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 僕は高校生になった。

 もう僕は、祖父母の家には行かない。

 美雨がいるからじゃない。


 確かにそれも理由の一つだったけれど、一番の理由は、祖父母がもういないからだ。


 それは彼女を拒絶した、数年後の冬だった。いつに無く強い寒さに襲われた日、二人の家は炎に包まれて全焼。焼け跡から二人の遺体が発見された。ちょうど、寝室の位置だった。

 原因はストーブからの出火だという。洗濯物をすぐ前に置きっぱなしだったのか、何か故障していたのか。その辺の詳しい事情を僕は聞かされていない。

 ちなみに死因はどちらも一酸化炭素中毒だったという。生きたまま焼かれなかったことだけが救いだと呟いた、葬儀での親類たちの静かな言葉は、今もはっきりと覚えている。

 二人の墓は隣の県に住む親類の土地に建てることにして、焼け跡や畑は全部どこかに売り払った。葬儀も親類の自宅近くで行い、僕や家族があの場所にいくことはなかった。

 そのことに言葉にできないささやかな安堵を覚え、いつしか美雨との楽しかった頃の思い出さえも記憶の片隅にある箱の中に押し込んで、無かったことにして過ごしていった。


 美雨の最後の涙と、言えなかった言葉。

 箱にしまえなかったそれらを抱えたまま、僕は中学から高校へと進学し。

 ――また、夏になった。




「暑い」

 空を見上げて文句をこぼすも、気温も湿度も下がってはくれない。

 とうとう夏休みが始まって、僕はこれからどう過ごすかを考えていた。そして、それ以上に話題に上ってしまう彼女のことを、どう乗り切るべきか悩んでいた。

 今は亡き祖父母がいた田舎で仲良くなった少女・美雨。

 その話題は、生前の祖母を経由して両親に知らされていたのだ。お陰で未だに、愛に言ったらどうだとか言われる。確かに、僕にできた異性の友人なんて、今のところ彼女だけだ。

 ……いや、彼女は友人だったのだろうか。

 友人にあんなことを、ましてや女の子がするのだろうか。

 少女というものは、あの手の行為は選び抜いた相手とだけ交わす夢を見ている――というイメージがあるから、未だ美雨の行動の意味が分からないでいる。しかし尋ねる相手もいない。


 彼女は、何を思ってあんなことをしたのだろう。

 彼女にとって僕は、本当に『友人』だったのだろうか。


 一つだけ分かることは、僕は彼女に何かしら特別な感情を抱いていたことだ。それだけは何年も経った今でさえ、否定できないほどの存在感を伴い、心の片隅で静かに眠っている。

 目覚める日は来なくとも、僕は美雨に強い感情を向け続けるだろう。

 それが何なのか、わからなくても。

「……帰るか」

 空を見上げるのも、暑さに対する苦情を呟くのにも飽きた。

 呟けば雨でも降ってくれるなら、夜はそこそこに涼しく過ごせるのだが。あいにく、僕に雨乞いの能力は備わっていないらしい。カバンを背負いなおし、僕は前を向いた。

 すっかり見慣れた通学路。まっすぐに伸びる狭い道。

 その、ずっと向こう側から誰かが来るのが見えた。

 白いワンピースに、白い日傘。年恰好は分からないが、たぶん若い。その肌は太陽光の全てをはじき返しているかのように白く、すらりと伸びた手足はまるでモデルのようだった。


 遠目でも言い切れる。

 彼女は、間違いなく綺麗な人だ。

 もちろん顔はまだ見えないけれども、心がそう確信した。


 僕は少し歩く速度を速める。すれ違いざまに、日傘が落とす影で見えにくいその顔を、ちょっとだけ覗き見たくなったからだ。僕だって一応は男だ。女性への興味は、それなりにある。

 ワンピースは無地ではなく、うっすらと花の模様が描かれていた。桜のような淡い赤。足元は白いサンダル。確かミュールというやつだったと思う。かかとはあまり高くない。

 左右にゆらりゆらりと揺れている、大体腰ぐらいの高さまで伸ばされた黒髪。

 まるで宝石のように艶やかで、少し触ってみたくなった。

 女性ではなく少女だったその人は、薄紅の唇に笑みを浮かべている。どこかで見たことがある綺麗な笑みだった。少しはにかんでいるようにも見え、満面の笑みのようにも感じて。

 記憶の隅に追いやられた小さな箱が、かたんと存在を主張する。


 ――僕は、足を止めた。

 ――彼女も、足を止めた。


 僕と彼女の間は何メートルかある。手は届かない。

 けれど、声は届く。



「久しぶり、だね」



 彼女はそう言って、日傘を少し傾けた。顔に落ちていた影が消え、そこに以前の儚さと美しさをそのまま残し成長した彼女が、僕を見つめて、昔のように微笑んでいる姿が現れた。

 最後の姿よりも少しだけ大人びた、けれど昔と同じ儚さを漂わせる美雨。長い黒髪を風に乗せて躍らせながら、彼女は小走りに僕の元へやってきて。そして。


「やっと、やっと会えた」

 ――僕をぎゅっと抱き締めた。


「大変だったのよ……がんばったけど、帰ってこないんだもの」

 そうするのが当たり前のことであるかのように、ゆっくりと重ねられる美雨の唇。

 何年も昔、僕を縛り付けた感覚が、また僕の動きを奪っていく。

 今度は、ただ重ね合わせるだけだった。

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