コズエの章・6
良かったコズエが無事だった-それだけで、そうそれだけで、サクは踊ってしまいそうに嬉しかった。今はもうそれだけでいい。
「危ないから、離れててね」
言いながら、サクも必死で自身の震えを止める。何だろう、目の前の男が怖くて堪らない。どうして、自分と同じような、人とは違う匂いがするんだろう。
ふと男の方を見ると、完全に注意がコズエからヤマトに移行したのが分かったが、それはそれでサクを焦らせた。いつだってヤマトは一番強いが、今日に限っては、相手が悪い気がする。
「てめえ…俺の目の届く範囲で、こんな派手に殺人未遂か…確保確保確保…確保!!」
ヤマトの殺気が高まりすぎるくらい高まる。訂正、いくら犯人とはいえヤマトを殺人犯にさせないように、男を守る方がいいかもしれない。しかし男も男で、本当に楽しそうだ。腕に自信でもあるんだろうか。だとしたら余計まずい。ヤマトを刺激してしまう。
「ん…お前、いつかの変態じゃねえか」
「…あ?」
何こいつ、さっと背中に隠れたキサの前に立つエミヤをヤマトが注意深く見る。エミヤは当然、ヤマトなど覚えてない。しばらくエミヤを見ていたヤマトが、つまらなそうに鼻で笑った。
「犯罪臭さが抜けたな…なら、巻き込むわけにもいかねえか。市民安全市民安全…なら、もう、これしかないよなあ」
ぶん!!
「「「は」」」
男がまるで風のように飛んでしまい、気がつくと男はパトカーにめり込んでしまった。
「ひゃああああああ!!」
静寂の中悲鳴を揚げたのは、震えながらパトカー内で待機していたヤマトの上司だった。今までで一番震えている、泣きそう、というかもう実際泣いていた。
「ヤマト君、どうするの、これ、どうしちゃうのこれ!!」
「すいません、手が滑って」
「嘘つくの下手だね君!ああもう、殺人未遂確保したのはいいけど、この人、死んでない!?大丈夫、だいじょうっ」
一瞬だった。気を失うどころか絶命してもおかしくない男が刃物を振り上げ、ヤマトの上司に襲いかかる。ヤマトより一瞬だけ早く動いたのはサクで、かばうように前に出て、思い切り体を貫かれた。
叫びかけたコズエの悲鳴は止まった。血が吹き出すこともなく、立ち尽くすキサを見て、男は震えていた。
「み…見つけた…見つけた見つけた見つけた!人形め!!」
男が悦び包丁を振り上げるが、その腕はヤマトに蹴り上げられ、男は今度こそ完全に気を失った。ほどなくして応援が駆けつけ、男と、ついでに気を失ったヤマトの上司も運ばれていった。あっと言う間の出来事だった。
「おい、どういうことだ。何が一体どうなってる」
エミヤがサクに詰めより、彼女に戦慄が走る。が、それはすぐに収まった。本当に、これは、エミヤだろうか。あの疎ましき主人だろうか、あんなに怖かったのに、こうしてみると、ただの美形だ。
「すいません、捜査のことは口外出来ないことになっておりまして」
ヤマトの背中の後ろに引っ込められ、それにコズエも引き込まれる。キサが心配そうにこちらを見たが、エミヤに首根っこを掴まれた。
「馬鹿馬鹿しい、帰るぞ」
「う、うん。コズエちゃん、大丈夫?」
「うん、大丈夫。ありがとう…あ、あの、ありがとうございました!」
「いや、大したことはしてないよ。気を付けて」
笑顔でキサと手を繋いだエミヤが帰っていく。コズエもサクと似たようなことを感じていた。キサの恋人は、あんなに優しそうな人だっただろうか。いや、今はそれよりも-
「もうここは何もなさそうだな…帰るぞ」
「あ、あの、彼女を送ってもいいでしょうか」
「ああ、じゃあ、よろしくな」
「ああはい………え!?」
サクと思われる少女がノリツッコミのような真似をした。コズエもそれほど反応が大きい方ではないが、ヤマトの行動はさすがに驚いた。普通、帰るだろうか。
「え、えと…私…じゃなかった、僕で良かったら、送るよ」
「あ、ありがとう…じゃあ、良かったら、少し話さない?サク君」
「へ?」
ばれてた-帽子と眼鏡がずり下がったサクの向かいで、コズエが小さく笑った。
サクがそろそろと自室に近づく。一応連絡は入れたが、思ったよりずっと遅くなってしまった。怒られるかもしれない、そーっと部屋に入ると、クドウが笑顔で迎えてくれていた。
「お帰り」
「た、ただいま」
「ヤマトとデートしたんだって?その後、女友達と話してたなんて…友達がいてほっとしたよ。どんな話したんだ?」
「え、えと…」
猫のように膝のように抱き上げられ、頭を撫でられる。今日は色々あって疲れた。このまま甘えたいのは山山だが、今日は話すべきことがたくさんある。
「あの先生…実は話したいことがあるんです」
「そうか。僕もだ」
「え?」
すごい資料の量だ、これ全部クドウが一人で集めたんだろうか-どうやって-いや、今は。サクが座り直し、クドウが差し出す資料に目を通しては、顔を上げることを繰り返し、そしてようやく顔を上げた。
「少し情報を整理して分かったことがあるよ。ひき逃げされた人間は、ここ一ヶ月の間にみな健康診断を受けている。みな、超健康体だ」
「…え?」
