4 ピアモンテとミノリータ
美乃は、ピアモンテが手にしているものを酷似した黒い斧を、肩にかけるようにして持っていた。けだるそうに小首をかしげ、俺たちを眺めている。
カフェの店員やほかの客たちが、騒ぎ立てることもない。もしかしたらすでに、操られているのかもしれない。
美乃も操られている、のだと、思いたいが──刺叉ではなく斧だということ、ピアモンテをピアと親しげに呼んだということ、そしてなにより、俺のなかの記憶が、それを否定していた。
妹、という存在。
改めて考えると、おかしい。
妹という単語を俺が口にしたときの、豪の反応。そして、家で少なからず感じていた違和感。
そうだ、こいつは、妹なんかじゃない。
俺には、妹などいない。
「来たな、ミノリータ」
すぐに俺の手を払いのけ、斧を手にすると、苦々しくピアモンテがつぶやく。
ですよね、そういうことですよね。
操られてたのは、俺の方ってことか。
「ありゃ、その顔。お兄ちゃんってば、もう状況理解? さすがは黄金の歯、長くは続かないとは思ってたけど、まだ妹のふりして二日めなのにな。まあでも、いいように操られてくれたおかげで、あたしは楽しかったけどねー」
にこにこと笑って、そんなことをいう。妹だと思っていた感情がなくなるわけではなく、気持ちにどう折り合いをつければいいのかわからない。
「お兄ちゃん、だと? 貴様、レータの家に潜り込んでいたのか。なぜそんなことを」
「なぜ?」
ピアモンテの問いに、美乃──ミノリータは、目を丸くした。
「わっかんないの? あんたがキライだからだよ、ピア! ヤマシタレータに高校で演説させなきゃ、黄金の歯がどこにあるかも気づかなかったようなバカなくせに、いつだって自分が正しくて偉いと思っててさ。そんでもって、その胸のデカさ! ほんとキライ!」
ものすごい私情だ。そんな理由で、俺は操られていたのか。
星の行く末がどうの、という次元から、一気に個人のケンカレベルにまで下がって、俺は一気に脱力する。このケンカの結果がゲアンダや地球の未来を左右するのか。なんだそれ。
「二人は仲良し、ってやつだったり?」
とりあえず、聞いておく。根っからの敵同士、には見えない。
「幼なじみだ。だが、思想を違えた敵だな」
……思想、ねえ。
俺はつい、二人の大きさを見比べていた。胸の。なるほど、ミノリータの惨敗だ。
「ちょっと! どこ見てんの! こっちは真剣なの、部外者は引っ込んでてくれる?」
ミノリータが吠える。よほどのコンプレックスらしい。
「部外者とは聞き捨てならないな、ミノ。レータは私の夫となるのだ。そうして私は、ゲアンダの未来を救う。貴様こそ引っ込んでいたらどうだ。いまどき、武力行使で領土拡大など、あまりにもばかげている」
「やってみなよ。こうやってあんたたちを出会わせて、あんたの前でコイツをけっちょんけちょんにしてやるのが、あたしの夢だったんだから」
ミノリータは危険な笑みを見せた。両手で斧を水平に構え、跳躍する。
ちょ、けちょんけちょんにするって……俺か!
