魔法使い⑦過去の男
ミルフレンニの過去を簡単に明らかにしてみました。
『ぐぎゃう~~~ん!』
「……あぁ?」
遠吠えのような声が聞こえ、眠い目を擦りながらも目を開ける。
「おいっ!お~い」
ぺちぺちとミルフレンニの頬を叩き起こす。何故かがっちりと抱きかかえられていて動けないのだ。
「…ん、んぅ?エボ……しゃま」
微睡が強いのか、そのままくか~と寝に入ろうとするのを必死で起こすこと数分。ようやく目を覚ましたミルフレンニと共に周囲を警戒する。
「ミルフレンニ、光魔法はまだ使うなよ」
「はい…」
この暗闇だと光源を発生させることは相手にも有利になりかねん。モンスターなのか、それとも別の要素なのかはわからないが警戒しておくに越したことはない。
だが、そんな考えは無為となる。
「警戒する必要はない」
そんな声と共に大きな音を立てて地面を揺らし、土煙を上げながら現れた存在。それは、ハニー・ベアーだった。しかも、その左目には見覚えのある傷痕があった。
「……お前は、昼間の!」
ということは、先程の声の主は……。
「……初めまして、と言った方がいいかな?それとも、昼間はペットが世話になったとでも言った方がいいか?」
「…世話をした覚えはねえが、少なくとも深夜の寝静まっている時間帯に突然の来訪だ。せめて一言ぐらいあってもいいんじゃないか?」
土煙で未だに姿は見えないが、ハニー・ベアーの上に人がいるのはわかる。
警戒しつつ周囲を見渡すと、異様な光景が目に飛び込んできた。
オレ達が数えていたシープーがすべて横になっていた。逃がしたはずなのに、そう遠くないところにいるシープー達はオレ達に近いほどに苦しそう手足をもがくように宙を掻き毟っている。そのことから生きているのはわかるが、その異様な光景は状況を整理しきれていない心に動揺と恐怖を与えるには十分すぎるものだった。
(一体、何をしやがった?)
「さて、長々と話をするつもりはないんで単刀直入に用件を言わせてもらおう」
土煙が晴れ、姿を現した男。ハニー・ベアーというモンスターに悠然と座り込み余裕を見せる男は、何でもないかのように目的を告げた。
「その乳魔族の娘を貰い受けに来た」
それはまるで決定事項。
逆らうことなど念頭に入れていない言葉だった。
「……貰い受ける?おかしなことを言うな。こいつは、オレが譲り受けた者だ。他人にとやかく言われる筋合いは――」
ない、そう言おうとした直後、ハニー・ベアーが怯えたように身を振るえさせ始めた。そして、その原因もすぐに判明する。
殺気だった。
ハニー・ベアーに跨っている男が発した殺気。それにかのモンスターは怯えたのだ。Bランクのモンスターが怯えるほどの殺気を放つ男。実力はオレよりも遥かに上だということを物語っている。
先程告げようとした言葉。あとたった2文字を口にすることができない。
口にしてしまえばそこで終わってしまうのがわかってしまったから…。
「どうした?言葉を途中で止めるというのは失礼じゃないか?」
わかっているくせに!
