第1章 プロローグ 不条理な歴史の裏で
新作です。
とりあえず第1章は書き終えてるので終わるまでは毎日更新したいと思います。
空には雲一つ浮かんでいない。
その反面、夜空を明るく照らす朱色の月もその身を潜め、今世界を空から灯すのは燦々と輝く星々だけ。
暗闇に近い世界。それを地上から赤やオレンジの光が明るく染め上げる。それは燃え上がる業火の熱波。
街を囲む白亜色の外壁は煤まみれで、ところどころ崩れ落ちその機能を失っている。
街中も酷いもので、一家団欒の楽しい時間を紡いでいたであろう家屋は全て崩壊し、彩り豊かな食材が所狭しと並んでいた屋台は炭となり、街の中心でもあったであった噴水広場は炎の柱へと変貌を遂げている。
その街中からは不思議と声がしない。
逃げ惑う人の悲鳴も誰かを呼ぶ必死の声も、誰の蝉噪も聞こえてこない。
響き渡るのは猛々しい炎が爆ぜる音と建物が崩れ落ちる崩落音、そして無数の剣戟。
「ふむ、なかなか楽しめたぞ」
「はぁ……はぁ…………うぐっ」
対峙するように炎の中に浮かび上がる二つの人影。
片方の男は灰銀の長髪を靡かせながら黄金の剣身の直剣を肩に担ぎ、口元に獰猛な笑みを浮かる。
担いでいる剣だが、剣身の割に鍔が幅広く、おそよ不恰好で剣身の黄金も輝きが鈍い。
一方で声を掛けられた方はと言うと、臙脂色の刃紋を浮かび上がらせる刀を握ってはいるが、片膝を地面に着き、息も荒くとても余裕があるようには見えない。現に体中ボロボロで、血に濡れていない部分を探すのが困難だと思わせるほどである。
片膝を着く青年は、息を荒げながらふと思う。
――――この世界は以前までの世界よりも過酷だ、と。
そのまま青年はフラフラの足腰にグッと力を籠め、立ち上がり無形の位を取る。
荒ぶる呼吸を必死に沈め、萎えかけていた殺気を迸らせる。昂る殺気に呼応するように、世界からは音が遠ざかる。
瞳に写るのはたった一人の男。それ以外からは色彩が抜け落ち、白と黒だけの緩慢な世界が波紋のように広がりを見せる。
その様子を満足そうに眺める灰銀の髪をした男。そして――――。
「今日はここまでだ。精々ここを生き永らえ、次遭った時にはより強くなっていることを願っているぞ」
次の瞬間、空気が弾けるような感覚を覚えたかと思えば、瞳に写っていた影は消え、青年の胸を腕が貫いた。
焼けるような熱さと途絶える呼吸。全身の神経が瞬間的に反応を見せたかと思えば、すぐに感覚が潮を引くようにして消え去る。
ぐはっ、と零れ落ちる血塊。身体は崩れ落ちるように緩慢に炎と灰の海に沈みこむ。
霞む意識。そもそも視界から情報が入力され、脳が認識しているのかさえ怪しさを感じる。
世界が遠ざかる中、最後に瞳に写っていたのは手にべっとりと付着した血を怪しげに舐めながら、フワリと宙を舞う男の姿だけだった。
そして誰も知らぬまま、青年の身体は都市と一緒に炎の海に静かに飲まれ消えゆくのだった。
この出来事の十数時間前。
どこまでも続くような新緑の草原。
草丈はゆうに50センチは超えており、一般的な成人であればその膝下を簡単に隠れてしまう。
風が吹けばサァーっと耳障りの良い音が奏でられ、濃い新緑の香りが優しく広がる。
その悠久の草原地帯に三つの人影が見える。
一人はこの青年で、長めの黒髪が同じ色の瞳をした目元に軽くかかっている。見た目は若く、身長も一般的な日本の成人と同じくらいである。その身体を暗赤色の外套が覆ており、腰元には二振りも刀。片方は黒塗りの鞘で、もう一方は漆塗りのような光沢のある深紅の鞘をしている。
「……ウルフェン、か」
青年は目をスッと細め、眼前に広がる草原に目を凝らしながらボソッと呟く。そのまま深紅の鞘に手を掛け、ゆっくりと鯉口を切る。浮かび上がるは流麗な銀の刃紋。刀身が深紅の鞘から解き放たれると同時に青年は一気に地面を駆ける。 すると音も無く新緑のキャンバスに真っ赤なバラの花が花弁を散らしながら、咲き乱れた。
「ま、待ってください。ご主人様~」
「早いですよ~」
残心しながら血ぶりから納刀の一連の動作をこなす青年。
その彼の元に可愛らしい声を出しながら二人の少女が近づいた。
金色の腰まで届く髪に正三角形の大きな獣耳。どこか狐を思わせる風体だが、その目元は釣りあがっておらず、大きなくりくりとした目元。
見た目に加え息を切らし、肩を上下させる所作までもシンクロさせる少女たち。
青年はその二人をチラっと見てから、すぐに視線を草原の先に向ける。その先にはうっすらとだが、漆喰を思わせる色合いをした外壁が見える。
「やっと街が見えたな……」
「はい!」
「長いようで短かったですね……」
