変化する切欠
「ねぇ、しのちー、機嫌直してよ」
「別に、怒ってません」
「んー、でもさっき、絶対不機嫌だったでしょ?」
先程の服屋を出てすぐに知恵はそう言って、少し腰を曲げて大袈裟に下から忍の顔を覗きこんでくる。
いつもすこし上にある知恵の目線が、下から上目使いで覗きこんでくるのだから、可愛いとしか言いようがない。
知恵はいつも通りだっただけだ。忍だってわかってる。ただ、悔しかっただけだ。今の忍には怒る資格がない。だってただの友達なんだから。
今の関係から、変わることが怖かった。だけどやっぱり、変わりたいと、そう忍は強く思った。告白をしようと、心に決めた。
「さっきはそうですけど、今は怒ってません。それより足立さん、服もいいですけど、アイスクリームでも食べに行きませんか?」
「ん? おお、いいわねぇ。ところでそれってちなみに?」
「おごったりは別にしませんから」
「ちぇー」
「抜け目ないんですから」
告白をしようと決めた。決めたのだけど、さて、どうしようか。忍は告白をしたことがないし、されたこともない。
一体どんな風にすればいいのか、検討もつかない。そもそも知恵の言葉に一喜一憂している状態で、ちゃんと想いを伝えられるのか、自信がなかった。なのでとりあえずは、こんな人混みの中ではできないので、もう少し時間をおくことにした。
アイスクリームの店があるフードコートまで、途中にあるお店もいくつかひやかしつつ、結局何も買わずにフードコートへ到着する。
「んー、アイスかー、しのっぺはどれにする? いつものバニラ?」
「そうですね。いつもなら無難にそうですけど、ここのバニラは何回か食べてますし……」
別の味にしようかな。でもそうなると、どれも美味しそうで選べないし。迷う忍に、知恵はそうだ、と手を振って提案する。
「今年に、ちょっと歩くけど新しいアイスクリーム屋できたって聞いたことあるわ。行ってみる?」
「あ、いいですね」
と言うわけでさらに移動することになった。
さらにお店を冷やかしながらも建物から出て、歩くこと15分。時間がずれているからか人は少なかった。
割合大きな公園の向かいの通りの角にある店で、忍はバニラを、知恵は当店人気ナンバーワンのトロピカルピンク味を選んだ。
近くの公園に桜が見えたので、折角なので移動して桜の下のベンチに座って食べることにした。
「トロピカルピンクってどんな味ですか?」
「わかんない。どれどれ、んー、桃のような、マンゴーのような感じ? 食べる?」
「いえ、いいです」
「ちぇー。しのしのこそ、味は?」
「ん。美味しい味です」
「そこはさぁこう、牛乳の宝石箱やー、とか言ってくれないと」
「嫌ですよ。と言いますか、ご自分のコメントをまず振り返ってみてくださいよ」
アイスクリームの味は普通に美味しい。
見上げるとバックを青空にして、桜が綺麗に咲いている。絶好の入学式日和だ。
「ねぇ、しのちー」
「なんですか?」
呼ばれてそちらを向くと、知恵もまた桜を見上げていた。
「桜、綺麗ね」
その横顔は、とても綺麗で、気づいた時には勝手に体が動いていた。
忍に右肘を引っ張られて、素直に引かれるまま体が傾いて不思議そうに忍を向く知恵。その自分に正面を向いている知恵の唇に向かって、忍は自身の唇を重ねた。
ぼとりと、知恵の右手のアイスクリームは地面へ落ちた。その物音を聞いて、知恵を引っ張っていた左手を離して忍ははにかんだ。
「し、忍?」
「すみません、やっぱりトロピカルピンク味が知りたくなっちゃいまして」
顔が真っ赤になっているのは自覚しているくせに、忍はそう言って笑った。一拍遅れて、知恵も耳まで赤くなった。
「そ、そう。美味しかった?」
「はい、とっても。ごちそうさまでした」
「お、お粗末様です」
「でも、落としちゃいましたね。かわりに、どうぞ私のを食べてください」
「う、うん。ありがと」
忍に渡されたバニラアイスを受け取った知恵は、ぎこちなくもそのアイスを食べた。
知恵が落としたアイスには、早くも蟻が群がりはじめていた。
○
足立知恵はかつてない境地に立たされていた。
心の友であり、腹心の部下である忍から唐突にキスをされたからだ。
