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空想学園シリーズ

壊された常識の先で恋をした

作者: 文房 群


 逢宮一思(あいみや いっし)は恋をした。



         ×




 逢宮の学年で変里奏(かわり うた)を知らない者はいない。


 すらっとした細身。教師にも生徒にも平等な、物腰穏やかな態度。成績優秀で運動も出来る、文武両道。他の学年の女子に声をかけられるほどの、眉目秀麗。

 入学して間もない頃から有名だった彼に憧れを抱いていた逢宮の心が、恋へ移ろうのはそう遅くはなかった。


 生まれて十数年、初めて好きな人が出来た。初恋だった。

 ふわふわと、足が地につかないような不思議な感覚。

 気付けば変里のことを考え、今日は何をしているだろうか、や、今頃お昼ご飯を食べているんだろうな、など。他愛ない日常を送る様子を想像しては、そこに自分がいれば――――なんて、変里の隣にいる幸せそうな自分を想像しては、恥ずかしさで内心悶え苦しむ。

 これが恋なのだと、初めて異性を好きになった逢宮は確信した。


 思い立ったら直ぐ行動。

 思い切りが良く、衝動的。良く言えば行動力がある、悪く言えば無鉄砲なその性格故に、他人との衝突も多いが友達も多い逢宮が恋愛相談のために親友の元を訪れたのは、己の恋心を自覚した翌日のことだった。

 素直で正直であるが、どこか冷静でひねくれている。思ったことを直ぐ口にし、その上言葉もキツいため度々同級生の男子と衝突してきたために、これまで恋愛などに縁もなければ興味がなかった逢宮の心境報告。

 これに誰よりも喜び、協力的だったのは、中学からの付き合いで逢宮の性格を良く知る親友だった。

 メイクやファッションなど、己を着飾ることに無頓着だった逢宮とは正反対に、己を磨く事に関しては全く手を抜かなかった親友の助言を経て、メイクの仕方や女子らしい所作というものを身に付けた逢宮は、親友の招集によって集められた友人達――『一思の初恋成就作戦部隊』に背中を押されながら、勇気を振り絞って変里を呼び出した。

 試験勉強はギリギリまでしないくせに、恋愛の話になると綿密な計画を立て総力を上げて応援してくれた友人達に、何度もダメ出しされアドバイスされながら書いた、変里を呼び出すための手紙。

 少し時代遅れではないかと逢宮は思ったが、「手書きの手紙ほど気持ちの伝わるものはない」という親友の言葉を信じ、がちがちに緊張しながらどうにか靴箱の中へ入れてきた。

 質素で機能的な物を好む、逢宮の趣味ではない薄桃色の便箋に、糊しろにハートが印刷された封筒。

 何度も書き直して紙がよれてしまったが、気持ちだけはありったけ込めた手紙を変里の靴箱にそっと入れ、早足で親友の待つ廊下まで全力で闊歩した。

 今にも顔から熱湯が出るのではないかと思うほど赤くなった顔を手で覆い隠しながら、「頑張ったね!」と褒めてくれる親友に照れ隠しでそっそなくなりつつも「結果は一番に知らせるから」と約束すれば「応援してる!」と背中を叩いてくれる親友。

 そんな親友の笑顔に、嬉しさでじわりと浮かんできた涙を隠しながら逢宮は、教室で「とうとう今日だね!」と応援してくれる友人達に囲まれながら、固く決心した。


 少し身長が高いぐらいで、料理を除けば後は何もかも平均的な自分が、学年でいつも成績二位の優等生に告白するなんて、身の程知らずかも知れない。

 たが、それでも自分に出来ることは全部やって、この恋心を告げてくる――――と。


 フラれる、フラれない以前の問題ではなく、自分に出来ることは全部やって、その上で結果を受け入れる。

 でも、できれば付き合えればいいな――なんて考えながら。


 今、逢宮は教室にいる。




         ×




 放課後。部活をしている生徒はそれぞれ部活動に専念しているだろう、四時二十分。手紙に書いた約束の時間まで、あと十分。

 空の向こうはうっすらと、赤らんできている。

 梅雨明けで湿気が多いからと換気のために開け放たれた窓からは、初夏を告げるように夏草と湿った土の匂いを乗せた生温い微風が教室へと流れ込む。

 親友とお揃いで買ったウサギのキーホルダーを付けたスクールバッグは自分の机の上に置き、教室の隅にある掃除用具を収納したロッカーと、教室後ろの扉との間を行き来しながら、頭の中で告白のセリフを復習する。