「ヤマシタレータ、覚悟!」
「おい、仮にもお兄ちゃんだろ!」
いってしまってから、仮すぎる事実に空しくなる。いや、それでも、兄妹だったはずだ。ひとときであっても。
俺は背を向けて、思い切りダッシュした。うしろであまりにも大きな音。振り返りたくない。つーか、避けられた俺に乾杯。
「一緒にいる間に虫歯にできれば、それはそれでよかったんだよ。でもお兄ちゃんったら、まったく間食しないし食べたあとはすぐ歯磨きだし。ほんとツマンナイ男」
「おまえ、男の価値がそんなところにあると思うなよ」
俺はピアモンテの影に隠れて、そう声を張り上げた。我ながら情けないが、戦うことはできない。心情的な意味ではなくて物理的に。
「レータ、貴様を守りながらの戦闘は不利だ。ここにいる全員が敵だとするならなおさらな。貴様の決断を待つ気だったが、やはりここは、貴様に虫歯になってもらうほかない」
それでも俺を守るように斧を手にして、ピアモンテが淡々という。だから、それがどうしても繋がらない。
「俺が虫歯になる、イコール、あんたの夫になる、イコール、あんたは黄金の歯を手に入れてパワーアップ、ていう図式か?」
「そうだ。賢しいな」
うおお、そうなのか。いってみただけだったのに。オソロシイ神秘。
「させないっていってるでしょ!」
ミノリータが吠えると、彼女の手にした斧が黒く光り出した。それに呼応するように、遠巻きにこちらを見ていた一般人たちの目が光り出す。
「アイラブ!」
「ミノリータ!」
そんな合唱。やめてマジ怖い。
「食らえ! お客様は神様アタック!」
「ご注文は以上でおそろいですかパーンチ!」
「ママ友午後カフェストレスビンタ──!」
次々に襲いかかってくる一般人たち。くそう、なんだ、この魂のこもった攻撃は。
それでも、豪のようにもとがヤンキーというわけでもないからか、まだ避けやすい。避けることしかできないわけだが。
「レータ、マスクだ。マスクを奪え。そして、ヤツらの歯を磨くのだ」
斧で応戦しつつ、ピアモンテがとんでもないことをいう。なんか幼児向けアニメでそんなシーンを見たことがあるような気がしますが本気ですか。
ええい、考えてる場合じゃない。俺は使い捨て歯ブラシの袋を開けると、襲いかかってきた店員のマスクをはぎ取った。携帯用歯磨き粉をひねり出し、すさまじいスピードでそいつの口のなかを磨き上げる。
「これでどうだっ、赤ん坊のころから磨いてましたブラッシング!」
我ながら技名も完璧だ。
「き、きゃああ────!」
「効いた!」
ほとんど信じられなかったが、店員は口から泡を吹いて倒れた。こ、これが俺の力か……!
「やるね、お兄ちゃん! でももう、そこまでだよ!」
ピアモンテとやりあっていたミノリータが、テーブルの上に飛び乗る。そのまま大きくジャンプした。着地と同時に振り下ろされた斧をどうにか避けると、それはフェイクだったのか、今度は胸ぐらをつかまれる。
後頭部に、衝撃。俺はそのまま、床に押し倒されていた。
ごく近い距離に、わずかでも妹だったはずの顔が迫ってきて、俺は一瞬、混乱する。これはだれだ。
「観念してよ。勝てると思ってないでしょ?」
まったくだ、勝てる要素などなにひとつない。そもそもが、人智を超えた宇宙人だ。
「離せ、ミノ! 私の夫に──」
「うるさい! 動くと、お兄ちゃんの口に斧入れて、ゴリゴリしちゃうよ!」
斧入れてゴリゴリ。勘弁してください。
「美乃……一応、ゴリゴリされる前に、聞く権利ぐらいはあるはずだ。どうして、領土拡大にこだわるんだ? というよりも──」
俺は、言葉を選んだ。ピアモンテとミノリータ、二人のやりとりのなかで感じていた違和感を、どうにか形にしようとする。ここでしくじったらオシマイだ。たちまちゴリゴリされてしまう。
「──そうだ、おまえは、ピアモンテに対抗意識を燃やしているだけのように見える。ひょっとしたら、どうでもいいんじゃないか、星のことなんて。それは、スタートラインの時点で、負けを認めているようなもんだぞ」
思わず、諭すようないいかたになった。初対面の宇宙人に対してではなく、妹に対して。操られていたとはいえ、この気持ちは簡単に消えるものではないらしい。
かっと、ミノリータは頬を紅潮させた。図星の合図だ。
「なにを、知ったふうな口を! あたしとピアの間に、なにがあったかも知らないで!」
だから、体型とかそういうののコンプレックスだろう。さすがにこれは口に出さないが。
「自分ひとりでなんでもできる気になって、星を守るなんてくだらない! あたしは、ピアが大嫌い──! イイコぶって救世主気取り、そのために好きでもないよその星の男と結婚するなんて、絶対にバカげてる!」
────っ!
考えるよりも早く、手が動いた。
乾いた音が響く。
俺は、ミノリータの頬を打っていた。
「な……っ」
彼女の目が大きくなる。そこに、うっすらと涙がにじんだ。それでも、いまの発言は許せない。
「おまえが、ピアモンテのことを大事な友人だと思ってるってことは、わかった」
自分で思ったよりも、低い声が出た。驚くほどに、憤っていた。ミノリータがにらみつけてくるが、真っ向から受け止める。
「でも、くだらないは、ないだろう。ピアモンテだって全力でがんばってんだ、そこは認めてやれ。おまえら、もっと話し合えよ。結局は子どものケンカだろ」
ひどく突き放した気分だ。そもそも、星がどうのっていいだすから、話がややこしくなる。
こいつらに足りないのは、腹割って話すことだ。絶対、そうだ。
まったく、女ってのは面倒臭い。
「おい、ピアモンテ。武器しまって、こいつとちょっとしっかり……」
話つけろ、と続けようとして、彼女を見る。
俺は、目を疑った。
ピアモンテは、これでもかと顔を真っ赤にしていた。震える手から、ガランと斧が落ちる。
「き、貴様の気持ちは、良くわかった……。さすがの私も、いまのは、落ちざるを得まい」
よくわからないが全力で照れている。え、俺の気持ち? なに?