歯噛みして、溢れだしそうになる感情を必死で抑えなんとか平静さを保とうとする。もしも、ここで感情を爆発させればそれに触発されてあの男とハニー・ベアーがどのような行動を取るか。それを考えるだけで身が縮こまりそうだ。
意識だけは絶対に外さず、ちらりとミルフレンニを見る。
彼女は震えていた。自分がこれからどうなるのかを心配しているのか、それとも圧倒的な強者と対面しているが故の恐怖か。あるいは、短い付き合いだがオレのことを心配しているのかもしれないが…。
さて、どうしたものか。
◇◆◇◆◇◆◇
……嘘。信じれない。そんな言葉が頭の中でいくつも渦巻いている。
エボル様を寝かしつけ、そのまま共に寝入ってしまってから数時間。突如として聞こえてきた獣の声に目を覚まし、周囲を警戒していた時にその男は現れた。
昼間の襲撃に使われたと思われるハニー・ベアーに跨って。
その男――ピャンピャマナスは私の前に再び姿を現したのだ。
顔を布で覆っていようとも、全身を黒い布で隠そうともその雰囲気は隠せない。爆発しそうになる髪の毛を抑えたようなアフロヘアー。それで隠しているのだろう角の位置も未だに覚えている。
乳魔族と対を為す男性だけの種族である牛魔族の男。
私を連れ出し、そして奴隷に落とした男のことを忘れることなどできるはずがない。
ピャンピャマナスと初めて会ったのは、1年近く前。両親が他界してすぐのことだった。
『……君が、ミルフレンニだね?君のことはニールフィアとバファロスから聞いてるよ』
悲しみに暮れていた時に現れ、優しく手を差し伸べてくれた人だった。
それからというもの、彼はちょくちょく村にやって来ては色々なことをしてくれた。村の人はあまりいい顔をしなかったが、そのことについて尋ねると『昔、村を出ていったから』とだけ答えた。その時の悲しげな表情が深く印象に残っていたので、私はそれ以上何も聞けなかった。
それからも私は人目を盗んで彼と会っていた。
事態が動いたのはそんな時だった。
『ミルフレンニ、町を見に行かないか?』
『町、ですか?』
初めは何でわざわざそんなものを見に行かなくちゃいけないんだろうと疑問に思ったが、それは両親の願いでもあったと告げられて私は行くことを決心した。
『乳魔族だとバレると面倒なことになりそうだから布を巻いていこう』
そう言われて、角を隠し、尻尾を服の中にしまって町へ行った。
初めての町は驚きの連続だった。
見たことのないような調度品、それに芳しい匂い。見る物見る物が目新しく、新鮮味に溢れていた。そんな体験をしたものだから、油断していたのは事実だろう。
2人で少し人ごみから離れた瞬間に私達は襲われてしまった。
世界には人身売買をする手段がいると言うが、そういう人種が襲うのは基本的に犯罪者だったり、消えても誰も文句を言わないような人種だ。それは厄介ごとを避けるという意味と少しでも罪悪感を感じないようにするためだと村では教わっていた。
だから、通りを外れたとはいえ街中で襲われるなんて予想もしていなかった。
幸いにも実力は大したことはなく、ピャンピャマナスによって軽々と倒される程度だった。しかし、攻撃を避けた拍子に頭に巻いていた布が落ち、角が顕になったのが拙かった。
彼らは私が乳魔族だと気付くと目の色を変えてきた。
乳魔族はその能力と美貌から他種族に狙われているのです。だからこそ、乳魔族は集落などを作ってそこで生涯を終えることが多い。あるいは国に庇護を求めるのです。
でも、悪いことにここは国境を越えてすぐの場所。つまりは他国でした。国を跨いでしまえば国側も私達を保護する理由はない。
欲望に染まった瞳を見て、身体が強張るのを感じました。
『逃げろっ!』
彼に言われて私は走った。走って走って必死になって逃げ続けた。
周囲に闇が訪れ、夜の帳が町を覆い尽くしても私は逃げ続けた。どこに逃げれば安全なのか、そんなことを考える余裕もなくひたすらに走り続けた。
『……はぁ、はぁっ!ここ、どこなんだろう…?』
建物と建物の間。そこに身を潜めたのはいいが、これから先どうすればいいのか。さっぱり見当もつかない。
『!!』
急に肩に何かが触れ、慌ててその場を離れる。
だが、その場にいた存在を見て私は安堵した。
『あなたは…』
そこにいたのはピャンピャマナスが使っている鳥型の使い魔だった。その使い魔は咥えていた小さな巻き髪を渡してくる。
その紙に書いてあったのは避難経路と集合場所。私はそのまま使い魔に案内されるように集合場所へと向かって行った。
『ピャンピャマナスさん!』
集合場所でピャンピャマナスを見かけ、私は嬉しくなって駆け寄っていった。
『おぉ、ミルフレンニ。無事だったか…』
『うんっ!ピャンピャマナスさんの……!?』
彼に近付き、再会を喜んでいるとすっと近付いてくる人影が。
『…その娘が?』
突如として現れた男は私を一瞥すると、ピャンピャマナスに確認を取る。
ピャンピャマナスが頷くのを見つつ、私はどういうことかを真剣に考えていた。この人は誰なのだろう?何故こんなところにいるのだろう?ピャンピャマナスとの関係は?