 これも友人達がこぞって知恵と経験を寄せ集めて考えた、シンプルな言葉だ。

 いざ言葉にする時詰まってしまっては恥ずかしいので、ブツブツと何度も小声で唱えながら、緊張でセリフを忘れないようにと気持ちも落ち着けていく。

 そうして時間を潰し、約束の時間の五分前。

 教卓側の扉が開き、飾り気のないリュックサックを背負った生徒が入って来た。

 一目見て、逢宮の体に緊張が走る。

 すらりとした体型。少し痩せ型であるその生徒は、変里奏。

 これから逢宮が告白する、相手だった。



 教室に入ってきた隣クラスの変里は、教室の後ろにいた逢宮の存在を知ると、あっ、と気付いたように手元に視線を落とす。




「もしかして……この手紙、くれたのは……」


「……私、です」




 変里の手の中にある薄桃色の便箋は、今朝逢宮が封筒に入れて変里の靴箱の中に入れたそれだった。

 自分の書いた手紙が、好きな人の手にある――それだけで嬉しさのあまり窓から飛び降りたくなる逢宮だったが、衝動をぐっと堪え「とりあえず、リュックはその辺に置いてください」と、荷物を持ったまま立ち話はしにくいと思い空いている机の上に荷物を置くように勧める。

 ありがとう、と言って荷物を近くの机の上に置く変里。

 このやりとりだけで、胸がときめいた。あまりのときめきに天まで舞い上がりそうだ。

 そんな逢宮の束の間の喜びの後、逢宮と向かい合うように教室の後ろへ移動した変里は、崩れたことなど見たことが無い穏やかな表情で、ラブレターを片手に逢宮へ問い掛ける。




「……逢宮さん、だよね?」


「っ、……はい」


「そっか。手紙、ありがとう……それで、ぼくに何か用事かな?」


「……はい」




 ――ああ、とうとうこの時が来た。


 落ち着かせたはずなのに、絶え間なく電気でも送られているかのようにバクバクと五月蝿い。言う予定で何度も繰り返していたセリフが、頭の中から吹き飛んで目の前が真っ白になる、緊張感。気温はさほど暑くなく、むしろ昨日より涼しいはずなのに、背中や手のひらのなかに滲んでくる汗。

 ――変里くんに見られてる……変里くんが私だけを、見てる……。

 じっと、こちらを見詰めてくる変里。隣のクラスであり、かつクラスの人気者である彼と接触することなど、どちらかといえば大人しめなグループで静かに他愛のない話をしている逢宮にとっては高嶺の花。手の届かない世界の住民だ。

 その、高嶺の花が自分ただ一人を見ている。

 それだけで嬉しさと、恥ずかしさとで『やっぱり今日は……』と揺るぎそうになる意志を勇気で固めて、目を合わせられなくてなんとなく伏せがちだった逢宮は顔を上げて――――言った。




「好きです」


「……え?」




 思い切って言った言葉に、目を見開く変野。

 緊張しすぎて声が裏返ってしまい、しまったと逢宮は思うが、口を開けば後の言葉はすらすらと出てきた。




「突然こんなことを言って迷惑だと思う。だけど、私は前から変野くんのことが――――」






「この悪魔め!」




 …………え?


 逢宮の言葉を遮る様に放たれた、大声。

 それは、この場でありえない第三の声だった。

 ぽかんとして立ち尽くしていると、背後で物音がしたので逢宮が振り返ると、掃除用具のロッカーから少女が出てきた。

 肩まで伸ばした茶髪をおさげにした、その少女は逢宮と同じクラスの女子生徒。

 夢園魔子(むその まこ)

