
「これだけの殺気を浴びるのは久しぶりですね……しかもそれを発してるのが人間だと言うから驚きです」
「そうね。これならあのお方がお認めになったのも納得だわ」
ピリピリとした空気には似合わない笑みを浮かべる吸血姫たち。その笑みはまさしく享楽に酔いしれており、何かを求めるように隼翔に甘く熱い視線を送る。
それに対して強く睨み返す隼翔。だがそれは逆効果だったようで、さら吸血姫たちはゾクゾクっと全身を走る甘美な刺激に身悶え始める。
「「あぁぁっ……」」
口から漏れる甘い嬌声。それは大抵の男を魅了してしまいそうな、脳髄を駆け巡り麻痺させる甘い声。だが、隼翔はそれに酷い嫌悪感を抱いていた。
何度も言うが、隼翔に男色の趣味は一切ない。女子が好きな健全な男子である。ならばなぜ故に嫌悪感を抱いたのか、それは状況に問題があった。
吸血姫たちが嬌声を上げたのは、隼翔の睨みによるモノ。詳しく言うなら強い眼つきに身悶えたという状況である。ここまで言えば理解できるだろうか。
別に隼翔だって、趣味は人それぞれだと思っているが、自分の睨みによってアブノーマルな状況が創られたとあっては話が変わってくる。彼も人間なのだから嫌悪感を抱いても仕方ないというモノである。
「は、ハヤト様っ!?」
「落ち着いてくださいっ」
額に青筋を浮かべ、わなわなと震える隼翔を必死に宥めようとするフィオナとフィオネ。隼翔自身もここで無闇矢鱈に殺気を放ったところでフィオナとフィオネを怖がらせ、尚かつ眼前の吸血姫たちを余計に喜ばせるだけだと理解しているので、フーッと大きく深呼吸して怒りを鎮めようと努力する。
「……さっさと目的を言え」
極めて冷静に努めようとして、必死に感情を殺しながら問い詰める。それでもやはり言葉の端に怒気が混じってしまうのは仕方のないことだろう。
「あら、残念です。久々に気持ちのいい殺気を味わえたと言うのに……」
「もっと焦らせばさらに殺気を発してくれそうだけど……お遊戯はここまでにするわ」
あからさまに肩を落として、残念がるアイリスとオデット。そんな二人の態度をもはや気にしないと決めたのか、隼翔は二人を見ようとすらしない。
「さてご説明をさせてもらおうかと思いますが……」
そう言いながら頤に細い指を当てて考える素振りを見せつつ、互いに目を合わせる吸血姫たち。そしておもむろに頷き合い、椅子から立ち上がった。その所作はとても優雅なのだが、いかんせん先の出来事のせいで差し引きゼロになっていた。
「実際に見て、会ってもらった方が早いわね」
「どうぞ、こちらへ」
三人を案内するように手で進路を示す。その方向にはまさしく隼翔が睨んでいた扉がある。
隼翔は何も言わずに、スッと立ち上がり無言を保ったまま誘われるままその扉に近づいていく。その姿には緊張感と何か別の感情がせめぎ合っているように見える。そしてその背中を慌てた様ように追いかける姉妹。三人の間に一切の会話は無い。
「さあ中へ」
アイリスが先ほどまでとは打って変わって真面目な表情で、扉を開け中に入るように促す。その表情は隼翔たちに初めて見せたもので、どこか緊張したような雰囲気がある。
(吸血姫たちがここまでする相手、なのか)
アイリスの横で敬意を露わにしているオデット。二人にここまでさせる相手とは、と隼翔は誰にも気取られないように警戒心を最大限にまで高める。
開かれた扉の先は暗黒の世界のように、暗く光が一切存在していない、そう思わせる雰囲気が漂っていた。そんな部屋の中に隼翔は、気負いなく踏み込んだ。その姿をビクビクしながら追いかけるフィオナとフィオネ。
「っ……」
「「きゃっ!?」」
三人が部屋に踏み込むと同時に、バッと部屋に灯りが灯った。思わず腕で目元を覆う隼翔と両目を瞑る姉妹。
少しすると目が慣れ始め……その光景に目を奪われた。
「アレは……刀、か?」
部屋の内装は大聖堂を思わせるものだが雰囲気はまったく逆で地獄を連想させた。その大聖堂の中央には祭壇がある。そしてその上には台座があり、そこには漆塗りのような光沢のある深紅の鞘に納まった一振りの刀のような剣が、封印されるように吊るされていた。
「…………っ!?」
隼翔はその剣に思わず見入ってしまっていた。
あの刀には、魂が宿っている、そう感じた。
同時にゾッとした悪寒が背筋を撫でた。まるで何かに見つめられているような、そんな感覚に襲われた。
(なんだっ!?今のは……)
