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越冬燕

作者: 安部そーり

一九六十年代後半は政治の季節であった。私は学生運動に中途半端に関わった後に大学を中退し、いわゆるサラリーマンになったが一年で退職し、政治の季節が去り行く一九七二年、新宿で詩集売りを始めた。

越冬燕


(1)


一九七二年八月一日夜。

カランという音がした。

〈今日は百円か〉

貯金箱にしている紅茶が入っていた長方形の缶にその日の貯金をした。

この缶は俺の物ではない。紅茶を嗜むような趣味はない。以前の部屋に前居住者が残して行った物で、今の部屋に転居する時に他の家財道具などと一緒に持って来た物である。何かに使えると思って持って来たわけではなく、他の家財道具などと共に前居住者からの預かり物のようなものであったため一応持って来たのである。とはいっても、金色の薄い鉄板に紅茶を思わせるような赤を主体とした模様というかデザインが描かれ、中は地の金色のままで、蓋は蝶番で繋がっており、殺風景な三畳一間の部屋にあって唯一おしゃれな存在であったから結構気に入っており、今の部屋に来てから貯金箱にしたのだ。

この缶の元の所有者である以前の部屋の前居住者は友人Uだったのだが、家財道具などを残したまま出て行ってしまったのである。蒸発ではない。転居先は知っている。Uなりの事情があって、家財道具などを残したまま転居したのだ。そして、その転居先の部屋に、俺がそれまで住んでいた恵比寿の三畳の部屋の粗末としか言いようのない家財道具を運び入れたのである。ややこしいことをしたものだが、学生運動を活発にしていたUにはそうする必要があったらしい。

このように、Uの必要性、つまりUに頼まれてUが出て行った部屋に住むことになったのだが、その部屋には三ヶ月程しかおらず、部屋代が半分になるということで今の部屋にUの家財道具などと共に転居して来たのだ。ただし、部屋は四畳半から再び三畳になり、地下鉄丸の内線の最寄り駅からの距離は倍以上になった。

因みに、以前の部屋の最寄り駅は地下鉄丸の内線の東高円寺駅或は新高円寺であったが、今の部屋の最寄り駅は地下鉄丸の内線の南阿佐ヶ谷駅で、場所は、南阿佐ヶ谷駅から南に行って、若乃花・貴乃花の二子山部屋の前を通り過ぎ、さらに南に行って、五日市街道を渡った辺りである。徒歩で十五分程度であろうか。またまた因みに、今の部屋も友人が住んでいた部屋である。ただし、その友人FはUのように変則的な転居をしたわけではなく、大学を卒業して大手企業に就職し、勤務地の北陸に普通に転居して行った。そして俺はその部屋で、以前の部屋で始めた詩集売りの生活を続けた。


今日は百円しか貯金できなかったが、ま、よしとしよう。部屋の家賃は三千円なので、毎日百円貯金すれば月末には来月分の家賃を払うことができるのだ。ただ、なんたって詩集売りで食うや食わずのその日暮らしをしているのだから、そう計算通りに行くものかどうか自分でも分らない。

そもそも、大学中退後一年余、去年の暮れまで所謂サラリーマンをしていた俺が詩集売りを生活の糧とするようになったのは、Uが出て行った部屋に転居して来てからのことである。

今年の初め、Uが出て行った部屋に転居して来て、Uが残していった家財道具の中にガリ版、鉄筆、謄写版、インク、紙裁断機など詩集売り一式道具、いや印刷一式道具があるのを見つけ、これからどうしようと思っていた時だけに、これらを使わない手はないと思い、熟慮?の末、〈詩集売りをしよう〉と思うに至った次第である。

こうして詩集売りの生活が始まり、サラリーマン時代の貯えも底をついた四月からは失業保険を貰えるようになり、何とか飯が食え、家賃も払えるような生活を送っていたのだが、七月、指定日に職業安定所に行くのを忘れてしまった。このため七月は失業保険を貰えなかった。八月の失業保険は指定日に職業安定所に行けば貰えるはずだが、さあてどうしようかと考えた末、割とあっさりと〈失業保険はもういいや、これからは詩集売りだけで生活して行こう〉という結論に至った。

七月は失業保険が貰えなかったものの、それまでに何ヶ月か貰った失業保険の金が残っていたから何とか乗り切ることができた。乗り切ることができたとは、つまり、月末に来月分の家賃を払うことができたということであるが、今月八月からは詩集売りだけで乗り切らねばならない。

そして今日八月一日の夜、百円銀貨一枚紅茶の缶に投げ入れ、八月最初の貯金をした。


(2)


トントンと部屋の戸を叩く音がした。友人なら殆ど戸をいきなり開けて入って来る。

「はい」と答え、立ち上がって引戸を開けると、スーツにネクタイ姿の中年の男性が立っていた。

「突然お伺いしまして、私、U君のオジです。実は北海道の両親から頼まれましてU君の行方を探しているのですが、ご存知ないでしょうか?」

「ああ、実は僕も知らないんです」と答えたが、Uのオジさんということなら無下に戸口で追い返すわけにもいかないから、男性を三畳の部屋に招き入れた。男性も、じっくり話したかったのか部屋に入る積もりだったような感じであった。俺も男性も胡坐をかいて座った。男性は髪型も服装も普通のサラリーマンといった感じで、人当たりも悪くない。

「いやー、両親が心配しているんですよ、何処行っちゃったんだろうかって、元気なんだろうか?」

 部屋に入ったら砕けた調子になった。顔も、引戸を開けて最初に見た時よりも随分柔和になっていた。

「僕も分からないんですよ」

「でも、以前のアパートの部屋はU君の部屋だったんでしょ。U君の紹介で部屋に入ったと聞いているけど、U君の引越しとかは手伝わなかったの?」

「それが、Uは行先も告げずにバッグ一つで出て行っちゃったんです」

「そうかー、その後連絡もないの?」

「ええ、・・・このアパートは、あのアパートの家主のオバサンに聞いたんですか?」

「そう、家主のオバサンさんにもU君の行方を聞いたけど、知らないと言って、君なら知っているんじゃないかということでここを教えてくれたんだ。だけど君も知らないか・・・、そうかー・・・」

 ・・・

「ところで君は今何してるの?」

 俺の生活に興味を持ったように言った。

「詩集売りをしています」

「詩集売り?」

「自分で詩集を作って、新宿の街頭で売ってます」

「どんな詩集なの?」

「これです」

 そばにあった詩集を手渡した。

「これは君の詩なの?」

「ええ」

「ふーん」

暫くの間詩集を見ていた。

・・・・・・

「ふーん、ところで熱いね」

詩集の感想は〈ふーん〉だけで、詩集を俺に返した。

「ええ、クーラーどころか扇風機もないですから」

 それに、夏服かも知れないが、スーツにネクタイでは余計暑いはずだ。

「近くに喫茶店でもあったら行こうよ。冷たい物でもご馳走しますよ」

「喫茶店なら近くにありますよ」

 このUのオジサンと称する男性には本当のことを言っていないが、喫茶店で飲物くらいご馳走になってもバチは当たらないだろうと思った。

 喫茶店に行くために部屋を出て、一階への階段を下りてアパートの出入口のドアを開けると、夏の強い日差しの下に白い半袖のワイシャツにノーネクタイの中年の男性が立っていた。痩身中背で敏捷そうな感じであった。尋ねて来た男性は中肉中背であった。どちらが年上だか分からない。

「なんだ、こんな所で待ってたの」

中肉中背氏が痩身中背氏に声を掛けた。痩身中背氏は声を出さずに頷いただけであった。中肉中背氏が痩身中背氏に〈俺と喫茶店に行く〉旨を告げると、痩身中背氏は途中から右に曲がって五日市街道に通ずる横道を歩いて行った。俺達は五日市街道に通ずるもう一つ先の横道まで行き、五日市街道の方に右に曲がり、途中の右側にある〈二人の世界〉という喫茶店に入った。

この辺りは一帯でも商店が集中している所で、五日市街道沿いのミニミニタウンといった感じである。五日市街道は狭いのだが、突然、途中のこの一帯だけ数百メートル整備されていて広いのだ。道が広くて整備されている上に歩道も整備されているから余計タウンといった感じなのである。〈二人の世界〉はこのミニミニタウンにおける唯一の喫茶店である。〈二人の世界〉といったって、薄暗いフロアに二人用の座席が並んでいるような同伴喫茶ではない。男とそんな所に入るような趣味はない。中肉中背氏だって(多分)同じだろう。

店にはL型のカウンター席と四人掛けのボックス席が三四つあった。客はカウンターの奥の端に近隣の主婦と思しき二人連れがいるだけで、二人は冷たい物を飲みながらお喋りをしており、マスターが時々話しに応じていた。俺達は二人連れとは逆のカウンターの端に座った。この店は夜のほうが繁盛しているようだ。喫茶店というよりはスナツクといったほうがいいかも知れず、夜はアルコールが主体となる。俺は友人と一度しか入ったことがなく、既に夜になっていたがアルコール類は飲まず、長居はしなかったからマスターも俺の顔など覚えていないだろう。いや、どうでもいいことだが、俺はこのミニミニタウン辺りでは余り見かけない長髪でフーテン風だし、このマスターとは道で何度か擦れ違っているから俺のことを知っているかも知れない。結構、夜のスナックで「なんだい、あのフーテンみたいの」なんて話題になってたりして・・・、やはり、どうでもいいことのようだ。

