序章・後編
「ただいま」
それから更に数日経ったある日、返事がなかった。電池が切れたのだろうかと思ったが、いつもいるベッドの上にいない。さてはかくれんぼか、と家中探したがどこにもいなかった。
恐怖が一気に走り、空き巣のように家捜ししたが、どこにもいなかった。どこにもいてくれなかった。慌てて玄関まで走るが、軟禁していたため、彼女の靴なんて元からなかった。
まさかーまさか、とじっと嫌な汗が吹き出てきた。まさか今まで、全部夢だったんだろうか。あまりにも幸せすぎたから。しかしそういう現実逃避も許してくれなかった。彼女と激しく愛し合った後が、風呂場にまだ残っていた。
次に出てきたのは誘拐の可能性だった。あんなに可愛いんだ、もしかしたら、押し売りの営業にでも見つかって、そのままさらわれてしまったかもしれない。急いで警察に電話したが、すぐに電話を切った。どうして氏名が分からないと探せないんだ。体の特徴ならいくらでも覚えているのに。
駄目だ、警察は役に立たない。今頃、俺を探して一人で泣いている。慌てて外に飛び出した。携帯電話も持たしていない、外に連れて行ったこともないから、どこをどう探していいか検討もつかないが、とにかく走り出した。
足が棒になってもまだ探し続けたが、どこにもいなかった。金を持たせていないからそう遠くには行けないはずだが、町内をくまなく、しつこく何度も探し回った。
体力がとうに底をつき、部屋に戻ると倒れこんだ。どこに、どこに行ってしまったんだ。どこに。
その日から毎日会社が終ると明るくなるまで彼女を探していたが、見つからなかった。懸命に働きすぎて、気がつくと会社でそれなりの肩書きがつき、仕事も忙しくなり、体力的にも精神的にも限界だった。
外を探すことを止め、毎日部屋中ひっくり返し続けた。彼女のことで何かしていないと、夜が怖くて仕方がなかった。
しかし更に数日が経つと、もうそれもしなくなってしまった。愛すべき彼女もおらず、探す気力も体力もなくなってしまい、体の中全部空洞になった気分だった。生きている実感が全くない。彼女がいないとき、どうやって生きていたか、呼吸の仕方さえも忘れてしまいそうだった。
死のうか、と、ぽつり、と考え始めていたら、枯れていた目が一気に見開いた。
いた。
見つけた。やっと見つけた。
「…こんなところにいたんだね」
「…え、だ、誰?」
可愛そうに、設定が飛んでる。早く設定し直さなければ。
「さあ、早く部屋に帰ろう」
「何…ちょっと痛い!何よ、離して!誰か!誰か助けて!!」
ああ五月蝿い五月蝿い。声も変えて、制服まで着せて、軽く化粧までさせてる。俺の天使を勝手に設定変更させて。どこの誰か分からないが、絶対許さない。
いや、今はとにかく、渇望していた彼女を愛する方が先だ。
「い、嫌、離して!!」
よかった、嫌がり方は変わっていない。心底ほっとした。ここの設定が一番苦労したんだ。
「いいから、おいで」
「嫌、お願い止めて!!」
嫌がり、暴れ、叫ぶ彼女の両足を無理やりこじ開けると、彼女がいっそう暴れた。随分激しく設定し直されたものだが、こちらも久しぶりで、力は負ける気はしなった。随分久しぶりなものだから、息が荒ぶり、呼吸が苦しいくらいだったが、この後待っている彼女との繋がりを考えると、どうということはなかった。嫌がり暴れる彼女を押さえつけ、衣服を引き裂き、足元をこじ開けた。
「お願いっ…嫌…、シュウちゃん!シュウちゃん!!」
泣くように叫ぶ彼女を、今までの分補うように、夜が明けてもまだ愛し続けた。やがて最初に設定したような声にようやくなってきた頃、ようやく俺も少し落ち着いてきた。
だらり、と失神した彼女が倒れ、俺の額から汗が流れた。
誰だ。これは。
じわり、とかすかに香る血の匂い。体毛。丸みを帯びた体。汗の匂い。涙の跡。今まで触れていた手からは、明らかに人形のものではない体温があり、人形から溢れるはずのない密が月光に照らされ、厭に光っていた。
走るように風呂に向かい、一気にシャワーを浴びた。手先が震えている。いくら似ているとはいえ、人形と人間を、彼女を、愛する彼女を間違えてしまった。