 クラスで変わり者として一定の距離を置かれている、全く逢宮と接点のない少女だ。


 何故か掃除ロッカーから現れた夢園は、カッターシャツの上からハートを崩したような、手作り感の漂うファンシーなポンチョを着ていた。

 手作り感の、かなり強いポンチョを。

 コスプレしてるのか、と呆然とした頭で思う逢宮と目を見開く変里の間に、パタパタと音を立てて入り込んだ夢園は変里を庇うように立ち、これもまた手作り感が強烈に漂う、菜箸に色紙を巻き付け先端にプラスチックの星のおもちゃを付けただけの、安っぽい棒の先を逢宮に向けて、口を開く。



「逢宮さん……もう隠さなくて良いよ。私、逢宮さんが邪神の手先の悪魔であることなんて、とっくの昔に見抜いているんだから!」


「………………は?」


「悪魔サキュバスめ……シラを切るつもりね!? よりによって変里くんに手を出そうなんて、そんなのこの魔法少女☆マジカルマコりんが許さないんだから!」


「………………………………はっ?」





 逢宮は開いた口が塞がらなかった。

 夢園の言っている事が何一つ理解出来なかったのだ。

 変わり者とは聞いていたが、まさか掃除ロッカーの中に入っていて、しかも大して話したことのないクラスメイトを悪魔だの邪神の手先だのと決め付けるとは――




「……何、あんた?」



 ――頭おかしいんじゃないの?

 思わず口から出てしまった本音に、『女の子らしい言葉遣いをする!』とデコピンしてきた親友の忠告を思い出し、しまった、と顔に手を当てたくなる逢宮だったが、慌てて『女の子らしさ』を取り繕うより早く。




「……逢宮さんは、悪魔だったのか?」


「…………え?」




 思いもよらぬ人物から、逢宮の常識は覆された。




「そんな……逢宮さんが、邪神の手先だったなんて……!」


「……何を、言って…………?」


「そうよ変里くん! だから彼女の言葉に耳を貸しちゃダメ! 邪悪な道に引き込まれちゃうわ!」


「え、いや、ちょっと……!?」



 邪心の手先って何?

 邪悪な道って何?

 夢園の発言に疑問が生じる逢宮だったが、それよりも。


 逢宮は、夢園の後ろからこちらを睨みつけてくる変里を、戸惑いの眼差しで見詰めていた。

 頭が良くて、顔もそこそこに整っていて、誰にでも優しい、絵に描いたような優等生。

 変里は何故、こちらを睨みつけているのか。

 何故、彼はこちらに冷たい目を向けているのだろうか。

 まるで親の仇を見るような――軽蔑の、目で。




「……っ……」




 そうすることが当たり前であるかのように、変里を背中に庇う夢園。

 完全に敵対の姿勢を取っている彼女が登場したせいで、逢宮の告白プランは台無しになった。

 親身になって相談に乗ってくれた友達と立てた告白の計画を潰されて、少し頭に血が昇っている逢宮は夢園をきっ、と睨む。

 突然現れて、意味のわからないことを言い散らかした夢園に、一言文句を言わずにはいられなかった。

 だが、下手なことを言って変里に嫌われたくはない。その一心で反射的に出掛けた怒りをぐっと堪え、あくまでも冷静に夢園へ対応しようとした逢宮は、心を落ち着かせながら。




「夢園さ――」




 ぱすんッ、



 こめかみに、何かを、投げつけられた。

 痛みは、無かった。

 こめかみから肩、そして足元へと転がり落ちたのは、丸められた紙のようだった。


 くしゃくしゃに丸めたれた紙を見て、逢宮は絶句した。

 嘘だ、と願いながら紙を拾い上げる。指先で摘み上げたそれを、おそるおそる広げる。

 自分が書いた、渾身の丁寧な文字が並んでいた。友人達の助言を貰って、寝惚け眼を擦って何度も書き直した――――




「失せろ悪魔……! 今すぐに!」




 憎悪と共に、投げつけられた手紙。

 何度も書き直してよれた手紙を、ゴミのように丸められて、投げて、返された。

 心を込めて書いた。震える手を抑え込むようにして、真心を込めて書いた。


 それを、踏みにじられた。

 無残に、踏みにじられた。




「…………ッ」




 疑問が、白くなった頭を駆け巡る。

 何で、どうして好きな人に悪魔と罵られなければならないのか。どうして変里は夢園の味方をするのか。なんで、何で? ――どうして?