聖堂内を見渡してみるが、何もいない。あるのは台座の上に縛られた剣のみ。
その剣は四方から黒色の鎖で雁字搦めにされて、その鎖の一端は強固な柱に固定されている。そして柄はしめ縄のようなものでさらに四方から縛られ、その一端は床に楔によって固定されている。
「アレが我らの王を封緘する楔」
「そして同時に、かつて魔帝と呼ばれた者が手にしていた武具」
茫然と剣を見つめる中、吸血姫たちの無機質な瞳と抑揚無い声がソレが何なのか、静かに語った。
「魔帝の、」
「武器……」
喉を鳴らしながら、フィオナとフィオネは吸血姫たちの言葉を反芻するように呟く。
しかし隼翔だけは何をするでもなく、ただその剣だけを見つめていた。憑りつかれたように、あるいはそこに強敵がいると本能的に分かっているかのように。
「それでは……どうぞ」
アイリスに導かれるまま、しめ縄の内の一つに近寄る。
近くに寄ってみるとその縄は意外にもボロく煤けて見える。それでもなぜだか切れそうな気配はなく、縄の表面には呪いのような読むことの出来ない謎の文字が刻印されている。
「……コレをどうしろって言いたいんだ?」
しめ縄を睨みながら、吸血姫たちに問いただす。その問いに対し、吸血姫たちは簡単に一言だけ告げた。
「切ってください」
「はぁ……。別に切っても構わないが、封印を解いて、それで俺になんの得がある?そもそも切りたいのなら、お前たちがやればいいじゃないか」
肩を竦めて見せる隼翔。
隼翔の言った通り、コレは封印であり、それを解くという事はそこにいる何かが出てくるという事になる。そしてその何かは隼翔たちにとって決して好ましいモノではない。そこまで分かっているのに切る奴がいるのか、言外にそう問いかけている。
そんな隼翔に対して、吸血姫たちは媚びるでも無ければ、乞うでもなく、淡々と当たり前のように告げる――――あなたはこれを切る、と。
その物言いに、眦を軽く吊り上げた。
「どうしてそう言い切れる?」
「簡単です。あなた方がここまで来た理由が封印を解くため、だからです」
「ついでに先の問いに答えるなら、私たちでは封印を解くことができないのでね」
そう言いながらしめ縄に触れようとするオデット。すると彼女の指が縄に触れようとする寸前、目を覆いたくなるほどの白雷が起こり、オデットの白い腕を一瞬にして黒く焦がす。
その炭化しプスプスと音を立てる腕を、ほらね、とおどけたように振って見せるオデット。その白と黒の明暗にさすがの隼翔ですら何とも言えない表情を浮かべる。
しかし腕を焦がされた当人はそのことを気にする素振りも痛がる様子も無く、あっけらかんとしている。事実その腕はすぐに再生し始め、いつの間にか元の白い腕に戻っていた。
「はぁ……とどのつまり、俺が切らないと話が始まらないのか」
呆れたように呟きながら、静かに抜刀する。抜き放った刀を構えるでも無ければ、担ぐでもなく、ただ握る。
そんな隼翔に焦ったように姉妹が話かける。
「は、ハヤトさまっ!?これは罠ですっ」
「切ってはいけません、ハヤトさまっ!!」
必死に止めようとする二人のワタワタとした姿に思わず苦笑いを浮かべる。それでも切断する必要があるのだと、二人にゆっくりと説明し始める。
「俺としても切りたくはないんだがな。だが、どうにもコレを切らないと結界が解けず、俺たちは城を出れないらしい。だから……諦めろ」
シニカルな笑みを浮かべながら、刀をに握っていない方の手で、グシャグシャ、っと無造作に二人の頭を順に撫でる。
そのまま二人の表情を確認せず、しめ縄の前に立ち、スッとほどんど力を入れずに軽く刀を振った。
パサッと軽い音を立てながら地面に一端を落とすしめ縄。次の瞬間、ぼっ、と唸るような音を立てながら縄が燃え始める。
それを皮切りに、ほかの三か所でもしめ縄が楔で止めてある部分から勢いよく燃え始める。そしてそれらが柄の一点で一つの炎嵐となり、聖堂内の天井にまで達する。
「「あつっ……」」
背後から可愛い二つの声が微かに響いた。だが、そんな声も炎嵐の上げる音に掻き消されていく。
「「……」」
そんな二人とは対照的に吸血姫たちはその光景を喜びもしなければ、熱がりもせずただ無感動に眺めてきた。
そんな二人をしり目に、剣を縛る黒い鎖がジャラリ、と硬質な金属音を立て始める。それは最初は炎の音に負けていたが、次第に大きくなり比例するように鎖が大きく蠢きだす。
