そんな夜もありました
時間がない……そしてどうしてか最近書けない。困ったものですね……
(随分とちぐはぐな女だったな)
少しばかり早めに地下迷宮探索を終え、地上に戻った隼翔たち。
時刻としては夕刻前の月の3時ほどで、普段なら通りには疎ら程度の冒険者と多くの冒険者以外の人々で賑わっている時間帯だ。
しかし今日は闘武大祭前日とあって、普段とは異なる雰囲気が漂っている。
その雰囲気を味わうようにしながら歩く隼翔の隣に居るのは、今日は珍しくたった一人だけ――――ひさめだ。
彼女以外のメンバーはというと、全員で昼食を終えて屋敷に先に戻っている。
そして、なぜひさめだけこの場にいるのかと言えば、闘武大祭の予選出場者は前日である本日にギルド本部で説明会が催されており、ソレに参加していたためである。
もちろん闘武大祭に隼翔が出場するはずも無く、こちらも意外かもしれないがひさめが参加することになっている。つまり隼翔は付き添いと言う格好だ。
今回の事の発端は遡ること数日前に及ぶ。
その日の夜は丁度、悪魔がせせら笑うような三日月が雲の合間から覗いていたと隼翔は記憶している。
彼らは探索から帰還し、食事と風呂を終えた後それぞれの時間をそれぞれの場所で過ごしていた。隼翔はと言えば珍しく恋人たちとは一緒におらず、自室で本を読みながら不気味な三日月を眺めていた。
『ふーん……』
興味深そうに読みふけるのは魔物についての文献だ。
書かれた時期はかなり古く、内容自体にも目新しさがなければ所々間違っている部分もある。それでも隼翔がこうして読み込んでいるのには理由がある。
『魔物にも起源があるんだな……面白いな』
果たして彼が手にしている文献が正しいのかは不明だが、そこに書かれている内容によればすべての魔物は一匹の龍――――始原龍という魔物が源流にあるらしい。
そして始原龍からは3つの厄災が生まれた――――"忘却"・"腐敗"・"不朽"。
この3つは今も世界を覆い、人々を恐怖へと誘っている存在として共通認識で禁忌指定されている。
もちろんそれはこの世界で産まれ、育った人間なら誰でも知っているような話。それこそ、子供に悪いことをすれば鬼が来るぞと教育するようなものだ。
『SSSよりも上があるとは……世界は広いというべきか。まあ、よくもこんな厳しい世界で生きていけるよな』
隼翔はしみじみと呟く。
禁忌指定された三つの厄災はこの世界で言うところの最高ランクの魔物よりも危険度は上なのだ。
何せSSSランクの魔物が都市一つを一夜で滅ぼすほどの危険度とするなら、厄災は瞬く間に都市を滅ぼすほどの存在。とてもではないが一個人でどうにか出来るものでもなく、国家レベルでも今まで目立った対策が出来ていないような相手だ。
隼翔の感性からすれば、よくそのような魔物が存在している世界で人々は普通の営みが育めるなという感じなのだが、それはやはり前世の常識に囚われている部分がまだあるからだろう。
『……まあ言葉にして漏らしてはみたが、俺も一度は同じような奴に殺されたんだよな』
だがよくよく考えてみれば、隼翔も一応はその洗礼とでもいうべき出来事に出くわしているのだ。そのことをふと思い出したのか、隼翔は何とも言えない表情を浮かべた。
脳裏に浮かぶのはとても苦々しい思い出。剣技を全て駆使してもなお、傷をつけるのがやっとで一方的に殺されたのだ。忘れたくても忘れられず、深いトラウマでもある。
『あの日もこんな空だったかな……』
夜天を彩る星々の輝き。
あの日、霞む視界の中で焼き付けた夜空にはせせら笑う三日月は無かったが、何となく窓の外に見える空は似てるように隼翔には思えた。
ただ感傷に浸りすぎたからそう感じてしまっているだけかもしれないが、隼翔はその気持ちを改めるべく執務用の机に置かれたカップに手を伸ばした。
冷めて、すっかり香りが消えた珈琲。口に含んでも一切美味しく感じないはずだが、どうして今はソレを求めていたとばかりに隼翔は一気に煽った。
やはり口の中には、ただただ苦さだけが広がる。
思考も冷めた珈琲のように黒く濁ったままでとてもではないが、気分はすっきりとしない。
隼翔は思わず空になったカップの底を眺めながらため息を一つ漏らした。
――――コンコン
ぼう、とカップの底を眺めながら、どうにもならないとばかりにカップと文献を机の上に戻そうとすると不意に聞こえてきた音。ソレが扉を叩く音だと隼翔が気が付くまでに少しの時間を要した。
『どうぞ』
隼翔は入室を促しつつ、そのノックの仕方を頭の片隅で再生する。
とても控えめな叩き方で、どこか気恥ずかしさを漂わせるノック。そんな叩き方をするのは現状一人しか思い浮かばない。
『……ハヤト殿、少しよろしいでしょうか?』
『どうしたんだ、ひさめ』
案の定、控えめに入室してきたのはひさめだ。
あの添い寝の日以来、彼女はこうして夜に隼翔の部屋に訪れることが出来るようにはなったのだが、未だに緊張するのだろう。表情は硬めで真っ白なはずの肌はほんのりと朱に染まっている。
その姿に微笑ましさを感じた隼翔だが、ふと何かいつもと異なる違和感を覚えた。
(そういえば一週間ほど前から何か決意したような雰囲気があったよな?……何があったんだ?)