「何にする?」

「アイスコーヒーでいいです」

「じゃあ、アイスコーヒー二つ」

 奥から、お冷やとおしぼりと灰皿をトレイに載せて運んで来たマスターに中肉中背氏が注文した。

中肉中背氏は待ってましたとばかりにお冷やを飲み、「ヒャー」とか言って冷たいおしぼりで顔を拭いた。俺も「ヒャー」などという声は発しなかったが中肉中背氏と同じようなことをした。そして俺も中肉中背氏も煙草に火をつけた。程なく、アイスコーヒーが運ばれて来た。俺は、既に砂糖が入っているアイスコーヒーをミルクを入れずに飲んだ。

「ミルクは入れないの」

「ええ、久し振りの本物のコーヒーですから、コーヒーの味を味わいたいんです。でも、コーヒー牛乳は好きですけどね」

「ははは、そう言えば子供の頃、プール帰りに飲むコーヒー牛乳旨かったなー」

「ええ、僕は、今は銭湯に行って風呂上りに飲むコーヒー牛乳かフルーツ牛乳が楽しみです」

「うん、銭湯で飲む風呂上りのフルーツ牛乳も旨いね。でも、家に風呂が出来たから随分銭湯には行ってないけどね」

「それは残念ですね」

「ははは、確かに残念かも知れないね」

 このように喫茶店では、俺が嘘を言うような人間ではないと思ったのかどうかは分らないが、中肉中背氏はUに関する話はせず、二人の会話は他愛のない話で終始した。

 喫茶店には十五分ほど居ただろうか。俺は先に店を出て、支払いを済ませて後から出て来た中肉中背氏に「ご馳走様でした」とお礼を言った。中肉中背氏は頷き、五日市街道の方に向かった。俺は、中肉中背氏とは反対方向に行ったほうがアパートに近いのだが、お見送りでもする気分だったのだろうか、何となく中肉中背氏と一緒に歩いていた。五日市街道に出て右に曲がると、前方五十メートルほど先の左側に交番があるのだが、その前に痩身中背氏が立っているのが見えた。その横には二人が乗って来たと思われる車が駐車されていた。

「何だ、あんな所に停めているのか」

 中肉中背氏が車と痩身中背氏を見て苦笑混じりに言った。俺は、その言葉と苦笑混じりの意味を解しないまま、先程痩身中背氏が歩いて行った横道まで来たので、「では失礼します」と中肉中背氏に挨拶し、その道を戻ってアパートに帰った。

もしかしたら、中肉中背氏は俺を外に引っ張り出すことにより、俺達は〈警察〉だと暗に示したかったのかも知れない。オジという身分では聞き出すことができなかったが、〈警察〉だということを示せば、心境の変化で本当の事を言うかも知れないと考えたのかも知れない。だが、多少鈍感かも知れない俺に心境の変化は起きなかった。


(3)


「今日、部屋に泊めてくれない?」

 顔見知りの〈若者〉が言った。

この俺より三才位年下の〈若者〉は北海道生まれのアイヌということで、アイヌというのは噂ではなく本人がそう言っているのだからそうなのであろう。確かにアイヌと言われればそのような風貌である。北海道から沖縄に行く途中に新宿に寄り、フーテンをしているようであるが、旅の途中に見物がてら一寸寄ったという感じではなく、もう既に何ヶ月も新宿でフーテンをしている。俺はその頃、よく新宿駅の地下から二幸(現アルタ)前に出る階段の下辺りで詩集売りをしていたし、フーテン達もよく階段の上の一寸した広場や下のフロアをウロウロしていたから、何時の間にか顔見知りとなり、時々話もするようになっていた。

「いいよ」

 俺は何の抵抗もなく了解した。


夜になって、地下鉄に乗ってアパートに向かった。地下鉄の中で夕飯のことを考えていたら、〈若者〉が「鍋ある?」と聞いてきた。「ああ」

「部屋に行ったら、米炊くよ。鍋で簡単に炊ける米持ってるんだ」

よし、主食は決まった。それならと、南阿佐ヶ谷駅からアパートに帰る途中、乾物屋で海苔の佃煮を二瓶買った。

部屋に着くと、〈若者〉は早速鍋で米を炊き始めた。そして本当に鍋で簡単にうまそうな米が炊けた。炊き上がった米をそれぞれの皿に盛って、海苔の佃煮で食べた。海苔の佃煮は一人一瓶づつだ。

「明日の朝も米炊くなら、おかず残しといたほうがいいぜ」

明日の朝食を期待しながら言ったら、「うん、炊くよ」と、期待通りの答えが返ってきた。よし、明日の朝食もゲットだ。

二人共海苔の佃煮を半分ほど残し、丼で大盛り一杯分位は食べた。久し振りに米をたらふく食べた。

飯が終わったら、インスタントコーヒーだ。何杯もコーヒーを飲みながら、煙草を吸って、夜遅くまで他愛のない話をした。

 翌日は十一時頃に目が覚めた。〈若者〉は既に起きており、共同炊事場で米を炊いているところだった。程なく、〈若者〉は炊けた米が入った鍋を両手で持って部屋に帰って来た。昨日と同様にそれぞれの皿に盛って海苔の佃煮で食べた。そしてインスタントコーヒー、煙草。

二三本目の煙草を吸いながら、出掛けることにした。行き先は新宿しかない。出掛ける時に、「一寸これ貸しといて」と〈若者〉が昨日見ていたロック人名辞典を手に取った。

「いいよ」

 このロック人名辞典は何かの付録で、新書くらいのサイズで、入手したての頃はよくジーパンの後ろポケットに捩じ込んで持ち歩いていた。ロックを研究しているわけではないが、このアーティストはこういうアーティストなのかとか、このグループはこういうグループなのかとか暇潰しに時々ペラペラと見たりしていた。

 南阿佐ヶ谷から地下鉄に乗って新宿に着くと、俺は新宿駅の地下街で詩集売りを始めた。〈若者〉は地下街から二幸前の広場に上がって行った。広場にはフーテン達がたむろしたりウロウロしているはずだ。

暫く詩集を売ってから、一服しようと階段を上がると、〈若者〉の姿はなかった。金回りのいいフーテンがいて、涼しい喫茶店にでも行ったのだろうか。俺はフーテンの実態など全く知らないし知ろうと思ったこともない。夜は自分の部屋に帰っているのか、深夜営業している店で過ごしているのか、あるいは駅前の植え込みとかその辺でゴロ寝でもしているのか全く関心がなかった。ま、いろいろであろうし、その日によっても違うのであろう。〈若者〉にしたって昨日は俺の部屋に泊まったが、今日は泊まる積もりはないようだ。

 

 次の日から暫く〈若者〉の姿を見かけなかった。〈若者〉にロック人名辞典を貸したままだ。そろそろ返して貰わなければ。


暫く振りに、二幸前の広場に〈若者〉がいるのを見つけた。俺は〈若者〉に近寄り、「そろそろ本返してくれないか」と、少し強い口調で言った。

「あっ、あれ失くしちゃった」

「失くした?失くしちゃったじゃないよ、探し出して返してくれ」

「そう言われても、探せないよ」

「とにかく探して返してくれ」

「・・・・・・」

 俺は〈若者〉から離れた。


次の日、新宿で〈若者〉の女友達に出会った。その女友達はフーテンではなく、何処かに勤めているような感じであった。

その女友達に、〈若者〉が俺のロック人名辞典を盗んだかの如く言い、「あいつはどうしようもない奴だ」などと〈若者〉を口汚く罵った。

「あの人のことそんな風に悪く言わないで」

 〈若者〉によると、この女友達もアイヌだという。〈若者〉の彼女ではないらしいが、同朋意識からなのか〈若者〉を一生懸命庇った。「悪い人ではない」と何度も繰り返し言った。そして、ロック人名辞典の代金を払ってもいいと言い出した。そう言われても、ロック人名辞典の代金が欲しいわけではないのだ。

彼女にこれ以上〈若者〉の悪口を言っても仕方がないと思い、彼女と別れた。何故だか、彼女に「代金を払ってもいい」と言われて、ロック人名辞典への執着心がすーっと消えていくのを感じた。いや、元々それほど執着心などなかったのだ。人の物を失くしておいて「失くしちゃった」などと簡単に言う〈若者〉に頭にきていたのだ。そういった〈若者〉に対する感情もすーっと消え、執着心ではなく多少愛着心があったロック人名辞典を失ったことも〈ま、いいか〉と思うようになった。

 それから二三日後、新宿で〈若者〉に出会った。

「やっぱり本見つからない?」

「うん」

 〈若者〉を許すような言葉は言わなかったが、ロック人名辞典に関する話はこれで終りにすることにした。

 その後、また暫く〈若者〉を見かけなくなった。今までより長く、十日ほど見かけなかった。遂に沖縄行きを果たしたのかなと思っていたら、二幸前の広場でぼんやり立っている〈若者〉を見つけた。〈若者〉は少し元気がなかった。