爽やかな風が吹く中で青年はあくまでも冷静な態度だが、少女たちは抱き合い、きゃっきゃと声を出しながら街が見えたことを喜んでいた。
(この世界に来てまだそんな経過していないが、かなり色濃い時間だったな……)
この世界に来る前のことをぼんやりと思い出しながら、青年は感慨深げに街を眺めながら、心の内でそっと呟いた。
この後に待ち受ける過酷な運命を知らずに……。
数奇な人生――――おそらく世界中の人々の体験談や経験を聞いて回れば何人かはきっとそんな人生を送っているだろう。
それでもきっと漫画やライトノベルの主人公のような転生や英雄物語みたいな人生を送ったという人間はいないだろう。ただ一人、彼を除けば。
彼の名は西園寺隼翔――――現代まで残る数少ない武家の末裔である。
歳は今年で18歳。4月からは日本一の国立大学への進学が決定している。武家の末裔と言うこともあり、彼は幼少の頃より剣道・柔道・合気道はもちろんのこと、剣術や槍術、杖術、弓術、馬術などありとあらゆる武術を習ってきた。
正直言って、現代の日本では不要なスキルと言っても過言ではない。
だが、彼は決して強制されてそれらに取り組んでいたわけではなく、自発的にそれに取り組んでいた。しかもゲームや遊び、テレビと言った現代の子供たちにとってはなくてはならないものに一切の興味を示さず、ただそれだけに子供とは思えないような集中力で没頭した。
彼に友達はいなく、親しい間柄の人も唯の一人もいない。学校では常に孤独だった。人を遠ざけていた。ある一人を除き、彼は人を信頼していない。
なぜそこまで猜疑心が大きくなったのか――――それは彼が経験した信じがたい出来事の一つが要因である。
話は変わるが、江戸の末期ごろにとある人斬りの噂が表の世界に流れ始めた。
その者は、夜の闇に紛れ京の都に血の雨を毎日のように降らせた、血の雨で京を夜を染め上げたとも言われる。しかし、歴史にその者の名は決して刻まれなていない。彼の人斬りは歴史の闇に葬り去られた。
その人斬りは、赤子の頃とある人物に拾われる。
彼の者は捨て子であった。その人物に拾われなければ、赤子のまま生涯を終えていたはず。
赤子はすくすくと成長し、幼子のころになると剣術の訓練を始めた。彼を拾った人物は剣を生業とした人物だった。その人物も剣に長けていたのだが、幼子はそれをはるかに上回る剣の才を見せる。それこそ神童と呼ぶにふさわしい腕前であった。
歳を10数える頃には神童はすでに育ての親の剣術をはるかに上回り、日本でも五指に入るほどの腕前となっていた。そしてついに神童は人斬りへと変貌を遂げた。
育て親の男は、自ら掲げる理想の障壁になる者を抹殺するように命令した。神童はその命令を忠実に遂行した。要人や名だたる剣客を次々と二刀を以って斬り伏せた。
人斬りの少年は純粋であった。恩人であり、育て親である男の命令をこなし褒めてもらうことが生きがいだった。育て親をただ喜ばせたい、恩に報いたい、ただその思いだけで人を斬り続けた。
しかし8年を過ぎたある日、人斬りの少年は裏切られた。
その頃、国を分けていた争いは終結に向かっていた。人斬りの影での活躍が大きいとさえ言われている。
何年の年月が過ぎようと人斬りの少年の忠誠心は変わらず、ただ育て親のため純粋に人を斬り伏せていた。この時少年に敵はいなかった。
この純粋さと圧倒的なまでの強さが育て親の男には恐怖でしかなかった。それに加え、少年の人斬りとしての功績が恐怖に拍車をかけた。彼の行った暗殺の中には歴史を崩壊させかねないことが多く含まれていた。
男は少年に猜疑心を抱いた。そしてある結論に達する――――存在を消し去るという残酷な結論であった。
その日は天下を分ける戦いが行われていた。戦いの最中、少年はいつも通りに言われた場所に赴き、ターゲットを斬り伏せるように指示を受けた。
しかしそこに顕れたのはターゲットではなく、100人は超す敵方の者であった。
少年は一瞬何が起きたのか理解できなかった。だが、すぐに思考を切り替え、刀を抜き片っ端から斬り伏せた。剣林弾雨の中、体中に傷を負いながらも少年は全ての敵を斬り伏せた。
全身から血を流し、肩で息をしながらも血の海に佇む少年。彼の背後から育ての親の男が現れ、褒めながら歩み寄る。
少年はそれがたまらなくうれしかった。疲れも痛みも全て忘れるくらいに嬉しかった。
育ての親の男は笑みを浮かべながら、それが近づくにつれ獰猛なものへと変化していた。だが少年は気が付かないし、気が付いたとしても疑うことすらしない。
