6
引き続きよろしくおねがいします。
シーフォンスの町は外洋に面した貿易の港だ。
岸壁はいくつもの木製の桟橋でできている。
その桟橋は海に浮かんでいるため、常にゆらゆらと揺れていた。
これは干満の差を軽減させるための工夫であり、この世界では一般的に利用されている。
浮き桟橋を固定するため、背の高い木材がいくつも打ち込まれている。
この木材の先端は全てL字型になっており、着岸する船の係留索を結ぶ際にも利用されていた。
桟橋から陸側に向かうと3段となった石作りの岸壁がある。
潮汐の高さによって橋げたを使い分ける工夫がとられているようだった。
この日は満月に近いということもあって、潮が引いており、3段となった石作りの岸壁のうち、最も低い場所に橋げたが掛けられていた。
入港する船は喫水を計測しながらこの町の浮き桟橋を目指す。
今入港しようとしている帆船は、総トン数300トンはあろうか。
この世界では大きな船だ。
帆船の最も高いマストの上で風なびくその旗は、白地に赤色の十字に似た紋様があしらわれていた。
この世界の船舶は木製であるため喫水は浅めなはずだが、この船は一杯に積み込まれた荷物のせいで喫水が深くなっており、干潮の頃合いであるため、入港に慎重を期しているようだった。
帆船とは言え、着岸や着桟にはオールを用いるのが通常だ。
逞しい海の男達が声を掛け合いながらオールを漕ぐ姿は勇壮だった。
やがて、その帆船が無事着桟すると、荷物を降ろす作業が開始された。
シーフォンスの町は中央に大規模な聖堂を要した町で、その聖堂を中心として繁華街の広がる交易の町である。
港からは海産物をはじめとして、各地の港から特産品が届けられてくる。
外洋帆船は実用化されていないものの、沿岸航海が確立されてきている昨今、規模の大きな各地の港は一様に大変な賑わいとなっており、商人達や、一旗名声を上げようとする冒険者達が集まるのである。
今朝入港した船は、北方の大国お抱えの貿易帆船だった。
北方の魚は脂がのって美味であるため高値で取引されるのだ。
また、鉱物の埋蔵量も多いらしく、今回も鉄や銅、さらに白銀といった希少鉱物が持ち込まれていた。
この世界は大まかに十字の形をした地形をしているとされる。
その十字の中心には、この世界で最も恐れられる火竜が居を成しており、その周辺地域がこの竜の狩場となっているため集落を作ることが出来ないため、陸路での交易の妨げとなっていた。
そういった事情から、海路は陸路を無視して交易することの出来る新たな交易手段として注目されており、現在では海路開拓が国家の一大事業となっているのである。
大聖堂とは、治癒系魔法の使い手達が慈善活動を続けてきた結果生まれた、いわゆる総合病院だ。
この世界には神を信仰する風習は無い。
なぜならば、神の残した遺産は人間にとってありがたい存在ではない事が多々あるからだ。
先ほど説明した火竜はその典型例である。
故に世間では神は畏怖の対象ではあっても、信仰の対象となることはなかったのである。
聖堂という名前はあるものの、それが信仰の対象なのではなく、あくまでも治癒系魔法の使い手達が庶民から崇められた結果生まれたものである。
慈善活動であるから、都度金銭等は請求しないが、病気を治癒してもらった者などが後に一定の金銭や労働力の提供などが納められることで成り立っている。
貴族達からの献金もあるものの、政治とは独立した存在となっており、各地における歴代の聖堂の長は、それまで庶民に施してきた治癒の経歴等と人格を考慮し、最も優れていると判断された者が就任している。
そういった事情故に、庶民からの信頼と実績を培ってきており、ある意味信仰の対象となってしまっているため、庶民に対する影響力は大きく、その影響力を王侯貴族であっても無視できないのだ。
また、町には各武術の道場があり、地方の村と比べて、やはり一種独特な雰囲気を醸し出している。
リチャード、ノーブル、澄がこの町に来てから、早1か月が過ぎようとしていた。