「暫く姿を見かけないから沖縄に行ったのかと思ったよ」

「それが、旅費を稼ぐために日雇いをして金を貯めたんだけど、盗まれちゃった」

「ええっ!」

「顔馴染みの奴らとゴーゴー喫茶に行って、酒飲んで酔っ払って、眠って、それで盗まれちゃった」

「犯人は分からないのか?」

「目星が付いても証拠ないよ。うまいこと眠らされちゃったよ」

「馬鹿だなあ」

 同情しながらも〈何やってんだ、しっかりしろよ〉という気持ちにもなった。

 その後、元気を回復した〈若者〉に何度も新宿で出会ったが、何時しか本当にずーっと姿を見なくなった。

念願の沖縄に行って、そしてバッチャンがいる北海道に帰ったのかも知れない。俺の部屋に泊まった時、「一度沖縄に行かなくちゃ」、「俺のこと心配してくれるのバッチャンくらいだ」と何度も言ってたからな。


(4)


 詩集売りを終えて新宿からアパートに帰ると、アパートの入口を入った横の壁に備え付けられた木製共同郵便受けの俺のポケットに珍しく郵便が刺さっていた。俺はそれをヒョイと抜き取り、薄暗い階段を上りながら見た。就職で北陸に行ったFからの暑中見舞いのハガキだった。大学の学部は文科系だったが、工場でまだ現場経験を積まされているのだろうか、ハガキにはヘルメット、サングラス、マスク、グローブのようなどでかい手袋といった現場スタイルのイラストが描かれおり、〈コレが今の俺の仕事スタイル、まるで全共闘〉とかのコメントが書かれていた。

「フフッ」


(5)


 徹夜で朝を迎えた。昨日の晩から徹夜で詩集を作り続けた。

普段は詩など書かないから書き溜めた詩などない。だから詩集作りは詩作から始まる。思い浮かんだ詩をガリ版用紙に鉄筆でガリガリと書く。B四版三枚に詩を書き、続いて表紙を書いた。そして、謄写版で刷り、セットしてホチキスで留める。今号もB四版を二つ折りにしたB五版六ページで、紙を断裁してB六版にしなかった。B六版のほうがシャレた感じになるかも知れないが、どうも断裁がうまくいかない。切断線が曲がったり、切り口がズタズタになったりする。断裁機の刃が駄目になっているのだろうし、使い手の腕も悪いのだろう。第一号製作の時には刷り上った紙を断裁で随分駄目にした。だから二号からは断裁をしないことにした。そのほうが一手間省けて製作時間も短縮できる。だが、最大の問題はこういった製作工程よりも詩作だ。詩に造詣がなく、情熱も持ってない人間が詩作するのだから大変だ。何とか〈詩らしき物〉を書こうとガリ版用紙と睨めっこする時間が徒に過ぎ、時にはどうしても〈詩らしき物〉が浮かばず、小説の一場面みたいな物を書いたこともある。結局、一部百円に値する物が作れたかどうかは甚だ疑わしい。

全ての作業が終わった頃には夜が明けていた。今回は百五十部作った。これで半月以上は持つはずだ。作業が終わったら眠気が我慢できなくなり、我慢する必要もないから片付けもせずゴロっと畳の上に寝転んで眠った。

 目を覚ますと、午後一時頃であった。相当腹が減っていたので、近くのパン屋でフランスパンを買ってきて、インスタントコーヒーと水を飲みながら細長いフランスパンをマーガリンをつけて一本食べた。そして、もう一杯コーヒーを飲む。煙草を吸う。レコードプレイヤーを接続したラジオでロックを聴く。このレコードプレイヤーには小さなモノラルのスピーカーが付いているのだが、音量が物足りないので工夫してラジオに接続し、ラジオのスピーカーで聴けるようにした。ステレオではないが、音量がずっと大きくなったので大いに満足していた。

それは正に一仕事終えた後の穏やかな午後の一時であった。ロックを最大の音量で聴いているのだから、人によっては穏やかとは言えないが、アパートの他の部屋の住人は昼間は仕事などで出掛けているし、隣の家も接近していないから苦情が出る心配はない。

こんな風に午後の一時をゆったりしていると、開け放っている窓から、十メートルほど先の家の外階段をやや長髪の制服姿の男子高校生がトントントンと上がって行くのが見えた。ロックの音が聞こえたのか高校生は階段の途中で一寸立ち止まり、クルッとこっちを向いてニコッとし、また階段を上って家の中に入って行った。俺は何となくその高校生が〈先輩、ナイス〉と言っているような気がした。俺はその高校生から俺の生活にエールを送られたような気持になり、その後もいい気分でコーヒー、煙草、ロックの時間を過ごしていたのだが、この憩いの一時に突然邪魔が入った。

 リーン、リーンと部屋がある二階の廊下で電話が鳴る音がした。この電話は、家主がいる一階とアパートの住人の部屋がある二階との連絡のためだけの電話で、二階の廊下に設置されている。

平日の昼間だったので二階には俺以外に人はいないはずたから、部屋を出て廊下で鳴り続けている電話を取り上げた。

「はい」

「アベさん?」

「ええ」

「音楽の音、うるさいんだけど、もっと小さくしてくれないかな、司法試験の勉強しているんだよ」

「ああ、わかりました」

電話を置いた。電話の主は家主の息子であった。イライラした様子で、金切り声であった。反発する気は起きなかった。

〈結婚して小学生の子供がいるのに司法試験の勉強をしてるのか。家主である父親が弁護士で六本木辺りに事務所を持っているというから、後を継ぐために司法試験の勉強をしているのだろう。大変だなあ〉

部屋に戻ってスピーカー音を小さくした。家主の息子に金切り声で文句を言われたが、気分は壊れなかった。それからも暫くの間、小さい音でロックを聴きながらゆったりした時間を過ごし、三時を過ぎた頃、今朝出来上がったばかりの詩集をバッグに詰め込み、新宿に行った。


(6)


 月半ばにして、貯金箱にしている紅茶の缶の中は空っぽである。貯金がゼロどころか持ち金も十円玉が何枚かあるだけである。夜、どうしても我慢出来なくなって煙草とコーラを自動販売機で買ってしまったからだ。月半ばにして家賃のための貯金がゼロというのも問題だが、差し当たっての問題は、新宿に詩集を売りに行く電車賃さえもなくなったということだ。コーラは、物凄く飲みたくなったこともあるが、空腹感も抑えられるのではと思ったのだ。だが、空腹感がなくなったのは一時だけであった。この空腹感のためだけではないだろうがなかなか寝付けなかった。どうせならこのまま朝まで起きていようとインスタントコーヒーを飲み、煙草を吸い、小さな音でロックを聞きながら夜が明けるのを待った。


夜が明けた。夜が明けてすることは決まっていた。バッグを肩に掛けてアパートを出た。

横道から五日市街道に出て、新高円寺方面に向かって右に行くとすぐ右側にパン屋がある。その店の前にパンを入れる木箱が積まれていた。パンメーカーから運ばれたパンが入っているような気がした。店はまだ閉まっており、視界の範囲に人影はなかったから、箱の中を覗き、もしパンが入っていたら盗むこともできたかも知れないが、積まれた箱の前を素通りした。なんて、四五十メートル前方の左側には交番があったから、そんなことをする気など毛頭なかったのであるが。

 それに、〈夜が明けてすることは決まっていた〉とはこんなことではなかった。

五日市街道を新高円寺まで行き、青梅街道に出て、青梅街道を新宿に向かって歩いた。まだ人通りは殆どない。煙草を吸いながら道路沿いの新旧入り混じった建物などを見ながらブラブラ歩いた。こんな朝早く青梅街道を、それも新高円寺から新宿までとおしで歩いたことなんてなかったから、新鮮な感じがし、長い距離を歩いた気がしなかった。

たが、実際には地下鉄でもJRでも五駅分程を歩いたわけで、新宿に着いた時には空腹感は随分増していた。なんたって昨日の夜だってロクに食っていないのだ。といったって、餓死寸前なんていうわけはなく、そんな悲壮な思いでここまで歩いて来たわけではない。

さあて、これからが問題だ。できるだけ早く二百円をゲットしなきゃ。俺は新宿駅の地下街に座って詩集売りを始めた。

 早朝は人がまだ少ない。それでも一部売れた。まず百円ゲットである。あと百円だ。

通勤時間になると人通りはドッと増えたが、通りの片隅に座っている詩集売りなど無視され、全然売れない。あと一部、できるだけ早くあと一部。段々焦ってきた。このまま昼まであと一部売れないのではという気がしてきた。

 通勤時間が過ぎると人通りは少なくなり、人の歩くスピードもゆっくりになったような気がする。そんな時、中年までには至っていない麻のスーツを着た恰幅のいい男性が俺の前を一寸通り過ぎ、オットといった感じで立ち止まり、戻って来て、「下さい」と言って百円銀貨を差し出した。俺は百円銀貨を受け取り、「有難うございます」と言って詩集を渡した。男性は詩集を手に地上への階段を上がって行った。俺は、男性の姿が見えなくなると、詩集売りを止め、バッグを肩に下げ、男性が上がって行った階段の下にまで行った。階段の下から上を見上げると、男性は階段を上がり終え、視界から消えるところであった。俺は足早に階段を上がり、辺りを見回すと、右、三越の方向に男性の後姿が見えた。よし。男性を追い抜かずに済む。もし、さっき詩集を買ったばかりの詩集売りが下駄を鳴らして走って追い抜いて行ったらどう思うだろう?〈何やってんだあの詩集売り〉と呆れるのではないだろうか。