『ミルフレンニ。彼は私が村を出てから知り合った人物で、上手く連れ出してくれるそうだ』
『そ、そうなの?』
だけど、この人の私を見る目はなんだか嫌。この人が私を見る目は襲いかかってきた人達と同じ目をしてる。
『では、行こうか』
しかし、そんな不安を伝えられないまま、私達はその場をあとにするしかなかった。
『うらああっ!!』
『走れっ!早くしろ!』
『……ッ!?』
逃げる先で何度も何度も襲われた。どこから情報を得ているのか、休む間もなく襲いかかられ、半月ほどかけてようやく国境沿いにまで逃げて来られた。
だが、そこにも追手は迫っていた。
そして、あの提案をされた。
『ミルフレンニ。お前と私はここで別れる。お前は彼について行け。私が囮となってここに残ろう』
『そんなっ!?』
ピャンピャマナスだけを置いていくことに罪悪感を覚え、何とかやめさせようと追い縋る。だが、ピャンピャマナスの決心は固く、その意思を覆すことはできなかった。
『じゃあ、任せるぞ』
『ええ、ええ。お任せください』
にこにことそれまで一度も見せたことのなかった笑みを浮かべながらピャンピャマナスと男が何やら会話を交し、何やら物を交換していた。男は薄い四角形の物を、ピャンピャマナスは重そうな袋を受け取り、ピャンピャマナスが背中を見せたのを合図に私達はその場を走り去っていった。
そう、この時に私の運命は大きく歪んでしまった。
国境へ向かって全力で駆け出した私達。その背後で聞こえる獣の鳴き声に後ろ髪を引かれ、振り向きそうになりながらもそれを堪え必死に走り続ける。
『見えましたよ!国境線です!』
その声に顔を上げると、国境を隔てる砦が目前に迫っていた。
(やった!これで村へ帰れる!)
そう喜んだのも束の間、突如視界が揺れ始めた。
『…あ、れ?』
何で?何で今なの!?
焦れば焦るほどに足がもつれ、あと数歩で国境を越えれるというところで倒れてしまった。
『おやおや?どうしました?あと少しで国境越えですよ?ここを越えないと捕まっても文句は言えませんよ?』
『……あっ、うぅあ…』
楽しげな声が頭上からかけられ、私は何とか応えようとするものの言葉にならない声が口から洩れるだけだった。
『おいおい、やっとか?』
そして、姿を現す男達。彼らは一緒にいた男に近付くと彼からピャンピャマナスが受け取っていたような袋を渡されていく。
『ああ。ご苦労だったな。これでようやく貴重な乳魔族を奴隷にできるぜ』
それは今まで見たことがないような下卑た笑みだった。
そこに同情や憐憫の感情は一切見られない。そこにあるのはただ道具を見るようなそんな目だった。
『それにしてもあんたも酷いねぇ~。世間知らずの乳魔族を同族の牛魔族に騙させて奴隷にするなんてよ』
『そうかね?あいつだって金が入って満足するんだ悪い取引ではないと思うのだがね?』
『!?』
男達が言っていることの意味がわからなかった。
それじゃあ、まるで……。
『おいおい、見て見ろよ!この驚いたような顔!笑える~』
『ギャハハハ!ようやく騙されていたことに気付いたのか!だったら、奴隷になってから分かった方が気が楽だったかもなあ』
そんな…、信じない。
だが、男達は必死で抵抗しようとする私の心を易々とへし折っていく。
『別れる前に渡したのは金だよ。あいつはお前を紹介することで金を受け取ったのさ。と言っても、たかが金貨10枚。乳魔族の商品価値を考えれば安すぎる報酬だがな!』
男はそれだけでは止まらず、動けない私の前にある物を放り投げた。それは、ピャンピャマナスから受け取っていた物だった。
『それが何かわかるか?』
わからない。
『それはお前の身分証だよ。あいつは金でお前の存在そのものを売り払ったのさ』
そんな…!
