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 美雨と再会してから、僕は彼女と出歩くようになった。

 夏休みの課題はあまり出ない学校で、七月中にほとんど終わってしまったからだ。美雨がいなかったらきっと、ひたすらゲームをするだけで、僕の夏休みが終わったかもしれない。


 友人の家に遊びに言っても、たぶんやることはゲームだろう。

 何せ、この暑さ。

 出歩くのだけでも結構辛い。

 ずっとエアコンがかかった部屋にいたい。


「今日はどこにいくの?」

 そんな中で、美雨はとても元気だった。僕とこうして一緒にいられるのが、嬉しくてたまらないと言った様子を、まさに全身で表しているような感じだ。幸せさに満ち溢れている。

 そんな彼女を見ていると、僕は嫌とは言えない。

 だから決まって、美雨の好きなところでいいよと僕は答える。

「じゃあ、今日は……」

 美雨はうーん、と頭の中で地図でも広げているのか、しばらく目を閉じて悩む。そして適当な場所に向かって一緒に歩き出す。公園だったり、ショッピングだったり。いろいろだ。

 僕は彼女に振り回される、それに対して、これという怒りはない。自分で望んだことに怒るとかバカにもほどがあるだろうし。けれど……怒りではない何かの気配を、僕は感じていた。

 美雨に流されるまま、彼女と一緒にいる。

 それは、思うと昔の自分とさほど変わらない状態だった。あの頃よりも、さらに流されているような気さえする。まだあの頃は、僕自身も彼女が望むものを望んでいたから。

 かすかなひび割れの気配を、僕は感じていた。時折、彼女の『流れ』に反することをした瞬間に身体にちくりと突き刺さる感覚は、日ごとに強さと長さが増大する一方だ。

 それはあの時の――トイレに入ったフリをしていた時の感覚。



 ――明確な美雨への恐れ。



 僕の直感は叫んだ。

 美雨から離れるべきだと。もうすぐ彼女は『変わる』と。

 けれどもう一つの直感はそれを否定する。お前は美雨が好きなんだ。だからいろいろ考えすぎてしまうのだから、今は彼女のそばで想いをしっかりと噛み締めて感じるべきだと。

 そのどちらも選びたいというのは、きっと僕の我侭だろう。

 過去を繰り返すだけの未来は要らない。けれど美雨と一緒にはいたい。


 許容と拒絶。


 そのどちらも選べないまま、気づけば夏休みは残りわずかだった。宿題も無く、ただ美雨に誘われるままに遊びに行くだけの日々に、両親はなぜか意味深に笑っているだけだった。

 今まで男友達しかいなかった息子に、突然中のいい女子が現れた。だから、いろいろと邪推して勝手に楽しんでいるのだろうと、その頃の僕は単純に考えていたのだけれど。

 その笑顔の種明かしは、母の一言から始まった。


「あんたにも、やっと彼女ができたのねぇ」


 一瞬、母に何を言われたのかを、僕は理解できなかった。

 何気ない朝食の時間。テレビでは最新ニュースが、声高に紹介されている。さっきまでそれについて父と話していたはずだ。いつの間に、母は僕に話を降ってきたのだろう。

 母は、いや両親は、さも事実であるかのような口ぶりで続ける。

「美雨さん……だったっけ? 昨日、その子のご両親が挨拶に来たのよ。娘がいつもお世話になっていますって。義父さんと義母さんのところで知り合った子だったのねぇ、美雨さん」

「色恋に興味が無いお前が、まさかなぁ……」

「ちょ……ちょっと待ってよ。何の話?」

「あらあらとぼけちゃって、この子ったら……」

「見たところよくできたお嬢さんのようだし、大事にするんだぞ」

 そして両親は、他愛の無い芸能人の話題へと移っていった。誰それが結婚しただの熱愛発覚だので盛り上がるが、僕はと言うとどんな話題など吹っ飛ぶほどの衝撃を受けていた。

 二人は、何を言っていたんだろう。

 確かに美雨は好きだけれど、それが親愛なのか恋愛なのか僕はまだわからない。彼女から向けられる想いは、間違いなく親愛以外の愛なのだろうとは思うけれど。

 というか、美雨の両親がうちに来た、とはどういうことか。

 必死に頭を働かせ、浮かんできたのは――美雨の微笑みだった。あの、無邪気さの奥に何を孕んでいるのかわからない、なのに気がつくとついつい見惚れてしまう微笑みだ。


 あの笑みの底で、彼女は何を考えていたのだろう。

 僕を連れまわした美雨は、何を望んでいたのだろう。


 まさか、美雨はこういう展開を、頭と心に描いていたのだろうか。

 周囲からゆっくりと既成事実を作り上げ、僕が逃げないように取り囲む。ついでに首に縄でも引っ掛けてしまえば、もう僕はうかつに動くこともできない。

 動くほどに首の縄は締まり、網は確実に狭まって身動きもできなくなる。

 夏休みも、あと一週間も無い。このままの調子で学校が始まった後を思うと、今は絶望しか見えなかった。美雨は学校でも変わらないだろう。周囲がそう思うよう、動くだろう。

 そうなったら、僕はもう逃げられなくなる。

 僕は、初めて美雨に恐怖した。

 いや……前も、それに似た感情を抱いた気がする。

 だが今回は、それの比どころではない。あの頃は二人だけの秘密ですんだ。たった二人だけの世界だったから。今は違う。僕と彼女を取り囲む世界は、とてもとても広く大きくなった。

 あの頃は、そして今までは適当でも許されたものが、もう許されない。

 引き返すなら今のうちだと、誰かが囁いた。

 食事を終えて部屋に戻った僕は、充電済みの携帯を握る。

 手早く美雨を呼び出すメールを作成し、送信した。


「……はぁ」

 ため息とも安堵とも取れる空気を吐き出す。


 僕は、僕にできる、いや僕にしかできない最後の手に出ることにした。今まではなぁなぁで済ませてきた全ての清算。流されるままになっていた事柄を、改めてきっちりする。




 ……そう、僕はもう一度、美雨を拒絶することにした。 

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