俺は予定通り、目の前の信号を渡り、そのまま通りを真っ直ぐ行った。走った。すぐ左手にはマンションハウス(ここでは横尾忠則に似た人を見たことがある)という宿泊施設のような名の喫茶店があり、一寸先には地下にビザール(ここでは、うっかり金を持たずに入ってしまい、帰る時に小太りで顎鬚を生やしたマスターに「いいですよ」と言われた)というジャズ喫茶があり、さらに進んだ右手にはダット(ここのお姉さんには一度詩集を買ってもらったことがある)とかヴェルテルという喫茶店がある名前を知らない通りを走った。だが、今走っているのは、これらの店に行って、コーヒーを飲みたいのでもジャズを聴きたいのでもない。目指すはもっと先にあるトーストだ。トースト、トースト、〈トースト食べ放題〉だ。

その名前を知らない通りを走り抜けると靖国通りにぶつかった。一寸左に寄ると通りを渡る信号がある。信号を渡った先には歌舞伎町の奥に入る通りがある。その通りの名も知らないが、信号が変わったのでダッシュして靖国通りを渡り、その通りに入り、ひた走った。歩いて行っても〈トースト食べ放題〉に間に合うはずだと思っていても、〈トースト食べ放題〉の正確な時間を知らないから心配なのだ。だが、モーニングサービスで〈トースト食べ放題〉をやっている王城という喫茶店は靖国通りから殊のほか近く、走りが佳境に入る前に呆気なく着いてしまった。

入口に出ている表示でまだモーニングサービス中であることと、まだ充分時間が残っていることを確認した。ほっとした気分でそのヨーロッパの城風建物の大型喫茶店に入った。当時はこの王城のように窓などにステンドグラスが嵌められた二三階建ての大型喫茶店が、マンモスのように何時れ滅び行くのを知ってか知らずかまだ各地にあった。だから俺は後年、これらの大型喫茶店をマンモス喫茶と勝手に名付けたが、俺が名付けるまでもなく、当時からマスコミや世間ではマンモス喫茶と言われていたかも知れない。俺がトースト目がけて息咳切って王城に行ったのは、大型いやマンモス喫茶の全盛期の終わり頃ではなかったろうか。

初めて入った王城の中はやや暗く、階段を上がって二階の席に座った。アイスコーヒーを注文すると、アイスコーヒーとトーストが運ばれて来た。トーストはモーニングサービスである。俺はアッと言う間に皿にあったトースト二枚を食べた。アイスコーヒーをチビチビ飲んだり、煙草を吸ったり、お冷を飲んだりしていると、ボーイがトーストの入ったバスケットを片手に回って来て、〈トーストはどうですか?〉のようなことを言う。勿論、「ああ、お願いします」と答える。ボーイはトーストを二枚置いていった。そのトーストを食べて待っていると、またボーイが来て同じ様にトーストを置いて行く。この繰り返しだ。このために二百円を握りしめて走って来たのだ。以前から王城の〈トースト食べ放題〉のモーニングサービスのことは知っており、一度行こうと思っていたのだ。

 結構食べた。満足した。暫く煙草を吸ったりしながらゆっくりした。暫くすると、近くで働いている会社員やOLなどで混み出してきた。ランチの時間になったということだ。ブレックファースト兼ランチ、ブランチと言うのかな(そんなかっこよくないだろ!!)、それをとっくに終えた俺は店を出て新宿駅前に戻り、詩集売りを再開した。


(7)


 階段を上がると、二幸前の駅前の広場に真夏の強い日差し浴びてコーラの営業車が停まっていた。回りに七八人のフーテンがいた。〈コーラでも売っているのか〉とよく見ると、フーテン仲間に囲まれヒマワリというフーテンがいた。コーラ会社の制服を着ていたので、ヒマワリがこの車を運転して来たのだろう。暫く姿を見ないと思ったら、コーラのセールスドライバーになっていたのか。フーテンを卒業したってわけか?俺は近づいて行って、四五メートル離れた所から「おう」とヒマワリに声を掛けた。俺はフーテン仲間でも何でもなくただの顔見知りだからヒマワリなどと呼んだことはない。何故ヒマワリと呼ばれているかは知らない。大した由来はないのだろう。

「ハマナス(この俺の仇名もわざわざ説明する程の由来はない)ー」

ヒマワリのほうは俺の仇名を大きな声で呼び、白い歯を見せ、笑顔で応じた。

特に話すこともなかったから、Uターンして植込みのタイル張りの縁に腰掛け、一服してから階段を下りて詩集売りをした。暫くしてまた一服しようと階段を上がると、ヒマワリと共にコーラの営業車も姿を消していた。ヒマワリの回りでワイワイしていたフーテン達も今はその辺をフラフラしたりたむろしたりしている。まるで凱旋みたいだったな。

その後、ヒマワリを再び見ることはなかった。本当にフーテンを卒業したようだ。

 

(8)


ジャンゴの頭には無という字が剃り込まれていた。無という字を維持するために毎日のように床屋で剃って貰っているという話である。その話は本人から聞いたわけではなく、彼の頭の無という字が夕刊紙か何かにとり上げられ、その記事を読んで知ったのである。新聞の記事などは適当に脚色されるから本当かどうかは分からない。一度だけ床屋で剃り込んで貰い、後は自分で鏡を見て血を流しながら剃っているのかも知れない。いずれにしても本人に追求するような問題ではない。そんな個人的な問題はどうでもいいことだ。ジャンゴが部屋を持っているのか、何で食べているのかなども全く知らないし、知ろうとも思わない。新宿の街で会えば、時々他愛のない話をする程度の間柄であった。


ジャンゴを知ってから随分月日が過ぎていた。そういえばこの頃ジャンゴ見ないなと思っていたら、真夏の強い日差しを浴びながらジャンゴが小田急百貨店の脇でぐったりとして寝ているのを見つけた。下はコンクリートだからかなり熱くなっているはずだ。

「オイ、こんな所で寝ていたら余計体力を消耗するぞ」

 声を掛けると、眠りに入っていなかったらしく、目を開けてこちらに顔を向け、「ああ、ハマナスか」と応えた。俺はこいつにはエネルギーを注入しなければと思った。いや、俺もたまにはちゃんとした食事をしなければと思っていたところだ。たまたまこの二日、詩集の売れ具合がよく、安いランチ二つ分位の金は余裕で持っていた。

「飯おごるよ」

「うん」

 俺達は西口会館と何とか横丁と呼ばれている飲み屋街の間の小道に入り、JRのガードをくぐり、東口に何軒かあるレストラン三平の一つに入った。レストラン三平の中で一番小さな店で、食堂三平といったかも知れない。いずれにしても三平グループ(勝手に名付けた)の一店である。急ごしらえといった感じの店で、店舗が余ったので取り敢えず食堂にでもするかといった感じで、来月にはゲームセンターになっているかも知れない危うい存在の店である。三平グループはこんないい加減な感じで店舗展開をしているように見えるが、実のところ新宿に根を張って今もしぶとく生き続けている。


「ランチでいいな」とジャンゴに一応同意を求めて三平ランチを二つ頼んだ。ランチは一つの皿にハンバーグ、魚のフライ、ライス、野菜が盛り付けられたもので、それにスープが付いた。その頃の俺にとって最高の栄養食だ。だから、月に一回は食べることができるよう努めていた。

三平ランチはそれ程待つこともなく運ばれて来た。案の定、ジャンゴは三平ランチをパクついた。やはりジャンゴにはエネルギーの注入が必要だったのだ。それは俺も同様だった。

飯を食い終えて外に出た。そして別れた。二人で連んで遊び歩くような間柄ではない。

「じゃあな」と手を上げると、「ありがとな」と手を上げて、ジャンゴは新宿の雑踏の中に紛れ込んで行った。

それ以来、ジャンゴの姿を見ることはなかった。あの日俺と別れた後、三平ランチのエネルギーで、無という字が剃り込まれた坊主頭を核弾頭のようにして新宿の雑踏から新たな世界に飛翔して行ったと思っている。

 

(9)


一九七二年九月三日。

午前中、昨日日雇いで稼いだ金を持って一階の家主の所に行き、九月分の家賃を払った。

詩集売りだけでは月末までに家賃の三千円を貯めることができず、やむにやまれず昨日の早朝、高田馬場近くの公園に行って、手配師に声をかけられ、詩集売り仲間のNさんとHと一緒に建設現場で仕事をしたのだ。俺も俺より二三才年下のHも日雇いの仕事なんて初めてであったから経験者のNさんと一緒に仕事をしたのだ。

既に九月に入って三日目だったが、家主のおばあさんは支払いが遅れたことについては何も言わなかった。それどころか最中を二つくれた。

部屋に帰って〈やれやれ〉と思い、窓を開け放ち、大きく深呼吸した。この一月、家賃のことが頭から離れず、結局詩集売りだけでは家賃の三千円を貯めることができず、一日日雇いに行かねばならなかったが、何とか一段落した。八月は失業保険が切れて初めて迎えた月だったが、何とか乗り切ることができた。九月の末にも翌月の末にも家賃を払わければならないが、いざとなったら高田馬場の公園に行って日雇いを一日すればいいのだ。将来とまではとても言えないが、当面の生活の見通しが立ったような気がした。

 朝起きてイの一番で家主の所に家賃を払いに行ったので、部屋に帰って来てから一段落した気分で細長いフランスパンを一本丸々、マーガリンをつけてインスタントコーヒーと水を飲みながら食べた。家主のおばあさんに貰った最中は一つだけ食べた。

