㉒最終話*エリスの花
外では強い風が吹いているらしく窓がガタガタと震える
その音でルカは物憂げに少しだけ目を開く。
「今日はずいぶんと空が荒れてるな…」
窓の外を見ればもうすぐ日が沈むのか群青と茜色が混じり合い濃い紫となって何だか妙に神秘的に見えた。
あぁ…すごく、綺麗だな。
ルカはここ数日ベッドに寝たきりだった。
先週軽い風邪をひいたのだが、拗らせたようでどんどんと体調が悪化し食欲もなくなりあっという間に体力も奪われていった。それもそのはずで、ルカはもう70も後半に差し掛かっていたのだ。高齢の身にはただの風邪が命取りとなる事もある。
朝はシャノンが様子を見に来てくれ、パン粥を作ってくれた。
少しでも栄養を取らねばと2口ほど飲み込んだが、3口目には吐き戻してしまった…せっかく作ってくれたのに申し訳過ぎる。
「げほっ!ごほっごほっっ…」
咳をすれば胸に突き刺さるような痛みが襲い顔をしかめる。呼吸をすれば喉の奥の方から異音がし、これはさすがにまずい状況かもしれないと思う。
体に悪寒が走り、ルカは掛けていた布団に肩まで潜ると目を閉じ痛みを紛らわすように別の事を考えてみる。
─そういえばアシルの息子の結婚式が明日だったな。あんなに小さかったのに…子供の成長とは本当に早いもんだ。
僕のことをじぃじと呼んでくれて、実の孫みたいで可愛くて仕方なかった。体調が悪くて結婚式に出れないのが残念だ…体調が良くなったらお祝いを奮発してやらないと、カノンの店の本店で新しい服でも新調してやるかな。
それにそろそろおじさんとおばさんの命日だから墓に花を持っていてやらないと、いつ来るんだと2人に怒られるな…はは。
おじさんが亡くなった1年後の同じ日に亡くなるなんてまったく…仲が良すぎだろ。今頃天国で楽しくやってるのかな?そう思えば悲しみも薄らぐ気がする。
「ごほっっ…うっっ」
先程よりも痛みが強くなってきた。
ルカは朝シャノンが持ってきてくれた薬を飲もうとベッド横のサイドテーブルへ震える手を伸ばした。
テーブルの上に薬が置いてあり、その側には相変わらずエリスの花がその姿を何十年も変えずに佇んでいる。それを見てルカは感慨深げにため息をつく。
「エリスの花、君はいつだって僕の側にいてくれるね…とても心強いよ」
ルカは薬を口にいれようとしたが手の震えが酷くて上手く掴めずに薬を落としてしまう。薬を拾おうとベッドから身を乗り出せば、細く弱った腕が体を支えきれずに床へと倒れてしまった。
「あぁっ!!」
冷たい床に強く叩きつけられ激痛に声を漏らす。
そして最悪な事にルカにはもう起き上がる力など微塵も残ってはいなかったのだ。
その上本格的な冬ではないにしろ、すでに厚着をしなければ寒さを凌げないくらいの気温の低さになっていた。
布団もなく凍てつくような床にただ体を寝かせていれば瞬く間に体温を奪われていくのは明白である。
ルカは渾身の力を振り絞って起きようともがいたが、病で弱り更に冷えきって固くなった体はもう主の言うことを聞いてはくれなかった。
あまりの寒さにガチガチと歯の根が噛み合わない…
あれから何時間経ったのだろうか。
シャノンが来るのは明日の朝だ、それまでは誰も来る予定はない。とてもじゃないが明日まで持ちこたえられそうにはないだろう。
は…なんて事だ、僕はここで死んでしまうのか?