 惨めだ。こんなにも好きなのに。好きだったのに。裏切られたような、絶望的な気持ちでいっぱいだった。

 同時に、怒りが湧いてきた。

 本当は、こうなるはずじゃなかった。こんな風に、なるはずじゃなかった。


 なのに何で――――こんなに辛い思いをしなければならないのか。




「ふざけ、ないでよ……」




 自分の恋心を踏みにじられた。

 手伝ってくれた友達の思いを踏みにじられた。

 最早、好きな人の手前と己を自制していた逢宮も、限界だった。




「なんで……っ、アンタに悪者みたいに言われなきゃならないのよ! 私、夢園さんに何かした!?」




 逢宮は、ブチ切れた。

 中学の時、スカート捲りを楽しんでいたふざけた男子生徒に親友が襲われて以来の、激怒だった。


 四人姉弟の長女、逢宮一思。

 弟三人の影響があり、乱暴で雑な言葉遣いの目立つ彼女は親友に『丁寧な女の子らしい言葉遣い』をするようにと何度も釘を刺されていたが、プツンと頭の中で何かが切れた逢宮に女の子らしくすることなど、最早無理であった。

 逢宮は夢園に詰め寄る。




「あのさぁ、私変里くんに普通に用事があって話してたんだけどさ、何なのあんた? 人が話しているところ急に横から割って入って、意味のわからないことペラペラ言い出してさぁ!? 何? 何がしたいの? 私が一体夢園さんに何かした!?」


「私知ってるんだからね……逢宮さんが影で悪魔と取引してるの…………! この学校にいる生徒の中から、邪神に捧げる生贄を捜していること……!」


「はあ!? なにそれ知らないんですけど! というか悪魔とか邪神とか意味わかんない! あんた何歳? いつまでごっこ遊びしてるわけ!? こんなわけわかんない棒まで持ち出してきて……あんたおかしいんじゃないの!?」




 ぐいぐいと詰め寄ってくる逢宮の強気に、棒を突きつけていた夢園は狼狽えていたが、後退りしていた足をその場に踏み止めた自称魔法少女は、しゃあしゃあと反論する。




「おかしいのは逢宮さんよ! どうしてこんなことするの!? 変里くんを邪神に捧げようとするなんて……!」


「はああああああああ!? だーかーらぁー!! 私はそんな邪神だの魔法少女だのふざけた事言った覚えないんだけど!? お前ホント頭大丈夫!? そんなんでよく高校生やってられるなぁ!!」


「も、もうやめないか逢宮さ――」


「うるせーなてめぇはすっこんでろモヤシ男! タマぶっちぎんぞクソが!!」


「ちぎ……っ!!?」




 夢園を庇おうとした変里に暴言を吐いたところではっと我に返る逢宮だったが、かと言って変里に謝る気は無かった。

 一生懸命書いた手紙を丸めて投げ返した彼への恋心など、既に冷めていた。無論、人の恋路を邪魔した夢園にも謝るつもりは無い。




「馬に蹴られてくたばれ! 園児からやり直せクソ女!!」


「ひどい……何でそんなこと言うの……!」


「夢園さん……謝れよ逢宮さん!」




 容赦ない逢宮の言葉に泣き崩れる夢園。変里はそんな夢園を支えるように寄り添う。

 成績優秀、品行方正。

 誰から見ても優秀な人間、変里はどうやら、優しさだけではない別の理由で、夢園を庇っているようだ。

 常識的に考えて、マトモではない夢園の言葉を受け入れているようだ。


 夢園の肩を持つ変里に、逢宮はほとほと幻滅した。

 失望した。呆れ果てた。

 なんでこの人を好きになったんだろうか?