何度かの依頼を達成し、彼らの連携には磨きがかかっていた。
この町では、ほとんどが貴族からの依頼であり、自身の領地に跋扈する比較的弱めな魔物の討伐等が主だったものだった。
この世界、貴族は基本的に国家に忠誠を誓う者であって、魔物を退治するのが目的ではない。
領内の不穏分子の抑圧といった治安に係る事務や、税金の徴収、住民の把握等が主な仕事である。
なお、この西域における騎士とは貴族の中でも武芸に秀でた者が国から任命される存在である。
稀に一般の冒険者では太刀打ち出来ない強力な魔物が出没した際に軍隊を編成して討伐に向かうことがある。
こうして編成された軍隊を統率するのは騎士の役目である。
しかし、騎士は王侯の直参であるため自分の領土を持たない。
一方で、一部制約はあるものの生命与奪の権限が与えられていたり、貴族達の監視役でもあったりと、王侯の一部権限を譲渡された名誉ある存在なのである。
ただし、これはこの世界の西域における扱いだ。
火竜の居る中央から四方に分かれた各東南北の各地方では、それぞれ異なった統治状況となっているのだが、ここでは割愛する。
1か月前、シーフォンスの町に訪れた3人は、当初宿屋住まいをしていた。
いくつか依頼を達成した後、一晩の宿泊代金を計算していた澄の提案で、月単位で契約出来る貸住居を探し当て、そこを居所とすることになった。
「宿代一晩10ゴルドは高いです。一か月借りてもここは100ゴルド。」
リチャードとノーブルを説得した一言は、事実に裏付けられた明確な数値であった。
澄の見つけてきた物件は、海を見下ろすことの出来る小高い丘の上にあり、繁華街にはやや遠いが、日々の喧噪からは解放された静かな場所だった。
その3人が借りる家から剣戟の音がする。
無言でリチャードに対してレイピアを突きだす澄。
狙い澄ました一撃は鋭い。
リチャードはその鋭い突きの剣先を練習用のレイピアでいなし、攻撃を無力化する。
この攻防を何度も行う。
「相手の動きをよく見ればこうやって受け流せる。今度は攻撃が私、防御が澄さんね。」
そして、攻撃と防御の立場を変えて再びレイピアの突きと受けが繰り返される。
澄は、何度かリチャードの攻撃をいなせずに寸止めされる。
澄の額には大粒の汗が噴き出しているが、リチャードは涼しい顔のままだ。
「んじゃ今日はここまでにしようか。」
リチャードの攻撃がほとんど寸止めとなり始めた頃、澄は肩で息をしながら、「あ、りがと、でした。」と言ってその場にへたれこんだ。
1時間程だが、澄はこのリチャードとの手合いを毎日欠かすことなく行うのが日課となっていた。
最初は5分で息が上がってしまうような状態だったが、今では1時間はなんとか耐えられるようになってきた。
さらに、手合いが終わったあと、黙々と突きと受けの練習を行っていた。
(この子の飲み込みは早い、いや、早すぎる。)
リチャードは1か月でここまで成長した澄を評価する。
あと1か月もあれば、後方へ下がったり、踏み込んだりする足さばきの練習に移れるだろう。
レイピアは受け流しに優れた武器である。
その細い剣先は極めて柔軟性に優れており、また重量も軽いので敵の攻撃を受けるという行動が、自然と受け流す行動となるのである。
ただし、リチャードの様に力強い戦士が持つ武器ではなく、あくまでも力の弱い者が持つ方が効果的な武器だ。
リチャードはへたれこんだ澄に手ぬぐいと水筒を手渡す。
汗を拭き、水を飲んだ澄が呟く。
「・・・まだまだね。」
「何言ってるんだ。上達は早いんだし、焦る必要はないよ。」
澄は真面目で頑張り屋だ。
リチャードは彼女のこのひたむきさには好意を抱いているが、武器の扱いは一朝一夕では身につかないものであることを再度伝える。
「気持ちはわからないでもないけど。近道は無いからね。」
「・・・うん。」
これまで受けた依頼で、澄が数々の魔法を使っているのを見た。
普通は5系統までしか使えないとか、上位魔法は基本使えない、とか色々魔法使いに対する一般的な常識があるのだが、澄は何十系統にも跨って魔法を使役する。
