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1 虫歯大流行

 階段を、駆け上がる。屋上へと続く扉を開け、さらに走る。

 迎える太陽に一瞬だけ目を細め、フェンスを乗り越えると、そこにあるスペースにあらかじめ用意していた旗を掲げる。

 そうして、持ってきていた拡声器を手に、決めゼリフ。

「俺は、決して、虫歯になど屈しない──!」

 しない、しない、しない……竹輪高校に響く音。旗には、『NOマスク YESハミガキ』の文字。

 グラウンドからこちらを見上げていた教師陣と生徒たちが、なんともいえない顔で、形容しがたい声をあげた。

 山下礼太、十六歳。

 俺の信念は、堅い。


「オレ、おまえの友人でいることが不安だ」

 金色に染めた髪を、拗ねた獣のようにだらりと垂らし、土田豪は首を振った。学ランのボタンはすべて開け、なかには赤いシャツを着込んでいる。オシャレへのこだわりか、口元のマスクも赤で統一され、そこにはマジックで四露死苦と書かれていた。正直なところ、カッコイイとはいいがたい。

 だが、本日の目的を無事達成した俺にとっては、どうでもいいことだ。フェンスをよじ登って安全地帯まで戻ると、上機嫌で鼻を鳴らす。

「なんだよ、豪。自分がヤンキーだって自覚、あんの? 豪に比べれば俺なんて、月とスッポンかわいいもんだろ」

「礼ちゃんこそ、ヤンキーをあごで使ってるっていう自覚あんのかよ」

 いつもなら施錠されているはずの屋上へと入ることができたのは、まさにこの幼なじみのおかげだった。俺は心から感謝していたし、その思いは伝えなければならないと切に感じていた。豪の肩に手を乗せ、深くうなずいてみせる。

「あたりまえだろ。豪になら頭を下げてもいいぐらいだ」

「そうかよ」

 まあ、俺が豪に頭を下げたことはいまのところないのだが。そんなことは毫も望んではいないだろう。

 豪はなぜか疲れたように肩をすくめて、きびすを返した。

「なあ礼ちゃん、今回は協力したけどさ、ちゃんとマスクしようぜ。オレさ、単純に礼ちゃんが心配だよ」

「虫歯予防のために?」

「わかってんだろ、そういう世の中だ」

 拡声器を肩にぶら下げ、俺も豪のあとに続く。重い扉の閉まる音を聞きながら、釈然としない思いで、わかりたくもねえ、とつぶやいた。

 時代は、前代未聞の虫歯大流行期、ってやつを迎えていた。

 空気感染する虫歯菌の出現によって、わずか一週間で世界人口の半数以上が虫歯に感染。マスクをつけることで感染が防げるということから、ドラッグストアからはマスクが姿を消し、ついでにハブラシの類も売れに売れ、品薄状態が続いている。

 義務づけられているわけじゃないが、町をいく人々は、だれもがマスクを──入手できなかった場合には手製のものを──装着していた。騒ぎが起きた当初こそ休校になった高校も、いまではマスクをつけるべしを校則とすることで、通常通りの授業が行われている。

 だが俺は、それがイヤでイヤでたまらなかった。

 マスク。あの不衛生な物体。口のすぐ近くで空気が循環している感じが、たまらない。

「俺、マスクってほんと嫌いなんだよ」

 思わずぼやくと、豪は大げさにため息を吐き出した。

「そんな理由でマスクしてないの、礼ちゃんだけだぜ」

「それに、信念を貫く男はモテるって妹がいうからよ。今回の決意表明だって、あいつの入れ知恵だ」

「妹? なにいってんだ、バカバカしい」

 ヤンキーにはわからないかもしれないが、大事な問題だ。この決意表明がきっかけで、俺にものすごい彼女ができることだってじゅうぶんにあり得る。

「そんで虫歯になってねえってのも、またすげえけどな」

 豪はどこか遠い目をした。もしかしたら、こいつもマスクなんてしたくないのかもしれない。

「例の虫歯になったら、想像を絶する痛さだっつーだろ。死んだ方がマシ、ぐらいのよ。礼ちゃん、怖くねーの?」

「バッカ、おまえ、俺が一日にどれほどブラッシングしてると思ってんだよ。虫歯になんかなんねえよ」

 鼻で笑い、自信満々に返す。ポケットから新品のハブラシを取り出した。すべての指の間に挟んで、八本。まるで武器かなにかのように構えてみせる。ポーズだって研究済みだ。

「赤ん坊のころから、ミルク後は必ずハミガキしてたっつーの。俺のハミガキの歴史をなめんなよ」

「ないだろ、そのころ。歯なんてよ」

 豪が学を見せる。俺は聞こえなかったふりをした。

 そのまま、階段をゆっくりと降りていく。決意表明をするからグラウンドから見ていてくれ──そう宣言した上での、屋上でのデモンストレーションだった。押しかけた教師たちに捕獲されるかと思っていたのだが、どうやら杞憂だったらしい。勝手にしろ、ということなのかもしれない。