 朝食と食後のデザート(最中)を食い終えて、もう一杯インスタントコーヒーを飲みながら一服していたら、Kが来た。演劇関係の道具を借りに行くのだが、運ぶのを手伝ってくれと言う。多少ではあるが手当てと昼飯付きだと言う。俺は、断る理由など何もないから二つ返事で引き受けた。

 地下鉄に乗って新宿まで行き、JRに乗り換え、品川に行くために山手線のホームに上がった。

ホームに上がると、「一寸食って行こう」と牛乳スタンドに引っ張って行かれ、Kの金で二人でアンパンを食べ、牛乳を飲んだ。

「これが昼飯付きってことかい?」と言うと、Kがググッと喉を詰まらせた。勿論、Kは昼飯の積もりではなかった。俺も半分冗談で言ったのだ。半分冗談ということは半分は当時の俺にとって〈こういう昼飯もアリだな〉という気持だったのだが、荷物を運び終えた後、ちゃんとした昼飯をKに奢ってもらったし、多少の手当ても貰った。

山手線を品川で降り、京浜急行に乗り換え、平和島まで行って演劇関係の道具を借り、池袋の劇場まで運んだが、途中、電車の中や駅などで賑やかな親子連れの姿がすっかり見られなくなっていた。

そうか、夏休みが終わったからか。

「夏休み終わったんだな」

 思わず呟いた。

「ああ、そりゃーもう九月だからな、夏休みが終われば夏も終わりだなー」

「夏も終わりか・・・、俺に夏はなかった」

 そうか、先月は確かに八月だから夏だったことに間違いはないが、オーバーに言えば夏だということを忘れていた。家賃のことだけで頭が一杯だったといえば嘘になるが、夏を感じない内に何時の間にか夏は過ぎてしまっていた。

「なに映画のセリフみたいなこと言ってんの」

別に格好を付けた積りはないが、演劇人のKにはそう聞こえたのかも知れない。自然と口から出た言葉だが、自分で言った「夏はなかった」という言葉で、〈いい若い者が「夏はなかった」なんて、そんなことでどうする〉という思いを強くした。

 Kと道具を池袋の劇場まで運び、近くの喫茶店で昼飯を奢ってもらい、喫茶店にはKの劇団仲間達がいたので、そこでKと別れてアパートに帰った。約束通り多少の手当てを貰ったので、その日は詩集売りに行くのを止めた。その代わりにすることがあった。

部屋に帰って、早速Gパンとパンツを脱ぎ捨て、服が詰め込まれている大きな紙袋から海パンを取り出して穿いた。上はTシャツのままで、サングラスを掛け、肩にタオルを掛け、ビーチサンダルを履いて外に出た。海パンは股が切れ上がったやつではなく短パンスタイルだから陰毛がはみ出す様なこともなく、そのままで住宅街を歩いても変態には思われない(はずだ)。

 アパートからさらに五日市街道を離れると公園がある。緑の多い公園で、そばを川が流れている。公園には幼児が水遊びできるような池がある。自然の池ではない。コンクリート造りの真ん丸い浅い池だ。

 公園に来た一番の目的はこの池だったが、行った時には五六人の幼児が池で遊んでいた。池の端には若い母親達が四五人座っており、子供達が遊んでいるのを見ながら話に興じていた。予想通りだ。予定通り陽焼けから始めよう。

池から少し離れた芝生の上に座り、Tシャツを脱いで海パンだけとなった。Tシャツを下に敷いてその上に上半身を載せて仰向けになって寝転んだ。夏の終わりの昼下がりに数時間陽を浴びたって大した陽焼けは期待できないが、そんなことはどうでもいいのだ。一時でも体全体で夏を実感できればいいのだ。エンジョイできればいいのだ。

それでもまだ陽差しは結構強く、そんな強い陽差しの下で体を焼きながら目を瞑って子供達のはしゃぐ声、バシャバシャという水の音を聞いていたら、「夏だなあ」と思わず呟いていた。いや、〈思わず〉だったか〈わざと〉だったかは疑わしいが、そうこうしている内に眠くなってきた。

 どの位眠っていたのだろうか、かなり眠ったようだ。先程までの労働はたいしたことはなかったが、昨日の慣れない肉体労働の疲れが残っていたのかも知れない。目が覚めると夕暮れ時になっていた。子供達の声が聞こえなくなっていたので池の方を見ると、池の辺りにはもう誰もいなかった。〈よし〉と立ち上がり、池に向かった。

 池に入って、水の中でうつ伏せになって体を伸ばした。一応体は全て水の中に入るが、池の底に体が接触して浮いた状態にはならない。〈やっぱりな〉と思ったが、平泳ぎをしてみた。顔を水につけて何回か水をかき、顔をあげて息継ぎをする。何回かそんなことをしていたら、僅かながら進んだような気がした。〈よし、向こう岸まで行くんだ!!〉と泳ぎ続けた。だが、十メートル程先の向こう岸は遠かった。

さらに泳ぎ続けた。泳ぎながら、こういうのを世間では悪あがきって言うのかな?と思った。そう思ったら、今の生活全てが悪あがきのように思えてきた。でも泳ぎは止めなかった。随分泳いだ。そして、ようやく岸に辿り着いた。随分疲れたので仰向けになって頭を池の縁にもたせ、水の中で暫く休んだ。

・・・・・

・・・・・・

・・・・・・

〈悪あがきか・・・〉

夕闇の中でぼんやり思った。

・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・

〈でも、悪あがきって結構楽しいじゃん!!〉と、ザブッと水から立ち上がり、池を出た。


青春映画


 俺がHと知り合いなのを知っていたのだろうか、新宿駅の地下街で詩集を売っていると、俺と同年代と思われる若者が「H何処にいるか知らない?」と聞いてきた。

「ええ?ああ、知らない」と答えると、

「Hの奴、まだ金振り込んでねえんだよ」 と言って去って行った。

それからすぐ後、Hに会った時にこの話をした。

「ああ、ドンだよ、ドンが作ったアクセサリーを卸してもらっているんだ」

「ふーん、ドンっていうんだ。あいつからアクセサリー買ってるんだ。じゃあ、ドンはアクセサリー製造卸売業ってわけだ」

「うん、でも、ドンから買ってるのは俺の商品の半分ぐらいだよ、半分は自分で作ってるんだ」

「自分で作ったほうが儲けが大きいもんな」

「うん、近い内に全部自分で作った物にするよ」

「そのほうがいいよ」

「うん、コーヒーでも飲もうよ」

「えっ?」

「おごるよ、詩集売り時代よりずっと金持になったんだから」

「ありがたいね、本物のコーヒーなんて久し振りだよ」


その後Hはその言葉通り、商品は全て自分で作るようになった。そのためにはドンから教わったことも少なくないはずだ。俺だって、Hに久し振りの本物のコーヒーをおごってもらってから半年位後に、「生活がずっと楽になるよ」とのHの言葉に惹かれてアクセサリー売りなったのだが、Hにはアクセサリー作りに関するいろいろなことを教わった。だから、元をただせば、ドンは俺の生活を楽にしてくれた恩人とも言えるのだ。

そして、俺がアクセサリー売りになってから暫くしてからのことであった。冬だった。ドンが死んだという話を聞いた。五反田のマンションでアクセサリーを作っている時に一酸化炭素中毒で死んだというのである。

〈あいつ死んだのか〉

 ただそう思っただけで、その他の感情は何も湧かなかった。

そりゃそうである。〈ドンは俺の生活を楽にしてくれた恩人とも言える〉などと思ったのはずっと後のことで、その時は、一年だったかその位前にほんの一瞬一言二言会話を交しただけの関係とも言えない関係で、あの後、話をするどころか姿さえ見かけていないのだから。

だが、姿さえ見かけられないドンだが、古くから池袋の路上でアクセサリーを売っている連中はドンのことをよく知っているようだった。多分、ドンも元は池袋の路上でアクセサリーを売っていたのだろう。それがブティックなどに卸すようになって路上には出なくなったものと思われ、つまりは、良質ないいアクセサリーを作っていたのであろう。


「ドンの葬式にH達と行って来た」

池袋のアクセサリー売り仲間のIさんが俺に言った。Iさんは池袋のアクセサリー売りの仲間の間では年長なので皆からIさんと呼ばれていた。俺もどっちが年上だか分からなかったがIさんと呼んでいた。

池袋のアクセサリー仲間四五人で列車に乗って、東北のドンの故郷での葬式に行ったというのである。多分、年長のIさんがH達に呼びかけて池袋のアクセサリー売り四五人で行ったのであろう。 

会社の同僚でもなく、学友でもなく、街で知り合ったというだけのルーズな関係の若者達が仲間の葬式に行くために、なけなしの金をはたいて北への切符を買い、香典を懐に、朝に到着するようにと夜行列車に乗って(と思いたい)北に向かった。季節は冬。列車が東北に入ると、窓の外は雪だった(と思いたい)。閑散とした早朝のまだ雪の降り止まぬローカル線の駅に四五人の長髪の若者達が降り立った(と思いたい)。雪の降る中を四五人の長髪の若者達は雪を踏みしめて寺に向かって歩いた(と思いたい)。寺に着くと、当然、四五人の長髪の若者達はドンの両親にお悔やみというか挨拶をしただろう。両親は、〈こんなに沢山の友達が来てくれるなんて、息子は東京で孤独ではなかったんだな〉と思い、少なからず救われた思いになった(と思いたい)。