彼女を愛していなかったんじゃないかと責められ、笑われる声が耳の奥から聞こえる。耳を塞ぎ、へたりこみ、冷水を浴び続けた。
パソコンのスイッチを入れると、ネット検索を開始した。
風俗関連のサイトで、彼女に似た子がいないわけでもなかったが、すぐにページを閉じた。どうせ不要な肉がつき、不要な体毛が体を覆っている。やはり人間は駄目だ、問題外だ。今は幼くても、あっという間に、こんなに無駄に成長する。今の子供の成長は早いというから、尚更だ。
人形を探していく。類似商品はあったが、どう見ても人形だし、オーダーメイドなんてどこもやっていない。彼女はどこにもいない。
それでも懲りずに人形情報をずっとネット検索をかけていくと、ある掲示板に辿りついた。流し見をしてまた移動しかけたところだったから、その記事を発見したのは奇跡に近かった。
投稿者:2727つうな さん
ネットで通販した、僕のエッチな人形が家に置いてたはずなのに、どっか消えてたんですよ。まあ、ちょうど飽きてたからよかったんですけどね。どこいっちゃったんだろうなぁ。
回答者:あくあまりん さん
私もエッチな人形買って、すっごいラブラブしてたんですけど、どっかにいっちゃったんですよ!高かったのに!ハーフっぽくて超格好良かったのに!返してよお(泣)(泣)(泣)
回答者:厨二@さくらんぼ
人形なんかじゃなくて、僕とよっこらセックスしようwww
回答者:ふわふわふー
風俗いけ馬鹿ー俺もいきたいから一緒にいこー
悪戯、暇つぶしのような記事も多かったが、性的目的の為の人形を買った後行方不明になったという記事が数件あった。記事を真似たものかもしれないが、確実に一人はいる。しかし、同じところで買ったか、あのように緻密でよく出来た人形だったか定かではない。もしかしたらビニール人形か何かで、家族や恋人に捨てられた可能性もある。
そうか、掲示板か。掲示板は盲点だった。その後も掲示板で、人形情報を隈なく探していくと、何かに急かされるように印刷をかけた。
一見主婦同士の掲示板だったので、全く関係ないかと思っていたら、そのうちの一件が、今まで見た中で一番有益な情報だった。
投稿者:MS
今月上旬に、インターネットで見ていた人形が届きました。細かすぎるくらいのオーダーメイドで値段も高かった為、そのまま注文は止めたんですが、翌週くらいに、なぜか人形が届きました。
亡くなった息子そのものでした。本当に息子が帰ってきてくれたようだったんですが、いつまでも料金催促はこないし、送り主に問い合わせてもいつも不通でした。
最初は少し怖かったんですが、慣れてしまうと、息子がいてくれた毎日が甦ってきました。本当に毎日毎日幸せだったんですが、ある日、その人形がいなくなってしまったんです。
ご近所の目もあるし外に出したことはないし、主人とは離婚しておりますので隠したり捨てたりする家族もおりません。人形なので警察にも届けられず、あちこち探したんですが、どこにもいないのです。
物音がしたので振り返ってみると、気を失っていた女が、震えながらこちらを見ていた。そういえばいたんだった。
「もう帰っていいから。通報するならどうぞ。人違いだったんだ」
そういってまた記事を読み返していると、頭にカバンを投げつけ、女はそのまま部屋を出て行った。もう痛くもなかった。
ページを閉じるところだった。記事をもう一度読み直し、何度も何度も、頭の中で繰り返す。ざわざわと、耳の奥の器官が鳴った。悪戯や冷やかしで書いたにしては、自分とあまりにも境遇が似ている。文章も丁寧だ。
もうこうなったら最悪悪戯でもアリだと彼女と連絡を取ろうとしたが、彼女自身の存在がサイト上消されていた。何が問題ある投稿者だ、おかしいのはお前たちの方だ。
間違いない。人形を送りつけた上で奪った奴がいる。間違いなく、この世界のどこかに。恐らく国内、更に言えば、都内かもしれない。
絶対に許さない。絶対に報復し、そして、俺の天使を必ず取り戻す。
仕事も辞めない。部屋も引っ越さない。ここで、彼女の服を用意して、ずっと、ずっと待っている。いつまでも、いつまでも。