 一番下まで階段を降りれば、すぐ目の前がもう玄関ホールだ。俺と豪はそろってスリッパを脱ぎ、それぞれのスニーカーを引き出した。

「じゃあな、豪」

「おう、また明日」

 手を振り、別れる。家は近所だが、ヤンキー道に反するらしく、豪が直帰することはない。

 そのまま、俺らの高校での一日は、終わるはずだった。

 しかし今日は、事情がちがっていた。

「待て、ヤマシタレータ」

 高く綺麗な、しかし否ということを許さない力のある声に、足を止めた。正門の前に、ひとりの少女が立っている。

 ヤマシタレータ、という発音に、俺は眉をひそめた。まさか自分のことではないだろうと思いたいが、それはまちがいなく俺のフルネームだ。

 とはいえ、呼び止められる心当たりはない。いや、もしかしたら、さっきの決意表明で俺に惚れたとか、そういう?

「礼ちゃん、あの子」

 豪の目は、少女に釘付けだ。驚きに支配されたように、表情が固まっている。

「すげえ」

 いったいなにがすごいというのか。なかば呆れながら──多少の期待も持ちながら──俺もまた、彼女に目をやる。

 豪のいいたいことが、わかったような気がした。

 日本人、ではないだろう。風になびく長髪は真っ白で、身につけている衣類はゲームのコマーシャルに出てくるようなファンタジックなものだった。コスプレ、というやつだろうか。深紅のミニスカートは必要以上に布が多く、反比例するかのように上半身は露出されている。あろうことか、マントまで揺らめいていた。

 しかし、豪がいっているのは、そういうことではないだろう。

 彼女は、俺と同じだった。

 マスクをしていないのだ。

「間に合ってます」

 きっぱりと、背筋を伸ばして、俺は告げた。用件はわからなかったが、わかりたくもないというのが本音だ。

「れ、礼ちゃん、知り合いじゃねえのかよ?」

 声を潜めるようにして、豪がとんでもないことをいってくる。

「おまえ、俺をなんだと思ってんだよ」

「過不足なく礼ちゃんだと思ってんよ。仲間なんだろ?」

「仲間ってなんだ。俺にはこんな異常な知り合いはいねえよ」

 いいきった俺のすぐ隣を、風が引き裂いた。

 なにが起こったのかわからず、俺は動けないままで目を見開く。豪はとっさに飛び退いたのか、それとも風圧に飛ばされたのか、尻餅をついて固まっていた。マスクで見えないが、口をあんぐりと開けているのがわかる。

 地面に突き刺さっているのは、斧だった。

 目に見えないほどの速さで、俺と豪の間に、斧が降りおろされたのだ。

「黙れ、ヤマシタレータ」

 軽々とそれを構え直すと、ファンタジー少女は怒気を含んだ声で告げた。見た目からは想像できないほどの、あまりにも冷たい声だ。俺は震えることもできないままで、恐る恐る少女を見る。

 殺される。 

 直感した。これはやばい。

「先ほどの演説、しかと拝聴した。ヤマシタレータ、私は貴様に決めたのだ。貴様には──」

 少女は長い柄を持ち直すと、重さを感じさせない挙動でくるりと回す。それから、斧の先を、俺のあごに突きつけた。

「──虫歯に、なってもらおう」

 ……んん?

 思考が、停止した。

 俺は急いでまばたきをして、どうにか脳を動かす。

 満載だ。つっこみどころがあまりにも。加えて、生死の境目にいるらしいという緊迫感。なんと返せばいいのかわからない。

 それでも、俺の意志は堅かった。というより、ほかの言葉が見つからなかった。

「断る」

 暴力になど屈しない、俺かっこいい。

 おお、とやっと立ち上がったらしい豪が感嘆の声をあげる。

 少女は、唇の端を上げた。

「なるほど、さすがは一筋縄でいかない。その、揺るがない真っ直ぐな姿。だからこそ、貴様がふさわしいのだ。この私の、夫に」

 胸を張るようにして、さらにわけのわからないことをいう。どうでもいいが立派なものをお持ちだ。

 俺は考えた。美少女と、ファンタジーのコスプレと、斧と、虫歯と、夫との共通点。

 ない。

 どうしようもなく、ない。

「……すごく、残念だけど」

 心にもない前置きを、一応、してみる。

「今後、俺が君の夫になる可能性も、虫歯になる可能性も、まったくナイ」

 顔はかわいいし、プロポーションも良い、と思うけども。

 ダメだ。

 これは、ない。

「だいじょうぶだ。そんな戯言では、私はあきらめん」

 なにがだいじょうぶなのか、少女は危険な笑みを見せた。

「力ずく、という方法がある。それに、どうせ、貴様から私に結婚してくれと願い出るようになるだろう。それならば、早いほうが良い」

 そういって、斧を構え直す。まさか、バトル展開に突入してまで結婚を迫る気なのだろうか。そもそも十六歳では結婚もできないはずだ。それとも海外にでも連れて行かれるのか。