もちろん、それを怒っているとか嫌悪しているわけではない。あえて負の感情を言うなら、自分からできなかったことを先にされて、自分のへたれさが悔しい。
そう、足立知恵は佐久間忍が好きなのだ。
最初に見たときからそうだ。単に困っている雰囲気から声をかけたのだけど、普通なら自分の花を渡して、自分のを受け付けにもう一回もらいに行って終わりだ。
だけど花を渡してありがとうと微笑んだ忍があまりに可愛らしくて、格好いいところを見せたくて、気づけば木に登ってとっていた。失敗すれば大恥をかくところだったが、幸いなことにうまくいった。
それからは流れもあり、強引に同じ部活にさせて、二人きりでラブラブな日々を過ごしてきた。
告白をしたくないと思っていたわけではない。むしろいつだってしたかった。
だけど忍は知恵に親愛を示してくれても、いつもどこか一歩引いた風だ。今日だって、知恵が軽口に見せかけてどんなに甘い言葉を吐いてもはいはいで終わりだ。
可愛いと言うとさすがに照れたけど。そしてちょー可愛かったけど。
だからあと一歩が踏み出せないままだった。
だけどその一歩の距離を、忍が飛び越えた。心臓がうるさくて、渡されたアイスの味なんて何もわからないが、なんとかアイスクリームを食べ終えた。
そして終わってから気づいたのだけど、忍と間接キスだ。すでに直接キスをしていて、そのあまりのインパクトから気づかなかった。
「ごちそうさま。美味しかったわ」
「お粗末様です」
「あ、あのさ」
「はい、何でしょう」
忍は普通に答えてくる。だけど、さっきのキスだ。どう考えたって、味が知りたくてキスするわけがない。知恵と過ごした一年間で、忍はそんなキャラじゃなかった。特別な意味があるとしか考えられない。
だから、告白するなら今だ。間違いなく両思いだ。
「…………な、何でもないわ」
なのに、言えなかった。喉が震えて出なかった。情けないと、自分を殴りたいくらいだ。
「そろそろ、帰りましょうか」
「はい」
忍は落胆した様子もなく、微笑んだまま頷いた。その様は相変わらず可憐で、可愛くて、だけどその余裕な態度は少しだけ憎らしく感じられた。
帰る為には電車にのる必要がある。位置関係をわかりやすくすると、知恵の家→忍の家→学校→繁華街となる。学校の前を通りすぎて家に帰るのだ。知恵と忍の家は一駅違いだ。
駅につくとちょうど電車はとまっていたので、スムーズにのれた。席は空いており、二人揃って座ることができた。
「……」
公園を出てからずっと、会話がない。さきほどまでは黙っている時間がないほどだったのに、今は知恵な口を開いては閉じてを繰り返しているばかりだ。
膝の上のスクール鞄の持ち手をいじいじしながら何か話題を考える。
「……」
出てこない。そもそも話題もなにも、早く告白してしまいたいくらいだ。余計な話題がでてくるわけがない。しかしいくらなんでもこんな電車の中でできるわけがない。人が少ないとは言っても、同じ座席には端しっこにも座ってるし、向かいの座席にも中央に三人がまとまって座っている。
騒がしい声が聞こえるくらいなので、こちらも話せばすぐ聞こえてしまうだろう。
知恵は半ば諦めの境地になりつつ、鞄を触るのをやめて手をおろした。
「!?」
おろした右手が、座席に置かれていた忍の左手に重なり、思わず知恵は反発したかのように右手を数センチ浮かせて、忍の様子を伺ってしまう。
「……」
忍は知恵のおかしな態度にもなにも言わず、頬を染めながらも微笑んでみせた。
その態度に知恵ははらをくくることにした。右手をそっとおろして、忍の手に重ねる。
「忍」
「なんですか?」
「ごめんだけど、忘れ物したから、もっかい学校に戻ってもいい?」
「はい、いいですよ」
忍は何でもないように頷いた。忍の手はひっくり返って、知恵の手を握った。
「…、ありがと」
一瞬それにびくついた知恵だが、すぐにそれに応えた。指を絡めるように、忍の手を味わうようにしっかりと、手をつないだ。
どきどきとひっきりなしに鳴り響く心臓の音はうるさいけど、苦しさはなくて、ただただ、忍を抱き締めて自分のものにしたいと思った。
○