「結婚しよう、レータ」
なんで、そういうことに──
「なんで……」
俺と同じ疑問を、ミノリータがつぶやく。くすぶるように口の周辺が光った。みるみるうちに、光が大きくなる。
「なんで、なんで、そうなるの──!」
まるで身体中の思いを声にしたかのように、叫びがほとばしった。同時に黒い光がふくれあがり、爆発する。
「危ない! レータ!」
ピアモンテが俺の腕をつかみ、そのまま床を蹴る。謎の爆風で窓が割れ、身体を丸めてそこから飛び出すと、すっかり日の暮れた道路に転がり出た。
外では、店内の異変を察知していたのか、人だかりができていた。だが、俺たちが出てきたことにより、悲鳴をあげて散っていく。つーか見てたならなんとかしてくれ。いや無理だと思うけども。
「ミノは昔からこうだ、感情の起伏が激しく、すぐに制御ができなくなる。暴走だ。このままでは、チキュウがどうなるかわからない」
「なんだその危険な設定! どうにかならないのかよ!」
叫ぶと、ピアモンテはちらりと俺を見た。頬を染めて、目を逸らす。
うう、そういうことか。どうにかするには結婚ってことか。
「キライキライ、みんなキライ──!」
いまやカフェの壁は壊れ、オシャレさなど微塵も残されていなかった。がれきの山に立ったミノリータの叫びが、そのまま黒い光となって四方に散る。
光は、なかにいたはずの店員や客、そして逃げ遅れた野次馬たちに命中した。黒い渦のようなものが彼らを包み込み、みるみるその姿を変えていく。いつのまにか、ひとの姿であったはずの彼らは、一様に小さな黒い生き物へと変化していった。
ム・シーバだ。
「ミノリータ! 生命体のム・シーバ強制変異は犯罪だ! やめろ!」
「うるさい、うるさいー!」
まさに、聞く耳を持たない状態だ。ム・シーバたちは刺叉を手に、ゆらゆらと近づいてくる。これは、どう考えても、大ピンチだ。
「おまえだって、次期ム・シーバの女王ってやつなんだろ。こいつら、おまえのいうこと聞かないのかよ」
「無理だ。ミノリータの生み出したム・シーバと、私の配下とでは根本が違う。彼女のム・シーバは尾の先が三角だろう。私のはハート型だ」
ああそうですか。
「いまは退くぞ、レータ!」
いまは退く──それは確かに良策に思われた。だが、高校でもそうだったが、このままにしておいて解決する問題ではないはずだ。結局こうやって、また追われる。
そしてやがて、地球人が皆ム・シーバになってしまうというのなら。俺の住むこの星の、危機だというのなら。
ピアモンテをばかにしているわけにはいかない。俺にだって、できるはずだ。
「策はひとつしか、ないんだな」
迫ってくるム・シーバから目を逸らさずに、俺は堅い声で、そう尋ねた。
ピアモンテが、うなずく。その策がなんであるかなど、改めて聞く必要はなかった。
「最初はさ、正直ないな、ってのが本音だったけど。あんた、悪いやつじゃなさそうだもんな」
続く言葉を察したのだろう。ピアモンテが目を見開く。
そもそも、力ずくといいながら、この女は決してそんなことはしなかった。やり方はいろいろまちがえまくってはいたが、俺を待ち、意志を尊重しようとしていた。
いまこの瞬間も、俺を守ることを第一としている。
それが、こいつの星のためだろうがなんだろうが。
そういうのは、キライじゃない。
「歯ぐらい、くれてやる。あのわからず屋に、ガツンと一発お見舞いしてやれ!」
「レータ! 愛しているぞ!」
どさくさに紛れてとんでもないことを口走り、ピアモンテは俺を抱きしめた。なにが起こったのかわからず、俺は硬直する。
てっきり、歯に斧を入れられると思っていたのだが。
これは? どういう?