 様々な可能性を考え、しかし、どうすべきなのか答えは出ない。俺は平静を装いつつも、冷や汗が垂れるのを感じていた。夢なら夢であって欲しいが、鼓動の早さも、喉の渇きも、なにもかもがそれを否定している。現実だ。

「俺が結婚したくなる、ってのは、つまり?」

 少しでも情報を引き出し、なおかつ斧が振り下ろされるのを防ぐ必要があった。問うと、少女は目を細める。

「貴様らは、本当になにもわかっていないのだな。いっそ滑稽だ。いまこの星が、どれほど危険な状況にあるのかも知らないのだろう」

「危険な状態っつーと……虫歯?」

「そう、それだ」

 少女がさらに笑う。俺は寒気を覚えた。この星、とか。いったいどこまで自分の世界に入り込んだコスプレイヤーなのか。

 適当に話を合わせ、この場を逃げ出そうかと考える。名前を知られているのだから、そんなことをしても無意味かも知れない。だが、対策を練る時間ぐらいなら得られるはずだった。

「悪いけど」

 どうしても急用が──その程度のセリフがまさに口から出ようとしたところだった。

「う、うわあああ!」

 日常生活ではなかなか聞けない悲鳴が、すぐ近くで発せられた。

 だれのものなのかは明白だ。黙って成り行きを見守っていたはずの──突っ立っていただけというのが正確なところだが──豪が、なにか得体の知れないものに襲われ、悲鳴をあげていた。

 豪のまわりに群がる、三つの影。

 ひとではない。動物でもない。どちらかといえば人型なのだが、大きさは腰ほどまでしかなく、ゴム製らしい黒スーツに身を包んでいる。または、そういう皮膚なのかもしれない。

 尻からは、先が矢印のようになった、長い尾。頭からは、二本の触覚。

 謎の生物、というのがしっくりときた。

 だが、なんだろう、この既視感。

「な、なんだ、こいつら! やめろ、マスクを、マスクを──!」

 豪が悲痛な叫びをあげる。黒い小人たちは、笑い声とも息づかいともつかない、息の抜けるような音をたてながら、豪のマスクを奪い取った。手にした刺叉を、ぐいぐいと豪の口に押し込んでいく。

 大きさに違和感はあるものの、その姿には見覚えがあった。

 そうだ、いろんなデザインがあるものの、大まかなところではまちがいないだろう。

 とても、信じたくないが。

「虫歯菌……?」

 思わず、つぶやく。それはまさに、子ども向けアニメの類で目撃する、虫歯菌が擬人化した姿だった。

「来たな、ム・シーバ!」

 少女が吠える。ム・シーバ。俺はもう、どう反応すればいいのかわからない。

「この私の前で侵略行為など、片腹痛い! 観念しろ!」

 少女が、斧を振り上げた。小人たちが気づき、蜘蛛の子を散らすようにその場を跳ねる。しかし、斧の方が早かった。小人に直撃するが、薙ぎ飛ばすことはない。斧が触れた部分が瞬く間に砂と化した。彼らは声もなく、ひどく苦しそうに目を見開いたのを最後に、形を失って地面に落ちる。

 俺は唖然として、その光景を見守っていた。見守ることしかできなかった。

 目の前で起こった光景は、どう考えても俺の許容範囲を超えていた。

 はっと気づいて、豪を見る。彼はうずくまり、頬を抑えていた。

「やられたぜ……!」

 虫歯になったらしい。赤く腫れている。

 どうするか、この状況。

 本当なら走って逃げ出したいが……それも、ちがう気がする。というか無駄な気が。

「聞いておこうか」

 スルーするには、あまりにも大きな事件だった。俺は勇気を振り絞って、少女に向かい合った。

 乾いた喉で咳払いをして、くるくると斧を回す少女を見る。

「いまのは、いったい?」

 聞かれると思っていたのだろう。少女は豊かな白髪をうしろへ払うと、悠然とした態度で俺を見た。

「やつらは、ム・シーバ。この星は、ム・シーバによる侵略を受けている。そして私は、次期ム・シーバの女王、ピアモンテ=エアログロー。この星を守るには、貴様が私と結婚するよりほかに、ない」

 俺は、遠くを見た。

 太陽の光が、目に眩しい。

 瞳を閉じて、数秒。そのままずっと閉じていたかったが、結局は開けて、現実を見つめる。

 やはり、夢ではなかった。

 返事を待っているのか、少女が腕を組んで、こちらをじっと見ている。

「…………ちょっと、考えさせてください」

 断る、という勇気は、今度はなかった。







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