恐らくほとんどの人は気が付かないであろう違和感。
だが仮にも隼翔はひさめの恋人であり、何よりも同じ屋敷で寝所を共にしているのだ。例え些細であろうとも違いに気が付ける。
それでも隼翔がここまで追求せずにいたのは、ひさめ自身の意思に委ねようと思っていたからだ。確かに聞けば教えてくれるだろうが、それはどこか命令成分が含まれてしまう。あくまでも隼翔とひさめの関係は恋人同士で、対等でありたいと隼翔は思っている。
それ故に言い出してくれるタイミングを待っていたのだが、どうやら漆黒の瞳を見る限り、ソレが今らしい。
『とりあえず、座ってくれ。ゆっくり話を聞くよ』
娘の成長を喜ぶような優し気な笑みを浮かべ、ソファーに腰かけることを促す隼翔。
生憎と飲み物は用意できず、少しばかり会話をするには寂しさがあるようにも思えるが、そう感じたのは隼翔だけ。ひさめにはその余裕はないらしく、小さく深呼吸を繰り返している。
『落ち着いたか?』
『すいません……実はですね。こ、今度の闘武大祭に出場したい、って思うのですが……』
『闘武大祭に、か?一体どうしたんだ急に?』
ひさめの突然の申し出に、隼翔は珍しく驚きを表情に出す。
しかし無理もないだろう。何せ本当に唐突過ぎる意思表明なのだ。しかも戦うことを嫌がっている少女がそれを言い出したならなおさらだ。
『……ハヤト殿が思っている通り、確かに戦うのは……正直怖いです。それでも……いつまでも逃げてちゃ、いけない気がしますし……』
『なるほどな。自分なりの意志なら俺は止めはしない。だが本当にそれだけ、か?』
納得したように頷きながらも、隼翔はひさめの瞳を覗き込む。
決してひさめが嘘や建前を話しているとは隼翔は思っていない。だが同時に、本音の全てを曝け出したとも思えない。
そんな隼翔の見透かすような視線に身を捩りながら逃れようとするひさめだが、やはり隼翔には隠し事をしたくないのだろう。どこか後ろめたい表情をしながら口を開く。
『……ええ、と、ですね。以前、ハヤト殿がおっしゃっていたじゃないですか……その闘武大祭を観たいって』
『それで出ようと思ったのか?』
『も、もちろん、先ほど言った通り自分を高めたいという目的はありますっ』
『それは分かっているよ。ひさめは自分に厳しい性格だからな……同時に優しすぎるって性格もな』
ひさめの言葉を聞いて、隼翔はやれやれとかぶりを振る。
しかし隼翔が呆れているのかと言えば決してそうではない。むしろひさめの優しさを改めて実感し、喜んでいる雰囲気がある。
さらに言えば、ひさめが自ら成長したいという想いがその瞳か伝わってきてその喜びも一入だろう。
『……それで、ハヤト殿はどう思いますか?』
『俺としては正直、まだひさめには辛い経験になるような気がする……それでも、もうひさめ自身決めたんだろ?』
参加していいかどうかを尋ねるひさめだが、雰囲気的にどうしたいか決めているのだろう。
隼翔としては本音を晒せば、あまり参加してほしくないとは思っている。今でこそ、隼翔の尽力のおかげで周囲からの罵詈雑言や悪意こそ減ったものの、やはり無くなったとは言えない。そんな中で衆人観衆の前に出てしまえばどうなるかは大体予想が付く。
それでもひさめは出たいと訴えているのだ。それを隼翔が止めることは出来ず、諦めたように聞き返す。
『……え、えーっと』
『だったら俺は止めないよ。それにこれからは対人戦のイロハを教えてやる。ひさめが決意した以上、俺もしっかりとサポートしてやるさ』
そのような経緯を経て、本日はひさめと共にこうして歩いていたわけだが、その道中で隼翔は不思議な視線を感じた。
その視線の主は一言で表すととても不思議だ。見た目は町娘であり、その所作も正しく素人同然。それらの二どうしてか纏う雰囲気は一流の武人なのだ。それをちぐはぐと表現せずに、難と言えばいいのだろう。
「ん?どうしましたか、ハヤト殿?」
「いや、なんでもない。何となく不思議な奴がいたんだ」
「不思議な人、ですか?」
急にどこかを見ながら黙り込んだ隼翔を、隣で歩いていたひさめは不思議そうに見つめる。
そしてその隼翔の死線を追うようにしてひさめもそちらを見るが、特段変わった人は見受けられない。
「ああ。何となくだけどいつかまた会える、そんな気がするさ……。ま、それはいいとしてさっさと帰ろうか」
「え、あ、はいっ」
うーん?と通りの先を眺めているひさめの横で、隼翔は何となくそんな予感を感じていた。もちろん単なる勘でしかない。
だけど、やはりまた会うことになるだろう。そう思いながら、隼翔は不思議そうにしているひさめの頭にポンと手を乗せると、止めていた足を再び動かし、帰路につくのだった。




