至福のひと時
甘々成分多めです。
スヤスヤと耳朶を擽る穏やかな寝息。
普段はやや緊張したり、恥ずかし気に頬を染めている表情を見かけることが多いが、今はとても安心しきったように頬を緩め、可愛らしく口を半開きにしている。
「全く……俺も一応は男なんだぞ」
無防備に肌蹴た浴衣からは艶めかしい肩が丸見えで男としては込み上げる欲望に身を任せたくもなるが、そんな無防備な姿で胸元に顔を埋められては逆に手を出すのが憚られるし、何もしないと寝る前に約束したのだ。それゆえに隼翔は観念したように絹のように柔らかい髪を優しく梳く。
ふわりと鼻腔を擽る、優しくどこか懐かしさを覚える香り。それは姉妹と一緒に寝た時とはまた違った心地よさを覚える。
「普段は気張ってるからな……これで少しでもリラックスしてくれるなら安いモノか」
撫でていた手をひさめの背中に回し、包み込むように優しく抱き寄せる。
屋敷内で過ごしているときでこそ姉妹やアイリスたちと楽し気に会話してリラックスした様子をしているが、一たび街に買い物や食事に出かければ過去の傷によってどこか表情が硬く、落ち着かない様子なのだ。
だからこそ、今のように安心しきったように無防備な状態を見せるのは非常に珍しく、それを見せるようになってくれたことに喜びを感じる。
「ずっと見守っててやるからな」
隼翔は愛おしそうに目を細めながら、そっとひさめの耳元で呟く。
誰にも迷惑を掛けないようにとずっと一人で抱え込み、苦しんできた。
必死に居場所を造ろうと、誰かの役に立ちたいと、恩を返したいと――――そう願いなら生きてきた。
その生き様と言うのは何となく隼翔にも理解できる。
人斬りは強すぎるが故に存在を危ぶまれ、裏切られた。少年は才能がありすぎるが故に周囲から疎まれ、気味悪がられた。
少女はただ見た目が忌み子だからと言う理不尽な理由で、周囲から侮蔑され、蔑まれ、遠ざけられた。
理由は違えど、どちらも理解者はいないか、少なかった。
だからこそ、彼らは願ったのだ。
恩を返したいと、居場所が欲しいと、誰かに必要とされたいと。
その末に隼翔はこの世界は三度目の人生を歩み始めて、様々な出会いを経て――――幸せを得た。
だから今度は抱きしめる少女に安らぎと幸せを与えてあげたい。もう絶対に一人にはさせない、何があってもひさめの味方でい続ける。ずっと少女の安住の地であり続ける。
「あ、あの、えと……そのっ」
チラッと視線を落とすと、見開かれた漆黒の瞳と目が合った。
恐らくひさめのことを想うあまりに隼翔の抱きしめる力は知らぬ間に強くなっており、抱きしめられるひさめは目を覚ましてしまったのだろう。
ひさめは狼狽するように、あうあうと瞳を右に左に彷徨わせるが それでも抱きしめられる姿に苦しそうな様子はなく、どこか恍惚としているのは気のせいではないだろう。
「悪いな、起こしちゃったか?」
優しい眼差しで問いかける隼翔を前に、ひさめはこれ以上赤くなりようがないのではと思うほどに顔を朱色に染め上げる。
温かく優しい抱擁に微睡みながら、スーッと息を吸えば大好きな人の香り。夢心地の意識の中、耳元では甘い声で殺し文句を囁かれ、ゆっくりと目を開ければそこには大好きな人がいる。
そんな状況に心が高鳴り、身体が疼かないはずがない。漆黒の瞳は吸い寄せられるように、ただひたすらに目と鼻の先にある薄い唇を眺めてしまう。
今までは基本的に手を繋いだり、軽く抱きしめられたりと恋人同士であったが軽いスキンシップしか行わなかった。それは言わずもかな、ひさめが緊張してしまっていたためだ。
もちろんひさめとしてもその先のことには興味もあるし、したいとも思う。それでも人と接するのが過去の経験上苦手であり、ましてや異性への免疫は極端に低い。その結果、隼翔と触れ合うのは嬉しいが緊張してしまうというわけだ。
(な、なんだか……変な感じ、です)
優しく抱き寄せられ、隼翔の腕の中にすっぽりと納まる自分。
今までならそれで満足していた、我慢出来ていた。それなのに今は何か物足りなさを感じてしまう。
隼翔は未だに優しい笑みを浮かべながら、不思議そうに眺めている。
「い、いえ……大丈夫です。それよりも、その……」