確かに、村でのピャンピャマナスの評判は悪かった。それが何故かは知らない。だけど、彼が私を撃ったなんて…。
そんなこと、信じたくなかった。
『まあ信じようと信じなかろうとお前が売られたのは事実だ。さっさと連れていけ!』
私は周りを取り囲んでいた男達によって連れて行かれた。
幸いにもすぐに売却先が決まったことで穢されることはなかったが、引き渡されるまでの間は本当に地獄の日々だった。
そんな原因を作った男が目の前にいる。
覚えようとしても消えていった憎悪の炎が胸に灯るのを感じてしまった。
◇◆◇◆◇◆◇
「もういいだろう」
男の合図。それによってハニー・ベアーは跳躍してくる。
「人の話を――」
「――エボル様!」
くそっ!考えてる時間もない。
風魔法で障壁を張り、ミルフレンニを抱えてその場を離脱する。
『ぐぎゃう!』
離脱した直後、障壁にぶつかるハニー・ベアー。ただし、ぶつかって怯んだのも一瞬。すぐさま障壁を噛み砕き、迫ってくる。
結構MPを込めて作った障壁だったんだが…。
若干のショックを覚えつつ、敵のことを観察する。どういう原理でモンスターを従えているのかは知らないが、相手はモンスターを使う。もしかしたらハニー・ベアー以外のモンスターを使役している可能性もあるわけだ。
「エボル様、あの男――ピャンピャマナスは調教師というジョブに付いています。お気を付け下さい」
「!?お前…」
あの男を知っているのか?そのセリフは出てこなかった。
ミルフレンニの瞳がドス黒く濁っており、感情が消えて言った可能ように感じた為だ。
尋ねようとした疑問を呑み込み、今聞くべきことを聞く。
「…あのハニー・ベアー以外に使役しているモンスターがいる可能性は?」
「わかりません。私が最後に会ったのは随分昔のことですので。ただ、その時は鳥型も使役していました」
鳥か…。だったら、夜なのは有利だな。鳥目ではこの暗さを生かすことできないだろう。
あれ?モンスターだったら関係なのか?
「どうした?逃げるのなら娘を置いていけ」
「誰が逃げるかっ!」
腕の中にいるミルフレンニをより一層強く抱きしめ、敵意を剥き出しにする。
これは先程の殺気に比べればまるで児戯のような抵抗だ。子供が大人に対抗して見栄を張っているようにしか映らないだろう。
それを理解しているからこそ、鼻をならす。
「そう何度もやられるか!」
向かってくるハニー・ベアー。以前のように目を狙うなど局所的な攻撃はできない。あれには集中と膨大なMPを消費するからだ。
今のレベルは7。MPの最大値は245しかない。しかも、身体を構成するために少量ずつだが消費している。残りのMPを考慮しつつ戦わなければならないということだ。
だったら、狙う場所を絞ればいいだけの話だ。
跳ねるように駆けてこちらへ向かってくるハニー・ベアー。狙うべきは――足!
スキル【一点集中】を発動してハニー・ベアーが地面に足を着けた瞬間、ストームボックスを発動させる。
『ぎゃおう』
躱された。
それも軽々と。
「無駄だ。お前の魔法発現スピードは見させてもらったが、そのスピードではこいつには届かんよ。以前のように不意を突けば別だろうがな」
「見てた、だと?」
「そうさ。お前達2人がギルドを出てからずっと後をつけていた。そして、見ていたのさ。依頼をしているところも魔法を使っているところも。そして、当然お前のそのローブの下もだ」
くそが!
だったら、ローブを羽織っている意味はあまりない。まあ、風の鎧を纏っているようなものだし、少しはリーチがある分マシか。それに、ローブの下がわかっていても隠れていれば当てる場所を絞るのが大変だろう。
「お前がその娘を普通の奴隷のように扱っていないことはわかった。だが、その娘を渡すわけにはいかんのだ」
何を言ってるんだ?
「ふざけないでっ!あなたにこそ私は何かを言われる筋合いはないわ!!」
「ミルフレンニ!!」
腕から離れ、激昂を顕にする。
平坦な感情だけしか見せてこなかったこいつがこんなに感情を爆発させるなんて…!あの男は一体?
ミルフレンニはオレの制止を振り払い、手を前に突き出して魔法を唱える。
「レイ・スピアー!!」
暗闇を切り裂くように閃光がハニー・ベアーに向かって行く。
『ぐあぁぁぁう』
「いかん!逃げっ――」
ミルフレンニの魔法はハニー・ベアーを傷つけることはできなかった。ただ、怒りを買っただけだ。
ハニー・ベアーが視界から消える。
どこに行った?
「逃げろっ!ミルフレンニ!!」
何?
何故あの男が警告を?
それに、ミルフレンニだと?
「しまった!」
意味に気付き、すぐさまミルフレンニに手を伸ばす。
(間に合え!)
ローブで包みむようにした直後、鋭利な刃物で引き裂かれるような痛みが背中に走った。
・ピャンピャマナス Age37 Lv.41
種族:牛魔族 ジョブ:調教師 ランク:B
スキル:【テイム】