強力な魔法の使い手であろうということは理解していたが、まさか魔術師クラスとは思いもしなかった。
それが、剣術でもこちらに追いつこうというのである。
だが、と思う。
澄は真面目で頑張り屋だが、基本は怖がりで臆病な女の子だった。
魔物に遭遇するたびに固まるのだ。
慣れもあるだろうが、リチャードはそのくらいが可愛らしいな、と思っていたりした。
その時、ノーブルがひょっこりと庭に出てきた。
手にはバスケットを持っている。
その中には焼き菓子がたんまりとあった。
これまで相棒と一緒に旅を続けていたリチャードにとって、この居所を構えての生活で最も驚いたのは、このノーブルの特技だった。
「・・・食え。」
さすがにここに住み始めて2週間たったので、今更驚かないが、最初にノーブルがケーキを作って振舞った時等、リチャードは何度も「買ってきたに違いない。こんなのどこで売っていた。」としつこく何度も聞いてノーブルを困らせたものである。
澄は疲れはどこへ行ったのか、ノーブルに駆け寄りバスケットから焼き菓子をいくつか取ると、リチャードにも手渡す。
甘い香りに澄は目を爛々と輝かせ、「いただきます!」と言ってパクつく。
幸せそうな澄。
それを見て、無表情のまま「・・・また作る。」と呟くノーブルが居た。
今日は依頼も受けず、休み。
平和な一日だ。
▼▼▼▼▼
聖堂では多くの人が行き交っている。
軽い怪我から、重い症状の人々がかわるがわる訪れている。
それまで怪我人の相手をしていた青年は、聖堂の入り口から数名の者が入ってくるのを目にした。
西域ではあまり見かける事のない服装をした男達だった。
確かな足取りと、横柄な態度から病人では無いとわかる。
先頭を歩くでっぷりと太った中年の男は最も横柄な態度をとっている。
青年は思わず眉をひそめた。
やがて、その横柄な男の脇に居た男が大きな声を放った。
「北方から参ったルドラナ卿である。聖堂の長、モンタナ師に用があって参った。お目通り願いたい。」
北方の貴族が聖堂に押しかけてきた。
この噂はその日のうちに町に広まっていった。
質素な部屋でテーブルを挟んで座る者が数名。
上座に座る老人が、でっぷりと太った中年の男から話を聞き終えると、首を振りながら答えた。
「その要求は当方ではお聞きすることはできません。お引き取りを。」
上座に座るのは白髪で痩せているものの、その目に知性を湛えたモンタナ師。
その反対側に座るでっぷりと太った中年の男はルドラナと名乗る貴族だった。
ルドラナは不愉快そうに鼻を鳴らした。
「そちが口添えをするだけでいいのだ。何も了解しろとは言っておらん。」
「口添えすることかないませぬ。お引き取りを。」
ルドラナは目の前にいる、聖堂の長モンタナを忌々しそうに見た。
「わし自ら赴いてきてやったというのに、断るというのか?」
「はい。お断り申す。」
明確な拒絶を示すモンタナ。
ルドラナと名乗る貴族が持ち込んできた話は、貿易協定の締結であった。
聖堂は政治的な介入をしない。それが代々守られてきたからこそ、庶民から親しまれてきた。
だが、ルドラナは、影響力の大きい聖堂を利用し、今回の交易に関する協定書を後押ししてもらうことで、この貿易協定を結ぼうとしていた。
この協定が結ばれれば、北方は有利な条件で交易をおこなうことが出来、莫大な富を得ることが出来る。
そのため、莫大な報酬を条件に、口添えを依頼したのだが、あっさりと断られてしまった。
「他に御用が無いのであれば、別の仕事があります故、失礼致します。」
そういってルドラナ達を出口に誘導した。
ギリギリと歯ぎしりしたルドラナだったが、ある考えが思いつくと、ふん、と鼻を鳴らして聖堂を後にした。
その後ろ姿を見送ったモンタナ師は、やれやれ、と首を横に振り深いため息を吐いた。
「あれは何かする目じゃの。。。」
憂鬱そうなその呟きは、日没を知らせる聖堂の鐘の音でかき消された。