前編
散りばめられた宝石のような輝きが、大都会の夜景を彩っている。その発生元となっているのが幾多にも建てられた摩天楼だ。エレベータがどれだけ上昇しても、その図体は視界から消えることはない。果てしなく高々と聳えるコンクリートの木々に、私は思わず呟いてしまった。
「何で人は高いところで暮らしたがるんでしょうね」
「偉くなりたいんやろ。ほら、見てみ。人が米粒みたいに小さく見えるで。こうやって人間を見下ろすことで自分は偉いって皆勘違いしたいんや」
応えた声の主はお茶の間の大スター、丙午ウタゲ。当時は若冠二十四歳にして、新たな世代のカリスマとして名声を轟かせていた。
この頃の彼女は稼いだお金を資金にして、様々な事業に手を出していた。オリジナルコスメ、ファミリー向けスイーツ、動画配信サービスでの有名配信者名鑑。そんな数々の成功ブランドの影に、ちょっと奇抜な高級料理店があった。
その名も鮨焼肉-ウタゲ-。
エレベーターが最上階まで上がって扉が開く。大理石の漆黒の床と壁を少し進むと、高級杉で作られた温かみのあるカウンター席が待っていた。両側はガラス張りになっていて、大都会の夜景が一望出来る。シックでモダンな雰囲気を漂わせていた大人の空間だ。
「さあさあ、ここがうちのプロデュースしたお店。高級鮨焼肉ウタゲ。本店やあ」
「うわあ。久しぶりに来たよ。ハッピーお腹ぺこぺこ」
呑気に呟いたのは、私の隣の席の一つ向こうの席に座っていたハッピーという芸名の女の子だ。オープン前の試食会として三人で食べる事になっていた。
「見てみい、両手にイケメン、否っ、職人や」
ウタゲがカウンター内に入り込み、白衣を着た二人の職人の脇を両腕で抱え込む。二人とも恋愛ドラマで主人公を演じられそうな、若くて顔立ちの整ったお兄さんだった。
「有名店で修業をしてる若者をスカウトしたんや」
一人は寿司職人でもう一人は焼き師だった。要するに、このお店は寿司と焼肉を同時に楽しむことが出来る店だった。本当に文字通りの意味でだ。
「では、いつものコース。よろしく頼むで」
「はい、ウタゲ様。承知しました」
綺麗な赤い肉の塊を焼き師が持ってくる。白色のマダラ模様の脂の筋が入った紅色の肉の塊を、焼き師の彼がスムーズに切り落とす。カウンターの真ん中に備長炭が燃える網棚が設置される。切り落とされたロース肉が網の上に置かれて香ばしい匂いを放ち始める。食欲が溢れ出す。
その隙に今度は寿司職人がマグロのサクをを取り出した。そこから、これまた美しい脂の筋が平行に通った薄紅色の身を切り取って、手際良くシャリを握って寿司にする。これだけでも美味しそうだ。
しかし、鮨下駄に大トロの握りの上に薄く切ったロース肉を半分に丸め、その寿司の上に肉が置かれたのだった。特性の醤油ダレを刷毛で肉の上に一塗りして鮨焼肉が完成する。
「特上ロースと大トロの握りです」
「うちの鮨はな、肉と魚のネタ二つ重ねの寿司なんや。魚料理の王様の鮨と肉料理の焼肉を両方一度に一口で食べたらどうなるんやろう。そんな欲望から生まれたのがこの重ね鮨なんやで。さあ、冷めないうちに食べぇや」
この時はまだ、焼いた肉と刺身を同時に口に入れるのは抵抗があった。肉と魚が喧嘩してしまうのではないだろうか。しかし、それは愚問だった。恐る恐る口に入れて噛んでみる。すると、柔らかいロース肉と大トロがいとも簡単に噛み切られ、中から牛と鮪の脂の旨味が濁流のように溢れ出した。
まるで雪が解けるかのようにその身は脂のジュースへと変わる。嚙んでも噛んでも治まらない脂汁の泉。これだけだと少し大味なのだが、甘辛い醤油ダレと本わさびの辛みと爽やかな辛みと赤酢のシャリのまろやかな酸味が、暴力的な脂の旨味を上手にまとめ上げていた。
胃の中に消えていくのが惜しく感じる。一口でこんなにも満足させられる料理に、私は今まで出会った事が無かった。
「アカン、ほっぺなくなってもうた」