 少し前までこんな非常識な人間の肩を持つ少年に恋をしていた自分が、不思議で仕方がなかった。

 と、同時に涙が出てきた。

 自分が衝動的で、あまりにも考えなしに突っ走ったせいで――変里を非常識な人だと見抜けなかった自分が、馬鹿馬鹿しかった。

 悔しかった。情けなかった。

 何より、自分を応援してくれた親友や友人達に、申し訳なかった。




「もう、いい」




 クシャクシャになった、二度と真っ直ぐになることは無い薄桃色の紙を、スカートのポケットに突っ込む。

 睨んでくる好きだった人と、涙に濡れる夢園。

 心の中で『二人共お似合いだよ』を嫌味を呟き、自分をも軽蔑するように鋭く視線をやった逢宮は、吐き捨てる。




「馬鹿みたい。悪魔でも邪神でも、勝手にしてれば」


「待て! 逃げるのか!?」


「付き合ってられないから帰る。いいから、話しかけないで」




 背を向ける逢宮。早足に自分の机に置いていたスクールバッグを肩に掛け、教室を出ようと変里と夢園の横を通り過ぎる。

 気分は最悪――どころの話ではなかった。

 自分の情けなさ。自責と友への謝罪。罪悪感。どうして私がこんな目に、という怒りにその心はに蝕まれていた。

 一世一代の告白の邪魔をされた。意味のわかんない形で。

 それだけでも逢宮の心は傷ついた。ずぼら、ゴリラだと弟達に囃し立てられる逢宮だったが、彼女も年頃の女子だ。ナイーブで、繊細な面だってある。

 その証拠に、高ぶった感情が脳内を埋め尽くして、今にも泣きそうだ。

 だが、夢園のようにみっともなく人前で涙を流すことは、逢宮のなけなしのプライドが、許さなかった。

 とにかく――誰もいない場所へ。

 早く、一人になりたかった。放っておいてほしかった。

 止められない涙を、ひとりで流させて欲しかった。




「……っ、待って逢宮さ、」


「ついてこないで話しかけてこないで触らないでよ放っておいて」




 刺のある言い方だろうか。一瞬考えた逢宮だが、全ては何もかもめちゃくちゃにした夢園が悪いと思い、教室を出ようとする。

 早く、誰もいない場所に。

 今は、ひとりでいたい。




「逃がさない!」


「っ――!? 放し、て!」




 ――だが、そんな逢宮の腕を変里が掴む。

 がしりと掴んできた変里の手を振り払おうと逢宮は腕を振るが、体付きが細い変里は思いの外しっかりと手を離さないで、それどころかあっという間に逢宮を羽交い締めにし、夢園に突き出す。

 モヤシと変里を罵った逢宮だったが、体は細くても男女の間には力の差というものがあるのだと、思い知らされる。




「夢園さん、早く!」


「ぐすっ……うん!」




 逢宮を拘束した変里は夢園に声を張り上げる。

 これに応えた夢園はポンチョの裾で顔を拭うと、力強く頷いて逢宮へと近付く。


 ――――何を、しようとしているのか。


 じわっ、と胸に嫌なものを感じる。

 逢宮の中に浮かび上がった疑問は次の瞬間、夢園が棒を逆手に持ち直したことで瞬時に理解した。

 想像出来て、しまった。


 菜箸で出来た棒の先。

 おもちゃの星を作った本人の手で除かれたそれは、よく見れば鑢で削られたように尖っていた。

 鉛筆のように、尖っていた。


 尖った方を下に向けて握っている夢園は、意志の強い目で腕を高く上げて、狙いを定める。

 それだけで次に彼女が何をするのか、逢宮は簡単に予想できた。



 だって――尖った菜箸の先端が、 逢宮の目と合ったから。




「っ、やめ……!」




 突き刺される。

 あの箸を、深々と。目に、私の目に!

