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2 地球の命運は君の歯に


「お帰り、お兄ちゃん」

 声をかけられて初めて、ただいまもいっていないのだと気づいた。帰宅してすぐの任務──手洗いうがい歯磨きその他──を終えた俺は、重い足取りでリビングに入る。

「どしたの、元気ないじゃん」

 話しかけてきた当人は、中学のセーラー服のままで、のんきにアイスクリームを頬張っていた。大型テレビをつけっぱなしにしているが、それを見ている様子はない。

「おまえは元気だな、妹よ」

 ため息混じりに言葉を返し、それから違和感を覚える。妹、というのは果たして現実だっただろうか。そもそも家に帰ってくるというこの行為は、正しいことだっただろうか。

 さきほどの事件があまりに衝撃的すぎて、思考が麻痺していた。ファンタジー少女と虫歯菌に襲われたことが夢だったというのなら、そのほうがよほどありがたい。

 少女は、ならば考えるがいいといい残し、姿を消した。俺はただ、帰ることしかできなかったわけだが。

 ダメだ。考えたくない。

「ほんとに変だよ? アイス食べる? いまなら美乃の秘蔵アイス、おひとつあげちゃうよー?」

 アイスの棒をくわえて、首をかしげてくる。

「いいよ、うっかりもらったら後々ずっといわれんだろ」

「ひどいな、心配してるのに」

 うう、そうだったのか。いいやつだな、妹よ。

 こいつに心配されるほど、様子がおかしいだろうか。頭のなかにもやのかかっているような、奇妙な感覚だ。思った以上に疲れているのかもしれない。

 俺は大きく息をつき、ソファに深く腰をうずめた。

「お兄ちゃんってさ、ほんとマスクしないよね」

 不意に、そんな話題を振られる。俺は耳を疑った。

「おまえもしてないじゃんか。そんなもんばっか食べて、あっというまに虫歯菌にやられるぞ」

「虫歯菌に?」

「……虫歯になるぞ、ってことな」

 これといっていい直す必要もなかったが、どうしても学校での光景が蘇り、言葉を改める。虫歯菌、と口にしたとたん、あのふざけた小人が現れそうだ。

「それって、ム・シーバってやつ?」

 さらりと返され、息が止まりそうになった。

 ム・シーバ。

 まさか、その名を聞くことになるとは思わなかった。

「どうして、おまえがそれを」

 動揺を隠せる気はしなかった。震えてしまった声で、尋ねる。

「ど、どうして、おまえがそれを」

 こいつ、バカにしてんな。中途半端に声を似せているのがまた問題だ。

「ふざけてないで、答えろ」

「だって、テレビで見たもん」

 美乃は、食べ終わったらしいアイスの棒で、テレビを指した。

「テレビぃ?」

 すぐに画面に目をやる。注意していなかったが、美乃にしては珍しく、ニュース番組にチャンネルを合わせていたようだ。

 右上には、ム・シーバ、と大きな文字。俺はそのまま、見入ってしまった。

「マジか」

 画面では、まじめくさった顔のキャスターが、ム・シーバがどうのといっていた。少なくとも、冗談でしたなんちゃって、という雰囲気ではない。

「お兄ちゃんが帰るちょっと前だよ、速報、とかって。なんかねー、感染型の虫歯菌が、実は宇宙生命体で、これはもう宇宙人による侵略だ、とか? そういう話みたい」

 いやいやいや……なんなんだ、それは。

 じゃあ、あのファンタジー少女のいってたことは、ぜんぶ本当なのか? というか、もっと驚いたらどうだ、妹よ。

「──現在、ム・シーバの次期女王を名乗る人物と、中継が繋がっております」

 キャスターが聞き捨てならないことをいって、画面が切り替わった。

 見たくないというのが正直なところだったが、見ないわけにもいかない。目を逸らすタイミングを逃したという方が、正しいかもしれない。

「おお、新展開じゃん」

 美乃がのんきに身を乗り出す。映し出されたのは、まさに学校で俺たちを襲ってきたファンタジー少女だった。ピアモンテ、とかいう名前だっただろうか。

「これで、私の声が全世界に?」

 カメラとは違う方向を向き、ピアモンテがそんなことをいっている。そうです、だいじょうぶです、と適当な返しをマイクが拾っていた。ピアモンテはカメラを正面から睨みつけ、ごほんと咳払い。