ん?と傾げる隼翔を求めるように、ひさめの手はおっかなびっくりしながら真っ白なタオルケットの下で伸びていく。
もっと――――もっと触れ合いたい。
今までに感じたことのないような渇望が緊張を和らげ、少女を知らず知らずに後押しする。
温もりを求め、より密着しようと細い腕が逞しい身体を抱き込む。
「……ひさめ?」
「は、ハヤト殿……」
薄い浴衣越しに当たる、確かな柔らかさ。
下着と言うものはあるのだがひさめは寝るときは着けていないのか、肌蹴た浴衣からはむにゅっと形を変える谷間が見える。
普段の彼女らしからぬ積極的な態度に隼翔は思わず、生唾を飲み込んだ。いくら隼翔とて男であることには変わりない。ましてや先ほどこみ上がる欲望を必死な思いで抑え込んでいたのだ。それなのに、こんな風に迫られてはその欲望が表面化してしまいそうになる。
そんな葛藤を抱える隼翔をよそに、ひさめは熱っぽく潤んだ瞳で見上げてくる。そのままゆっくり、ゆっくりと顔を近づけ、互いの吐息を感じてしまうほどの距離感まで縮まる。
もうここまでされてしまっては、隼翔としてもひさめが何を望んでいるか分からないなどと言わない。そしてそれ以上に、欲望が抑えきれなくなる。
「大丈夫、なのか?」
「……はい」
何が、とは聞かず、隼翔は冷静を装うように尋ねる。
それに対してひさめは恥ずかしがりながらも、求めるように頷き――――目を閉じた。
カーテンの合間から差し込む朝日を背に、重なる二つの影。
その時間はほんのわずかで、雛鳥が啄ばむかのような口づけだ。
それでもひさめの表情は確かに満たされており――――嬉しそうに、ほにゃと緩んだ。
「今日はここまで、かな……すっかり朝みたいだし」
隙間から差し込む朝焼けに隠れる隼翔の表情は見えないが、少なくとも物足りなさを感じる言葉とは裏腹にその声色は満足げだ。
「さて、起きるとしますか」
「そう、ですね……」
結局隼翔がどのような表情をしていたのか。ひさめには分からないまま、サイドテーブルに置かれていた懐中時計を眺める隼翔の横顔は普段と変わらない凛々しいモノへと戻っていた。
果たしてそれがどんな表情だったのか気にならないでもないが、それ以上に至福と言えたひと時が終わることに寂しさを覚えるひさめ。しかし、すぐさま先ほどの自分の大胆さを思い出すと、羞恥に悶え、それどころではなかったということは言うまでもないだろう。
羞恥に悶えるひさめをベッドに残し、隼翔は一切の代わり映えのない廊下を歩きながら階下へと向かった。
時刻は太陽の6時と、地下迷宮探索を予定している日だと寝坊と言える時刻だ。
だが屋敷内には足音が響くほど静けさに包まれている。しかしながらそのことに隼翔はなんら疑問を抱かない。むしろ予想通りだ。
「この分だと午後も動けるか怪しいかもな」
玄関の戸口を開け放ち、吹き込む朝の空気を味わいながら、誰に言うでもなく言葉を漏らす。
ここ数日になって朝に涼やかさを感じるようになった。視線を巡らせると、青々と茂る芝に紛れるようにして植木の木立が少しだが色づき始めている。買い物がてらに露店をひやかしても、その装いを薄っすらと感じ取れる。
隼翔がこの世界で新たな人生を始めたのが春を越え、夏間近と言った季節。原生林とでも称すべき深い森でだった。そこでフィオナとフィオネと会合し、死にかけるという最悪と言う形で春を終えた。
それから本格的な夏の訪れとともに現在拠点としている迷宮都市に辿りつき、クロードにアイリス、そしてひさめと言う掛け替えのない出会いを果たした。
季節の巡りとともに隼翔は大切な出会いを果たして来たわけだが、この世界に訪れてから落ち着いた状態で季節の巡りを肌で実感をするのは今回が初めてと言える。
「秋、か……きっと何も起こらないということは無いだろうな」
すっかり勝手知ったる言葉のように共用語を漏らす。
空を見上げれば鰯雲が勢いよく流れていく。それはまるでこれから起こる激動を暗示しているように思える。だからと言ってそれを憂うような男では、隼翔は無い。
口の端には笑みを溢し、瞳は期待に満ち溢れる。
果たしてどんな出会いと激動が待ち受けているのか隼翔には知る由もないが、秋もまた彼に試練を与えるのは確かだった。