〈青春映画じゃん!!〉

感動した。

だが、アクセサリー売りとしては新参者でドンと殆ど縁のなかった俺は、こんな感動的な青春映画を制作・演出したIさんの構想に、当たり前ではあるがハナからキャスティングされていなかった。


Jに玉を握られた男


〈その男〉は新宿のフーテンだった。大柄で面がデカく、夏などは短パン、タンクトップ姿でロックのフレーズを口ずさんだりしながら歩いていた。

俺はフーテンの何人かとは顔見知りになり、話をしたりもしたが、〈その男〉とは一度も話したことがない。俺が一方的に〈その男〉を見知っているだけである。もっとも、〈その男〉も俺のことを〈新宿で詩集を売っている男〉くらいには認識していたかも知れないが。


一口にフーテンといってもこれといった規定があるわけではないが、〈その男〉は何時しか所謂フーテンからアクセサリー売りになっっていた。俺もその頃には詩集売りからアクセサリー売りになって一年ほど経っていたが、俺は後発組で、俺よりもさらに遅くアクセサリー売りになった〈その男〉はかなりの後発組であった。

アクセリー売りになるといったって、路上で売るのだから、売るアクセサリーさえあれば何時からでもアクセサリー売りになれる。とはいっても、アクセサリーを仕入れてそのまま売るような者はいなかった。仕入れた商品をそのまま路上で売ったんじゃテキ屋だ。そのテキ屋とはテリトリーは同じになるが、テキ屋などにとやかく言われることは殆どなかった。戦後も二十年以上が経過し、路上の支配権はテキ屋などから警察に移っていたのだろう。このため警察には退去させられたり、時には交番に引っ張られることもあった。ただ、交番に引っ張られてもすぐに釈放?される。警官としては、組織の上に〈仕事をしている〉ことを示したいだけなのだ(と思う)。〈今日は交番の日誌のネタが少ないから、アクセサリー売りでも引っ張るか〉てなもんである。こんな気まぐれにより、俺は詩集売りの時に一回、アクセサリー売りの時に二回、交番に引っ張られた。全く迷惑な話である。それでもアクセサリー売りは気楽で、まあまあ金が稼げたから、フーテンから詩集売りになろうなどという奇特な者はいなかったが、アクセサリー売りになろうという者がいてもおかしくなかった。行動的だったと思われる〈その男〉は、アクセサリー売りの誰かから材料店のNの場所を聞き出し、アクセサリー売りになったのであろう。

このNにはだいたいのアクセサリー売りが材料を買いに行くから、浅草橋にあるNに行くと誰かしら顔見知りがいたが、ある時、Nに行くと〈その男〉が仲間数人と来ていた。その時に〈その男〉がアクセサリー売りになったことを知ったのだが、元々デカイ面だった〈その男〉はアクセサリー売りという仕事を得て、態度も所謂デカイ面になったように見えた。

そんなデカイ面の〈その男〉は、始めは新宿で商売をしていたのであろうが、新宿よりも池袋のほうがいいとでも思ったのだろうか、売り場を求めて、当時俺がアクセリー売りのために毎日のように行っていた池袋にやって来た。だが、それまで誰が来ても軋轢など生じたことなどなかったのだが、元々池袋でアクセサリー売りをしていた連中が〈その男〉に強い反感を持ったようだ。よっぽどデカイ面というかデカイ態度をしていたのだろうか。

〈その男〉が池袋に初めてやって来て、帰った後の夕方、俺が池袋に行くと、H達が〈その男〉達に対する対策を話し合っていた。俺は〈その男〉と仲間達が池袋に来ていた時にいなかったから事態がよく分からず、そばで話をしているのを見ていただけで、話の詳しい内容は分からなかった。あえて聞こうとも思わなかった。

翌日も俺は夕方に池袋に行った。コトは既に終わっていた。Hの右手の甲に血が滲んでいた。どうやらHのパンチで〈その男〉達は退散したようだ。〈その男〉はHより図体がでかかったが、Hのパンチに屈したということか。

その後、〈その男〉達が池袋にアクセサリーを売りに来ることはなかった。そして、〈その男〉を新宿でさえも見ることがなくなり、何時しか〈その男〉のことなどすっかり忘れてしまった。


それから数年後、既にアクセサリー売りをやめ、マルチ商法まがいの仕事に従事していた頃だったろうか、頭からすっかり消えてしまっていた〈その男〉の消息をマスコミで知ることとなった。

消息を知ったといっても、〈その男〉が芸能人とトラブルを起こし、それが週刊誌などの記事となり、〈その男〉がまだアクセサリー売りをしているということと相変わらずデカイ面をしているということを知ったという程度のことである。

そのトラブルというのは、東海道新幹線で当時のトップ男性歌手が図体のでかいアクセサリー売りに「いもJ」と言われ、ケンカになったというものであった。そのトップ男性歌手は甘いマスクでスマートであったが、空手をやっていたということで、ケンカの際に空手の技を出したということであり、トラブルは口喧嘩程度のものではなかったようである。俺はアクセサリー売りの風体、「いもJ」などという暴言から、そのトップ男性歌手のケンカ相手は〈その男〉だと思った。

だいたいがフーテンのようなしょぼくれた格好をして地べたに座ってアクセサリーを売っているアクセサリー売りに新幹線は似つかわしくないが、だいたいのアクセサリー売りはまずまずの収入があり、俺なんかもよく新幹線を利用して地方の都市に商売に行ったものである。〈その男〉も東京で見かけなくなったと思ったら、新幹線などを利用して地方都市で活躍していたのであろう。

 このように〈その男〉の東京から消えた後の消息の一片を知ることとなったが、このトラブル話に真偽の程は定かでないがチン妙な尾鰭が付いた。ケンカの際にそのトップ男性歌手が〈その男〉の玉を握ったというのである。玉握りがそのトップ男性歌手の空手流派の必殺技なのかどうかは知らないが、「いもJ」などと言うから、てめえの〈いも〉部分を狙われたのだ。目には目をだ。それにしても、痛かったかも知れないが当代随一の人気トップ男性歌手に玉を握られるなんざぁ名誉なこった。


それからまた何年後のことであったろうか、マルチ商法まがいの仕事から離れ、一寸は有名な経済誌・総合誌~総会屋までの間の業界では〈取り屋〉と呼ばれていた本を売るよりも上場企業などから広告費を取るのが目的のような経済誌の広告取りをしていた頃であったろうか、またしても〈その男〉のことなど頭からすっかり消えてしまっていたのだが、仕事で山手線に乗っていた時、電車の中の週刊誌の広告で〈その男〉の死を知った。その広告は要約すれば〈新幹線でトップ男性歌手Jとトラブルを起こした男が死亡〉というものであった。その時は〈ふーん〉と思った程度で、その週刊誌を買ってまでして、或は立ち読みまでしてその記事を読もうとは思わなかった。今にして思えば、新幹線でトップ男性歌手と小競り合いをした程度の一介のアクセサリー売りの死亡が何故週刊誌のネタになったのか謎である。まさか、Jに握られた玉かイモが化膿でもして、その後遺症で死んだわけでもあるまい。やはりあの時、立ち読みでもして週刊誌を読んでおくべきだったか。ま、謎が解けようが解けまいが、〈その男〉が若くして死んだことに変わりはなく、殆ど縁がなく、特に興味もなかった男ではあったが、一九七二年前後、同じ時期に街にはみ出した者同士として、今はただ冥福を祈るばかりである。


(10)


一九七二年暮れ。

師走も晦日が差し迫ったある日の早朝、高田馬場駅近くの公園に行った。公園は高田馬場駅の南の改札口から徒歩で五分もかからない山手線の外側に接したところにある。ここには九月の始め以来、早朝何度か来ている。今日はNさんやHと一緒ではなく一人だ。Hと二人で来たこともあるが、今日は一人で来た。

公園一帯は既に労務者、手配師、労務者相手の露天の食い物屋などで賑わっていた。古着の店も出ており、何十回はオーバーにしても、五六回はリサイクルを繰り返されたようなくたびれた古着が売られていた。買われては売られ、買われては売られ、あるいは捨てられては拾われを繰り返し、中には服の主人が流れ者で、主人と共に流れ流れて北の果てまで旅した服もあるかも知れない。いいねえ、<流れ果てない旅に出て、何時か忘れた東京の・・・>か。俺はとても流れ者なんかにはなれねえな。この繁栄を謳歌している東京においてさえ禄に食えないのに、地方都市で食っていけるわけがない。

まてよ、故郷を離れ東京に来て早二年、三畳、四畳半、三畳と都内の友人が出て行った部屋を渡り歩いている俺は東京の流れ者ではないか。〈東京流れ者〉だ。竹越ひろ子や渡哲也が歌う世界の<東京流れ者>だ。そうだ、俺は渡哲也だ。 


何下らないことを言ってるんだ!!いい若い者が毎日何やってるんだ!?