 ああ、こうしてテレビで見ていても、美少女なのはまちがいないのに……とか考えてる場合じゃないんだが、考えてしまう。俺のばか。

「新感覚アイドルみたいだね、まるで。デビル系? 無駄に胸がデカイのがヤな感じ」

 美乃の言葉にはまったく緊張感がない。まあ、実際に斧で襲われてなければこんなもんなのかもしれない。

「チキュウのものたちよ、お初にお目にかかる。私はピアモンテ=エアログロー。ゲアンダを支配するエアログロー家の姫であり、次期ム・シーバの女王だ」

 凛とした声で告げられる。ゲアンダってなんだ。どうやらだれもが思うところだったようで、テレビの向こうで顔も見えないだれかが同じ質問をした。

「ゲアンダというのは星の名だ。チキュウとは遠く離れている」

 ピアモンテは不愉快そうに眉をひそめ、それでも淡々と答える。星の名、ときたか。これ、テレビ局のやつらも本気なのだろうか。変なやつが出てきておかしな妄想を口にしてる、とは思わないのか?

 いま気づいたが、中継場所は高校から地下鉄で数駅進んだところにあるローカルテレビ局だ。俺に会ったあとで、向かったのだろう。

「私は、宣戦布告に来たのではない。だが、チキュウにやってきたム・シーバは統制がとれているとはいい難く、侵略を目的とするものも、それを率いようとするものもいる。いま、チキュウでム・シーバによる虫歯が大流行しているのは、ム・シーバの本能によるものであるが、私の意図するところではない」

 一定のトーンで、ピアモンテが語っていく。マイクを向けている人物から声が出ることもない。圧倒されているのだろう。いろんな意味で。

 彼女の言葉を、現実として理解するのは困難だった。あまりにも突拍子がないのだ。

「ではなぜ、いま、私がこうして姿を現しているのか。それは、要求があるからだ」

 要求。結局それか、という空気がテレビの向こうで流れたような気がした。

「なんだろうね、全人類の歯を差し出せ、とかかな」

 俺が食いつくようにテレビに身を乗り出しているというのに、美乃は興味があるのかないのか、相変わらずアイスの棒をかじっている。感想も適当だ。

「ム・シーバって虫歯菌だろ。ってことは、それがこいつらの……えーと、ゲアンダ、でいうとこの、侵略なんじゃねえの」

「本気ならさあ、まず歯医者さんの襲撃だよね。あとマスクと歯ブラシの買い占め」

 うむ、なかなか現実的だ。もっともすぎて想像したくない。

 テレビ画面には、もったいぶっているのかなんなのか、こちらを見据えているピアモンテが映し出されていた。間、ってやつを計っているのだろうか。

「私は、黄金の歯を求めている」

 きっぱりと、ピアモンテが告げた。

 黄金の、歯。

 金歯?

「ただひとりのそれを手に入れることで、私は全ム・シーバを掌握するだけの能力を得る。それを探しに、この星へ来た。そうして、見つけたのだ」

 ……漠然と、いやな予感。

 ちょっと待て、この展開。まさか。まさかまさか。

「ヤマシタレータ──彼こそが、黄金の歯の持ち主だ。彼の歯を手に入れることができるのならば、私の力でム・シーバを星へ帰し、ほかの人間には一切手出しをさせないと約束しよう」

 思考が、停止した。

 俺はテレビを消してしまおうと、とっさにリモコンを手にする。だが、それがなんの解決にも繋がらないことなどよくわかっていた。

「ヤマシタレータって、お兄ちゃんと同じ名前じゃん。もしかして、お兄ちゃんのことだったりしてね」

 残念ながら、まちがいなく俺のことだ。

 いや……でも、そうだよな。ヤマシタレータ、なんてきっといっぱいいる。地域である程度限定されるかもしれないが、それでも知り合いにつっこまれたところで白を切るぐらいわけないだろう。

「ヤマシタレータ、見ているか? 貴様のことだ」

 俺の心の声が聞こえたわけでもないだろうが、ピアモンテが続ける。まるで画面越しに睨みつけられているようで、俺は思わず身を引いた。俺ですか。いや俺自身はわかってますよもちろん。

「ほかの人物では意味がない。ガイチ県ギシヤ市チクワ高校の、ヤマシタレータ、貴様だ。これが終わったらすぐに迎えに行く。もう逃れられない運命だと知れ。利口なチキュウのニンゲンたちは、皆協力してくれることだろう」

 ニヤリと、ピアモンテが笑う。

 悪だ。

 どう考えても、悪の顔。

 目の前が真っ暗になった。高校まで指定するとかって。これでは、まったく指名手配状態だ。

「ワオ」

 美乃が緊張感のない声をあげる。お兄ちゃんのピンチだとわかっているのかどうなのか。

「どうすんの、お兄ちゃん。すごいじゃん、この子知り合いなの?」

「どうするっていわれてもな」

 投降する気はない。だが果たして、逃げ出したところで逃げ切れるものなのだろうか。

 そうこうしているうちに、画面がスタジオに切り替わった。見るからに騒然とするなか、眼鏡のキャスターが冷や汗を拭っている。何度もごまかすように咳払いをして、それから目を泳がせた。