「だから、臓器狙いなのは間違いないかもね。だから、君は狙われなかった。そして、コズエちゃんは、最近健康診断をしていない」
「でも…被害者の中には、喫煙している女子高生もいましたけど」
「若いからじゃない?」
「その理屈だと、コズエちゃんも、健康診断してなくても-」
「そう、そこが分からない」
資料をまとめながら、クドウがにっと笑う。
「人形とそうでないもの、健康診断の結果-この情報量、敵は思ったより厄介かもね。どうしてコズエちゃんが外れているのか、首謀者も分からないけど、そろそろ潮時かな」
「潮時?」
「ひき逃げ事件が激減した…というか、なくなったといった方が正しいかな。拉致した人間が多すぎてもうどうしようもなくなってきたのか、もしくは-何かの成果が上がったのか」
サクはそこまで話を聞いて、あ、と顔を上げた。
「そうだ、コズエちゃんに話を聞いたんです。実は-」
あんな話でなければ、楽しかった、本当に。普通の人間の女の子のようだった。
人形のこと、ひき逃げ事件のこと-彼女がどこまで信じたかは分からないが、他愛のないことのように、色んなことを話した。クドウのこと、トモキのことも話した。話し合った。さすがに自分が性的玩具であること、エミヤのことまでは話せなかったが。
「コズエちゃんの両親が昔、幸福製造委員会にいたらしいんです」
「…何だって?」
「記者らしき男が言った言葉で、始めて会った男だし、もう連絡先も分からないらしんですが…悪い男には見えなかったって。それに、彼女自身、両親のことはほとんど覚えてないそうです」
「そういえば彼女の緊急連絡先は、トモキ君の母親だったね」
「ええご両親は…幼いときに、その…殺されたんだそうです。当時随分話題になって、話し振られたけど、当然、私は、知るわけも-」
クドウにそっと頭を撫でられ、サクは我に返った。
「す、すいません」
「いや、大丈夫。なるほど…仮定が出て来たな」
「仮定?」
「ちょっとまだ、証拠が足りなすぎるけどね」
胸が熱い、コズエが高鳴る心臓を押さえながら、窓から月を見る。サクと色んな琴を話した。今でも信じられないが、あんなに可愛い子なら、人形といわれてもおかしくないかもしれない。
おまけにその人形の臓器を作る為に、次々と人間を殺しかけては拉致って実験してるかもしれないなんて-どこまでが嘘で、どこまでが本当か、もうわけが分からない。夢みたいだ。
なんだか知ってはいけないことを知りすぎてしまったようだ。トモキに怒られてしまいそうだ、高鳴る胸を押さえながら、コズエが電話を手に取る。なんだかトモキの声を聞きたい。叱られたっていい。
ふとチャイムが鳴る。トモキかもしれない、喜んで出て行ったコズエは、出たことをすぐに後悔した。
(誰…?)
知らない顔、扉を少し開けただけなのに家の中にずかずか入ってくる。誰だ、誰だろう。女の人だ。自分より少し年上だろう、とても綺麗だが線の細い人で、わがもの顔で座り込んで、にこりと笑った。
「はじめまして」
「は、はじめまして」
律儀に挨拶を返し、コズエは彼女をじっと見た。はじめましてーやはり、というのも変な話だが知り合いではない。なら一体誰だろう。
「お名前は?」
「え、えと…」
「ふふ、そうよねごめんなさい。知らない人に名乗っちゃいけませんって、小学生のときに習ったわよね」
「いえ、あの-」
そんな理由ではなく、コズエは普通に戸惑ってしまった。始めて会う、おまけにコズエの名前も知らない、なのに、この人は何の用で尋ねてきたのか分からなかったんだ。
「私ね、もうすぐ死ぬの。血液の病気なんですって」
「………え?」
「でも、貴女はそんなことない。不老不死だものね。人形だものね」
がたん、とコズエが壁に倒れるようにもたれかかる。何を言ってるのか全く理解が出来ない-自分が『人形』?何の話をしているのか、分からない。
「ねえ、見せて、人形の証拠を」
「ひっ」
女が服の下に隠し持っていたナイフでコズエを軽く斬りつける。じんわりと流れてくる、少量の暖かい血。それを見ると、女は、あら、と無感動に呟いた。
「なんだ、人間じゃない。ひき逃げで無事だっていうから、あなた、人形かと思った」
「あ、あの…」
「じゃあ、あなたの横に人形でもいたのかしら?ねえ」
「えと…」
自分が被害にあったときに、助かったのは自分だけだ。彼女が探しているのはもしかしてサクだろうか-そう思った瞬間、ぞっと背中が凍った。彼女がサクに会ったら、何をする気だろう。
「し、知りません。何を言ってるのか分かりません」
「そう…まあ、何だっていいわ」
女がそっと身を引く。帰ってくれる-ほっとした瞬間、また絶望にたたき落とされた。女は再びコズエを壁に押しつけ、刃物をかかげた。
「まあ、何だっていいわ。私より先に、死んでくれたって何でもいいわ」
「 」
トモキを呼ぶ声が、パトカーと救急車のサイレンに消える。連続ひき逃げが終わったかに思えた途端、今度は街で連続殺傷事件が起こり始めた。しかし注意を呼びかける声には、コズエには届いていなかった。