 詩集を街頭で売って生活してます。

まあ、禄に食えていないのだから、生活しているというほどではないが。そう、詩集売りだけでは生活できないから、今日のように日雇いの仕事を求めて朝早くこの公園に来ているのだ。今日一日仕事をすれば、三畳一間の家賃が払える。月末までに家賃を払ってしまえば、気持ち良く新年を迎えられるというものだ。家賃さえ払ってしまえば、また怠惰な詩集売りの生活だ。


 何回か世話になった誠実な感じの手配師に自ら声を掛けられ、その手配師のマイクロバスに乗った。

<誠実な感じの手配師>というのも何か変な表現だが、少なくともヤクザには見えない。ヤクザでないはずだ。ただ、その手配師の親分は黒い高そうなオーバーの襟を立て、黒いソフト帽を斜めに被り、ヤクザっぽい。ただし、荒っぽい感じはなく、紳士的である。その親分に<誠実な感じの手配師〉が何か話しかけていた。「このくらい集まればいいですかね」とでも言っているのだろうか。親分は<うん、うん>と頷いている。<誠実な感じの手配師>は、この親分の若者頭に違いない。でも、何度も言うが、この<誠実な感じの手配師>はヤクザではない。グレーの上下の作業服に安全靴といった戦闘モード、いや仕事モード全開の出で立ちでヤクザであるわけがない。

おっと、今日一日肉体労働をすることが決まったからには朝飯をキッチリ食べなければ。 一旦乗ったマイクロバスから出て、若者頭に

「ちょっと飯食って来ます」と告げ、小走りで露天の食い物屋に行った。

ベニヤ板の台の上に置かれた木箱には握り飯がズラリと並べられており、俺は勝手に握り飯を手でつまんで食べた。握り飯は白いのと茶色の二種類だけで、どっちも具は入っておらず、白いのは塩味、茶色は醤油味で、白いのを二個、茶色を一個食べた。それと、ごった煮の汁を一杯。ごった煮といったって大して具は入っていないが、毛皮が付いた肉なんかが入っていたりして何が入っているか分かったものでないから、勝手にそう呼んでいる。ま、正確にはトン汁といったところであろうが。

飯を食い終えて、「握り飯三つに、この汁一杯ね」と店の者に自己申告して金を払った。握り飯は白いのも茶色も同じ値段だ。

大体が懐の寂しい労務者を相手に自己申告制でよく商売ができるもんだと思うが、労務者が群がっており、いろんな方向から手が伸びてきて握り飯をつまんで食べるから、店としても、この四角い顔は四つ食ったとか、禿頭はまだ一つしか食っていないとか、この青瓢箪(俺)は青瓢箪のくせにもう三つ目を頬張っていやがるとか一々チェックしていられないのだろう。だからといって、一つ一つ金を貰うのも面倒臭いので自己申告による後払いにしているだろう。中には多少数を誤魔化す者もいるかも知れないが、その程度のことは承知の上のことに違いない。もっともHなどは、食うだけ食って、数を誤魔化すどころか自己申告もせずにスッと消えてしまうのを常としている。常としているといったって、仕事を求めてこの公園に来るのは月に一回程度であるから、常習者として目を付けられることもなく、これまでのところ無事でいられるのだろう。

スッと消えると言うと、忍者の如く消えるように聞こえるが、正しくは「おおっ」と小さい声を発し、いかにも群衆の中に友人でも見つけたが如く片手を軽く上げ、群集の中に紛れ込んで行くのである。つまり店から離れることになるが、この間、店の者から「お兄さん、金まだだよ」などと声を掛けられなければ、そのまま友人などいやしない群衆の中に紛れ込んでしまうのだ。もし店の者に声を掛けられたら、「えっ?」と一瞬何のことだか解らない顔をし、次の瞬間には「ああ」と何で声を掛けられたかが解ったとでもいうように苦笑いでもしながら店まで戻って金を払えばいいのだ。Hならその位の芸当は朝飯前だ。いや、朝飯後か。


 マイクロバスに戻ると、バスの中は程よく混んでいた。やがてバスは出発し、山手線の中に入って行った。

都心の道など知らないから、何処をどう行

ったのか分からないが、バスは六本木の交差点近くの建設現場に着いた。バスから降りると、じきに、あの若者頭から俺を含めた若者三人で空地に穴を掘るように命じられた。何のための穴なのか分からなかったが、とにかく三人で地面を掘り始めた。ところが、この地面が固いのなんのって、スコップでもツルハシでもガシッと突っ先を拒否するような音がし、文字通り刃が立たない。その空地は以前は駐車スペースか何かだったのか、コンクリートなどで舗装はされていなかったもののカチカチに固まっており、掘るというよりか削るような感じで掘り進め、午前中のハーフタイムの休憩時間までには、穴は皿のような窪みと言えるほどまでになった。 

 休憩が終わると、ヒョロッとした若者だけが別の仕事に回されたので、俺と中肉中背の若者の二人で穴掘りを続行することとなった。

「あいつ、何言ってんのかよく分かんかったな、言語障害みたいだな」

悪口ではなく、事実を言った積りだが、中肉中背の若者は厭な顔をした。その顔は〈そういうこと言うのはやめようよ〉と言っている様であった。

「一寸発音が悪いだけですよ」

「そうだよな」

 悪口を言った積りはなかったが、蔑視とも受け取れる行き過ぎた発言を反省した。

この俺の舌禍事件で中肉中背との間の雰囲気が悪くなるようなことはなく、二人でせっせと穴掘りを続け、正午になる頃には穴は何とか穴と呼べるほどまでになった。

正午になると、若者頭が「昼休みだ。どっかで飯食って来いよ」と言いに来て、掘られた穴をチラッと見たが、それについては何も言わず、「午後からお前達は片付けに回ってくれ」と告げ、建設現場から出て行った。

俺達も道具を適当に片付けて、建築現場の出入口に向かった。出入口付近まで行くと、ヒョロッとしたのがボンヤリした感じで突っ立っていた。昼飯をどうしようかと考えていたのかも知れない。

「飯行こうぜ!」と声を掛けた。

「何処か知ってるの?」

よく聞けば、何を言っているのか分る。一寸滑舌が悪いだけだ。

「地下鉄の駅の方に行けば何かあるさ」

 三人で飯屋を探しながら六本木の交差点に向かって坂をブラブラ上って行くと、交差点まで行く手前左にランチをやっている喫茶店があった。早く飯が食いたかったし、昼休みの時間をやたら潰したくなかったので、この店にしようと思った。勿論、ランチの値段と内容を確認した上でのことだ。

「ここでいいか、余り高くないし」

 二人に向かって言うと、二人共頷いた。

 店に入ると、若者頭が窓際の四人掛けの席に座っているのが見えた。向かいにはサラリーマンらしき青年が座っていたが、若者頭の知り合いではないはずだ。昼時は稼ぎ時で、客をできるだけ入れなければならないから相席にされたのであろう。若者頭はこれからランチを食うところで、青年はランチを食い終え、コーヒーを飲みながら煙草を吸っていた。俺達は少し離れたれたところに空いていた四人掛けの席に座った。

 ウェイトレスが水と灰皿をトレーに載せ、それとメニューを脇に挟んでオーダーを取りに来た。ランチが値段的にもボリューム的にも一番いいと思っていたので、ランチを頼んだ。二人はまだメニューを見ていた。

「ランチでいいんじゃない」と二人に言うと、二人共頷いた。

「じゃあ、ランチ三つね」

「お飲物はお付けいたしますか?」

 ランチだと飲物が割安で付けられるのだ。

二人の顔を見ると、決め兼ねているような顔だった。俺は始めから飲物は付けない積りでいた。

「いらないか?」と言うと、二人共頷いた。「三つとも付けないでいいです」

 ウェイトレスに告げた。

 

 すぐにハンバーグを主体とした料理、ライス、スープのランチが運ばれて来た。

 俺達がランチを食べている間に、若者頭はランチを食い終え、コーヒーを飲んで、煙草を吹かしていた。コーヒーを付けるなんて、さすが若者頭。ライスは大盛にしたに違いない。

「午後からは片付けか」

「ええ」

 中肉中背が頷いた。

「俺も・・・、午後も片付けらしい」

 ヒョロッとしたのが言った。

「あっ、そう、何処に行ったかと思ったら、片付けに行ってたのか」

「うん」

「片付け楽?」

 中肉中背が聞いた。

「うん、楽だよ」

「穴掘りよりは楽だろうよ」 

俺が言った。大体が〈片付け〉は建設現場では楽な仕事とされているようで、手配師が「片付けだよ」と言って労務者を集めている光景がよく見かけられた。

ランチを食い終えるとすぐに煙草に火を付けた。他の二人も煙草に火を付けた。一九七二年の暮れ、この頃、同じ空間に食事中の者がいても喫煙をするのは普通のことであった。

飲物を付けなかった俺達は煙草を一本吸い終えると店を出た。

 建設現場に帰り、赤く塗られた一斗缶の吸殻入れの傍に他の労務者達に混じって座り、また三人共煙草を吸い、雑談などをしながら昼休みの残りの時間を過ごした。

 

 午後は、昼に若者頭から言われた通り二人は〈片付け〉に回され、ヒョロッとしたのも〈片付け〉のままであったから、三人一緒の仕事になった。とはいっても、他に何人も〈片付け〉に従事しているから、穴掘りの時のように三人が固まって仕事をしたわけではない。

 午後のハーフタイムの休憩時間が終わると、俺だけが建設現場の出入口の交通整理に回された。若者頭としては適材適所の積もりなのかも知れないが、運転免許を持っておらず、車のことも交通ルールも殆ど知らない俺は、自信のなさから車への指示の身振り手振りがはっきりせず、建設現場に出入りするダンプの運ちゃんから「馬鹿野郎ー!、ハッキリしろ!」などと怒鳴られる始末であった。それでも、どうにかこうにか終業時間まで交通整理の仕事をした。