「では、結婚の契りを──!」
ピアモンテがいう。その言葉が流れ出たピンク色の唇が、俺のそれに近づいてくる。
ち、契り。
どうしてここで、その段取りを。それって必要? いや、必要なら必要でそれはそれで悪くないというかむしろバッチ来いなわけだけだがいやそうじゃなくて──
く、くちびるが。
近──
「────っ」
触れた。
自慢ではないが、初めての経験だ。
恐ろしく柔らかい。かつ、甘い感触。ほんの少し触れただけに思われたそれは、強く深く、俺の唇に押しつけられる。
意識が遠のきそうだった。だが伝わる誘惑は、俺の本能を突き動かした。口を小さく開け、彼女を味わう。お互いに求め合う。細い身体を、強く強くかき抱く。
うわあ、もう、だめだ。
なにも考えられない。
そんな状況ではないことは、頭ではわかっているのだが──この、口のなかに広がる、なんともいえない……
……なんともいえない……
……?
「こ、これが、黄金の……!」
ミノリータの声が、遠くで聞こえた気がした。
俺は、俺とピアモンテを中心に、金色の光が生まれていることに、やっと気づいた。
光が、円を描くように広がっていく。黒いム・シーバたちを、浄化していく。
だが、そんなことではない。
それが目的だったはずだが、結果もわかっていたはずだが、そんなことは問題ではない。
俺は、ピアモンテから飛び退いていた。
「い……っ!」
声にならない、十六年生きてきたなかで、経験したことのない、この──
「痛ぇ────!」
──この、すさまじい、痛さ。
俺は、知った。
これが、虫歯というものか。
*
「歯の数は、二十八本。親知らずも入れると三十二本だが、貴様は二十八だな、レータ。今回、第一結婚の儀により、一本の黄金の歯をいただいた。あと二十七回、それで結婚が成立する」
歯医者からふらふらと出てきた俺を星空の下で出迎えて、ごくなんでもないことのように、ピアモンテはいった。
ああ、もう、つっこむ元気もない。
結婚成立って、要するに俺の歯がぜんぶ虫歯になるってことか。総銀歯とか勘弁して欲しい。こんなところで文化の違いを痛感。そりゃちがう星なんだから、結婚ってのが俺の思ってるのとズレてても仕方がないかもしれないが。
それにしても、あと二十七回、この痛み。
それはない。
「とりあえず、今回の件はこれで収まったんだし、おまえ美乃連れて星に帰れよ。適当に説得してよ。俺、もう付き合いきれねえ」
肩を落とし、帰路につきながら、そう提案してみる。黄金の歯パワー一本分で、とりあえずマスコミたちの記憶操作もしてくれたらしく、俺のまわりでフラッシュがたかれることもない。あとは、こいつらが帰ってくれればそれで解決なはずだ。
「なぜ、ミノリータはミノと呼ぶのだ。私のことは、ピアと呼んでくれないというのに」
「ピア、これ以上親しくなることもないんだから、帰れっつってんの」
呼んでみると、ピアモンテは頬を赤らめた。
こういうところ、かわいいような気はするが、正直なところついていけない。
そうこうしているうちに家に着いてしまい、俺は鞄からカギを取り出した。とっくに夜だが、それでも共働きの両親よりはまだ早いだろう。差し込み、回そうとする。
予想したような手応えは、なかった。
……嫌な予感。
「お帰り、お兄ちゃん」
ドアの向こうでは、にこやかな笑顔のミノリータが待っていた。相変わらずのセーラー服姿だ。
俺は、げんなりと肩を落とす。
「……おまえ……」
「あたし、まだあきらめてないからね。ピアとお兄ちゃんの結婚を阻止して、チキュウを支配下に置いてみせるよ! そういうわけで、今後とも、よろしく」
「ふむ、ではミノもここで同居するということか。当然だが、私も妻としてここに住まわせてもらうぞ、レータ。ご両親はすでに説得済みだ、安心するがいい」
「待て!」
俺は、耳をふさいだ。聞こえてしまったが、聞こえなかったことにしたかった。
どうなる、俺の青春。
どこへいく、俺のプライバシー。
止めても無駄なことなどわかっている。わかりたくないほどにわかっている。だからといって、あきらめられるというものではないのだ。
「俺は、家出する──!」
そう叫んで、月に向かって飛び出す。
ものの三秒後には、二人の女に捕獲されたわけだが。
山下礼太、十六歳。
地球の命運は、未だ、俺の手に。
読んでいただき、ありがとうございました。
精進します。