 そんな恐ろしいことはさせてなるかと、逢宮は変里の拘束を解こうと手足をジタバタと暴れさせもがくか、驚いたことに変里はびくともしない。

 まるで鉄で出来た拘束具に囚われているようだ。

 ぞっと、逢宮の前進後が凍る。




「悪魔よ……闇の国に帰りなさい!」




 神の裁きを下さんとばかりに高々と言葉を唱え、腕を振り下ろす夢園。

 恐怖に駆られた逢宮は、動きを止めた。

 あまりの恐怖に脳みそが容量を超えたか。それとも残されたプライドか。

 迫る箸の動きを目で追うことしかできない。抵抗なんて出来ない。もう逃れられない。

 あ、と。悲鳴にもならなかった音が、喉から零れた。


 そして、逢宮の目に吸い込まれるように菜箸は――――









「――……女子の修羅場に入るつもりはなかったんだけどなぁー……」









 ――――――支配、された。



 パァンッッ、という甲高い破裂音が、逢宮の目の前で弾けた。

 顔に飛沫のようなものが当たり、反射的にまばたきをする。

 それと同時に今になって恐怖が体に追いつき、全身が緊張した。




「え……!?」




 困惑した夢園の声が聞こえて、自分の体にどこにも痛みがないことに気付いた逢宮は、そっと目を開く。

 若干濡れた視界は、ちゃんと見えていた。どこにも異常は無かった。


 問題なく景色が見えていることにほっとした逢宮は続いて、夢園を見る。

 夢園は二、三歩ほど後退りながら、自分の右手を凝視していた。浮かんだ表情は、驚愕。

 手を開く夢園。逢宮はこの時、夢園が驚いていた理由を知る。


 直前まで夢園が握っていた箸が、消滅したのだ。


 いや、弾ける飛んだのだろう。夢園の手からさらさらとこぼれ落ちる茶色い粉末に、自分の顔に何かが飛んできたのを思い出した逢宮は、確信した。


 目を溢れんばかりに見開き、呆然と自分の手のひらを見詰める夢園。

 彼女はばっ、と顔を上げると「嘘でしょ……」と呟き、青ざめていく。

 それに応えるように、逢宮は頭上から冷たい空気が教室に流れ込んでくるのを感じた。

 生温い室温を窓へ押し退けて、肌を撫でるように、ひんやりとした空気が。

 空気は通常、温かい空気は上へ、冷たい空気は下へ集まる性質がある。

 その性質を無視した現象に、逢宮が目を見張っていると――――ガラリと、教室の扉が開かれた、夏場に冷蔵庫を開けた時のように、冷風が教室の中へ津波の如く押し寄せて来る。

 何者かの、“気配”と共に。



 その“気配”が冷気と共に流れ込んで来た瞬間。

 空気が、変わった。

 肌で、呼吸で、大気の変化を感じ取ったのは――一瞬。




「邪神様の名前を出されたら、無視しているわけにはいかねーよな」




 その、強大な“気配”は。

 世界を、塗り潰し。

 教室を――異世界へ、染め上げた。




「きみは、誰だ……!?」




 夢園を守るように変里は移動する。この時逢宮は拘束を解かれた。

 何が起きているのか、全くもって把握出来ていない逢宮はとりあえず、夢園と変野、それから教室に足を踏み入れた第三勢力から距離を置くように移動する。


 肩からずれ落ちていたスクールバックを掛け直しながら、後ろ手に扉を閉めた男子生徒に目を向ける。

 やや日に焼けた肌と、日本人らしい焦げ茶の髪。前髪は長く、目元がすっぽり隠れて素顔が見えない。顎に引っ掛けているのは、保健室でよく見かける白いマスク。

 初対面であるはずなのに、何処かで見覚えのある男子生徒に、一瞬誰だろうかと思考した逢宮は、夢園を背に庇う変里と対峙するように立った彼の左手を覆う、第二関節から先がない黒い手袋を見て、もしかしてと口を開く。




「龍堂寺……?」




 そうだ。彼は確か隣のクラスの――重度な中二病ということで有名な男子生徒、龍堂寺望(りゅうどうじ のぞむ)だ。

 廊下ですれ違ったことのあるだけの、全く関わりのない同級生。

 何故、彼が自分のクラスではないのにこの教室にやっていたのか。

 いや、それよりも――――



 彼は、こんな得体の知れない不安を呼び起こすような雰囲気を、纏っていただろうか。



 じわじわと、肺の奥から侵食していくような。

 冷たくて、黒い――嘔吐感に似た、気持ちの悪い気配を。




「嘘、でしょ……!? こんな……こんな強い邪気に気付かないなんて……!?」


「普段は隠して生活してんだよ。この学校、よくわかんねーけど正義の味方とかいるらしいから」




 悲鳴のような声を上げながら後退る夢園。

 真っ青な顔で涙目になっている彼女を追い詰めるように足を踏み出す龍堂寺の前に、変里が立ち塞がる。




「夢園さんに手を出すな!」




 これに龍堂寺はじっと、変里をみつめると、ああやっぱりと言うように軽く首を振って。




「――うん。お前じゃない」




 刹那。パァンッッ――と、破裂音。

 どこからともなく鳴り響いた空気を弾く音に、逢宮が見る中、変里が膝から崩れ落ちた。

 気を、失っているようだった。


 現実味がない、光景だった。

 不気味な気配を発する同級生が、触れもしないで、誰かの意識を奪うなんて。

 だがそれが紛れもない現実であるということは、とうとう悲鳴を上げた夢園が床に倒れた変里を抱えた光景を見ることで、逢宮は実感した。

 さっきまで強い意志を持って逢宮の目を潰そうとしていた夢園が、恐れ怯えて震える様を見て――夢園の恐怖が伝播したように、恐怖を感じ始めた逢宮は、たった一つ理解したのだ。