人生の終わりとは本当に突然やって来るんだな…
皆にお別れを言えないのは辛い
それに、こんな失敗で死ぬのも悔しい…だが思い残す事などない位僕には満足のいく人生だった。伴侶も実の子供もいないが、僕にはおじさんやおばさん、シャノン、アシルやカノン、沢山の大切な存在がいる。
充分に幸せだった
長い人生で色々な経験をし、苦しかった事も勿論あった。だけど楽しかった事や幸せだと思える事も数えきれないくらいあった。
時には悲しみに塞ぎ込んだり、悩んだりもした。それからお腹を抱えて涙を流す程笑い合ったり、助け助けられ、感謝され感謝し…素晴らしい人生を歩めたと思う。
そして僕1人じゃない、最後まで一緒にいてくれた君がいる。他人にはただの花だったとしても僕には違う、何十年も共に歩んできた僕の家族だ。
最後に1つだけ幸運だったのは倒れた位置から君が見えることかな。部屋は既に真っ暗で窓からの月の光だけが唯一の灯りだった。
そしてその月は綺麗な円を描いている…
僕が最後に見たのが満月なんて、出来過ぎてるじゃないか…
満月の淡い光に照らされたエリスの花を眺めていればいつの間にかルカの瞳から涙が溢れていた。
これまで何度も何度も心の奥底にある何かを感じ必死で記憶を辿ったが何も思い出す事は出来なかった。
唯一の心残りと言うならばそれだけだろう…
しかしそれも謎のまま終わりを迎えるのか─。
その時、部屋の中が淡く青色に光っているのに気付きハッとする。
何だ…?この光は?
見ればその光はエリスの花から発光していた。すると、ゆらゆらと光りながらその固く閉じていた蕾を開かせたのだ。
ルカは息を飲んでその光景を眺めた
「…とうとう、君の真の姿を見せてくれるのかい?」
エリスの花は羽を広げ羽ばたくかのようにその花びらを大きく開いていく。その身を暗闇の中で煌めかせたと思えば今度は何かに命をしぼり取られるように急速に萎れ始めた。
萎れていくエリスの花を見ながらルカは何故だかとてつもない焦燥感になさなまれる。ルカの本能が急速に訴えかけてくるのだ。
今言えと…エリスの花に伝えろと
ルカは自分を信じ唯一の心残りを声にした
「エリスの花よ、どうか最後の願いを聞いてくれないか?僕の胸の奥にある何かを教えてほしい…失った記憶があるならばもう一度僕に返しておくれ───────…」
エリスの花はルカの言葉を待ってとばかりに命の炎を燃やし尽くしひときわ優美に光輝いた。ルカは瞳を閉じその温かく懐かしい光を素直に受け入れる。するとポッカリと空いていた胸の中のがようやく満たされた気がした。
そして、思い出したのだ。ルカの全てだったその人を
「────ああ、…ごめんよエリス…君の事をこんなに長い間忘れるなんて、エ、リス、やっと…」
ルカはやっと自分の本当の記憶を取り戻せた
何よりも大切だった存在を思い出す事が出来た…
しかしルカの魂は長い年月を共にして来たその体から今にも飛び立とうとしている。
悲しいことなどない、僕は最後に本当の自分を取り戻せたんだ。だから何も恐れるものはない、君のいる世界へ行けるのだから。
「君の、もとへ…いま、いく、よ」
エリス…────。
その言葉を最後にルカは静かに息を引き取った
エリスの花はルカと運命を共にするかのように完全に萎れると粉々になりこの世からその全てを滅失させた。
***
ルカが倒れているとスッと上から手を差し伸べられる
ルカは嬉しそうにその手を優しく掴んだ。
不思議な事にルカは70代の老人からエリスとの記憶の中にいた若かりし頃の姿へと戻っていた。
「もう、待ちくたびれちゃった」
「待たせてごめん、エリス」
「ふふ、いいの。ルカが幸せな人生を送れたなら私も幸せだから」
「幸せだったよ、でも君がいない人生はやはり寂しかった。記憶がなかったとしても魂がそう感じていたんだ」
「私も、本当は寂しかった」
「エリス…1人にしてしまってごめん」
「なら、お願いを聞いてくれる?」
「何でも聞くよ、僕に出来る事なら何でも」
「ルカの今まで人生の想い出話しを沢山聞かせてくれる?すごく楽しみにしてたのよ」
「勿論、でも何十年分だから物凄く長くなってしまうよ?」
「あはは、何時間でも聞くわ。だってこれからはずっと一緒いれるんだもの」
「そうだね、もう離れないから」
ルカとエリスは二度と離れたくないという思いからきつく手をつないだ。
「じゃあ、君のお姉さんの話しからするよ……」
ルカが話し出せば、エリスは嬉しそうに微笑み2人は月の光に溶けるようにキラキラと輝きながらその姿を消した。
消える寸前の2人はとても、とても幸せそうだった。
End
エリスとルカの物語を最後まで読んで頂き感謝しております。
評価して下さった方本当にありがとうございました、何よりの励みでした。
また次の作品でお会い出来たら嬉しいです(⌒‐⌒)