「大丈夫だよ。ウタゲさん、ちゃんとここにありますよ」
ハッピーがウタゲの柔らかい頬を摘まむ。
「ホンマヤ、うますぎて体の感覚おかしくなってたわ」
おどけて得意そうなウタゲさんを私は見た。こんなにも美味しい料理を口にして、呆然としていた私と違い、彼女は冗談を言う余裕さえある。流石に住んでいる世界が違うと感じた。
「これがうちの名刺代わりや。重ね食いなんてはじめてやったろ。ビックリしたか。どうや、くどくなかったか」
ウタゲから声を掛けられ、私は正気を取り戻した。
「いいえ、肉質が良いから変な脂っこさは感じませんでした」
「そうやろ、牛肉は質のいいものを出す農家と直接契約しているし、魚介は卸売業者が見極めた鮮度抜群のものを取り寄せてるんや。他では、こんなに美味しいものは絶対に食えないでぇ」
つまみに蛸の入った三色ナムルが提供され、お猪口に白ワインをブレンドした日本酒が注がれる。
「握りはどんどん出てくるから、一旦、これでお口直しや」
人参の橙、もやしの白、ホウレンソウの緑、唐辛子の赤、茹蛸の紫。カラフルなナムルをつまみながら日本酒を嗜む。日本酒は白ブドウのフルーティーな香りがあって飲みやすく、三人は酔いが回って気分が高揚していく。
「凄いですよウタゲさん。私じゃ、きっと何年経っても、こんな風に凄いお店をプロデュース出来る立場になれませんよ」
私は興奮しながら叫んだ。ウタゲはしみじみと頷く。
「せやな、うちと同じ事が出来る人間は早々おらんやろうな」
「ハッピーはウタゲさんはビッグになるって最初から思ってたよ」
「いやいや、うちやって最初からこんな立場になれると思わなかったで。仰山、失敗を繰り返してきたんや」
そんな風にウタゲがぼやき、彼女のこれまでの歩みを振り返り始めた。
丙午ウタゲは、政治家の末っ子次女として産まれた。代々続く地方の世襲政治家のそれなりに恵まれた上流階級の家庭であり、兄や姉もそれに倣って公務員として安定した人生を送っていた。しかし、ウタゲにとっては誰もやった事の無いような業種に挑戦して、誰もがうらやむ成功者になりたい気持ちの方が大きかった。
彼女は常日頃から、面白い物は無いかと様々な情報を収集していた。やがて、インターネットの仮想空間でCGのキャラクターを使い、自身の動きに反映させながら動画投稿をする人がいる事を知る。俗にいうバーチャル配信者というもので、インターネットで全世界の人から注目を浴びながら、キャラクタービジネスも行える。ウタゲのアンテナがピタッと反応した。
「そんな感じでバーチャル配信者をしてくれる人材を募集していた企業に応募したところから、ウチの本当の人生が始まったんやな」
そんな事をウタゲが喋っていた時に、二貫目のウナ牛こと鰻とカルビの握りが出される。特上のカルビの上にしっかりと焼きの入った鰻が甘辛い秘伝のタレ付きで鎮座する。柔らかくも香ばしい鰻が、脂っこくてジューシーなカルビと交じり合う。噛むごとに牛肉と鰻の風味が広がっていく奥行のある味わいに感動させられた。
「ウチのウナ牛は牛丼チェーンなんかとは比べ物にならんやろ」
ウタゲさんが自慢げになるのも頷ける。
ウナ牛を食べている間に三貫目が用意された。海苔がシャリを包み込み、その上に少しレア目に炙ったモモ肉のユッケと雲丹が乗っている。ピンクとオレンジが暖色で見栄えが良い雲丹ユッケの登場だ。
食べるとまず濃厚な雲丹の甘みが広がり、続いてさっぱりとしたユッケの旨味が爆発した。焼き海苔のパリっとした触感も良く、重量感のある味が舌を思慕させられた。
「やっぱり、高級食材で言えば定番の組み合わせだけど、美味いな」
「本当、どの食材も芳醇で全く飽きが来ませんね」
「そうやで、一生懸命生きてきた自分に対するご褒美。それこそがこの店の存在価値なんや」
納得そうに頷いているウタゲを、私は昨日の事のように思い出すことが出来る。




