現在の関係
「足立部長」
「んー? なにー?」
返事をしつつも料理部の部長、足立知恵は副部長の佐久間忍に呼ばれたことを声からわかっていたが、振り向かないまま返事だけを返す。現在は爪を切っている最中だ。
「なにー、じゃなくて。足立さん、何やってるんですか?」
「見てわからない? 爪を切ってるのよ。長いと邪魔だからね。よし。はい、今からやすりがけね」
両手とも切れたので、持ち手部分で削って整えていく。料理をする上では長い爪は非清潔だし、はさまったりして面倒だ。料理部の部室である家庭科室には爪切りは必須である。
「じゃなくて。部員勧誘、どうするつもりなんですか。もう、入学式終わっちゃいましたよ」
季節は春。世間の流れにそって、二人が在籍する私立桜丘学園も入学式が行われている。本来であれば在校生である二人は休日なのだが、部活動として登校することは許されている。
桜丘学園は部活動が盛んで、申請すれば顧問がいなくても部活として認めてもらうのとが可能だ。だが部活として認められることと、部費や教室利用の権利は別だ。5人以下の部活には部費は出ないし、部室も後回しにされる。
家庭科室を部室として申請しているところは今のところ料理部含めて3つなので、全部で5つある家庭科室のうちの3つ目を部室として確保できているが、他に新たな部活が家庭科室を申請すると部活が使えなくなる可能性がある。
その条件は他の部活動も例外ではなく、毎年新入部員の獲得にはみな躍起になっている。
その為にこうして、部員数2名の料理部は総出で来ているのだが、未だにどのような勧誘をするのか決まっていない。
「わかってるわよぅ。だからチラシの印刷頼んだじゃない」
「もう指示された枚数は貼ってきました。ついでに配れるように、多く印刷してきました」
知恵の前にある机に、忍は鞄から出したチラシの束を置いた。ちらりとだけ横目で知恵はそれを見て、またすぐに自分の爪に戻る。
「これ、配りましょう。それでいいですか?」
「あらー、仕事が早いわね。じゃあ、配る?」
「……あの、足立さん、なんでそう、面倒そうな顔をするんですか? と言うか、足立さんらしくないですよ。いつも無駄にバイタリティーに溢れてるのに、勧誘に関してはやる気が感じられません」
「んー、そう見える?」
「見えます。せっかく、足立さんが作ったのに、どうして残そうってしないんですか。もしかしたら、今年にはなくなっちゃうかも知れないんですよ?」
「んー……怒らない?」
ちらりと、顔をあげないまま隣に立つ忍を知恵は見上げる。その珍しく弱気な態度に、忍はきょとんとして首をかしげる。
「はい? 何か理由があるんですか?」
「えっとね、この部活、潰れないの。少なくとも、私がいる間は」
「えっと、どういう意味でしょう?」
「生徒会ってあるじゃない」
「まあ、ありますね」
「んで、生徒会って、部活動にたいして決定権とかあるのよね」
「まあ、そうですね」
「生徒会の顧問、私の従姉妹なの。そんな大層な話じゃないけど、彼女、昔からうちの家には逆らえないのよね。あとついでに生徒会員に知り合いがいて、弱み握ってるから」
忍の顔がひきつる。想定外の内容だった。しかもそんなちょっぴり恥ずかしそうな、乙女チックな顔で言うことではない。
「……前半は家庭のことなので踏み込みませんけど、後半、犯罪の香りがするんですけど。と言いますか、普通にコネと言いますか、あんまりよろしくない感じですよね」
「まあ、だから言いたくなかったんだけど……怒った?」
「……はぁ、怒ってません。呆れてるだけです」
ため息をつきながら肩を落とす忍に、知恵は平気だと判断してにやりと、いつも通りのからかうような軽薄な笑みを浮かべて、忍の顔をのぞきこむ。
「ほんとにー? しのしのは堅物だからなぁ」
「どこかの誰かさんに付き合わされたお陰で、柔軟になってきてるんです」
「あらま。ほんとだ。しのちーが嫌みを言うなんて。でもでも、どうせ珍しい言葉を聞くならぁ、愛の囁きとかの方がよかったわね」
「もう。それより、部室の問題は大丈夫としても、私たちが卒業したらなくなりますけど、それはいいんですか?」
「いんじゃない?」
軽い返答に、忍は眉尻をさげて、しゅんとする。
確かに料理部は知恵がつくったし、何かの大会を目指すわけでもないし、明確な目的があって料理部としたわけではない。知恵の自由にしたって問題ないかも知れない。
だけど、忍にとってこの料理部はかけがえのない存在だ。凄く大切に思っている。だから、軽んじるようなそんな態度は傷つく。
まるで忍だけが特別だと思ってるみたいだ。忍だけが、この部活に拘ってるみたいだ。
「そんな簡単に……私たちの、部活なのに」
「部室が残らなくても、思い出として残るわよ。それなら、どうせなら二人きりの記憶として残したいわ」
「……」
「だって、元々忍と過ごすための部活だもの。いいじゃない。二人で。形式上、勧誘はしなきゃだし、チラシは掲示したけどさ。ねぇ、私と忍の二人じゃ、ダメ?」
「……ずるいですよ。そんな言い方されたら、嫌なんて言えないじゃないですか」
知恵もまた特別だと思ってくれてると言うなら、特別だから二人でいたいと言うのなら、それを断るなんてできない。
忍だって知恵と二人でいることは、また他に変えられない特別な時間で、本当はずっと二人きりで、永遠にそんな時間を続けたいと思っているのだから。それが無理だとわかっているから、忍はせめて部活を残したかったけど、それより思い出が大事だと知恵が言うなら、そうしよう。
「あ、そう? よかったー。私ってほら、人見知りだし? あんまり人が増えたら嫌なのよねー。しのしのだけなら好きにできるけど、他に人がいたらそうもいかないしね」
「もう。そう言うことばかり言うんですから」
「まあまあ、諦めてよ」
「はい、諦めました。と言いますか、それなら今日、学園にくる必要ありました?」
「んー。まあ、ノリで? あー、ほら、忍と会いたかったからー? みたいな。よし、折角だし出掛けようか」
知恵は爪切りを片付け、立ち上がってにこりと笑って提案する。その立ち上がる勢いに忍は一歩下がりつつも相づちをうつ。
「はぁ。まあ、いいですけど。どこかいきたいところがあるんですか?」
「うん、あるあるー。よし、行こう、しのちん」
「あの、いい加減、呼び方統一しましょうよ。私たちもう、会って二年目になるんですから」
「んー、忍が私のこと、下の名前で呼んでくれたら考える」
「……考えたけどやめた、って言うんでしょう?」
「あ、ばれた? でもほら、しのっぺも私のこと部長って呼ぶときもあるし、しゃーないべ」
「えぇ、じゃあ、部長で固定すればいいんですか?」
「知恵様でいいわよ。あ、部長様でも可」
「……じゃあ部長、行きますか。鍵、忘れないで下さいよ」
「うーわ、しのしのつめたーい」
すぐにふざけるんだから。忍は心の中だけでもう一度ため息をつく。自分に対してのため息だ。
本当は、下の名前で呼びたいのに。ふざけていても、促してくれてるんだからのっかればいいのに。素直になれない自分に、忍はさらにため息を重ねた。
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