 これは、現実に起こっているのだと。

 こんな異常な光景は、夢ではないのだと。




「なんて、ひどいことを……」


「……ひどい?」




 避難するように訴える夢園の声を、冷たく捩じ伏せた龍堂寺は、言った。




「どっちがひどいんだよ」




 ――――破裂音。


 気を失った夢園は変里の上に重なるようにして倒れ込み、教室に静寂が訪れる。

 異質な気配が充満した空間で、逢宮は声もなく、佇む。

 この教室を支配した、一人の生徒から目を離さずに。



 うっすらとした、夕日の差し込む教室。

 部活動に専念している生徒が多いこの時間、声を上げても誰もにも届かないだろう。



 二人きり、だった。



 彼は何者なのか。何をしたのか。これからどうするのか。

 ――きっと彼は夢園や変里にしたようなことを、逢宮にもするのだろう。

 確信はないか、そんなことを考える逢宮はゆっくりと振り向く龍堂寺に、目の前が真っ暗になるような恐怖を抱きながら、思う。

 ――どうしてここに来たのか、理由は分からないけど……せめて。


 せめて……目を潰されなくて済んだことについて、お礼は言いたかったな。


 僅かに膨らんだスカートのポケットに、くしゃくしゃになったラブレターの存在を感じながら、胸元まで押し寄せてきた来た恐怖の中で『ああでもあんな変なヤツにやられるよりかはマシかな』などと、自分でもズレてるな思うことを考えながら。

 絶対的支配者の審判の時に逢宮は覚悟を決めて、スクールバックを足元に下ろし、こちらを向いた龍堂寺を真っ直ぐに見据えて、




「……大丈、夫……か?」


「……………………ぁ……」





 ――――涙が、溢れた。







     ×





「あ。岩原、龍堂寺に『週末熱海に行ってくる』って言っといて」


「おー」




 ――あれから、一年が経った。


 変里と夢園は逢宮の学年で『ザ・ベストKYカップル賞』に選ばれるほどの奇天烈っぷりを発揮し、今日も元気に登校してきている。

 一大決心をして挑んだ告白をものの見事に打ち破られた逢宮は、失恋を共に悲しんでくれた親友と、背中を押してくれた友人達とで、今日も替わらず仲良く机を囲んでいる。

 変里は本性が晒されて若干風当たりが悪くなったようだが、逢宮の周りには何の変化もない。

 少し、同級生の認識が変わっただけで、今日もまた逢宮の高校生活は楽しく過ぎていく。


 あの日、変里に失恋した体験は今や笑い話となり、色恋沙汰に興味津々な友人達に、先人としてのアドバイスとしてたまに語っている。

 そこに、ほんの少しの虚実を混じえて、至って普通にある失恋話として。


 龍堂寺のことは、誰にも語らないまま。




 …………逢宮は今、友人達の間で龍堂寺に片想いをしているといることになっている。

 夢園の奇想天外な言動を「自分がある素直な子!」と慕う変里と同レベルか、それ以上に奇怪な言動の目立つ同級生に、恋をしていると。

 年頃の男子と女子の仲が良いだけで、直ぐに恋愛へ話を持っていく友人達に少々呆れている逢宮であったが、今のところは告白する気がないということで逢宮は龍堂寺との関係を通していた。