「ええ、お聞きになりましたでしょうか、みなさん」

 そんなどうでもいい前置き。これ見てんだから聞いてるに決まってる。

「どうやら、ヤマシタレイタ、という人物がカギを握っているようです。我々は緊急にヤマシタレイタ君を捜索、ぜひ話を聞いてみたいと思います」

 右下には、大きくカタカナで、謎の人物ヤマシタレイタ、の表示。

「信じるのかよ!」

 思わず吠える。だが、声が届くはずもない。

「それでは、改めて、各地で目撃されているム・シーバの映像をご覧ください。この生物は宇宙人だということが判明したわけですが……」

 キャスターが話題を切り替え、画面には黒い小人が通行人を襲っている姿が映された。人々は次々にマスクを剥がされ、口のなかに刺叉をつっこまれている。

 俺はなんだか納得した。なるほど、豪を襲ったような小人がそこら中にいるんじゃ、いくら突拍子もないとはいえ、宇宙人説を信じる……つーか、とりあえずはすがるしかないってことか。

 俺は、立ち上がった。テレビの電源を落とす。

「逃げる」

 宣言した。それしかない。

「え、そんなやばい状況なの? 逃げるってどこに?」

「知るか。ここにいたらまずいだろ。おまえも逃げといたほうがいいぞ」

 それとも、籠城するというのもありだろうか。いやだめだ、あのピアモンテってやつの破天荒ぶりからすれば、家の破壊ぐらい平気でやりそうだ。

 そもそも、俺が本当に黄金の歯というのを持っているのだとして、どうやって俺のことを突き止めたのか。センサーみたいなものがあった場合、お手上げだな。

「山下くん! 山下礼太く──ん!」

 突然、けたたましいインターホンの音と同時に、声。無遠慮に玄関戸が叩かれる音がして、俺は飛び上がった。

 来た。

 早ぇ。

「これってひょっとして、マスコミとかかな」

 さすがに、美乃も腰を浮かせる。十中八九そうだろう。そうでないにしても、この状況じゃどんな客だって敵だ。

 俺はとっさに窓に目をやった。ごくふつうサイズ、というよりはちょっと小さい縦長の我が家に、庭はない。どこの窓から出ようが、結局は玄関の方へと回り込まなければならず、見つからずに行くというのは不可能だ。

「お兄ちゃん、あたしが適当に相手しとくから、行きなよ」

 美乃が、ごくなんでもないことのように、そういった。一瞬、なにをいわれたのかわからない。

「おまえも逃げとけよ。絶対面倒だぞ」

「だいじょうぶ、あたし金歯ないし。あたしが合図するから、お兄ちゃんは隙を見て逃げれば良し!」

 金歯なんか俺だってない。

「じゃあ、任せる、かな」

 俺は甘えることにした。隙を見て逃げろといわれても、具体的にどう隙を作るつもりなのかはまったくわからなかったが。

 信じよう、妹よ。

 隠れてて、と美乃がいうので、階段の陰に身を潜める。美乃は堂々と玄関に向かい、いっそ威厳すらある態度でドアを開けた。

「山下礼太は、いません!」

 宣言。扉の向こうで待ちかまえていたのは、やはりマスコミの人間らしかった。カメラを抱えた人物とマイクを持った人物がそれぞれ数人。野次馬なのか、ご近所さんの姿も見える。

「すでに帰宅している姿が目撃されているのですが」

「いませんったら、いません! でも、どこにいるのかは、知っています」

 声のトーンが下がる。マスコミの方々が身を乗り出す気配。

「知りたい、ですか?」

 さらにためる。この距離では聞こえるはずもない、生唾を飲み込む音が聞こえたような気がした。

「ほらー! うしろだー!」

 美乃が吠えた。

「いまだよっ」

 マジか。

 あまりにも無理な隙だったが、躊躇している場合ではなかった。俺は、マッハでスニーカーに足をつっこみ、きょとんとしている報道陣の脇をすり抜ける。

「あ、君は」

「山下礼太くん!」

 当然、すぐにフラッシュがたかれるが、振り返ってやるつもりもない。とはいえ、このまま走って逃げるのか。無理だ、どう考えても。

「礼ちゃん、乗れ!」

 そこへ、救世主が現れた。虫歯の痛みはどうなったのか、真っ赤なマスクの豪が、ママチャリで角を曲がってくる。

「友よ!」

「飛ばすぜ、レッドサイクラー!」

 うしろに飛び乗る。豪は恥ずかしい名を大声で叫び、猛スピードでママチャリを急発進させた。







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