 若者頭から日当を貰い、何とはなしに三人一緒になって建設現場を出て、六本木の交差点への坂を上がった。

坂を上がると地下鉄の入口が見える。坂の途中も人通りは少なくなかったが、坂の上は、勤めからの帰宅の者やこれから六本木で遊ぼうとする者などでもうかなり賑わっていた。

「日比谷線か・・・、日比谷線は新宿に行かないよな」

「新宿に行くならバスがありますよ」

中肉中背が俺に言った。

「ああ、そう、それならバスで新宿まで行くか」

「僕は地下鉄に乗るので、じゃあ」

二人の会話を聞いていたヒョロッとしたのがそう言って軽くお辞儀をした。それから「よいお年を」と言って地下鉄の入口に向かって歩いて行った。

「〈よいお年を〉か、もうすぐ正月だもんな、あいつ若いのに気のきいたこと言うもんだな」

「あなただってまだ若いじゃない」

中肉中背が俺を見て言った。

「でも、あいつは俺よりも三四才は若いはずだ」

「ええ、俺は二十二だけど、俺より若いと思う」

バスが来た。

勤め人達の帰宅時間だからか座席は空いておらず、二人は並んでつり革に掴まった。

「そうか、二十二才か、俺より一つ下か」

「じゃあ、先輩ですか」

「先輩ね・・・」

「実家は東京ですか?」

「ううん、横浜の鶴見」

「じゃあ、今も実家にいるんですか?でも、新宿に行くんじゃ一寸方向が違いますね」

「うん、二年位前から東京で一人暮らしをしてるんだ。君は?・・・、東京出身?」

「まさか・・・、東京に来て四年になるかな」

「じゃあ、東京暮らしの先輩だ」

「そういうことですかね、何時まで経っても田舎者ですけど」

「一人暮らし?」

「ええ」

「じゃあ、一人暮らしの先輩でもあるわけだ」

「東京暮らしとか一人暮らしに先輩とか後輩なんてあるんですか?」

「経験が長ければ先輩さ、それだけその分野の知恵も付いている」

「分野の知恵?ですか。でも、一人暮らしの先輩なんて女に縁がないっていう感じで、あんまり格好よくないな。実際あんまり格好よくないけど」

「何言ってんだよ、まだ二十二才だろ、これからいろいろ格好よくなれるよ」

「そうかなあ」

 ・・・・・・

「鶴見か・・・、あっ、鶴見は仕事で行ったことがある。緑が少なくて空気が悪かったです」

「ハハハ、そこに生まれて二十年以上暮らしていたんだよ。で、鶴見も日雇いの仕事で行ったの?」

「ええ、工場労働でしたけど」

「ふーん、結構あっちこっちで仕事してんだ」

「ええ」

「だから、このバス路線なんかも知ってるんだ」

「ええ、この辺りの建設現場には何回か来てるから・・・。先輩は余りこういう仕事しないんですか?」

「そう見える?」

「何となく」

「青瓢箪だもんな」

「そんなー」

「うん、月に一日か二日するくらいかな、それも何ヶ月か前からだから、経験は君の足元にも及ばないよ」

「月に一日か二日ですか、他の日は何の仕事をしてるんですか?」

「新宿の街頭で詩集を売っているんだ」

「シシュウですか?シシュウって?」

「詩だよ」

俺は文字を書く仕草をした。

「ああ、詩集ですか。じゃあ、詩を書いてるんですか」

「うん」

「へえー、じゃあ芸術家ですね」

「芸術家なんて、そんな大そうなもんじゃないよ、怠け者だからだらだらと詩を書いて街頭で詩集を売っているだけだよ」

「でも、俺なんかにはとても思い付かないことですよ。思い付いても詩なんか書けませんけど・・・、勉強全然駄目だし」

「勉強は余り関係ないけど、お勧めできるような仕事でないことだけは確かだよ。それより、君は何か目指してるの?」

「何かって?」

「例えば、映画俳優とか」

「ブフッ、俺の顔よく見てから言って下さいよ」

「確かに」

「随分はっきり言いますね」

「ごめんごめん」

「ハハハ、全然気にしませんから」

「でも、映画俳優は別として何か目指してるものはないの?」

「何も目指していませんよ。日雇いで暮らしているだけですよ。学歴ないし・・・」

「学歴なんてなくたって頑丈な体があるじゃないか。建設業にでも飛び込んで、腕を磨くんだよ」

「はー」

「トビでも塗装でも配管でも、スポーツ新聞なんかに毎日募集広告が載っているだろ、臨時雇いでもどんな形でもいいからもぐり込んで仕事を覚えるんだよ。そして、ゆくゆくはその分野で日本一になるんだ」

「日本一ですか・・・、日本一なんて無理ですよ」

「日本一は無理かも知れないけど、その分野でイッパシの人間になるんだよ」

「イッパシ?・・・」

「俺もよく意味が解らないんだけどな(笑)」

「でも何となく解るような気がする。イッパシの人間か・・・」

「そう、イッパシだよ」

 一才年上だからといって、イッパシでもない俺が随分偉そうなことを言ったもんだ。そう、イッパシなことを言ったもんだ。


バスの外は既にとっぷりと暮れていたが、街の灯りの様子で新宿駅に近づいていることは分った。

「もうすぐですね。新宿からは歩きですか?」

「いや、丸の内線で南阿佐ケ谷に行くかな。中央線で阿佐ケ谷に行ったほうが電車賃が少し安いけどアパートまで遠いからな」

「それじゃあ、六本木から日比谷線に乗って、霞ヶ関で丸の内線に乗り換えたほうが安かったですね」

「そうなの。やっぱり君は東京暮らしの先輩だ。四年の東京暮らしは伊達じゃないってことだ」

「いやや」

 中肉中背が頭に手をやった。

「その先輩は明日も仕事行くの?」

「明日は二十四時間の仕事をすることが決まっているんですよ」

「二十四時間って、肉体労働だろ」

「ええ、でも建設関係じゃなくて工場労働で、仮眠時間があるし、なんたって一万円になるし」

「一万円も貰えるの、すごいなー」

「ええ、暮れから正月始めは仕事がないから越冬資金を作らなきゃ」

「越冬資金か、故郷には帰らないの?」

「ええ・・・」

そういえば、俺も今日、越冬資金を作るために来たようなものだ。やはり中肉中背は東京の一人暮らしの先輩だ。このように何度も東京で越冬を経験して来たのであろう。正しくは越年かも知れないが、彼が言うように〈越冬〉のほうが似合っているように思われた。

バスは二幸(現アルタ)前に停車し、他の乗客に混じってゾロゾロとバスを降りた。

「どっち行くの?」

「西武新宿駅です」

「そうか」

 二人はお互いに「じゃあ」と言って別れた。中肉中背は歌舞伎町方面に向かい、俺は新宿駅の地下街の入口に向かった。

「よいお年を!!」

大きな声に振り返ると、五六メートルほど離れた雑踏の中に中肉中背がこっちを向いて立っていた。そして片手を挙げた。

「よいお年を!!」

俺も大きな声で言って、片手を挙げた。


大晦日、故郷の実家に帰った。といったって、電車賃が五百円程度の故郷だ。

俺が普段食っているものよりはいいものを腹一杯食べ、家族で紅白歌合戦を見て、何処かの寺(総持寺?)で鳴る除夜の鐘の音を聞きながら新年を迎えた。


アパートには元日の夕方に帰り、翌日の正月二日の午前中には新宿に行き、新宿駅の地下街から二幸前に出る階段の下で詩集売りを始めた。金銭的には多少余裕があり、正月の三が日くらいはブラブラしていてもよかったのだが、何故か正月二日の午前中から新宿で詩集売りをしたかった。大都会の年始の雑踏の傍らに座って詩集売りをしたかった。そうやってその年を始めたかった。


いい若い者が正月から何を考えているんだ

か。年が変わっても心を入れかえてねぇーな。


地上では、強風というほどではないが木枯らしが吹いていた。

ヒュルリーヒュルリララー~

あれっ?それって・・・、森昌子の〈越冬つばめ〉はまだ発売されてないはずだが・・・、確か十年位後の発売だったはずだが・・・。

そんなことはどうでもいいのだ、何かそんな歌が聞こえてきたのだ。いや、そんな気がしたのだ。木枯らしの音だったのかも知れない。

「越冬燕か・・・」

一人呟いた。中肉中背を思い出した。

〈あいつは越冬燕だな、今頃何してるんだろう、炬燵でインスタントコーヒーなんぞを飲みながら正月番組でも見てるのだろうか。そうだ、あのヒョロッとしたのも越冬燕なのかも・・・、俺は、一泊といえども故郷に帰ったからニセ越冬燕だけど・・・〉

 ・・・・・・・・・

「下さい」

 若い女の子の声。

百円銀貨をのせた白い綺麗な手が差し出された。

さあ、今年も始まりだ。


作 安部そーり



詩で世に出ようなどという気は毛頭なく、ただ詩集売りを一年半していただけであった。この一年半がその後の人生に役立ったということはないが、私の人生の宝である。と思うようになったのは六十を過ぎた今日このごろのことである。

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