 訂正する気は、ない。

 逢宮が龍堂寺に密かに想いを寄せていることは、事実だからだ。

 だが実際逢宮と龍堂寺の関係は、『仲の良い異性の友達』ではない。



 支配者と、従者だ。




 あの日、教室であったことを黙っておく代わりに龍堂寺の事情について聞き出した逢宮は、『龍堂寺の手伝いをする』という新たな条件を無理矢理通し、彼の従者としてある。

 これも衝動的に、考えもなくやったことだが、逢宮に後悔はない。

 逢宮は、龍堂寺の役に立てるだけで、不思議なことに満足していた。




「そういえば、今週末はどこに行くの?」


「熱海に行く予定」


「へー熱海かぁ……! 温泉で有名だよね!」


「お土産よろしくね!」


「うん」




 それはきっと――誰も知らない、龍堂寺のことを知っているから。

 ――――邪神の“器”を見つける、なんていう。

 フィクションみたいな、二人だけの秘密を共有しているから……このままの関係で、今幸せなんだろうと、逢宮は思っている。


 彼の親しい友人達にも明かしていないという、その使命の手助けを、自分だけがしているという優越感。

 特別感があるから、今自分は幸せなのだろうと。


 それに――遠方に足を運べない彼の代わりに、自分が地方に飛び“器”の候補を見つける。

 その旅から帰ってくる度に、いつも龍堂寺は駅まで迎えに来て、「おかえり」と、どこかほっとした笑顔で逢宮を労わってくれるのだ。


 あの日、振り返った龍堂寺の長い前髪の間から見えた、自信の無い戸惑いの表情に浮かんだ――夕日を塗り潰すように存在する、赤い瞳。

 鮮烈な赤色の眼に浮かんだ――息を呑むほど美しく、優しい真心に。

 澄んだその心に触れられるから、逢宮は龍堂寺のために、“器”を捜すと決めたのだ。






 煌々と輝く邪悪な光の中に見た、彼の心に。

 逢宮一思は、恋をした。



×あとがき×



投稿遅れてすいません。素で忘れてました。

なのでこの短編を書き始めたのは締切の三日前。

大体のあらすじを書き終わったのが締切の一日前。

そして書き終わったの締切翌日です。

スケジュールぐらい管理しとけやぁぁぁぁ!!と怒られそうですね。担任の先生に怒られました。ははっ。

まあそんな話は置いといて。



久々に小説を書きました。

なので書き方とか忘れてて焦りました。

やっぱり物書きは日々の積み重ねが大切なんだなと思いながら、今回の突発衝動企画『修羅場』を書き上げさせて頂きました。

『修羅場』と聞いて真っ先に思い浮かんだのが女の子の壮絶なキャッツファイトだったので、女の子二人の言い争い、みたいなシーンを入れさせていただきましたが…………まあ、見事に噛み合ってないですね。

笑えるほど会話が噛み合ってないですね。書いてて笑いました。噛み合ってないって(笑)

実際のキャッツファイトはもっとえげつないものなんですけど、今回は片方がいわゆる『頭の中お花畑』みたいなキャラなので、あえてもう片方を可哀想な目に遭わせました。

実際にあったら嫌だよね、好きな人が自分を責めてくるって。

頑張って書いたものをゴミみたいに扱われるって。


なので今回主役でした逢宮一思ちゃんには最後、救いをやりました。

空想学生シリーズは基本全部ハッピーエンドにするって決めてるので、逢宮ちゃんだけじゃなくて変里と夢園にも(一応)救いの手をやってます。

むしろハッピーエンドじゃないやつって誰だよ、って話ですが、それは『バレンタインデー』の時に書いた多田くんがそれに当たります。

いつかハッピーエンドも書こうと思ってますけど。多田は今のところは幸せ五歩手前の状態でストップさせておきます。

ああ時間が欲しい……。



それから今回の時列はなんと岩原とか知崎先輩が一年生の時の話です。

まだ中田くんが中学三年の時の話ですね。こんなことがありました、って程度のお話です。


それから今回登場したのは、

逢宮一思、変里奏、夢園魔子、龍堂寺望の四人です。あと最後に岩原。

個人的には龍堂寺の名前が出せて良かったなと思います。

やっと出ましたね、龍堂寺の本名。




それでは!

今回の企画を共同で立ててくださった相方、雪野さん!課題なんてものをくれた先生方!短い夏季休暇!楽しい夏の思い出をくれたイトコ、そしてこの短編を閲覧してくださった全ての方々に感謝の気持ちを込めて!

ありがとうございます!そして!




ご閲覧ありがとうございました!

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