そして二人の距離が1mを切ったところで少年の表情に変化が起きた。胸を貫く冷たい感覚、痛みに顔を顰めるのではない、なぜと不思議な表情のまま血の海に沈んでいく。
体が冷たくなるのを感じながら遠くで育ての親の狂気じみた声がやっと届いた。
『お前はもう用なしだ。くたばれ、人殺し』
その声が脳の奥に張り付くまま、少年は18年の生涯を終える――――はずだった。
次に目を覚ました時、彼は柔らかい何かの上にいた。
動かしにくい体、怪我のせいではない。自分のものとは思えないほど小さく、柔らかそうな手。必死に呼びかけてくる若い女性。
彼は何が起きたか理解できなかった。人斬りは西園寺隼翔として転生していたのである。
それを理解するまでに1年もの時間を要した。当たり前と言えば当たり前である、普通"転生"なんて考え方江戸の人間が持っているはずがない。
そして理解したと同時に、彼の第二の人生が幕を開けた。
彼は忌子として家族全員におそれられた、ただ一人彼の母親以外は。
彼は泣きもしないし、言葉を発しようともしない。しゃべりかけても、何をしても反応しない。
なぜか、それは彼が裏切られたことによる恐怖のせいである。加えて謎の物――――現代人にとっては当たり前とも言える家電や車など江戸の世には決してありもしなかった物――――に囲われているせいで恐怖もあった。
そのことが原因となり、彼の家族は近寄りもしない。だが母親だけは彼を溺愛し、ひたすら優しく声をかけた。その甲斐あって彼は母親にだけは心を許した。初めて感じる母性、母の温もり、それらが彼の心を癒した。
彼は次第に母を守りたいと感じ始め、竹刀を握った。そしてあらゆる武術を習得した。
それから母の喜ぶことは何でもこなした。勉強も、言語も、あらゆる面で努力をした。
そこに目を付けた男がいる。彼の父親である。忌子と嫌っていたくせに、才能をいかんなく発揮し始めると掌を返したように褒め称え、英才教育を施した。
少年は父親の言うことに従うのに躊躇いがあった。だが、母が喜ぶだろうと思い、しぶしぶそれを受けた。苛烈を極める教育も殺し合いの中で培った忍耐力で乗り切った。だが、明らかにオーバーワークだった。
しかし父親の教育はさらに過酷さを増し始めた。それを窘めるように母親は抗議した。しかしあたり前のように突っぱねられた。
母親は少年に無理はしなくていい、と何度も言った。だが、母のためと思い少年はさらに努力を重ね、寝る間も惜しんでこなし続けた。
その不憫な姿に耐えられなくなった母は何度も父親に苦言を呈した。しかし聞く耳は持たず、むしろ煩わしいとすら思い始め――――悪に手を染める。
大学の入学も決まり、少年はいつものように武術に励んでいた。そんな少年に母はいつも優しい言葉をかけてくれた。
しかし今日はその母の姿が無い。いつもの時間になっても買い物から帰ってこない。不思議に思い、道着に模擬刀を差したまま母を探して家を出た。
いつも母が使う道を歩くがもちろん見つからない。何かに惹かれるように何となく車道に目を向けた。一台の見慣れた車が通った。黒塗りの高級車である。
何か確信があったわけじゃない、ただ自分の中に眠る剣客としての勘が追うように告げた。
ひたすら追い続けると、人気のない倉庫にたどり着く。中からたくさんの気配を感じた。
そっと扉から侵入すると、いつも何かと言ってくる男の怒気を含んだ声が聞こえた。気配を殺し、たくさんの荷物の隙間から声がする方を見るとそこには予想通りの人物が多くの男といた。
そしてその奥には――――。
それを見た瞬間少年の中にある何かが一気にはじけ飛び、心の中に怒りの業火が燃え上がった。
何も聞こえないし、何も感じない、ただ腰の模擬刀で男たちを叩き伏せた。中には拳銃を持っている者もいるが、彼には意味がなかった。すべての感覚が人斬りだった頃ほどにまで研ぎ澄まされ、容易に避け、急所に神速の一撃を叩き込む。
次々と殲滅し、そこには人の山が出来上がった。しかし、そんなモノには興味がない。彼は横たわる母に近寄る。
彼女は変わり果てていた。どうすることもできない無力感、絶望のどん底に叩き落され、周りが見えていなかった。
乾いた銃声が何発か響き――――彼は奇しくも人斬りのときと同じ18年の人生に幕を閉じた、いや閉じかけた。
彼は漆黒の闇の中で目を覚ました。何もない虚無の空間。
いるのは彼ともう一人、漆黒のドレスを纏い不敵な笑みを浮かべる女性。
「ふふっ、あなたならきっとふさわしいわね」
彼女は愉快そうに微笑みながら、心の奥にまで突き刺さるような甘い声で隼翔に語りかけてきた。
誤字などありましたらご連絡お願いします。