そしてそれは突如起きた。サーッ、と崩れ落ちるように、鎖が静かに霧散し始めたのである。そのまま鎖は霧のように消え、炎嵐もそれに呼応するように鎮火した。
残るは宙を漂う一振りの剣と寒々しいほどの静寂。ただ、それもほんのひと時のことであり、突如として厳かな声が聖堂内に響き渡る。
『ようやく、か……』
その声に最初に反応したのは姉妹でも無ければ、隼翔でもない。無感動に眺めていた吸血姫たちであった。
「「あぁっ……お久しぶりにございます」」
瞳に水膜を作りながら、心の底から感激したように呟くアイリスとオデット。二人はそのままヨロヨロと祭壇に近づき、ゆっくりと跪く。
二人は何かを崇拝するように、白銀の髪を揺らしながらゆっくりと頭を垂れる。
『お前たちか。久しいな』
その言葉とともに中空を漂う剣の前にスーッと人影が顕れる。 群青色の短髪に、吸血姫たち同様に赤い瞳、きらりと輝く犬歯。相貌は意外にも若く、甘い容貌に微笑を浮かべ、臙脂色のマントを翻している。幽霊か何かなのか、剣が透けて視え実体が無い。
「こうして再び相視えることができたことを嬉しく思います」
「お変わりないようで、伯爵様」
『お前たちも壮健そうでなによりだ』
そのまま言葉を交わし続ける、伯爵と呼ばれた者と吸血姫たち。その光景を眺める隼翔の瞳の色はいつの間にか金色と朱色に変わっていた。
「…………」
ただ呆然と黙る隼翔。別に彼らの感動の再開を祝して黙っていたわけでも無ければ、興味がなく見つめていたわけでも無い。ただ、何もできなかったず、動くことすらできなかったのである――――伯爵と呼ばれた者をその双方の瞳に映してしまったがために。
(真祖・ヴァルシング、脅威度:Aだとっ!?いや、脅威度もだが、それ以前に……っ)
神眼と魔眼、両方が捉えた情報と光景に慄然とする。
ランクAの魔物であったスライサーですら、隼翔からすれば脅威度はE。それでも間違いなくそのランクに相応しい強さを持っていたし、過去最高だった脅威度と言うのも頷けた。
しかし、目の前にいる"真祖"はわけが違う。それこそ次元が違うと称してもおかしくない。
だが、それだけならまだ隼翔も何かしらの行動を起こすことができた。しかし、それを阻んだのは他でもない、左の魔眼――――正確には魔力眼――――が捉えた光景だった。
(なんだよっ、これは……)
左の瞳に映る世界――――そこは視界が霞むほど靄に包まれていた。そしてその靄の発生源は伯爵。
確かに少し前に会合したキャスターと言う魔物は骸骨を操り、それこそ魔力の霧とでも言うべき光景を創りだしていたが、あの時はそれでも魔石の欠片を核として骸骨を操っていたので、純粋な単一の魔力ではない。
だが、今は違う。空間を満たすほどの魔力、それは一つの生命体から発せられる単一の魔力であり、そのかつてない光景に思わず内心で毒づく隼翔。
『そして……貴公、か。我を持つ資格を有しそうなのは』
そんな立ち尽くす隼翔を見て、ニヤリと口角を上げ犬歯を光らせる。
隼翔は咄嗟に後方に跳び、距離を取った。
「……貴様が俺たちをここに呼んだのか?」
その手に持つ刀の切先を真祖へと向け、険のある声色で問いただす。それに対して真祖は表情を無くし、そのまま口を開く。
『そうであり、そうでないと言える。そもそも我は封印されていたのだからな』
「なら、一体誰がここに閉じ込めたんだよ?」
真祖はスーッと下降し、祭壇の端に座り脚を組む。そんな真祖に対し、隼翔は声を荒げるような真似は一切せずに、ただ睨む付ける。
しかしその問いかけには答えずに『恐らくは……』などとブツブツと独り言をつぶやきはじめる。その言葉の端々は聞こえてくるが、内容は全く持って理解できない。
『はぁ……あやつは相変わらずだな』
そのまま謎の結論に至り、かったるそうにしてみせる真祖。そんな様子を隼翔は静観しながらも、殺気を発して話を進めろと言外に促す。
『そんなに殺気立たんでも教えてやる。だが……』
不自然に話を区切ると、パチンっと指を鳴らす。すると背後で、バタンッと勢いよく扉が閉まり、さらにそこに鉄格子が降りてきて、完全に閉じ込められる。
『わざわざ弱き者に教えてやる必要もない。知りたいなら己が強さを示せ、こいつに勝利してな』
そう言い放つと床から影がせり上がる。そして同時にその周囲からも黒い霧が集まりだし……人が顕れた。
「フンッ、良いだろう」
鼻を鳴らしながら、刀を構える隼翔。
こうして戦いの火蓋が切って落とされた。