03 襲撃
フリゴという娘からの連絡を受け、ヴェルナは俺を部屋から連れ出そうとしていた。
だが俺には俺の事情というものがある。
「ちょっと待ってくれヴェルナちゃん。急いでいるのは分かるが先に死体を片づけないと」
「え? 死体?」
俺が言うとヴェルナは驚いた顔をする。そしてすぐ、ベッドで寝かされている死体に気付いてこう言った。
「……殺ったのですか?」
「殺ってねえよ!」
この死体が実は俺の死体であり、死因は毒キノコだろうということをヴェルナに説明する。言ってておかしい所だらけの話だが、ヴェルナは素直にその話を信じてくれた。
「なるほど。……だったら何もしないのが一番なのですよ。現場は触っちゃ駄目なのです。珍菌さんの死体は……警察の人がちゃんと片づけてくれると思うのですよ」
実に冷静な答えが返って来る。そしてヴェルナはさらに言葉を続けた。
「でもその話が本当なら……珍菌さんはこの世界では既に死人ということになりますね。しかも今にも殺人容疑をかけられそうな状況。珍菌さん……実は行く当てもないのではないですか?」
ヴェルナは俺が現在抱えている問題をするどく指摘してくる。事実、俺は彼女が来るまで正にそのことについて悩んでいた。
今の俺には住所はおろか身分証すら存在しない。仮に殺人容疑をなんとか出来ても、これから日本で生活するのは厳しい状況だったのだ。
そんな俺の顔を眺めて、ヴェルナは表情を変えずにこう告げた。
「でも私としては都合が良いのです。私は第七世界へと珍菌さんを招待しに来たのですから。珍菌さんに行く当てがないというのなら、この話に乗らない手はないはずなのですよ」
確かに――ヴェルナの言う通りだ。異常なことが立て続けに起きて混乱しているが、今の俺には日本に居場所がない。そんな俺にとって、異世界への誘いというのは決して悪い話じゃなかった。
俺は異世界への誘いに乗ることを決心する。
「確かにヴェルナちゃんの言う通りだ。分かった。どんなところだか知らないが俺は君に付いてくよ」
「うん。良かったのですよ。それじゃあ……これから宜しくお願いしますのです」
そう言ってヴェルナは俺に頭を下げる。そのしぐさが俺にはとても可愛く見え、思わず見とれてしまいそうになったのだが――。
そのヴェルナの頭上を何かが勢いよく通り過ぎる。
「黒い――糸?」
ワイヤーのような物が突然壁から現れて、ヴェルナの頭上を通過して行くのが見えた。そのワイヤーはそのまま俺の部屋を斜めに横断して姿を消す。そして――
その黒い線が通った場所から……俺の住むアパートが真っ二つに斬られた。
「なん……だよこりゃああっ」
斬られた断面にそって、部屋の壁と屋根がずり落ちていく。ほどなくそれらは地面に落ち、轟音と煙を巻き上げていた。
「……冗談だろ? 建物が切れて半分なくなっちまったぞ。今の時間このアパートにいるのは俺くらいだったはずだが……一体どんな自然災害だよ」
半分屋根のなくなった部屋から、俺はあっけにとられつつ下に落ちた屋根と壁の成れの果てを眺める。そんな俺にヴェルナが表情を変えずにこう言った。
「今のは災害などではないのですよ。……敵です。切断面を見て下さい。見辛いですが少し解けているのですよ。これはマイセリアドーターの一人、ルッスラ・S・ニグリカの《融解毒》の能力です。ワイヤーの表面を《融解毒》でコーティングして、この建物を溶かし斬ったのですよ」
「……マジで?」
「マジなのです」
一撃でアパートを真っ二つにするとかあきらかにやばい敵が来ている。
「とにかくこの場を離れるのです。どこか広い場所に案内して下さい。……飛び降りますよ」
「ここ六階だぞ?」
俺の住む部屋はアパートの六階だ。飛び降りたら普通に死ねる高さである。
「そうでした。……珍菌さんはそのまま飛び降りると危険ですね。分かったのです。私におぶさって下さい。衝撃を全て吸収出来るとは言わないですが、私に乗ってれば珍菌さんも死ぬことはないはずなのですよ」
こともなげにヴェルナはそんなことを言ってくる。どうやらマイセリアドーターにとって六階程度は高い内には入らないようだ。……アパートぶった斬ってくるような奴もいるしな。
俺はヴェルナの言葉に従い背中に乗ろうとしてみる。だが……。
「ちっちゃいな」
俺の身長は死ぬ前も今もそれほど高くはないのだが、そんなこと関係ないほどにヴェルナの体は小さかった。その小さな体にしがみつくというのに俺は少し抵抗を覚える。
だから俺はヴェルナにおぶさることはせず、逆に彼女を後ろから抱きあげた。
「ちょ――私を抱っこしてどうするのです。ただの人間がここから落ちたらぺちゃっと死んじゃうのですよ」
「ただの人間だったらな」
そう言って俺はヴェルナを抱えたまま六階から飛び降りる。
地面に着いた瞬間足にとてつもない衝撃が走るが、俺は全身のバネでその衝撃を吸収することに成功した。着地に成功した後ヴェルナを地面へと下ろし、すぐにアパートから離れて走り出す。
「……平気そうなのです。珍菌さんは……六階から落ちても平気な珍菌さんなのですか?」
走りつつヴェルナがいぶかしんだ目で俺に尋ねてきた。俺はその質問に正直に答える。
「珍菌さんはおいとくとして、六階から落ちても平気だったのは確かだな。俺が生まれ変わったようだってことは既に話したが、この体になってからずっと違和感みたいなのを感じてたんだよ。今ははっきりと認識出来ている。この体……普通の人間とはどうやら作りが違うみたいだ」
「そうですか。珍菌さんは……ただの珍菌さんではなくすごい珍菌さんだったのですね」
ヴェルナは素直に俺の話を信じてくれた。まあ今の状況がそれどころじゃないというのもあるだろうが。
俺は近所の資材置き場へと向かって走りつつヴェルナに尋ねた。
「この速度で走っていけばすぐ近くの資材置き場につく。でもどうする? 広い場所に出るのはいいが、それでニグリカってのに勝てるのか?」
「大丈夫なのです。ニグリカの《融解毒》は強い能力ですが、私も負けてはいないのですよ。私の能力《胞子の煙》の射程は十キロ以上あるのです。視界さえ拓けていれば負けることはないのですよ」
そうして俺とヴェルナは、現在使われてない資材置き場の中へと侵入する。だが――。
「……視界が拓けてないのです」
「資材置き場ってだけあって、なんか色々置いてあるな」
資材置き場にはコンテナや鉄骨など、様々な資材が積まれていて視界はあまり良くなかった。だが家の近所で広い場所というとここくらいしか存在しない。公園とかにかは人がいるしな。
「視界はあまり良くないですが……仕方がないのです。人がいないだけでもありがたいですからね。……とにかく高い所に登るのですよ」
俺とヴェルナは大き目のコンテナの上へと登り辺りを警戒する。ヴェルナの話ではニグリカよりヴェルナの方が射程は長いとのこと。だからニグリカは物陰に隠れながら近づいて来るはずだと言っていた。
だがヴェルナの予想に反して、ニグリカは正面から俺達の元へと近づいて来る。
俺達とルッスラ・S・ニグリカの、本格的な戦いが今まさに始まろうとしていた。